摂政戦記 0064話 開戦 第五幕 奪取
【筆者からの一言】
「俺のポケットには重過ぎらぁ」
今回はそんなお話。
1941年12月8日 『アメリカ ケンタッキー州』
ケンタッキー州ハーディン郡フォート・ノックス。
そこにあるアメリカ陸軍フォート・ノックス基地。
今、その基地周辺が黒い野戦防護服を着て、シュタームヘルム型ヘルメットを被り武装している者達に包囲されていた。しかもその武装集団はガスマスクを着用している。
それは実際に今、毒ガスが使われたからだ。
この武装集団こそは閑院宮摂政が長い年月をかけて作り上げて来た、対アメリカ決戦用強襲部隊「桜華」であり、その「乙班薄桜隊」だった。
フォート・ノックス基地。
元はアメリカ陸軍の砲兵学校が設立された地である。
後に陸軍機甲部隊学校や陸軍医学研究所、第6機甲騎兵連隊、陸軍機甲部隊本部等が置かれた。
だが「桜華乙班薄桜隊」の目的はそれらではない。
重要なのは1940年に、この陸軍基地内に金銀保管所が設けられた事だ。
アメリカ政府の保有する金塊と銀塊が大量にこの保管所に眠っている。
その正確な保管量は公けにはされていないが、1941年の時点で一説には軽く80億ドル分の金銀が保管されていると言われる。
80億ドルを史実における1941年での為替レートで円に換算すると約336億円になる。
これを日本の年間国家予算と比べた場合はどれぐらいになるか。
戦争期間中は戦費が右肩上がりで嵩むので置いておくとして。
史実における日華事変が始まる前の平和な年だった1936年だと日本の年間国家予算は約22億円。1935年も同じぐらいの額だ。
如何に336億円が膨大な金額かわかる。平和な時代の日本の15年分の年間国家予算に匹敵する額なのだ。
なお史実における日華事変4年目の1940年の日本の軍事費は約79億6千万円だ。
いかに戦争というものが金を消費するかわかる。
太平洋戦争が始まった1941年の日本の軍事費は約125億だ。1942年は約188億円。
今回の歴史においては既に日華事変は終了し大陸での戦闘は終わっているので、その分の戦費はかかっていない。
今回の歴史では中国戦線の戦費は考えなくて済む。
そういう事を考えれば、もし仮にこの80億ドル分(日本円にして約336億円分)の金塊銀塊を日本が入手できたならば、恐らくは3年や4年の戦費を楽に賄える事ができるだろう。
それぐらいに巨額な金塊銀塊がフォート・ノックスに眠っているのだ。
そしてアメリカにとってはドルの価値を担保する重要な資産でもある。
一国の通貨の価値は、その国の経済力と資産が担保となって信用を生み価値となる。
もし、フォート・ノックスにある金塊銀塊が消えたとなればドルの価値は海外で下落するだろう。
アメリカ政府にとって、それは絶対にあってはならない事だ。
史実においては第二次世界大戦が始まると、この金銀保管所に独立宣言書を始めとして、アメリカの歴史にとり重要な物が幾つも運びこまれ保管されている。
アメリカで一番安全な場所と言われるぐらい警備の厳しい場所でもある。
いや、警備の厳しい場所であった。
今はもう違う。
フォート・ノックスは皇軍の狗達の毒ガス攻撃の前に陥落した。
この時代、史実において「古き良きアメリカの時代」と後世言われるような時代である。
1995年のオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件や2001年の9.11テロ事件や炭疽菌テロ事件等が発生し国内と言えども安全ではなく、常にテロを警戒していなければならない時代とは違う。
故に隙があった。
国際条約で禁止されている毒ガス攻撃が国内で大規模に行われるとは、基地の責任者たる司令官は、いや、陸軍の幹部の誰しもが想像しておらず、想定外だったのである。
国内奥深くの陸軍の部隊が守っている基地に大規模な毒ガス攻撃を加える事など不可能だと思われていた。
そこに油断と慢心が生まれていた。
そして、今、金銀保管所への道が開かれようとしている。
皇軍の狗達に手荒く連れて来られたのは基地司令官とその家族だ。
フォート・ノックスは、その施設の特異性から基地内に軍人の為の家族用住宅は設けられていない。
数キロ南のラドクリフに家族用住宅はあった。
司令官の家族もそこに住んでおり、昨日は土曜日である事からいつもは基地内に宿泊する司令官も、土曜の夜から月曜の朝までは家族と過ごす予定で帰宅していたのである。
そこを白人系工作員に家族ごと誘拐され「桜華乙班薄桜隊」に引き渡された。
そして今、ここにいる。
司令官は国家に忠実、任務に誠実ではありたかった。
しかし、妻と子供達の頭に銃を突きつけられては言う事をきくしかない。
「本当に協力すれば家族の命は助けてくれるんだろうな?」
誘拐された時に殴られた顔を腫らしながら司令官が念を押す。
「あぁ助ける。俺達が欲しいのはあんた達家族の命じゃない。金塊さ」
そうニヤリと笑う狗達の指揮官の言う事を司令官は今は信じるしかなかった。
金銀保管所内部は毒ガス攻撃にも耐えられる。
だが、外部が毒ガス攻撃に晒されていたとは内部の人間は気付いていなかった。
この時代の技術では外部の映像を屋内にいる者がリアルタイムに見る事などできない。
司令官の抜き打ちの巡視であるという言葉に中の者は信じ厚い扉を開ける。
開けた途端にアメリカ陸軍将校の制服を着た狗達が中に飛び込み瞬く間に制圧する。
保管所内は何重にも防護されていたが、司令官を使い次々と制圧していく。
そして保管所は「桜華乙班薄桜隊」が自由に歩き回る場所となり、その最奥にある巨大な金庫の扉が遂に開けられた。
そこにあるのは莫大な金塊と銀塊の山である。
誰もが目を奪われる正に黄金の輝き。
古来より人を魅了して止まない黄金がそこにあった。
「一つ残らず運び出せ! 急げ!」
指揮官の命令に狗達が搬出作業を開始する。
「桜華乙班薄桜隊」は金塊と銀塊を運び出す作業に取り掛かった。
そして用済みとなった司令官とその家族は……抗議する間も哀願する間もなく射殺された。
子供はまだ10歳程度のぬいぐるみを抱えた女の子に、それより幼い男の子の二人だったが、両親と共にあの世へと旅立った。
金塊と銀塊は基地内にあった陸軍のトラックに積み込まれ満載状態になった車両から出発していく。
目的地は15キロ北にある大きな川、オハイオ川だ。
そこまでの間に町は一つも無く人目にはつきにくい。
オハイオ川には手配しておいた河川用小型船が何隻も来ている。
予め定めておいた合流場所に到着したトラックから金塊と銀塊を大急ぎで小型船に積み替え、満載した船から直ぐに航行を開始する。
これから長い航海の旅路が始まるのだ。
金塊と銀塊を積んだ川岸から約400キロ下流に向かうとケンタッキー州、イリノイ州、ミズーリ州の三州の州境があり、そこでミシシッピ川と合流する。更に下流へ向かいテネシー州、アーカンソー州を通過し、ミシシッピ州を抜けルイジアナ州に達すると、その向こうはメキシコ湾だ。
約1300キロの船の旅。川の旅。
メキシコ湾には中米船籍の輸送船が待機している。
金塊銀塊移送の旅は始まったばかりだ。
まずは1300キロの河での船旅を無事成し遂げられるかどうか……金塊強奪作戦、作戦名「鉄」の正否はこれからだった。
金塊と銀塊の輸送を終えたトラックはフォート・ノックスに戻り、準備されていた木箱を積んだ。
中身は基地内にあった適当な鉄製の物が殆どだ。
更には予備燃料も積む。
狗達の2個小隊100人程がアメリカ軍の軍服に着替え、このトラックに乗り白人系工作員の先導の下に出発した。
数十台のトラックが隊列を連ね南東に向け出発する。偽の命令書も持たせてある。
この部隊は囮だ。
そうした部隊がもう一隊。こちらは南に向けて出発する。
この部隊も囮だ。
強奪した金塊をこのトラック部隊が運んでいると思わせたいのだ。
南東に向かったトラック隊の計画は、まず200キロ南東に向けて道路を走る。グリーンリバー湖とカンバーランド湖の西岸を通る道を進みテネシー州に入る。
テネシー州のデール・ホロー湖を西に見つつ南に約80キロ進みタラブ・オーチャードという小さな町の辺りから南東に向きをかえワッツ・バー湖の橋を渡る。その先のスウィート・ウォーターという町から南下しノースカロライナ州の東端をかすめジョージア州に入る。約120キロ進めばクリーヴランドという小さい町があるので、そこから南東に更に約120キロ進めばサウスカロライナ州との州境のサヴァナ川だ。
そこから西に向け200キロ進み、ウィンズボローの町から南西に200キロ進めば大西洋にでる。
目的地はロング湾のポーリーズ・アイランド。
大都市を通らずできるだけ大きな道を通らずに進む直線距離にして約800キロの陸の旅。
アメリカ中が混乱している中でどこまで行けるかは、正に神のみぞ知る。
成功してもしなくても構わない囮の部隊。
その運命はこれから試される。
南に向かったトラック隊の針路は単純だ。大きな街は迂回してただひたすら南を目指す。
ケンタッキー州の南はテネシー州。その南はアラバマ州だ。そのアラバマ州のメキシコ湾に面したモービル湾を目指す。道路の有り様から大都市部分は迂回するにしても殆ど真っ直ぐに目指せる。
こちらも直線距離にして約800キロの陸の旅となる。
2隊の囮部隊を出したとは言え、フォート・ノックスを制圧した「桜華乙班薄桜隊」の大半は基地内に残っている。
そして戦闘態勢を整えつつあった。
作戦計画では金塊銀塊を奪取し搬出した後は、基地にて別命あるまで持久せよとなっている。
つまりは籠城だ。
幸い基地には武器も食料も豊富にある。
戦車も大砲も重機関銃も砲弾も弾薬もある。全てアメリカ持ちだ。
毒ガスはもう残っていない。
アメリカ国内に持ち込めたのは、ここでの攻撃に使用した1回分で限界だったからだ。
だから他の攻撃にも使用されていない。ここだけだ。
フォート・ノックスに残った狗達は金塊銀塊が強奪され運び出された事実が知られる事をできるだけ遅らせる事が第一の任務だ。
第二の任務はこの基地を占拠し続け、そして奪還に来るであろうアメリカ軍の兵力を消耗させる。
それが、この基地に残された狗達の使命だ。
皇軍の狗達はこの使命を忠実に守る気でいる。
まだ、アメリカ政府はフォート・ノックスの異変に気付いていない。
だが、気付かれるのも時間の問題だ。
フォート・ノックスで血で血を洗う戦いが起きるのもそう遠い話しの事ではなかった。
【to be continued】
【筆者からの一言】
果たして金塊銀塊を無事にアメリカから持ち出せるのか?
そして囮の2隊の運命は?
基地に残った狗達は?
それはCMの後で。
嘘です。調子に乗りました。ごめんなさい。
「桜華乙班薄桜隊」は暫くは出て来ません。
まだ出ていない他の隊の話しを先に出さなきゃいけないもので……




