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摂政戦記 0050話 傾く意見

 1941年8月末 『日本 東京 政府&軍部』


 アメリカの対日資産凍結と石油の全面禁輸の後、日本の陸海軍では急速に対アメリカ開戦論が台頭していた。

 アメリカの要求は過大に過ぎ、とても日本が受け入れる事ができるものではない。

 しかも、近衛首相が事態解決の為にルーズベルト大統領との直接会談を望んだが、その必要は無いとこれも拒否された。

 まるでアメリカには話し合う気が無いかのようである。


 もう、ここまで来たら日本が生き延びるには戦争に訴えるしかない。

 そう主張する声が澎湃と沸き起こる。

 

 陸軍省特別経済研究班と総力戦研究所が提出して来た調査報告書は多くの者が目にしている。

 それは戦った場合、日本の敗北を示している。

 しかし、それでもここまで来たら坐して死を待つよりは、死中に活を求めるしかないという考えが強かった。

 日露戦争とて日本が大国ロシアに戦いを挑んだ時、全世界に無茶で無謀と笑われた。

 それでも日本は多くの犠牲を払いにがらも勝ちを掴んだのだ。

 その実例が開戦派の心の拠り所となっていたのである。


 陸軍では陸軍省を中心に日本の生存を賭けて南方資源地帯攻略にでるべきであるとの声が日に日に大きくなりつつあった。

 杉山陸軍大臣もそれに意を同じくしていた。

 杉山陸軍大臣は閑院宮総長の操り人形でしかない。

 その陸軍大臣が、戦争に志向している以上、閑院宮総長もこの件については同意見なのだと、開戦派は勢いを強くしていた。

 

 海軍でも及川海軍大臣が明言する。

「もはや一戦するか屈服するしかない。しかし帝国軍人に屈服は無い。ならばここは進んで一戦するしかない」

 長野海軍軍令部総長も同意見であり「対英米戦も辞さず」と同調する。

「アメリカに対して戦勝の算あるも時が経つごとにその公算は少なくなる」とも発言している。これは海軍の備蓄燃料が日に日に減少している事を憂いての事だ。


 そして海軍はアメリカとの戦争を決意し陛下への奏上の準備を始める。

 陸軍もそれに競うようにして開戦の奏上を準備し始める。

 

 しかし、実際には海軍のこの主張はブラフであった。

 本音は戦争を避けたいが、陸軍との政治的駆け引きにおいて、この状況では弱腰は許されない。

 もしアメリカへの屈服を言い出したなら海軍の存在意義は失われる事になる。

 陸軍に莫大な予算を使って海軍はこれまで何をして来たのだと責められかねない。

 それ故の強気の発言だった。


 海軍は本当は戦争などやりたくはないのである。

 しかし、その本音を陸軍は知らない。

 知らないままに海軍の言葉を真実として開戦への動きを加速させていた。


 いや、一人だけその真実を知っている者がいた。

 閑院宮総長である。

 海軍の主張と本音は史実と変わらないのだ。

 しかし、閑院宮総長は陸軍の開戦への動きを全く止めようとはしなかった。 

 

 政府内でも連日会議が開かれ善後策が検討されたが、結局行きつく先は開戦か屈服か。

 そうなると陸海軍が共に開戦派な以上、政府の意思も開戦に傾く。


 そして、この重大なる事態について、開戦か屈服か御前会議が行われる事が決定する。

 それは9月3日になる筈であった……

 

【to be continued】

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