摂政戦記 0049話 研究報告
1941年7月 『日本 陸軍参謀本部 参謀総長室』
「よくやった」
報告書を読み満足そうに頷く閑院宮総長の様子を見て、その前で直立不動の姿勢をとっていた秋丸次朗中佐は内心で大きな安堵の溜め息をついた。
秋丸次朗中佐は陸軍省の人間であり、ここ数ヶ月はとある任務についていた。
「陸軍省特別経済研究班」の責任者である。
「陸軍省特別経済研究班」では、外部の経済専門家も招き連合国と枢軸国の経済から見た戦争遂行能力の分析を行っていた。
外部から招かれたのは〇橋大学の森田優三教授、慶応義◯大学の武村忠雄教授、東京商◯大学の中山伊知郎教授を始めとする多数の専門家である。
そして完成したのが「欧米経済戦争遂行能力調査」だった。
各国の戦争財政負担能力、兵器を始めとする軍需物資の生産能力、エネルギー及び食糧生産能力、人口その他、全ての面から総合的に経済が調査分析されていた。
秋丸次朗中佐はこの研究を陸軍大臣から直接、指示を受けて行ったが、元々この研究の発案者は閑院宮総長であった。
その事は特に秘密されてはおらず、閑院宮総長の副官が直接、研究の進捗状況を確認しに来た事もあり研究に携わっている者は皆が、それをすぐに知ることになる。
知ったからと言って何が変わるわけでもなく、研究は進められたが。
この研究では各国の経済分析だけでなく、連合国と枢軸国の勝敗も予想されていた。
その結論は連合国の勝利を予見していた。
アメリカはまだ参戦していなかったが、1940年12月29日、にルーズベルト大統領が炉辺談話でアメリカは民主主義の兵器廠になると語り、実際、そのような政策をとっている事から、報告書の中ではアメリカの経済力も連合国に加えられている。
報告書には、もし、枢軸国が勝利する可能性があるとすれば、それはイギリスの弱点である海上輸送能力へ痛打を加える事によるイギリス経済の崩壊であるとしていた。
「この報告書は参謀本部と陸軍省の関係各部署に配布しておいてくれたまえ。それから陸軍大臣にはこれを政府と海軍にも渡すよう伝言を頼む」
「承知しました」
閑院宮総長の指示に秋丸次朗中佐は返答し一礼して総長室を退室したが、その背中は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。
そもそも一介の、それも後方の主計担当の中佐が普段から会える相手ではない。しかも皇族。
その上、報告書の内容が内容だった。
参謀本部と陸軍省の中心ではドイツが勝利すると予測しており、それは軍内部に広く知れ渡っている。軍上層部が特に秘密にはしていなかったからだ。
その話を秋丸次朗中佐も知っていた。
それだからこそ自分が責任者になった今回の研究結果に対し、どのような反応が示されるか内心では戦々恐々としていたと言っていい。
何せ、大勢を占める予測に真っ向から反対するドイツが敗北するという結果なのだ。
陸軍参謀本部内にも一部ドイツの敗北を予測している者もいたが、秋丸次朗中佐もそこまでは知らなかった。
陸軍大臣に研究結果の報告書を提出するだけでもかなりの重圧だったが、それを閑院宮総長に直接持って行くよう指示された時は髪が真っ白になるかと思えるぐらい焦燥感に駆られた。
何せ226事件ではあの苛烈な粛清を行った総長である。「血塗れの鬼」「首斬り総長」「冷徹王」と陸軍内では恐怖をもって陰で呼ばれている閑院宮総長である。
もし、意に沿わぬと不興を被ったらどうしようと内心では震えあがっていたのだ。
しかし、幸いにも閑院宮総長は満足そうだった。
秋丸次朗中佐はまさに敵弾が熾烈に飛んでくる地獄の戦場から無事に生還した思いを味わっていた……
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1941年8月末 『日本 政府&陸軍&海軍』
「総力戦研究所」から政府に一つの研究結果が提出された。
「総力戦研究所」とは1940年10月に出来たばかりの新設の機関で、国家総力戦についての研究を行う組織である。
政府の関係各省、陸海軍人、民間から日本の将来を担う若手の優秀な人材が選抜され研究にあたっている。
その研究において日米開戦を想定したシミュレーションが先月より行われていた。
その結果が出たのである。
日本敗北。
勝利の可能性無し。
それかシミュレーションによる研究結果だった。
このシミュレーションによる研究結果は史実では政府により握り潰される事になる。
しかし、今回の歴史においては、閑院宮総長の強い要望で陸海軍両省と海軍軍令部、陸軍参謀本部、政府の関係各省にも広く配布される。
これを受けてシミュレーションによる研究結果を知った者達は改めてアメリカの力を再認識し慄然とするのだった……
【to be continued】




