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摂政戦記 0047話 内部 

【筆者からの一言】


 今回のお話は最初は総長戦記からの流用ですが、後半は別物となっています。

 総長戦記で出て来た宗教団体が今回の歴史では別の使い方をされているというお話。


1940年~1941年 『アメリカ』


 かつてアメリカには「ラム・ランナー」と呼ばれた男達がいた。

 禁酒法の時代だ。

 1920年から1933年までアメリカでは酒の製造も販売も法律により違法とされた。


 だが、禁止されても酒を飲む者は大勢いる。

 アメリカ国内で多くの酒の密造所が造られ大量の酒が密造された。

 だが、酒は足りない。需要は多い。


 そこで外国から海路、酒が密輸された。

 海路での密輸手段は幾つもあった。


 その中の一つがアメリカ沿岸に近い公海上の貨物船から夜間、小型艇にて密かに酒を陸地に運ぶという手段だ。

 アメリカの沿岸警備隊も取り締まりはしていた。

 しかし、アメリカの海岸線は広い。全てを取り締まる事はできなかった。

 時には沿岸警備隊の者が買収され密輸を見逃してもいた。

 だが、買収すると金がかかり儲けも減る。 

 警備の目が甘く都市へ酒を運ぶのに丁度よい便利な海岸を密輸業者達は次々と探し出し密輸ポイントとして使用した。


 そしてアメリカには海より多くの酒が運びこまれた。

 この時、小型艇で酒を運んだ密輸人達を人はいつしか「ラム・ランナー」と呼ぶようになった。


 1933年に禁酒法が廃止されると「ラム・ランナー」もその存在意義を失い歴史の狭間に消えていった。


 それから数年の歳月が流れた。


 アメリカ東海岸に点在する港町で、かつて「ラム・ランナー」として腕を鳴らしていた者達の姿が何人か消えた。

 既に密輸だけでなく裏稼業からも足を洗い、酒場で「ラム・ランナー」時代や悪い事をしていた頃の自慢話をしていたような老人や中年の男達だ。

 だが、そういう男達が突然姿を見せなくなるのは珍しくもない。

 他所に流れたか、どかで美味い話にでもありついたのか、それとも裏稼業時代に恨みを買って報復で殺害されたか……

 裏社会に一度は身を置いた者の消息を本気で心配するのは、家族と親しい友人以外は皆無だった。


 アメリカ人は誰も知らない。

 男達が消える前に、その周辺には見慣れぬよそ者の白人がいた事を。

 アメリカ人は誰も知らない。

 そのよそ者の白人の裏の裏の更に裏には、ある国の存在がある事を。

 アメリカ人は誰も知らない。

 消えた元ラム・ランナー達は、ある情報を喋らされた後に処分され既に生きていない事を……


 そして更に数年の歳月が流れ時は1940年を刻む。

 消えた元ラム・ランナーの事を覚えている者は殆どいない。 


 ある日のある夜。

 とあるアメリカ東海岸の小さな港町近くの海岸に、沖合から沿岸警備隊の目を掻い潜り密かにボートがやってきた。

 そして海岸についた者達は箱を幾つも降ろす。

 海岸近くには車で待機していた者達がおり、その箱とボートで来たうちの何人かを車に乗せると走り去った。


 同様な事が西海岸でも行われていた。

 箱は無く人だけがボートでやって来る事も多い。


 そういった事が1940年から1941年の夏までに数多く行われた。

 アメリカ国内に密入国したこれらの人員と物資はかなりのものになる筈であった。

 しかし、それにアメリカ政府は気付いていない


 これらの出来事を見ている者は頭上に輝く星の他は誰もいなかった……



♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢



1930年~1941年 『アメリカ』


 この時代、アメリカはキリスト教徒の国である。

 そのキリスト教はカトリックとプロテスタントという二派に分類されがちだが、実際には宗派が無数にある。星の数ほどあると言っても過言ではない。


 特にアメリカはその傾向が強い。

 建国以前の時代よりヨーロッパ大陸での既存の宗派との対立を忌避しアメリカと言う新天地で自らの信じる教義に生きようとした者達が大勢海を渡ってやって来たからだ。


 ヨーロッパ大陸の故郷で属していた宗派の教義に疑問を抱き、教義上の対立から新たな宗派を起こし、少人数で海を渡りアメリカで農地を開拓しつつ小さな宗教共同体として暮らしたグループは数えきれないほどある。数十人規模から数百人、時には千人を超える規模の共同体もある。

 

 そうした共同体は20世紀になっても21世紀になってもアメリカでは新たにできている。

 そういう意味では別に珍しくもない存在といえた。


 そんな宗教団体の一つに「愛と平和の教団」というキリスト教団体があった。

 できたのは1930年。世界大恐慌の頃に出来た。

 かなりの豊富な資金を持っているらしく大恐慌の余波で経営に行き詰まり手放された農園を幾つも買取り、そこで教義に基づく農村共同体(コロニー)を始めている。

 その購入され農村共同体(コロニー)となった農場は年々増え、主にアメリカ中西部を中心にアメリカ全土に広がっていた。

 この宗教団体は、然程、新しい信者を勧誘する事には熱心ではないようで、近くの街の者達や近隣住民ともあまり接触はしない。アメリカ社会の片隅で細々と信者達が静かに教義に基づく農村共同体(コロニー)を営んでいるという感じだった。


 その「愛と平和の教団」の農村共同体(コロニー)で、1940年に入ってから人知れずこれまでにない動きが起こっていた。

 夜になると多数の人々と物資が農村共同体(コロニー)に運び込まれていたのである。


 しかし、その事を周辺住民が知る事は無かった。

 元々、近隣住民との付き合いは殆どなく、人口密集地からは離れた地域に農村共同体(コロニー)があったからである。


 こうして中西部を中心に点在する100を超える「愛と平和の教団」の農村共同体(コロニー)の内部で何事かが起こっていた。


 だが、それを知る者はアメリカ政府にも州政府にもどのようなものであれアメリカの公的機関には唯の一人もいなかったのである。


【to be continued】

【筆者からの一言】


密輸した物資と密入国した人達が人目のつかない宗教団体のコロニーに……



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