摂政戦記 0044話 反応
【筆者からの一言】
日独伊三国同盟の成立により中立ではなくなった日本。
当然、連合国側は……というお話。
1940年秋 『アメリカ ワシントンDC ホワイトハウス』
「これはどういう事だ。カンインノミヤはドイツとの同盟に反対していたのではなかったか?」
日本がドイツとイタリアと同盟を結んだ事について、ルーズベルト大統領は予期せぬ奇襲を受けたかのような思いにとらわれていた。
それに答えたのはコーデル・ハル国務長官だ。
「どうやら日本内部で急速に事態が動いたようです。
カンインノミヤは退役するようで、既に陸軍の実権を手放しているようだとグルー大使から報告が上がって来ております」
「退役? 権力闘争でもあったのかね?」
「いえ、75歳という老齢故の様です。もう政治には関わらず次代の者達に任せると言っているとか」
「なんたる事だ。カンインノミヤなら安心できたものを」
そうルーズベルト大統領が嘆息するのも無理は無かった。
閑院宮総長はドイツとの同盟に否定的で、以前には1935年の「日独防共協定」を結ぼうという話も潰している。
その目は常にソ連に向けられておりアジアにおける防共の楯とも言えた。
第二次世界大戦に参加こそしていないもののドイツには否定的な事から潜在的には連合国側と見做されていたのである。
それに、閑院宮総長はあまり表には出さないがフランス贔屓と思われていた。
フランスに留学した経験があり、フランスの士官学校や陸軍大学に学んだ経験を持つ。
日本陸軍はドイツから影響を受けていたにも関わらず、フランスから戦車を輸入していた過去を持つ事も閑院宮の影響ではないかとみられていた。
そのフランスはドイツの軍門に降っている。
故に閑院宮総長のドイツへの反発は強くなるだろうと思われていただけに「日独伊三国同盟」の成立は衝撃的だった。
だが、日本にいるグルー大使もコーデル・ハル国務長官もルーズベルト大統領も知らない。
閑院宮総長が実権を手放し退役しようとしているという話自体が、実は閑院宮総長が流させた偽りの情報でしかない事を。
そしてそれを知らぬままに対応措置をとろうとしていた。
「ハル、国務省で早急に日本に対する対応を検討してくれたまえ」
「承知しました。大統領」
「日独伊三国同盟」の成立は当然の事ながら連合国陣営のどの国からも不評を持って迎えられた。
連合国には未だ参加していなかったが「民主主義の兵器廠」を標榜するアメリカも同様である。
アメリカはこの後、日独伊三国同盟への対抗措置をとる事を宣言し、軍事関連技術と鉄の対日輸出禁止措置に出た。これには軍事技術と鉄をドイツに流されない為という理由も付けられている。
この動きにイギリスも同調した。
イギリスにあるオランダ亡命政府も同様であり「蘭印植民地政府」に対し日本との貿易の制限を指示する。今ある契約は守るが今後、新たな契約は結ばないという方針である。
これにより、日本は東南アジアにおける資源の輸入先と製品の輸出先を失う事により経済的状況が悪化する方向に向かっていく。
近衛内閣の反応は右往左往であった。
まさか、そこまで極端な反応を直ぐにも見せるとは思っていなかったのである。
いや、政府内の一部にはその危険性を指摘する者もいたが「考え過ぎだ」「杞憂だ」「心配し過ぎだ」と耳を貸す者が少なかっただけである。
この事態に近衛内閣ではアメリカに特使を派遣して状況を打開しようと試みる。
そうした一連の流れを閑院宮総長はただ見ているだけであった。
動かない。
語らない。
そう今はまだ……
【to be continued】
【筆者からの一言】
アメリカの反応を見誤った日本。ピーンチ!




