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夢じゃなかった。
ぼんやりと思い描こうとしていたいつもの日常は訪れず、それどころか気が付けば、僕は迷宮の王となっていた。
まあ、結局の所、それがどんな状態か、未だに何だか良く分かっていない。
だけど、どうにもテンプレートなダンジョン育成系の主人公になっているのだろうと、僕はぼんやりと推測していた。モンスター召喚や、トラップ作成、迷宮の通路作成すらイメージするだけで、ある程度はぽぽぽんと出来てしまう事は把握して、そんな感じなんだろうと考える。
問題があるとすれば、目覚める前の僕という人間の記憶が消えてしまっている事。それが少し気がかりだけど、どうやら記憶は消えても、基本的な知識は消えてはいないようだ。
その為か、このありえない現実を、驚く程簡単に僕は理解してしまったいた。
だって、目が覚めたら真っ白の部屋。ダンジョンコアは見つかるし、更に最初の一体として通常よりも強いユニークモンスターが出現だってする。しかも、喋るタイプ。これら全て、ダンジョン育成系主人公のスタンダードな始まり方だ。
残念ながら、ステータス画面はどんな言葉を呟いても現れなかったのだが。
それに、こういう状況では普通は標準装備されているスキルとか、そういう系も色々とやってみたいのだけど、現状は全く反応なし。果たしてスキルなんてものがそもそも存在するのかも、現在のところよく分っていない。
とにもかくにも、そんな創作系の知識を持っていたから、ああなる程こういう状況なんだなと理解し、混乱する事はなかった。
なかったけど……、
ぐつぐつと煮えるあまり美味しくないスープの匂いを嗅ぎながら、僕は小さく溜息を吐き出す。このダンジョンにきて、一体何度目の溜息だろうか。
「駄目ですよ。溜息なんか吐いたら、幸せが逃げてしまいますよ」
キッチンでいつものように料理を製作しているアイツから、そんな声が聞こえてくる。どうにも人を馬鹿にするような僅かに声色の高い男の声だ。
とにかく神経を逆撫でする声に、僕は更にぶすっとした表情を浮かべながら答える。
「だって、美味しくないし」
この迷宮で目が覚めてから、もう二日目。合計五食も、美味しくない屑野菜のスープと、安物のプラスチックみたいに硬いパンだけしか食べていない。
確かに、テンプレートでは、ダンジョン育成系主人公が最初ゴミ同然の食料で耐え忍ぶようなシーンがある。あるけど、それはそれだ。僕は耐え忍びたくない。
美味しい食事を食べてこそ、人間としての尊厳を得られる。異常に不味いザ・非常食という感じの無機質な料理を食べ続けるなど、心が根腐れしてしまう。
つまり、人間は美味しい食べ物を食べる権利があるのだ。
「不味い事は謝ります。でも、まだ迷宮が何処とも繋がってないから、最低限しか用意できないんです。繋がってエネルギーが溜まったら、もっと美味しい料理が作れますから、それまでちょっとだけ我慢してて下さいね」
現状に対する不満を包み隠さない僕に、、キッチンのアイツはただただ申し訳なさそうな、でもどこか諭すような口調で答えた。
「いや、無理。我慢しない」
間髪いれずに答える僕に、アイツはただただ苦笑するだけの様だ。そんな飄々とした態度に、僕は少しだけムッとする。
どうも分かっていない。我慢できる出来ないの話ではなく、我慢したくないのだ。もっと言えば、働きたくないし、美味しいモノを食べて、寝るだけの生活がしたい。
なのに、どうも僕を少しでも働かそうとするし、甘えさせてくれない。迷宮を創るのも、モンスターを創るのも全部勝手にやってくれたらいいのに、やってくれない。それに、どうにもこの世界は漫画や小説によく使われる『それからしばらくして』という時間を飛ばして、面白い部分だけ見るなんて事もできない。
この現状は、どうにもストレスを溜め込んでしまう。
「ねえ、召喚するモンスターって食べられないの? ほら、野菜っぽかったし」
「無理ですよ。死んだら迷宮に還りますし、それに不死が売りのモンスターじゃないですか。そもそも、スープの野菜をいつも残しているのに、野菜食べるんですか?」
確かにそうだけど。野菜より、肉が食べたいけど。
「じゃあ、ポイント使って料理が入ってるミミック的なのを呼び出すとか」
「まだ、不死の野菜系統しか召喚できないじゃないですか」
むむむ。ほら、これだ。
折角、色々とアイデアを言っているのに、全部却下。それもあのにやけた笑顔で言っているのだろう。これでストレスが溜まらない人間なんている筈がない。
まだキッチンの奥で作業しているアイツの表情を想像し、僕は思いっきりテーブルを叩きながら叫ぶ。
「じゃあ、何とかしてよ!」
「まだ迷宮が何処とも繋がってないから、大きな変化なんて出来ないんですよ」
癇癪を起こす僕を宥めるような口調で言いながら、アイツがキッチンの奥から料理を盆に載せやってくる。その顔に貼り付けたニヤついた笑みを見て、僕は少しだけ気が抜けて、テーブルにつっぷす。
「だったら、頭齧らせて」
「カボチャは好きなんですね」
くり貫かれたカボチャを被った青年が、どこか楽しげな声でそう言いながら、いつものスープと硬いパンをテーブルの上に配膳し始めた。
カボチャに彫られた表情はいつもの様に満面の笑みだが、カボチャの中の素顔はどうなっているんだろうか。きっちりと執事服を着こなすカボチャに、僕は何となく優しそうなお兄さんを想像する。
天地に還らぬ南瓜執事。
カボチャを被ったアイツの名はそう言うらしい。鬼火っぽいのを浮かしたり、地面から蔦を生えさせて敵を襲ったりできる他のモンスターとは別格の存在で、強いと自称していた。だけど、僕からしたら完全にただの口うるさい執事でしかない。
「まずは、食べて下さい。味付けを少し変えましたから」
「まずい」
「食べてないじゃないですか」
彼の言葉に間髪入れずに答えると、呆れた口調でそう言ってくる。でも、見た目も色も前に食べた屑野菜のスープと、硬いパンから変化していない。どう考えても、美味しくなっている筈はない。
断固抗議する目線で、カボチャ頭へ視線を向ける。
ニヤついた笑みを浮かべるカボチャが此方をじっと向けている。
互いに何も話さず、どれぐらい経っただろうか、しばらくするとカボチャは大きくため息を吐き出した。
「全く、埒があきませんね。はい、あーん」
いや、違うよ? 求めているのは、そうじゃないよ?
見当違いの方向に、妥協する彼に、私はふるふると首を横に振る。だけど、カボチャ頭はただただ変わらない表情でじっと此方を見つめ、スープの乗ったスプーンを差し出し続ける。
無言。
無言。
お互いに無言だ。
どうにも向こうは頑としてでも食べさせるつもりらしい。だが、もちろん此方としては梃子でも食べるつもりはない。こうなれば、意地と意地のぶつかり合いだ。
更に気合をいれ、僕はカボチャへと視線を向ける。
どうやら、しばらくは持久戦が続きそうであった。