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誰かに覗かれている。
全てを排除した僕だけの大切な空間に、名前も知らない誰かが土足で踏み荒らす様な絶望感。泣き叫びたくなる程の吐き気を催す不快感をぶつけられ、僕という意識は急激にそこで目を覚ました。
寝ていた訳ではないと思う。
ただ、夢中になって見ていたアニメから何となく目を逸らした時のように、ふと我に返り、その場で目を開けたんだ。
その瞬間、強烈に感じた吐き気に思わず口を押さえる。
身体の中に残っていた幸福を全て破壊し、ぶちまけてしまいそうな程の絶望と恐怖。胃の中がぐるんぐるんと暴れまわり、ただただ泣きたくなる程の喪失感と嘔吐感が、身体中を駆け回る。
なんでこんな気持ちになるのか、思い出そうとしても思い出せない。それなのに、喪失感だけが僕の心にぽっかりと穴を開け、蝕んでいる。
混乱する頭のまま、僕はぐっと吐き気を堪え、僕は顔を上げる。
すると、そこは誰もいない真っ白な空間が広がっていた。
「……え?」
思わず声が漏れてしまう。
見た事もない、壁も床も天井も全部が真っ白な部屋。
どう見ても自分の部屋ではないこの場所で目を覚まし、僕はぽかんと口を開ける事しか出来なかった。ここが一体どこなのか。そんな疑問が浮かぶより前に、あまりの自体に僕の思考は止まり、頭の中まで真っ白になってしまう。
「どこ……、ここ」
どれほど時間が経っただろうか。
弱弱しい声がようやく口から漏れ出した。それを合図に、ようやく僕は周囲をきょろきょろと見渡す事ができた。だが、そこにはあるのは真っ白な壁とドアが一つ。家財道具の類は、僕が横になっているベッドしかない。
何もない。何もわからない。混乱する頭の中で、少しだけ考える。ただ一つはっきりと分るのは、僕は知らない場所にいるという事だけ。
その事実だけが、ようやく僕の心の中に染み込み始めた。
冷や汗が流れる。
真っ白な世界が、僕の中に得体の知れない不安を撒き散らしていく。理解の出来ない恐怖感が、心を踏み荒らす。どくどくと心臓が弾ける様に大きく音をたて始める。蚤のように跳ねる僕の小さな心臓が、恐怖に喚き散らしている。
判らない。分からない。解らない。
目が覚めたら、誰もいない真っ白な部屋にいた。そんな現状を理解しようと必死に頭を動かそうとするが、何故か思考は錆付いた螺子のように上手く動かない。
誰かに尋ねたいのに、誰も近くにはいない。調べようにも調べる方法もなんてない。理解できない事への混乱が、独りでいる事の不安が、言葉に出来ない恐怖が、心の中を掻き混ぜ、ただただ現実逃避へと思考を誘導していく。
だから、僕は結論を出した。
ああ、夢か。
ボスリと音をたてて、僕はベッドにもう一度横になる。
目が覚めて、何もない場所に目覚めるなんて、どこの陳腐な漫画なんだろう。いや、その漫画でさえ、神の声とか、黒幕がモニター越しに喋ったりするとか色々と説明があるというのに。
吐き気はいつの間にか、収まっていた。だけど、その代わりに粘り気のある眠気が頭を包み込み始める。
まだよく分らない夢の様な状況に、僕はもうそれ以上考える気力も起きず、大きく息を吐き出しながら目を瞑った。深く考える事を放棄し、僕はまどろみの中に意識を落としていく。
どうでもいい事だ。目が覚めれば、またいつもの日常が始まる筈だから。
いつもの。いつもの、いつもの?
えっと、いつもの、どんな生活だっけ。お父さんがいて、いや居なかったっけ? お母さんは? 学校には通ってたっけ? 中学で、いや、高校……大学? むしろ、働いてたっけ? いや、働いてなかったような気もする。
えーっと、そもそも、僕って誰だっけ。うーん、ダメだ。何も分らない。思考がぼやける。……えっと、
うーんと、
そもそも、ここはどこだろう。僕は誰だろう。なんか知ってた気もするし、知らなかった気もする。
まあ、いいや。とりあえず、眠ろう。
目が覚めたら、いつもの日常がまた始まる筈だから──……、