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不規則に動く秒針の音が、競うように金切る声を上げる。
隙間もないほどに壁に埋め込まれた時計達は、多種多様な声色で狂ったように偽りを叫び、侵入者を異常極まりない世界に叩き落す。
此処に在る時計は、どれも正確な時を刻むことを忘れ、勝手な時間を映し、騙し合う。それも壁以外、床や天井にすら隙間なく存在しているのだ。
まさに不正確の世界。
雑多に奏でられる秒針の不協和音は、この場にいるモノの時間感覚を崩壊させ、一秒の感覚すら曖昧にさせる。此処に来て、どれ程時間が経ったのか分からなくなる。それ所か、自身の呼吸の拍子でさえ段々と、だが確実にずれ始めていく。
時計の光源しか存在しない薄暗いその場所は、耳障りなほどにうるさく、唯でさえ息苦しくなる程空気は淀んでおり、鉄が錆びた臭いが漂う。
通路はとても狭い。時計仕掛けの歯車歩兵が、二体が何とか通れる程でしかない。広場のような空間もなく、気が滅入る程に大量の時計に囲まれた通路と分岐路だけが、永遠と先へと伸びている。
ここは、迷路を模した迷宮。
この場所こそが、私の創り上げた文字通りの迷宮であった。
一度入れば先に進む所か、元に戻る事すら困難となる迷路。それが、一階層から四階層まで長々と続く。そして、精魂尽き果てた侵入者を待つのは、最終階層の時計仕掛けの宝石姫の領域だ。
25m四方に拓けた空間。触るモノを全て削り取るむき出しの歯車が壁一面に広がり、中央に聳える巨大な振り子時計は、磨き上げられた刃を左右に大きく振りながら、これまでのどの時計よりも高らかに偽りの時間を奏で続ける。
そこで行われるのは、迷宮最強の実力を持つ、、時計仕掛けの宝石姫の一人舞台。全ての外敵を葬り去る理不尽なほどに吹き荒れる、暴力の嵐だけ。
疲弊しつくした外敵では、彼女を止める術はないだろう。唯一彼女が倒れる不安のある数による物量作戦でさえも、この長く狭い迷路の前では無力。そして、疲弊した少数に対しては、時計仕掛けの宝石姫が殺し尽くす。
これこそが、理想系。
現在、私が持つ手札を最大限に活かせる布陣として、創り上げた力作である。
「……やはり、この結果か」
だが、ようやく創り上げた迷宮の中で、感情の篭らない私の声が小さく響いた。
この迷宮は、確かに力作である。だが、傑作ではない。
細部に目を向ければ、まだまだ穴はあり、多くのモノを代用品で補っているものも事実。本棚に記載されている数多の迷宮の中でも、高めに見積もっても中の上辺りの難易度程度なのだ。
難易度を下げている原因は幾つかある。
その一つが、目の前で鉄くずと成り果てた時計仕掛けの歯車歩兵。
五体の歯車歩兵が斬りかかったにも関わらず、二分と掛からず重厚な鎧に身を包んだ兵士に、破壊され尽くしている。おまけに、鎧の兵士は掠り傷すら負っていない。
この結果からもわかるように、足も遅く、力も人並み程度しかない歯車歩兵では、外敵を排除するという攻撃力の面に不安が残ってしまう。
攻めてくるのが、ただの一般人なら、問題も無いだろう。歩兵を三体もぶつければ、勝利は揺るがないはずだ。
だが、迷宮を攻略する事を生業としている冒険者達では、勝手が違ってくる。常日頃から、異形との戦闘を続け、迷宮の影響を受けている冒険者には、棒切れを持った子供程度でしかない。
単純な話だが、もっと速く、もっと力強い兵士がいてくれれば、それだけでこの迷宮の強度が増す。云ってしまえば、どんな冒険者でも一薙ぎで、吹き飛ばす化け物が何体も存在していれば、地形や罠などを考えなくても最強の迷宮が出来上がってしまうのだ。
もちろん、現状はそう上手くはいっていない。
だからこそ、地形や罠なども有効に使い、より有利に、無力な戦力でも冒険者を狩れるようにするしかない。
しかし、そうは云っても、この迷宮に歩兵だけ置くなどという暴挙をする訳にもいかない。故に、迷宮生命体を生み出す実験を現在まで何度も続けている。
そして、いくらかの実験の末、歯車歩兵以上の性能を持つ生命体は何体も生み出す事には成功していた。
その一体が、目の前にいる重厚な鎧の兵士である。
名は、時計仕掛けの歯車騎士。
錆鉄の塊であった歯車歩兵よりも背が高く、その身体も鎧と呼んで差支えがないほど、精巧に創り上げられている。勿論、その外見に見合う様に、力も速さも全てにおいて勝っており、まさに歩兵の上位互換といった存在だ。
だが、こいつも良い部分だけではない。
歯車歩兵は全ての性能面で不安が残る分、DPが少量の消費で済む。その反面、歯車騎士は能力面で大幅強化されているが、DPが歯車歩兵の三十倍かかるという弱点も存在している。
歯車歩兵を三十体用意を用意して数を備えるのか、それとも歯車騎士を用意して質を備えるか。どちらも一長一短だろう。
理想としては、歯車騎士を大量に用意する状況なのでは、あるが。まあ、現状では無いもの強請りでしかない。
ちなみに、歯車歩兵と歯車騎士の中間程度にDPを注ぎ込むと、時計仕掛けの歯車盾兵という迷宮生命体が生まれる事も分かっている。
こいつは速度や力などは歯車歩兵と同程度であるが、その反面、歯車騎士すら超える硬度を持つ鎧に身を包んでいる。
創りは、歯車歩兵よりも精密であるが、間近で見ると粗が分かる程度。剣などの武器は持たず、鎧と同じ強度を持つ巨大な盾を持っている。完全に、防御に重きを置いた兵士となっているのだ。
「ご主人様、そろそろお時間です」
いつの間にか実験の成果についての纏めを反芻していた私に、彼女がそう声をかけてきた。
「そうか」
その言葉に、私は感情の無い声で答える。
彼女が声を発した時。その瞬間にこの迷宮が生まれ、六十万四千五百秒が経過した。それは後、五分で一週間になるという事であり、後五分でこの迷宮に出入り口が作られるという事を意味していた。
恐らく、入り口を設置した瞬間に冒険者が雪崩れ込んでくる自体は起きないだろう。それどころか、設置される場所にもよるが一ヶ月から半年以上は誰にも見つからない可能性の方が高いはずだ。
だが、私は待ちきれない子供の様に手元に持っていた迷宮の手引きを開き、時を待つ。久しぶりに喉が渇くのを感じる。柄にも無く緊張をしているのか、一秒一秒が異様に早く、異常に遅い。
だが、それも仕方が無い。
小さく頭を振り、一度大きく呼吸を正し、正常な思考の邪魔をしている緊張感を外へと追い出す。
五分後。推測が正しければ、後五分で私をこの場所に閉じ込めた何者かが行動を行う筈だ。それは、私の目の前に現れるのか、何らかの通信手段を使って連絡を行うか、それとも放送の様に一方的なモノなのか。どれかは分らないが、何らかの手段で、何らかの行動は行う。その筈だ。
推測できる理由は幾つかある。
例えば、既に存在している迷宮がある場所が、明らかに人為的な配置がされている事。迷宮の半径30キロより近くに迷宮は存在する事はなく、まるで測ったかのように冒険者達が活発ではない土地、つまり危険度の低い場所に迷宮の多くが集合している。更には険悪な国と国の丁度境目に迷宮ができる場合も多くある。
つまり、これらの迷宮はは、安全に迷宮を運営する事を目的として、設置されていると考えられる。もちろん、ある程度目星をつけた安全な場所に不規則に設置される場合もあるだろう。だが、現在判明している迷宮の分布や傾向からみて、やはり迷宮の主が好きな場所を選択しているのではないかと私は予測を建てていた。
そして、出入り口を設定する時、そこが恐らく、最初にして、最後かもしれない好機。
何の為に、私が此処にいるのか。私は誰なのか。私の持つ知識は何なのか。そして、私をこの場に送ったのは何者なのか。
不安定な自分の情報を知る為の、数少ない手掛かりだ。それを逃す手はないだろう。
ごくりと喉がなる。やはり、緊張感は早々に外へとは出て行かない様だ。
──そして、気持ちが整わぬまま、迷宮の中に聴いたこともない不思議な音楽が流れ始めた。