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まただ。頭が痛む。
ざわめく様な耳鳴りに、靄がかかる様に視界も僅かに霞み始めている。
ふらつく足取で迷宮を進むが、その踏み締める足音すら痛みに変わる。
まるで、頭の中で鉄板を打ち響かせられた様に鈍い痛みを走らせていた。
知らず知らずの内に、舌打ちが口から漏れ出してしまう。
もう図書館に篭ったあの日から、五日が経過している。調べる事柄に関しては、まだまだ山のように存在する。だが、迷宮にのみ関して云えば、ある程度の目処を立てていた。
出来る限りDPの消費を押さえながら、DPを得る。
それを基盤に、迷宮の構想に取り掛かっているのだ。
既に、基盤を活かす仕組みは考えてある。
必要な知識も、最低限は身につけた。後は実行するのみ。迷宮作成、設置予定である罠などの仕掛け、迷宮生命体を創り上げるのみなのだ。
だが、だからこそ、時間が足りない。早く完成させなければならない。
その吐き出し所の無い気持ちが燻り、心の中で苛立ちへと転化していく。
知識を付ければ付けるほどに、この世界は死が身近に存在している事を知ってしまう。冒険者の七割は迷宮に殺され、迷宮の殆ど、実にほぼ十割が冒険者に駆除される。
迷宮と冒険者は、この世界では殺し殺される関係。利用し、利用される関係なのだ。
僅かでも失敗をすれば、瞬く間に魔獣や冒険者に喰い殺される。そんな外敵を迎え撃つのに、一週間という時間は、あまりにも短かった。
喉から不快感と共に、吐き気が込み上げてくる。まるで何かを拒否するかのように、不調を訴える身体を、私は無理やり黙らし、動き続ける。
「御身体に支障をきたせている様にお見受け致します。ご主人様は、既に約三十七万二千三百二十秒も不眠で活動されております。このままでは、行動・思考共に支障きたす恐れがあります。故に一度、身体を休ませるべきではないかと愚考致します」
長時間篭りっぱなしだった影響もあるのか、頼りなく歩く私の少し後ろについていた彼女が、心配そうな声色でそう尋ねる。確かに彼女の言葉通り、四日以上もまともに眠っておらず、眠気も疲れも頂点に達しているに違いない。
だが、今は何よりも時間が惜しい。
「御主人様、どうか一度お休みを──」
だからこそ、彼女のその優しい言葉ですら、今の私には焦りを燻らせる材料にしかなりえない。
「いらん」
余計な事は言わずに完結に述べたその言葉は、私の想像以上に吐き捨てる冷たい鉄の口調へと変わっていた。
凍えつかせるようなその声に、私自身がたじろいでしまう。だが、それも僅かの間だけだ。私は小さく舌を鳴らし、それを訂正する言葉すら惜しみ、彼女の顔色すら伺わず、迷宮の魂が置かれている部屋まで急ぐ。
「申し訳ございません」
いつもと変わらぬ声で答える彼女。だが、私はそれに何と答えれば良ければ分からず、その苛立ちを隠すように小さく舌打ちを漏らす事しか出来ない。
期限通りに必要な知識を手に入れ、構想を構築しつくし、実行へ移る。全ての行動は予定していた通りである筈だった。その筈なのだが、その中に潜む僅かなズレ。行動、口調、体調、感情、その他全ての物事が、理想とは異なったモノとなる現実。それが堪らなく、腹立たしい。
何故、私はこんなにも怒りを感じているのか。その疑問すらも、苛立ちの中へと沈んでしまう程に。
「お前は、そこにいろ」
乱雑に扉を開け、迷宮の魂が設置されている部屋に入ると、彼女の顔も見ずに迷宮の魂から離れた場所に待機を命じる。
「かしこまりました」
彼女はその言葉だけを聴き、命じた通りの場所で静かに此方を眺めていた。僅かにだけ彼女に向けた視線を、私は迷宮の魂へと戻す。
相変わらず、凄まじい存在感がそこにはあった。
命の塊。地球のありとあらゆる生命を凝縮したのではないかとすら思える程の、生命の力強さだ。
しかし、既にそんなモノに気圧されている時間も惜しい。見惚れそうになる感情を無理にでも押さえ込み、迷宮の魂に近づき、その球体に掌を向ける。
一度大きく息を吸い、吐き出す。
粘るように張り付く負の感情を息と共に吐き出し、出来る限り意識を鮮明にしていく。
「今から、迷宮生命体創造を行う」
誰に言う訳でもない、その言葉。だが、それに応じるように、目の前の球体が僅かに鼓動した。
ごくりと音をたてる喉を無視し、DPが詰まった迷宮の魂に私は手を触れる。しかし、そこには触れた様な感触は存在していない。まるで霧の中に手を突っ込んだ様に何も触れられない。
だが、感じることは出来る。
迷宮の魂が仄かに放つ柔らかな暖かみ。人肌よりも僅かに熱を帯びた温もりをこの掌に感じながら、私は静かに目を閉じる。
この場にいる私という意識は、暖かみを感じながら、深い妄想の世界へと沈み、ただ私は靄のように霞む頭の中で、思考を重ね始めていた。
想像するのは、一人の兵士。
鎧を身にまとい、剣を掲げ、脅えも怯みもしない鉄の心を持つ戦士。複雑な事は求めはしない。勇者に負けぬ力も、賢者に勝る知恵も求めはしない。ただ命令に従う愚者の兵隊。命を恐れず、私の駒となるべき歩兵。
思考を続け、その存在を明確化していく。存在する筈のない、私の頭の中にしかいない兵士。しかし、私の妄想の中では、有り得ぬ程に現実的な姿を持ち、違和感の無い動きを行い始めている。
カチリと不意に歯車が噛み合う様に、再び私の意識が変化する。
思考していた存在が、私の中で現実の世界でも存在し得る程、鮮明に歩兵の姿が浮かび上がった。
もちろん、そんなモノがいる筈はない。現実に欠片も存在しない、全ては妄想の世界の話だ。
だが、それでも、私は妄想する。
思考は想像となり、想像は妄想となり、妄想が妄執へと成り果て、やがて創造へと辿り着く。
それが、迷宮生命体創造の基本。
紅茶色の迷宮の手引きに書かれていた言葉。迷宮生命体創造を行う為の、必要な過程。それに、どれだけ現実味がなくとも、今更それを虚言と云うつもりはない。
ここは最早、私の知る現実ではない。冒険者も、魔獣も、魔法も、常識外のモノ達が闊歩する非現実。DPを消費する事で、迷宮という地面や壁ですら創造できたのだ。
だからこそ、命の創造などという途方もない現象ですら、行う事が可能なのだ。
「──、我は迷宮を造りし王、──、」
自分の意思で、迷宮の魂に言葉を語りかける。彼女を創り出した時の様に言わされる言葉ではない、私の意思が介入する言葉。
それに、呼応するかのように魂は、輝きを増し、更なる熱を持ち始めた。肌を焼いてしまう程の熱。逃がさぬようにそれらをほんの少しだけ摘み上げ、脳裏に浮かぶ想像を現実の物へと創造していく。
「──故に、我は迷宮を育む──、」
紡ぎ挙げるのは、迷宮の手引きに書かれていた言葉。丸暗記したそれは、迷宮生命体創造を行う為の呪文。教科書通りの言葉を重ねながら、私は教科書通りに妄想を熱の中に刻み付けていく。
その瞬間、迷宮の魂は心臓のように、どくんと一度だけ強く胎動し、掌に熱以外の感覚が広がる。
「──故に、仮初の命を此処に生み出す──、」
硬い。硬い何かだ。魂の中にある力のようなモノが、私の言葉に従い、何かに生まれ変わっている。私は、その硬い何かを捻るように掴み上げ、一気に外へと引き抜いた。
「──数多の外敵を滅ぼすモノよ、ここに産声を上げよっ!」
目を潰す程の輝きが溢れ、同時に私が掴んだ何かがずるりと迷宮の魂から、抜け落ちる。派手な音を立てて、地面へと落ちたそれらを見て、私は僅かに眉間に皺を寄せる。
生れ落ちたのは、草臥れた鉄の塊だった。
鎧ともいえない屑鉄を身にまとい、もぞもぞと動く機械の出来損ないの様な生物。それも一つではなく、三つだ。想像していた人間の兵士とは似ても似つかない、出来損ないの玩具に似た何か達。
これは、失敗か。
再び思考に苛立ちが混じり始め、舌打ちが漏れてしまう。
DPの無駄か。心の中で吐き捨てるように考えながら、この結果について思考していく。迷宮の創造は問題なく創れたのだが、やはり命の創造となると難しくなるのか。
であれば、これは何だ?
腹立たしい気持ちを飲み込みながら、生み出されたそれら観察するように眺める。すると、ようやく身体の動かし方を理解したのか、軋む様な音を立てながら、身体を起き上がらせた。
予想外の動きに思わずたじろいでしまう私に、硝子玉で出来た様な瞳を向けた。そして、その意思を感じない瞳が私を認識すると、すぐに傅く様に膝をつけ、頭を下げたのだ。
150cm程度の大きさに、鉄板を繋ぎ合わせた様な身体。顔面は、雪だるまの様に適当に配置された硝子の目だけが植えつけられ、人間でいう心臓部には安物の時計が埋め込まれている。
両手の長さも揃っておらず、間接は曲げる度に、ギシギシと不快感を搔き立てる音を放ち、腰には身長と同じほどの長さの剣がぶら下がっていた。、
まさに出来損ないの玩具の兵隊。愚鈍そうな姿をする生命体達は、無言でただ私に傅き続け、私もただ無言で、それらを見下ろしていた。
「お見事でございます」
最初に、沈黙を破ったのは、離れた場所で迷宮生命体創造を見守っていた彼女であった。いつの間にか私の傍までやってきた彼女は、鉄の兵隊に目をやり、嬉しそうに目を細める。
「創造されたのは、時計仕掛けの歯車歩兵。ご主人様の手足となる駒でございます」
ふんわりと笑みを浮かべる彼女。どうやら、その言葉を聞く限り、私の想像とはかけ離れているが、彼女からしてみれば当初の予定通り、兵士を生み出す事に成功したという事になっている様だ。
だが、そこで気になった事があり、彼女に問いかける。
「……時計仕掛けの歯車歩兵とは?」
「彼らの名前でございます。私達、迷宮生命体は生れ落ちたその瞬間に、名が刻まれます。それは全ての迷宮生命体に適応されます。勿論、私も然りです」
何でもない事のように答える彼女に、私はまた幾つかの疑問が浮かんだが、それは口に出さずに、産まれたばかり時計仕掛けの歯車歩兵に目をやる。
彼らは先程から全く動くことなく、同じ姿勢で傅き続けている。その姿から、彼女のように自我を持ってはいないように見受けられた。
「なぜ、三体も存在している?」
まずは動作試験などを行う為に一体のみ創造する予定であったのだが、現状は私の意識に反して三体も存在している。その私の言葉に、彼女は何でもないように答える。
「おそらく創造する為の生命力、ご主人様が云われる所のDPが多すぎた為だと考えられます。一体の創造では余ってしまったDPが行き場を失い、同種の迷宮生命体創造へと力が流れた故に現象である推測されます」
その言葉を聞き、私は舌打ちを鳴らす。どうにも迷宮の魂とは融通が利かない存在の様だ。無駄にDPを消費せずに、そのまま余った分は蓄えに戻ってもよさそうなのだが。
どちらにしろ、その辺も調査が必要なのだろう。DPの無駄遣いは出来る限り、避けなければならないからな。
浮かび上がった、これからの懸念事項に私は舌打ちを漏らしながら、彼女に告げる。
「……では予定通り、動作試験や耐久試験を行う」
気がつくと、先程まであった苛立ちが、まるで無かったかの様に霧散していた。
頭に響いていた鈍痛もなりを潜め、今までよりも明確にこれから先の計画について思考が働き始めている。
「畏まりました」
優雅に傅く彼女に対しても私は何の感情も持たず、ただ淡々と迷宮創造について思考を深めていく。その他の迷宮生命体や罠の創造など、やるべき事は山積みなのだ。
ふと、気がつけば、彼女が笑みを深め、此方に視線を向けていた。そんな彼女に、私は特に何も伝える事もなく、思考の海に沈んでいくのであった。