恋人のインキュバスは隠し事が多い
きっかけはたいして親しくもない同僚の紹介だった。
職場に訪ねてきた友人がわたしを見て紹介して欲しいと頼んできたのだそうで、会ってやってくれないかと言われたのだった。お世辞にも充実した異性交遊生活を送ってきたとは言えないわたしなのでそう言われてしまっては当然悪い気はしないもので、むしろ浮かれてOKの返事をしたのが3日前。
教えたIDに連絡が来たのが2日前。仕事終わりに居酒屋へどうですかと誘われたのでOKの返事をしておいた。
そういえば異性と2人きりで酒を飲むなんてお世辞にも充実した異性交遊生活を送ってきたとは言えないわたしにとって無謀なことだと気が付いたのが昨日。
そしてたいして親しくもない同僚に同席を頼みこんだのが今日の朝。同僚ははじめしぶったけれど必死に頼み込んだらこくりと首を縦にふってくれた。たいして親しくもなかったけれど、いい人だった。約束の相手にも伝えたら、快いOKの返事が返ってきた。もっとも文字だけでは快いともなんとも言えないけれど。それが今日のお昼のこと。
仕事終わりに合流して、相手が選んでくれた居酒屋へ行き、個室に通されたのが数時間前。
同僚がお手洗いにたち、相手と2人きりになってしまったのが数分前。
「僕はインキュバスなのですが、あなたの精気に一目ぼれしました!僕と一生を添い遂げてください!」
そんな愛の告白をされたのが数秒前。
つっこみどころがみっつあってどれからつっこんでいいのかわからない。インキュバスってなんだ、精気に一目ぼれ?あと告白通り越してプロポーズだねそれは。どれを言おうか迷った結果わたしの口からはこんな言葉が出ていた。
「ええと、はい、よろしくお願いします?」
きっとそれは酒のせいだった。
あるいは、目の前で泣いて喜ぶ相手が持つたぐいまれなる美貌のせいだったかもしれない。
そしてたいして親しくもない同僚はついにお手洗いから帰ってこなかった。
お付き合いをはじめて判明したこと。インキュバスは、年下だった。まさかの。
同僚とは高校の時の先輩後輩らしい。名前は渡良瀬常人、めっちゃ日本名だった。まあ、たぐいまれなる美貌を持っているったって見た目めっちゃ日本人だもんね。とりあえず渡良瀬くんと呼んだらそのたぐいまれなる美貌で「ツネくんて呼んでください」と涙目に懇願された。わたしはツネくんと呼んだ。つまるところわたしはツネくんの美貌に陥落しているのである。そんなツネくんはわたしのことを嬉々として「桜さん」と呼ぶ。
それからもうひとつ、お付き合いを初めて判明したことはインキュバスとは何かということだった。
ツネくんいわく、一般に夢魔とか淫魔とか呼ばれる存在であると、そして一口に夢魔や淫魔といってもその出自には多様性があって、自分は堕天の結果インキュバスになったと。それからツネくんは、インキュバスとサキュバスは同一の存在であり、桜さんが望むなら女の子にもなれますがどうしましょうかと聞いてきた。この美貌が女の子になったらどうなるのかと興味はあったけれどひとまず丁重にお断りした。そういうのはもうちょっとお付き合いを重ねてからにしようか。それにわたしが丁重にお断りをしたときツネくんは少しほっとした顔をしたので、きっとツネくんも女の子になるのは本意ではないのだろう。そう伝えるとツネくんは感泣してわたしを抱きしめた。嬉しいのだけれど、耳元で好きですとか愛してますとかささやくのは心臓がもたないので控えてほしい。わたしは充実した異性交遊生活を送ってきたわけではないので、そういうのは慣れていない。正直にそう伝えるとツネくんはわたしをなぜかより強く抱きしめた。だから、控えてくれって。ああ、恥ずかしさのあまりなのか言い返す元気もなくなってきた。ツネくんがわたしを抱きしめるといつもこうだ。だんだんと頭がふわふわしてきて、夢をみているようになる。
意識が落ちる寸前にツネくんがわたしをはなすとはっと我にかえる。これも、いつものことだった。
これであの日のひとつめのつっこみどころは解決した。解決、解決と言っていいのだろうか、わからないけれど、疑問を解消したという点では解決だった。解決したところでわたしはツネくんにひとつ尋ねた。
「どうしてそういう、こう言っちゃなんだけど、自分に対して不利な事、告白するときに言ったの?」
するとツネくんはそのたぐいまれなる美貌に困ったような笑みを浮かべながら答えてくれる。
「だって、一生を添い遂げてくださいって告白するのに隠し事してたら申し訳ないじゃないですか」
このインキュバスは変なところで律義だった。
そして変なところで律義なインキュバスは、なぜかそのたぐいまれなる美貌に影を落とした。どうしたのと声をかけるとツネくんはそのキレイなアーモンド形の瞳にダイヤのような涙を浮かべた。ツネくんが涙もろいのはいつものことだけど、悲しい顔で泣くのは珍しい。ぎょっとして、どうしたどうしたとツネくんの頭をなでる。ツネくんは「実は」と重たい口を開いた。
「僕は、桜さんに、まだ隠し事をしています」
わたしは、うんうんと言いながらツネくんの頭をなでた。
「僕が、告白した日の事、覚えてくれていますか?」
「うん、覚えてるよ」
「僕は、僕は精気を食べて生きています」
なかなかに衝撃的な告白だった。
「だから、その、桜さんの精気を食べて、生きているんです」
だいぶ衝撃的な告白だった。その前はなんとか耐えたけれどさすがにこれには、うん?と聞いてしまった。
「それは、ちゃんと、僕と桜さんが同時に命果てるように調整して、食べているんですけれど」
ちょっとこのインキュバス何言ってるのかわからなかったのでツネくんに一度待ったをかける。だいじょうぶ、怒ってないから捨てられた大型犬のような瞳で見ないでツネくん。
「精気を食べる、とは?」
「それは」
いわく、精気とは人の持つエネルギーのようなものだと。それは人によって見た目も、雰囲気も、そして味も違うらしい。精気にはその人の生まれ持ったものの他に、経験してきたこと、乗り越えてきたこと、言ってしまえば人生が反映されるという。インキュバスはそれを食べるという。
そしてツネくんはわたしのそれに一目ぼれして、お付き合いして精気を食べたらその味にも夢中になってしまったのだと告白した。
「さっきも言いましたけど、僕と桜さんが同時に命果てるように調整して食べてはいるんですけど、その、桜さんがあまりに可愛いときはつい、食べすぎちゃってどうしようって今少し思っています」
そのたぐいまれなる美貌を赤らめながらツネくんはかなり衝撃的な告白を続けた。その形のいい唇からは「桜さんの精気じゃなきゃ食べたくないですし」と少しどうでもいいような告白も出た。
それよりツネくん、ひとつ聞きたいのだけれど。
「命、果てるって言った?」
ツネくんの体がびくりとした。怒ってないよ、怒ってないからと言葉をかけてツネくんの頭をなでてあげるとツネくんは口を開いた。
「精気は、人の持つエネルギーのようなものなのでそれを食べると死にます」
あまりに衝撃的な告白に思わずツネくんの頭をわし掴みしてしまう。ツネくんが控えめに「いたた」と主張する。ご、ごめん。ツネくんの頭から手をはなすと、その手をツネくんがつかんだ。それからつかんだわたしの手をツネくんは自分の頬へすり寄せる。ツネくん、それは非常に恥ずかしい。そう訴えるけれどツネくんは手をはなそうとはしない。
「けれど即死はしません、食べる量を調整していけば、時間をかけて眠るように死んでいきます、僕は、命果てるなら、桜さんと同じ時がいい、いえ、桜さんと同じ時じゃなきゃ嫌です」
ツネくんがわたしの手のひらをべろりとなめた。思わず体がぶるりと震える。ツネくんがこんなことをしたのは初めてだ。こんな、官能的なこと。
「桜さんは」
そのたぐいまれなる美貌を飾る、キレイなアーモンド形の瞳を官能的に揺らしてツネくんがわたしを見る。
「僕と一緒に死んでくれますか」
形のいい唇からつむがれた衝撃的な告白にひゅっと息をのんだ。ぞくりとした。けれどそれは決して不快ではなく、むしろ、心がざわつくほどに、快感、で。
しかし、お酒の入っていないわたしは幾分か冷静だった。
「ツネくん」
そう呼びかけると、ツネくんの瞳から官能の色が消えた。わたしにはそれが、やや不安そうな目に見える。
「ツネくんあのね、人は心変わりをする生き物だよ」
「僕は、人ではありませんが」
「ツネくんは人間社会で生きてきたので、とりあえず人と仮定しよう」
「わかりました」
口答えしたツネくんを納得させると、わたしは続けた。
「人は心変わりをする生き物だよ、だからわたしは怖い」
ツネくんは自分の頬にすりよせたわたしの手をぎゅっと握った。官能の色が消えた瞳がわたしを見る。
「ずっと一緒に暮らしていけば、価値観が違うことに気が付くよ」
「それは当然のことです」
「相手の嫌なところだって見えてくる」
「それも当たり前です、だからといって心変わりはしません」
「ツネくんが、もっと自分好みの精気を見つけるかもしれない」
「そうだとしても僕はもう桜さんの精気じゃないと死んでしまいます」
「わたし、結構性格悪いんだよ」
「悪い性格は、直せます」
「めんどくさがりで、すぐ人に飽きられるし」
「じゃあ余計に僕が居ないとダメじゃないですか」
「誰も大切にできない」
「桜さんは大切にされた分だけ大切にする人です、僕は桜さんを大切にします」
わたしの意見をツネくんは次々に論破していく。
「桜さん」
そしてツネくんの力強い呼びかけに、わたしは口をつぐんだ。
「桜さんの怖いは、全部僕の心変わりです」
ツネくんがわたしの手を自分の頬に押し付けて、すがるような瞳でわたしを見る。
「桜さんは、心変わりしませんか」
わたしにすがる瞳は揺れていた。どんな感情に揺れていたのかはわからない。でも確かにその瞳は、わたしの庇護欲をかきたてた。
「しないよ」
わたしはツネくんに拘束されていない、もう片方の手をツネくんの頬へやった。きめの細かい肌はしっとりとして、わたしの手のひらが吸い付いていくようだった。ツネくんの、キレイなアーモンド形の瞳をじっと見据えた。
「ツネくんがこうしてすがってくれる限り、わたしは心変わりしないよ」
キレイなアーモンド形の瞳が丸くなった。わたしはツネくんを安心させるように、ねっと笑ってみせた。
変なところで律義で、涙もろいインキュバスは泣いた。静かに一筋の涙をこぼして泣いた。それからがばりとわたしを抱きしめた。
「僕は、桜さんが、お弁当に入れてくれる、卵焼きが好きです」
「うん」
「休日のお昼に作ってくれる焼きそばも、大好きです」
「うん」
「桜さんがいれてくれるココアはとても甘くて、桜さんみたいで好きです」
「うん」
「あと、桜さんが好きなはちみつミルクも、僕は好きです」
「うん」
耳元でささやかれる好きですはいつもと違って、わたしの心臓に優しい好きですだった。
「花を見て、虫を見て、写真を撮りたがる桜さんはとてもかわいらしいです」
「うん」
「夢中になりすぎて土手から落ちてしまう桜さんもかわいらしいですし」
「うん」
「写真を見て思い出にひたる桜さんもかわいらしいです」
「うん」
「そのまま眠ってしまう桜さんを見て、僕は、桜さんを愛しているとしみじみ思います」
「うん」
頭がふわふわしてきた。ツネくんがわたしを抱きしめると、いつもこうだ。
「桜さん」
うん。
「僕と一緒に、死んでくれますか」
わたしは、頭が、ふわふわしていたのだ。夢を見ている心地だった。
「うん」
その日、わたしとツネくんは手をつないで公園の中を歩いていた。休日なので公園の中は賑やかだった。芝生広場ではカップルや家族がだんらんしていたり、子どもがボールやバドミントンで遊んでいたりする。高校生くらいだろうか、ダンスの練習をしている集団も見える。
前方にいいものを見つけて、ツネくんの手を引っ張って走った。
「ツネくん見て、キレイなツツジ」
「本当ですね」
ツツジの前まで走ってくると、わたしはツネくんの手をはなしてカメラを取り出す。小さなデジタルカメラで、倍率も高くはないけれどマクロがキレイに撮れたらわたしはそれでいい。ぐっと近づけてシャッターを押す。ピントの合っている、キレイな写真が撮れた。ツネくんに披露すると、ツネくんはカメラを持ったわたしの手をとり、のぞきこんだ。
「キレイです」
すぐ真横で、たぐいまれなる美貌が微笑んでいる。見ていたらツネくんに気づかれた。ツネくんがごく自然な動作でわたしの頬にキスする。ツネくんは時々こういうことをする。いまだに慣れないわたしが「ここ外だよ」と言うけれど、ツネくんはくすくす笑うだけだ。わたしが本気で怒らないのをわかっているのだ。たしかに、怒らないけど、文句ぐらいは言うよツネくん。
ツネくんに文句を言おうとすると、足になにか当たった。見てみれば、サッカーボールだった。カメラを適当にポケットにつっこむと、それを拾い上げてみる。向こうの方から数人の少年が駆けてくるのが見えたから、たぶんあの子たちのものだろう。ごめんなさい、と言いながら駆け寄ってくる少年たちにサッカーボールを渡してあげると、ありがとうと言われた。ちゃんとお礼の言えるいい子たちなのだなあ。
少年たちがまた走って戻っていくのを見送ると、ツネくんがわたしの手を握った。
「ツネくん」
わたしを見るツネくんのたぐいまれなる美貌は、浮かない表情を浮かべていた。
「どうしたの」
ぎゅ、とツネくんの手を握り返してあげるとツネくんは答えてくれた。
「桜さんは、子どもが欲しいですか」
突然の質問だった。キレイなアーモンド形の瞳はどこか不安げに揺れている。
「今はまだ、よくわからないよ」
不安げなツネくんに、わたしは正直にそう告げた。それはツネくんを少しだけ安心させる答えだったらしい。ツネくんは少しだけ笑った。それから「桜さん」とわたしを呼ぶことを前置きにして口を開く。
「インキュバスは、生殖機能を持ちません」
けっこう衝撃的な告白だった。少なくとも真昼間の公園でする告白ではない。けれどわたしはツネくんを止めなかった。つまるところわたしはこのたぐいまれなる美貌に陥落しているのである。ツネくんは咲き誇るツツジの前で告白を続ける。
「インキュバスとサキュバスが同一の存在であることは話しましたよね、インキュバスはサキュバスの姿で男性から精をしぼりとると、インキュバスの姿でそれを女性に与えます、それがインキュバスの生殖です」
ちょっとインキュバスのゲシュタルト崩壊を起こしそうになったけれど、わたしは黙ってツネくんの告白を聞いた。
「けれど僕は、ほかの男のモノを桜さんに与えたくありません、だから、生殖ができません」
次にツネくんが告白したのはちょっとした独占欲だった。
「桜さんの夢は、お母さんになることでしたよね、桜さんが子どもが欲しいというのなら手を考えます、けれど、僕は、生殖ができないんです」
ツネくんはついにそのキレイなアーモンド形の瞳に、ダイヤに似た涙を浮かべた。ツネくんが悲しい顔で泣いてしまうと、わたしは困ってしまう。ツネくんを安心させたくてたまらなくなって、だいじょうぶだいじょうぶと声をかける。けれど、ツネくんのたぐいまれなる美貌には、そのダイヤに似た涙が一筋流れた。
「ツネくん」
わたしはツネくんに呼びかける。
「わたしの夢が、お母さんになることだったのは子どものころの話だよ、今は、よくわからないって言ったよね、それはね、ツネくんがいるからなんだよ」
「ぼくが」
わたしはツネくんに握られていないほうの手で、ツネくんの涙を拭いてあげた。きめの細かい肌にわたしの手のひらが吸い付いた。
「ツネくんがいたらそれでいいやって思うから、子どもの事は、よくわからないの、たぶん、これからもずっとそう」
だから泣かないでツネくん、と言うとツネくんは自分の顔をわたしの肩に押し付けた。ツネくん、ここ外だよと言うこともできず、わたしはツネくんの頭を包み込んだ。隠し事をしていたのはつらかったね、と声をかけた。ツネくんは鼻をすすった。
プラトニックラブ、それもいいねと思っていたころがわたしにもありました。
しかし隠し事を打ち明けるまでは手を出さないと決めていたとわたしに告白したツネくんは、隠し事を打ち明けたために手を出した。そんなたぐいまれなる美貌で「出るモノは出ませんがイタすことならできます」とかそういう告白はしなくていいんだよ、恥ずかしいから。ちょっと展開についていけなくて待ったをかけるわたしにツネくんは「満足させます」とか「痛いことはしません」とか見当違いの説得をする。そうじゃなくて、と抵抗するわたしの手のひらをツネくんがべろりとなめた。ぞくりとした。ツネくんのたぐいまれなる美貌を飾る、キレイなアーモンド形の瞳が、官能的に揺れている。とどめはツネくんの「インキュバスは一般になんと呼ばれる存在か、僕が言ったの覚えてますか」だった。抵抗をやめたわたしの耳元でツネくんが答えをささやく。
つまるところわたしは、ツネくんに陥落しているのだ。
わたしの手にツネくんの手が重なった。
常々わたしは、人の年齢は手に出ると思っている。わたしの手も、そしてツネくんの手も、もう年相応だ。それでもツネくんのたぐいまれなる美貌は輝きを失わない。
施設の中庭にはツツジが咲き誇っている。それを、ベンチに腰かけてツネくんと2人で眺めることはこの時期の日課だった。ツネくんはそれを、デートと呼ぶ。施設の職員さんもそう呼ぶ。わたしは照れくさいので、いつも散歩だと言う。
わたしの力が入らない手を、ツネくんが持ち上げて自分の頬へすり寄せた。ツネくんの肌はなおもきめの細やかさを保っていて、しっとりとわたしの手のひらに吸い付いた。
「桜さん」
手のひらがツネくんの頬に触れた時、濡れているのが分かった。ツネくんは泣いている。
「最後の隠し事を、打ち明けます」
わたしはツネくんに、うんと返事をした。
「僕は桜さんに告白するずっと、ずっと前、桜さんが生まれたばかりのころから、桜さんに恋をしています」
衝撃的な告白だった。
「かわいらしくて、あいらしくて、ずっと見ていました、それである日ついに僕は、桜さんの夢の中で桜さんを僕のものにしました」
衝撃的な、告白だった。そうだったのだけれど。
「僕は堕天し、インキュバスになり、人間のお腹に宿りました」
うん。
「なんとなく、そうじゃないかなって思ってたよ」
ツネくんが息をのんだのが聞こえた。
「だってツネくん、わたしが話してない子どものころのこと知ってるし、実家でアルバム見てたときもわたしも覚えてないこと知ってるんだもん、まあ、まさか、堕天の原因がわたしとは思わなかったけど」
ふふと笑ってみせると、ツネくんも少し笑ったのが聞こえる。
「ねえツネくん、ツネくんの顔が見たい」
わたしがそう訴えると、ツネくんは握ったわたしの手を持ち替えながら立って、それから目の前にひざまずいた。わたしの力が入らない手をツネくんは恭しく支えている。王子様みたいと言うと、ツネくんはくすくす笑ってわたしの指先にキスをした。
ツネくんのたぐいまれなる美貌は輝きを失わない。それを飾るキレイなアーモンド形をした瞳も、形のいい唇も。
「ツネくん」
わたしが呼びかけると、ツネくんが「はい」と言う。
「好きだよ、愛してるよ」
そう伝えると、変なところで律義で、涙もろいインキュバスは泣いた。にこりと笑って、泣いた。それからふわりとわたしの力が入らない体を抱きしめる。ツネくんの頭がちょうどわたしの胸に埋まる。わたしはツネくんの頭に自分の頭を預けた。ツネくんが「好きです、愛してます」とささやく。
頭が、ふわふわしてきた。夢を見ているようになる。そうだ、ツネくんがわたしを抱きしめるといつもこうだった。ふわふわして、目の前がかすんで、わたしはそのまま、目を閉じた。
(了)