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赤穂騒乱編 其の壱

12月14日虎の上刻(15日午前四時)に投稿 くふふ

元禄十四年 三月十九日 虎ノ下刻(午前四時頃)


江戸の急変を伝えるために早水藤左衛門と萱野三平を乗せた二つの駕籠が赤穂へ向かっていた。

この早駕籠は、東海道、西国街道、山陽道をわずか四日半で駆けている。


距離にして約680km。


この時代なら普通は二週間以上かかってたどり着く距離である。

それを四日半、つまり一日で平均160kmを走った計算になる。

面倒な関所の通過に関しては当然関所改めなど受けている暇は無いので、通行手形を見せた上で名乗り「家中の一大事」の一言で駆け抜けた。

早水と萱野はこの四日半を不眠不休で駆け抜けているが、駕籠の担ぎ手はそうはいかない。

使者の乗る早駕籠は四人以上の担ぎ手(帠手)、さらに前に引っ張る人間と、後ろに押す人間の合計六人による六人曳きが一般的である。

この六人は宿場に着くと、先行して走った先触れの報告により待機していた次の人員と交代する。

宿場ごとに次々と交代することで、早駕籠は速度を維持したまま走り続ける事ができるのだ。

その交代の回数は70に及ぶ。

それだけの数の宿場の走り手に協力されたのは、赤穂藩が普段より名産品である塩の輸送や情報収集のために各地の問屋などに金銀を遣わして良好な関係を築いていたからだ。

日頃の細かい政務が四日半という赤穂浅野の早打ちを可能としたのだ。



中山新三の朝は早い。

まだ日も昇らない内に起きると、しっかりと草鞋の紐を締めて足腰の鍛錬のために赤穂の城下を走り回る。

新三に剣を教えた師が言うには走り回って素振りでもしていれば自然と剣は上達する、とのことだ。

もっともそれで強くなれるかは別問題だとも言っていたが、新三は師の教えを受けてから欠かさず走り回っている。

そのために何足も草鞋を潰しており、節約癖のある新三は自分で草鞋を編んでは武士らしくないなどと言われている。

主に松之丞に。


城の南に広がる播磨灘は穏やかな波を立てて心地よい潮風を運んでいる。

新三は早朝にここを走るのが好きだった。

浜に着くと新三は草鞋を脱ぎ、素足となって砂浜を走る。

師が言うにはその方が足腰の鍛錬になるそうだ。

磯の香りを胸に吸い、波の音を耳に当てながら柔らかな砂の上を走る。

時々朝の早い漁師と顔を会わせ、挨拶がてら世間話をすることもある。

地元漁師と円滑な関係を築く事は台所役としての重要な仕事だ。

しかし今日は誰も居ないようで浜を独り占めしたような優越感が生まれる。


その優越感に浸りながら草鞋を履き直すと北へ走り出した。

そろそろ松之丞が起きて朝の自主稽古を始める頃だ。

冷やかすか軽く打ち合うかは、まあその時の気分で決めれば良いだろう。

などと考えているうちに大石家の屋敷の前まで来ていた。

門の前では既に松之丞が寒そうに両手をこすり合わせていた。


「む、遅いぞ新三!」


「待ち合わせしているわけでもないのに怒るのって理不尽だと思うな」


「う、うるさい。毎日のことなんだから良いんだ!」


そう言うと松之丞は竹刀を投げて寄こすと勝手口を開けて屋敷の中に入った。

やれやれといった感じで新三は松之丞に続いて中に入ろうとしたところで、駕籠がかなりの速度で近づいて来るのを発見した。


「まつ、なんか早駕籠っぽいのが来たぞ」


「早駕籠? こんな時間にか」


再び屋敷の外に松之丞が出てきたところで駕籠は屋敷前に到着し、担ぎ手達は倒れこんだ。


「つ、着いたのか……?」


駕籠の中から蒼い顔で今にも死んでしまうのかと思う有様の早水が姿を現したのを見て、新三と松之丞はすぐに行動していた。

江戸に居るはずの早水が早駕籠を飛ばして赤穂に来た。それは江戸で何かが起きたという事に他ならない。


「まつ、ご城代を!」


「わかっている!」


松之丞は父である内蔵助を叩き起こしに駆け、新三は門の内側に回って閂を引っこ抜き門を開けると、早水に肩を貸して屋敷の中へ引きずるように連れ込んだ。

早水を屋敷に入れると即座に引き返し、もう一つの駕籠の中でぐったりしていた萱野を引っ張り出し、同様に屋敷へ入れる。

それが終わると台所まで走り、調理用に汲み置きされている水を手桶に汲んで持ってきた。幼い頃より勝手知ったる大石家、どこに何があるのかは目を閉じていてもわかる。


「早水さん」


「お、俺はあとでいい。先に萱野を」


そう言われ新三は萱野に水を少しだけ口に含ませた。


「萱野さん、ゆっくり飲んでください。ゆっくりですよ」


「……かたじけない」


柄杓で一口、二口と水を飲み萱野は少しはましな顔色となった。

早水も萱野に続いて水を飲み、ようやく一息つけたところで松之丞が内蔵助を連れてやってきた。


「なんじゃなんじゃ、こんな朝っぱらから。ワシはまだ眠いぞ」


松之丞に引っ張られてきた眠たそうに目をこする男。

彼こそ浅野家筆頭家老、大石内蔵助である。


「ご城代!」


内蔵助の姿を見て早水と萱野は即座に向き直った。


「早水に、萱野?」


「ご城代、江戸にて! 江戸にて変事失態にございます!」


「!」


変事失態と聞き、新三と松之丞そして内蔵助は顔色が変わった。

年若二人は自分たちが思っていたよりはるかに大事が起きたのだと知り驚愕したが、内蔵助は一度息を吸い緩んでいた表情を引き締めただけだった。


「新三、お前が居たのはちょうど良い。二人と帠手にも茶漬けの用意を」


「はっ」


台所役の本領だ。それも筆頭家老より直々の命ともなれば身も引き締まる。

もっとも作るのは茶漬けなのだが。


「二人はワシと居間へ」




居間へと場所を移し、そこで内蔵助は二人から書状を受け取った。


「………!?」


書状に目を通し、字を追っていた内蔵助の表情は突然変化した。


「御執事役人諸侯残らず御登城相成候の処、松之廊下に於いて上野介殿理不尽の過言を以って恥辱を与えられれ……」


「恥辱を!?」


読み上げると松之丞が悲鳴のような声をあげた。


「これによって殿が刃傷に及ばれた」


「な……」


「しかし同席した梶川殿に押さえすまされ、多勢を以って白刃を奪い取り吉良殿を打留申さず。双方共にご存命、か」


内蔵助はぴしゃりと自らの顔を手で覆うように叩くと、大きくため息を吐いた。


「早水、萱野、この書状はまことであるか?」


「はい」


「この内蔵助を謀るためのものではないな?」


「め、滅相もございません!」


「そう、か」


そうだとは言ってくれないことに内蔵助は再び大きくため息を吐いた。


「何ということじゃ。殿が殿中にて刃傷とは……」


殿中での刃傷ならば殿の身は当然として、お家も断絶。


断絶だ。


「それで後のことは?」


「いえ、我等はそれ以上のことは。まずは刃傷があった事を伝えよと」


「そうか、相分かった。松之丞、すぐに家中総登城の太鼓を鳴らせ」


「は、はい!」


命じられ松之丞は飛び出すように駆け出した。


「早水、萱野、二人とも大儀であった。ゆっくり身体を休めるといい」


事が事である。

内蔵助はすぐさまやるべきことを頭の中に浮かべ、その優先順位をつけていく。

そこには昼行灯と揶揄される駄目家老の姿は無かった。

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