千代田城裁き・中
千代田城内、蘇鉄の間。
ここでは殿中にて刃傷事件を起こした被疑者、浅野長矩の取調べが行われていた。
取調べを行う目付け役は幕府旗本、多門伝八郎。
「では浅野殿、もう一度この度の喧嘩の原因をお聞かせください」
複数回同じ質問をすることで証言の正確性を得るのは取り調べの基本である。
「……以前より度重なる吉良殿の嫌がらせ、武士を武士とも思わぬ言葉の刃による侮辱に耐えかね刃傷つかまつった」
長矩は繰り返される同じ質問に辟易しながらも毅然とした態度で語った。
浅野家を田舎大名と嘲り、時代遅れの戦かぶれと赤穂藩を小馬鹿にし、赤穂浅野家初代藩主である祖父浅野長直までも運よく塩田開発に成功しただけの無能などと耐えるに耐え兼ねない侮辱の言葉。
浅野家はたしかに五万三千五石の小藩だが、本家は芸州広島の三十七万石の大名である。そこに連なる赤穂浅野家がそのように言われなければならない道理はない。
ましてや尊敬する祖父まで馬鹿にされては我慢などできようはずもなかった。
ゆえにやむにやまれず刃傷である、と。
「なるほど、では此度の刃傷は喧嘩であったと?」
「はい、此度は喧嘩にござる。遺恨もっての刃傷」
「ふむ」
今の話を聞けば、なるほど遺恨あっての刃傷であると言えよう。
だがそうなると被害者側の証言と食い違う。
吉良上野介は多門に理由は不明。
長矩の乱心であると言っている。
被疑者は遺恨と言い、被害者は乱心と言う。
証人である梶川は気付いた時には長矩が吉良を刀で斬りつけていたと申した。
「浅野殿、吉良殿への調べではそなたが乱心で刃傷に及んだと申しているが?」
「重ね重ね申し上げる。此度の件、乱心ではござらん。喧嘩にござる」
このやりとりも何度も繰り返されたものだ。
多門は両者の人柄を頭の隅で考える。
被疑者浅野長矩(内匠頭)、火消し大名として江戸に大いに貢献。今時珍しいほど武士道を貫く人物。直
情的な面はあるが、武士道を実直に往かんとする点など好感が持てる。
被害者吉良義央(上野介)、領地を馬で回り領民の声を聞き悩みに真摯に取り組む名君。私財を投じて築いた堤防の話は有名。
しかしその一方で立場から諸大名より多額の金品を得ているとの噂がある。
おそらくと言うか、完全に勘ではあるが被疑者の証言の方が正しいだろう。
取調べの際も長矩は一度も目を背けなかったが、吉良の方はしきりに視線を泳がせていた。
だがそうなると……
「浅野殿」
多門は役目無しにこの実直な男に助け舟を出したくなった。
「乱心が理由であれば処罰は浅野殿の身のみで済みましょう。されど、遺恨をもっての刃傷の場合はお家断絶ということもあります」
「目付け殿?」
「浅野殿、武士の意地にこだわっている場合ではありません。そなたの答えいかんで三百の家臣の運命が決まるのですぞ」
心して答えられよと多門は目で長矩に伝える。
「乱心でござろう?」
長矩は眉根を下げ困惑したような顔をした。この取調べで彼が一度もしなかった顔だ。
「多門殿、細かな心遣いかたじけない。されど……」
しかし長矩は次の瞬間には強い目つきに戻った。
「この長矩も一国一城の主。乱心などと言い逃れをしようなどとは思わぬ。遺恨による喧嘩、あくまで遺恨による喧嘩にござる。お間違えなきよう」
どこまでも愚直に浅野長矩は武士道を貫く。
それを多門はそう生きれることを羨ましく思い、遺恨による喧嘩であると進言することにした。
しかしこの取調べのすぐ後に上様より、
浅野内匠頭の此度の所業は場所もわきまえず、己のみの宿意をもって殿中を騒がせたこと不届き千万。
その罪、許される裁きありえるはずも無し。誠にもって容赦すべき点なし。
よって城地没収、即刻切腹申し立てよ。
との沙汰が言い渡された。
多門は目付けとして断固抗議した。
此度の一件は根の深い問題があるので、遺恨の調べを数日をかけて進めるべきだと進言したが、無情にも上意であると一言で捨てられたのだった。
吉良上野介が私財で築いたと言われる黄金堤は調査により江戸時代以前より存在していた事が判明し、吉良上野介が築いたものではないそうです。
また吉良上野介は領地にはほとんど行った事がなく、代官が執政を行っていたそうです。
それでも現代まで吉良上野介が名君であったと伝えられ、領地であった現在の愛知県西尾市吉良町では英雄として称えられているのは領民の生活がより良いものになるよう代官に指示を出し、そのために金銭を使っていたからなのでしょう。