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赤穂騒乱編 其の漆

遅くなり申し訳ありません。

ちょっとロマサガ2と3をやってただけなんです。

2をニンジャ縛りで、3をロビンで一人旅してただけなんです。

アッハイ、次回は本当に急ぎたいと前向きに考えております。

元禄十四年(1701年)四月十八日


この日赤穂城は幕府の受使役に明け渡されることとなった。

以降は新たな赤穂藩主が決まるまで龍野藩主脇坂安照が預りとなり管理される。

それまでが慌しかった。

城壁補修に清掃、引渡し目録の製作の為の物資確認。さらにこの時代最大の悪法と言われる生類憐みの令の為に野良犬の数も数えなくてはならず、手の空いている藩士が追いかけ回して数え、城内犬引渡書には二十三匹と記された。


藩の改易となるからには、それまでの赤穂藩士は全員赤穂から出なくてはならず、赤穂に残りたければ侍という身分を捨て一介の町人にならなくてはならなかった。

浅野家再興を目指すと決めた以上は刀を置く事はできないので、全員が赤穂を退去する準備も慌ただしく行う。

内蔵助は藩に残った最後の金の中からお家再興の諸経費などを差し引いて残りを分配金(退職金)として藩士に与えた。

その分け方は身分の低い者ほど多くなる分け方となっていた。

身分の高い高禄取りは余裕があるのと、赤穂を抜けたとしても次の就職先が見つかりやすいからとの事だ。


しかしこれに異を唱える者もいた。

末席家老大野九郎平衛である。

彼は石高に応じて分配するべきだと主調したが、内蔵助の意見が通った。

この事で大野の不満は高まった。

その腹いせなのか、藩札交換の際に札座奉行、岡島八十右衛門の配下の者がどさくさに紛れて金を横領し逃亡したのを大野は捕らえており、大石に肯定的な岡島も一味であると吹聴したのだ。

これに憤慨したのは岡島と、その兄である原惣右衛門である。

二人は四月十二日に大野邸へ詰め寄ったが、大野は会おうとはしなかった。

そしてその日の夜、大野は藩の金を持って逃亡した。

この他にも横領が五件に加え、槍奉行、萩原兵助によるありもしない大筒の密売詐欺が起きた。


そういった混乱もあったが、なんとか無事に赤穂城は収城目付の荒木十左衛門、榊原采女による下検分が四月十八日に終了した。


そして十九日の中刻(午前七時)に脇坂安照へと引き渡しが終了した。

検分を担当した荒木、榊原両名には検分の際に内蔵助が江戸へ戻った際にお家再興のために取り計らってもらえるよう再三にわたって頼み込んでいた。

検分役の二人は最初こそ無視していたが、城内を見回りその整然さに感心し、江戸に戻れば老中に話をすると約束してくれた。


「ひとまず一歩前進かのう」


内蔵助は奥野将監と茶を啜りながら今後について話し合っていた。


「それにしてもワシが城を引き渡す案内役となるとはのう」


「ふふ、皮肉なものだな」


奥野の微笑に内蔵助は肩をすくめた。

二人は数年前に起きた出来事を思い出していた。




元禄六年(1693年)


備中松山藩主水谷勝美が三十一歳の若さで急死した。

水谷勝美には後継ぎがおらず、その養子の勝春も一ヶ月後に十三歳で早世。無嗣廃絶となり改易が決定したのだ。


お家は断絶なので城地は没収となる。

そして水谷家藩士達は職を失う。

当然水谷家藩士は幕府の決定に不満を抱いた。

水谷家藩士は籠城の準備を進め、城の明け渡しに断固として立ち向かう構えを見せたのだ。

松山城には水谷家家老、鶴見内蔵助以下約千名が城内にあり、殺気立った雰囲気で、強引に城に入ろうとすれば武力衝突の恐れもあった。


この松山城の受け渡しを幕府より命じられたのは、赤穂藩主浅野長矩であった。

その名代として筆頭家老大石内蔵助が松山城へと向かわされた。

一色触発の空気が両陣営に漂う。


「面倒じゃのう」


内蔵助の呟きに奥野は眉をひそめた。


「内蔵助、士気に影響するであろう。そういう言葉は慎め」


「しかしのう、あれを見てみよ。見るからに攻め難く守り易い城ではないか。あれでは万の兵で攻めても落とせんぞ」


備中松山城は四つの峰からなる臥牛山(松山)の地形を巧く利用した難攻不落の山城である。

その本丸は標高430メートルの山頂にあるのだ。これには麓から約1500mの山道を登らなくては辿り着けない。


「ならばどうすると? 水谷家家臣は籠城し我等を迎え撃つ気だぞ」


「どうするかのう?」


「私に聞くな。大将は家老はお前だ」


「うーむ」


内蔵助は腰を下ろすのにちょうど良さそうな石を見つけると、そこに座ってしばらく唸っていた。


「よし」


パシッと内蔵助は膝を叩く。


「何か良い考えが浮かんだのか?」


「うむ。ちょっと今からワシが一人で話に行ってくる」


「は?」


奥野は一瞬内蔵助が何を言ったのか解らなかった。


「ちょっと待て! そんな事をしてお前に万が一の事があったらどうする!?」


「大丈夫じゃ。話をしに行くだけなのじゃから」


そう言うと内蔵助はその場を奥野に任せ、一人の供も連れず鼻唄を歌いながら山道を登って行った。

勇敢にも一人でやって来た相手を攻撃する卑怯者は水谷家には居らず、大石内蔵助と鶴見内蔵助、二人の内蔵助は面会した。

その後は大石内蔵助の説得により、水谷家は備中松山城を平和的に明け渡したのだった。



「あれ以来だったな。皆がお前を家老として認めたのは」


「そうだったかのう」


内蔵助はすっと呆けたように茶を啜る。


「まあお前が家老らしい働きをしたのはあの時だけであったが」


「そ、そうだったかのう?」


日がな一日適当に仕事をして、絵を描き花を愛でる。昼行灯と呼ばれるようになるまで一年も必要なかった。


「だが此度の件で錆び付いてはいなかったと安心したぞ」


「疲れる事はしたくないのじゃがな」


空になった湯飲みを奥野に差し出すと、奥野は苦笑しながら急須から茶を注ぐ。


「藩札交換の指事に、お家再興への意見統一。若い連中は驚いていたな」


無理もない。昼行灯としての大石内蔵助しか知らなかったのだ。


「うむ。これで年頃のせいか最近少し冷たい松之丞もワシを見直すであろう」


「松之丞殿と言えば、大丈夫なのか?」


「問題なかろう。新三が居る」


「いや、だからそこなのだが」


「問題が起きれば、それはそれで構わん」


「それで良いのか?」


「ほっほっほ」


奥野は既に赤穂に居ない松之丞の安否を心配せずにはいられなかった。

松之丞は転居先である京の山科へと内蔵助に先んじて向かっていた。

その護衛兼家事担当として選ばれた新三を連れて。

備中松山城の山道には大石内蔵助が座ったとされる石があります。

また大河ドラマ真田丸のオープニングのロケ地として使用されました。


これにて赤穂騒乱編は終了となります。

次回はプロローグ以来の松之丞の一人称視点です。

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