クレイジー・ドリーマー
今回は8割実話です。こういう感じで怖い夢を見ました。
けっこう怖いかも…。主人公が途中で狂います。苦手な方はご注意!
目を覚ますと、時計は7時前を指していた。
もうそろそろ起きて、朝食を食べなきゃ。私は布団を払いのけて寝室を出る。
焦げ茶色のフローリングを裸足で歩いて行くと、ふわりとコーヒーの香りが漂ってくる。廊下のつきあたりの部屋のドアを開け、私は軽く手を上げて家族に声をかけた。
「お父さん、お母さん、亜沙美、おはよー」
父がテレビのリモコンを置いて手を振る。「おお、おはよう」
母がカーテンを開けながら答える。「おはよう、奈津美」
亜沙美がフレンチトーストをほおばって、笑顔を作る。「んはよー、お姉ちゃん」
朝日がシャワーのように差し込んで、眩しさに思わず目を細める。いつもと何ら変わらない、毎朝の光景だ。
「私もご飯食べようっと」
そう言って席に座る。母が待ちなさい、と声をかけてきた。
「奈津美、手と顔洗った?」
「あっ、忘れてた!いかんいかん…」
イスから降り、私は急いで洗面所に向かおうとする。回れ右をして一歩踏み出した瞬間。
「わあっ!」
ずぶりと足が床に沈む。フローリングの床を貫通して、私は膝までの落とし穴にはまったように動けなくなっていた。
抜けない。どうなっているんだ?ありえない…。
…ありえない?
「そうか!」
私はポンと手を打つ。
ひょっとして、ここはまだ夢の中か?
最近、こういうことがちょくちょくあるのだ。五感までリアルに感じる夢。きっと今回も、私はまだグウスカ寝ているに違いない。
こう気づいた後は、起きるのは簡単だった。いつも一度目をつぶって、指で目をこじ開けると夢から覚める。どういう原理かは分からないのだが、夢の中でその行動をとれば現実に出られるのだ。
私は深呼吸をして、固く目をつぶる。そして力任せにまぶたを指で押し上げた。
すっと足が軽くなってーー。
「はっ!」
目覚まし時計の音が耳元で聞こえる。目を開けて最初に見えたのは、天井に貼ってあるアイドルのポスターだった。
ーーまた変な夢を見た。
最近いつもこんな感じだ。おかしな夢を見て、起きたときにはどっと疲れている。平和な朝が欲しい。
ノロノロと廊下を歩いて、リビングに向かう。扉を開けると、すぐに妹の声が飛んできた。
「お姉ちゃん、おはよー!」
テーブルに用意されているのは、海苔の巻かれた三角おにぎり。私より先に起きた父、母、妹は食べ終わっているらしく、残っているのは2つだけだった。
「奈津美、早くご飯食べちゃいなさい」
「はーい」
ふとさっきの夢を思い出す。まさかもう、足が床に沈みなんてしないよな…?
「…あー、お茶でも取ってこようかな」
そうつぶやき、冷蔵庫に向かうふりをしてフローリングに足を乗せる。
ーー何もない。
当然か。苦笑いを浮かべて冷蔵庫の前へ行く。本当はあまり喉は渇いていない。ただ、床を歩く口実が欲しかっただけなのだ。
冷蔵庫のドアを引く。とたんに私は一歩退き、顔を押さえて叫んだ。
「熱っ!」
熱い。顔の皮がはがれ落ちてしまいそうなほど、扉の向こうは熱気に満ちていた。
燃えた毛布でもかけられたみたいに、熱風が全身をおおっていく。逃げ出そうと思ったが、目がうまく開かず、どっちに行けばいいのかも分からない。
こんなことってあるもんか。冷蔵庫は冷たいはずなのに、こんなことーー
あるはず、ない!そうか!
「ここも夢かぁ!起きたつもりでまだ寝てるのかぁ!」
少しガックリきたが、むしろ夢であれば好都合。無理やりにでもいい、まぶたさえ開けてしまえばこの灼熱地獄から逃げられる。
右手で上のまぶた、左手で下のまぶたをつまむ。そして一気に引っ張った。
左目に視界が戻る。同時に熱気が遠ざかってーー。
三度目の正直、であると思う。断定はできない。
布団から上半身を起こすと、背中は汗でぐっしょり濡れていた。三回目の目覚めはさすがに最悪の気分だ。
しばらく息を整えていると、母が寝室の扉を開けて入ってきた。
「奈津美-、そろそろ起きなさい…って、どうしたの?」
頬をビロンと引っ張りながら、私は答える。
「ここ…夢じゃないかな、と思って」
「アハハ、そんなわけないじゃないの。ここは現実ですよ!」
母に笑われ、おまけにつねったら痛かったので、ようやく私も目覚めたことを信じられた。
「じゃあ、行ってきまーす!」
扉を開け、亜沙美と一緒に玄関を出る。異変に気づくのに、そう時間はかからなかった。
…あれ?
「亜沙美、あんたその服…」
亜沙美はスカートの裾をつまんで、その場でくるりと一回転してみせる。
「ああ、これ?新品なんだ。かわいいよね!」
「いや、うん…でも亜沙美、いつから中学生になったの?」
亜沙美の着ているピカピカのセーラー服。7歳の妹は、間違いなくうちの学校の制服を身に着けていた。
「亜沙美、おりこうだからね。お姉ちゃんに追いついちゃったんだ!」
瞬時に理解する。たしかに亜沙美は賢いが、さすがに中学生と同じレベルのはずはない。何より日本の小中学校に、飛び級制度はないはずだ。
なら、どうして?もう決まっている。
ーーここも夢だ。
「またか!もうそろそろ飽きたよこのパターン!悪い夢なら醒めてくれ!」
そう叫んで、私はふたたび目を閉じた。
仏の顔も三度まで。
今度また夢だったらどうしてやろうか。洗面所の鏡に映る私は、自分でも引くぐらいに不機嫌な顔でこちらを睨んでいた。
ご飯は食べ終わった。髪もとかし終わって、歯磨きもした。カバンもすぐそばに置いてあって、あとはそれを持って学校に行くだけ…。
ウジウジしていても仕方ない。私はカバンを担ぎ上げると、ローファーに足をかけて玄関を出た。
登校中。何も起きない。
授業中。何も起きない。
放課中。何も起きない。
給食中。何も起きない。
ーー何も、起きない。
ようやく!解放されたのだ!
「良かったあああ!」
嬉しさのあまり通学カバンを放り投げ、ジャンプして受け止める。道行く人に白い目を向けられて、私はようやく自分が下校中であることを思い出した。咳払いをしてカバンを持ち直すと、後ろから服を引っ張られる。
「お姉ちゃん!一緒に帰ろ!」
いつの間にやら後ろに亜沙美が立っていた。もちろん制服姿ではなく、安っぽいキャラもののTシャツを着ている。小学校と中学は、ほとんど帰り道が同じなのだ。
「うん、いいよ!」
亜沙美と私は手をつないで歩き出した。
信号を渡り、街灯のない細道に入ったその直後。後ろからくる徐行車に気がついた。
なんだろう。わざわざこんな道を通らなくても、向こうは大通りなのに…。
嫌な予感がする。
「亜沙美。ちょっと早く行こう」
小首をかしげて、亜沙美は私を見る。
「何で?無理だよ、亜沙美走るの苦手だもん」
「いいから!分かった、お姉ちゃんがおんぶしてあげるから急いで!」
素早くしゃがみ込む。だが、亜沙美はモタモタしていて一向に乗ってくれない。
「早く!しっかりつかまってれば平気だから!」
焦りがつのって、不安定なまま立ち上がる。背中にかかっていた亜沙美の体重が消えた。
「痛いっ!」
ゴン、と鈍い音。振り向いて抱きかかえる間もなかった。車からだらしないスエットを着た男が出てきて、私より早く亜沙美を持ち上げた。
「亜沙美!亜沙美ー!」
眩しいヘッドライトに思わず立ちくらむ。車は狭い道をいそいそとバックをすると、必死に暴れる亜沙美を乗せて走り去っていった。
「どうしよう…亜沙美を追いかけなきゃ」
数メートルよたよたと走って道を進む。だが、途中でぴたりと足が止まった。
そうか。
追いかける必要はない。この状況を解決するには。
ーーただ、私が夢から醒めればいい。
そっと目をつぶり、指で開ける。さっきと変わらない静かな通りが見えた。
おかしいな。起きられない。
何度も何度もくり返し目を開けるが、何も変化はない。
「…まあ、こういうこともあるかな。後でまた挑戦しよ」
通報?そんなの必要ない。
私がそのうち起きられれば、この夢も終わるんだから。
* * *
「亜沙美がいなくなったからあの子、きっとショックで気が触れちゃったんだわ…」
これは夢だから大丈夫だよ。そう言ったとき、親からはそう言われた。
でも、それも遠い昔のこと。私は今年で30になる。
相変わらず夢からは醒めず、よって亜沙美も未だに行方不明だ。
いつかは帰ってくる。私が夢から醒めれば。
ーーあの時、醒めていれば。ひょっとして帰ってきたかもしれない。
本当は、少しだけわかりはじめていた。
ここは私が夢の中にいるのではなく、私の限りなく叶わない夢の中で生きているのだということ。
だけど、もう私は起きられない。
亜沙美。待ってるからね。お姉ちゃんと、また一緒に暮らそう?
夢の中ならあり得ないことが起きるんだもんね。
コンビニ弁当の容器と亜沙美の写真が散乱した、かつての子供部屋。
今日も私は、ここに眠り続けている。
お読みいただきありがとうございます。
実話が元になっていると言いましたが、妹は健在なのでご安心下さい。2年ほど前に、こういう終わらない夢を見ただけです。六回目で目が覚めました(笑)
覚めた…と思いますが。ひょっとして…ここ、夢の中ってことは…。ないですよね?