狂気のリクルーター
平然と話すレイカ。微笑を浮かべて満足気に頷きながらその様を見やる内藤。この空間には、聖也を含めまともな奴が誰もいない。
今、まさにこの瞬間。首謀者である内藤を抹殺すれば、狂気の元凶を少なくとも食い止められる。しかし、それは容易ではなさそうだ。
部屋の入口に立っていた見張り役2人が聖也の背後に立ち、事を起こそうとすれば直ちに食い止められるだろう。
「物騒な事はお考えにならない方が良いですよ。と言ってもこの私が言えば、悪い冗談にしかなりませんけどね」内藤は聖也の考えを見透かすように言った。やはり切れ者だ。
「1つ、改めてアドバイスを。すでに聖也さんには計画の内容をお話しています。参画をお断り頂くのは結構ですが、その時は残念ながらこの部屋から出ていくことはできません」
この狂気の計画に関与しながら内部崩壊を画策しようと聖也が決心しようとした寸前で、内藤は片手をあげて行動を制するようなふりをしながら言った。
「これも冗談です。もう少しお話させて頂ければ今日のところはお帰りください。聖也さんはとても賢い方だ。そういう方には豊かな想像力がある。私が望まない事をすれば何が起きるのかは、言わずともご理解されていると思っていますよ。沙耶さんは綺麗な方だ。笑顔がとても良く似合う。悲しむ顔は想像もしたくはありません」
精神的な圧力が聖也の胸の内に広がっていく。
「それでは今日のところは帰らせて頂きます。ところで、次の計画はいつですか?」
聖也がそう問うと、内藤は秘密を打ち明ける前の子どものような顔になった。
「巻いた種は、予想していた以上にすくすくと成長してくれています。手がかからず自生する様子を眺めているのは楽しいものです。ただ、焦りは禁物です。収穫の時はもう少し先になるでしょう」
「それはどういう意味ですか?」
「我々の計画を実行するメンバーはごく少数です。日本という国を限られたリソースでカバーする事は最大の課題と言えるでしょう。私達が頭を使わなくてはならないのは、コンピュータで言うプログラミングの段階です。要件を定義して、コマンドを入力する。実行のキーを叩いた先は自動的に事が進行する。狂気という花は繁殖力がある。私達は肥沃な土壌をしっかりと用意してあげれば良いのです」
何を聞いても、この禅問答のような会話が繰り返されるのみ。
これ以上この場に留まるのは無意味だと判断し、無言のまま出口へと足を向けた。
隠し回転扉を抜けて、バーカウンターを通り過ぎたところで、レイカから呼び止められた。
「下までお送り致します」
「いえ、こちらで結構です」
「コマンダーからも聖也さんをお送りするよう言われておりますので」
内藤がコマンダーか。
「そうですか。では」
短時間ではあるが、レイカにも尋ねてみたい事がいくつかあったので都合が良い。
古びたエレベーターに乗り込み、扉が閉まると同時に聖也は声を発した。
「いつからこの計画に?」
「半年前ほどでしょうか。聖也さんと初めてお会いした六本木のクラブでコマンダーからお誘いを受けてからです」
「この計画についてはどのようにお考えなのですか?」
「ふふふ。きっと頭がおかしい、狂ってる、そうお思いでしょうね。私も、計画に参画する前であれば、間違いなく聖也と同じ心境でした」
レイカはにかんだような笑顔だった。ファッション雑誌の一コマを切り取ったような美しさがそこにはあった。
「この世界に溢れる矛盾も、理不尽な事も、全てを正せる機会があるのであれば、私はこの身を捧げても良い。コマンダーは私に言いました。勝った者が正義であるならば、死よりも過酷な困難に立ち向かおうと」
そこでエレベーターは地上に到着した。
「聖也さん。これから2人で飲みに行きませんか? その許可も貰っているんです」
気さくな風のレイカの態度に対して警戒心が湧いてくる。一方で、情報が欲しい。この機会はまさにうってつけとも言えた。
「六本木で、レイカさんと一緒に行けるお店はあまり知らないですが良いですか?」
「ふふふ。大丈夫です。貸切で使えるバーがありますので。すぐ近くに」
「分かりました。ではそちらに」
徒歩で10分ほどレイカに案内される形で歩いて行った。道中は、互いの自己紹介のような話題を続けていた。合コンの開始早々のような時間。表面的な会話で場を繋ぐ。
洒落たデザイナーズビルが立ち並ぶエリアでレイカは立ち止まった。六本木の喧騒がまるで嘘のように閑静としている。
築年数がかなり新しいであろうビルの地下へと続く階段を降りた所に店があった。ガラス窓から中の様子を伺ってみたが店内の電気がついていない。
レイカが壁に備え付けられていたテンキーを軽く4回タップすると、すりガラスタイプのエントランスドアが左右に開いた。
彼女が慣れた風に入っていくのを眺めていると、数秒後には店の照明が灯った。
「聖也さん、どうぞ」
「ここはレイカさんのお店ですか?」
「違います。組織の拠点の1つですが普段はバーとして営業しています」
聖也の内側で警戒信号が鳴る。
「でもご心配なさらずに。監視カメラや盗聴機器の類いはございませんから」
一瞬、僅かな間だけレイカの目に悪戯な光が宿った。
店はカウンター式で、広めの間隔で配置された10脚のスツール。向かいのラックにはウイスキーが目立つ。照明は絞られ、カウンターの真上にスポットライトが設置されており、客の手元に光が集まるようになっている。まるで飛行機の読書灯のようだ。独りで静かに飲みたい、そういう趣向の客向きか。
「何を飲まれますか?」カウンター内に移動しながらレイカが尋ねてくる。
ラックを一望しながら「そうですね。このお店の人気なものを」少しおどけて応じた。
「人気ですか。ふふふ。実はこのお店に来たのは3回目で、それにこういうお酒飲まないので分からないんです」
レイカは手近にあったボトルを手に取り、球体に造形された氷入りのグラスに黄金色の液体を注いだ。
「どうぞ。ウイスキーがお好きであれば良いんですが」
「ありがとうございます。こういった大人のお酒の味は…」一口含むと、熟成され、ねっとりとした酒の香りが口内に広がり鼻に抜けていく。
「… 私は、甘い女子っぽいお酒の方が好きだな、やっぱり。なんか合わない」
酒の好みは違うようだが、ウイスキーに限って言えば同じような感想だ。
レイカは冷蔵庫からライムと冷やされたジン、トニック、ソーダを取り出すと再び酒を作った。
マドラーでグラスをかき回す音の他には適度に店内を冷やす空調の動作音だけが聞こえる。
「このお店にはジントニックなんて置いてなかったんですけど、初めて来た時に私が飲めるものがないって駄々をこねて用意してもらったんですよ」
レイカはグラスを聖也に手渡すと、カウンターから戻り聖也の隣に腰をかけた。
スツールを半回転させて体をこちらに向けると、「では、質問があればどうぞ」と投げかけてきた。
「では。組織が僕に求める役割は何ですか?」どこまで素性が割れているか、返答から推測するつもりだ。
「聖也さんに組織が期待するのは、まずはコマンダーの補佐役。ブレインとして計画の進捗を管理頂きたい。さらに、実行部隊の指揮官も、ですね」
聖也は、アルコール比率がやや高めのジントニックを噴き出しそうなふりをした。
「ははは。あれほど壮大な計画の中枢に加わる? それは過大評価ですよ。何より指揮官の器でもない上に技能も持ち合わせてはいません」
「それは、沙耶さんが知っている聖也さんであれば、という事ではありませんか?」
「沙耶が知る僕、ですか?」
首を左右に振りながら、冗談には付き合えないよと示すように両手を上げた。
しばらくレイカの反応を伺ってみるも、彼女はただグラスを傾け続けるのみ。
聖也は仕方なく言葉を重ねる。
「沙耶に見せたことがない姿はたくさんありますよ。寝起きの悪い僕とかね。人は場面に応じて立ち振る舞いは変わるものでしょう。友人であっても知らないキャラクターがあっても、それはごく自然な事だと思います」
レイカは見透かしたような目を聖也に向けてきた。
「聖也さん、もういいじゃないですか。組織はちゃんと理解した上でコンタクトしています。平和な日本で、自衛隊や法執行機関の所属経験もなく銃器の扱いに精通した民間人は稀有な存在ですよ」
茶番はこれまで、ということか。
すっと聖也の顔から感情表現が抜け落ち、代わりに氷のように冷たい殺し屋としてのアイデンティティが浮上する。
その変容をレイカは満足気に確認するなり、「はじめまして」と言った。
「俺が組織への参画を断る可能性はどう見ている?」
「ほぼ100パーセント。だから、断れないように幾つかオプションは用意しているのよ」
「例えば、沙耶に手を出した場合、報復を受ける事は?」
「それは100パーセント。沙耶さんは特別な存在なのね。何だか嫉妬しちゃうな」
レイカの口調が変わっただけでなく、纏う雰囲気そのものが聖也が生きる裏の世界の住人のそれと類似している。
「でも、それがあなたの弱みね。先に断っておくと、組織が沙耶さんに接触する事が万一あれば、あなたが維持してきた仮面の下にある素性を先に暴露しちゃうかもね。身体的なものよりも、精神的な傷は簡単には癒える事はない。大好きなあなたがまさか人を殺すプロだなんて知ったらショックよね。まあ、実際はその程度で済まないかもね」
「ーーーで、いつから始めればいいんだ?」
「ふふ、頭が良い人は好きよ。話が早いから。さっそく色々と動いてもらいたいけど、計画の概略をまず説明しておく必要があるわね。すでにコマンダーがお話しした部分もあるから、不明な点は質問してね」
「分かった。俺が知りたいのは組織の規模、人員の役割、そして今後の計画だ」
「じゃあまずは組織についてね。計画の実行に関わるコアな組織は大きく分けて指揮、実行、採用の3つ。計画自体は、一言で言うなら狂気を日本社会に伝播させて内部崩壊を起こす事。平和な日本ではとても効果的なのはご存知の通りよ。コマンダーが言ったように、この計画は一度走り出してしまえば、後は強力な感染病のように急速かつ能動的に実行されるのがポイント。マスコミが勝手に喧伝してくれるから、事態は望むべき方向へと進行する。でも、私達はまだ第1段階を終えたに過ぎないの。狂気に怯える人々が渇望するものは何だと思う?」
思案の時間が過ぎる。
「救世主の登場か…」
「そう、正解よ。ただし、ヒーロー映画のように戦うべき悪が明確じゃないから、倒すべき敵も分からない。現在の状況は、ゾンビ映画みたいよね。さっきまで一緒に戦ってきた仲間がゾンビになって襲ってくる。自分もいつゾンビ化するか怯えながら生きていく。良い例えでしょ」
「じゃあ、コマンダーはゾンビ化を防ぐ血清でも作ろうと言うのか?」
「ゾンビ化する薬を作りながら、血清も用意するのが計画の骨子よ。人々は血清を持つ者を救世主と呼び称えるでしょうね。と言っても、血清でゾンビが正常な人間に戻るという単純なお話じゃないのよ。狂気が浸透した世の中で、何が正常かを測るのは無理よ。すでに世界が違うんですもの。楽しみじゃない? 皆が狂った社会って。新時代の始まりよ。それが実現すれば人々はきっと、絶望の中で生きるための指針を渇望し、自分にとっての正義を求めるようになる。その正義を定義したものが救世主になる。常識も、ルールも全てぶっ壊してやれば、旧時代の恩恵を受けていたやつほど混乱するでしょうね。蓄積してきたものが無価値になったことを知った時の表顔を早く拝んでやりたい。ふふふ」
「どうも組織は抽象的な表現が好きなようだな。具体的には何をする?」
「なによ、つれない奴ね」
「金をもらっても観たくもない映画のシナリオみたいな話を聞かさせて楽しめるわけがないだろう」
レイカはふんっと不満気な鼻息を吐いた。
「自動的に狂気が伝播すると言っても、その発生源を存続させなければやがては収束するでしょう。狂気の断続的な供給を担うのが実行部隊よ。採用チームがめぼしい人員を見つけて覚醒の段階まで導いた後、最適な時と場所で狂気を発生させるの。六本木の事件は、私が現場で指揮したのよ。プロモデルの私に憧れている子を意のままに操るのは簡単だったわ」
その犯人は人気ファッション雑誌の読者モデルで、最初の狂気の媒介者でもあった。
聖也は片手を挙げてレイカの話を遮り、「要は、コマンダーを神のように崇め、狂気を世に放つ事を信条とするイカれた宗教を布教しているってことか? 狂った奴らが神と崇めるコマンダーを救世主として祭り上げ、思い通りに社会を変える、それが狙いか?」
「ふふふ。話を急ぐのね。簡単にまとめるとそういう事。別に目新しい事は何も無いの。洗脳のテクニックを利用して、狂気の信者を増やす事。国家を相手にできるスケールにまで進化させたという点では革新的よね」
「革新的ね...」
「1つ訂正させて頂くなら、コマンダーは自らを神格化しようとはしてないのよ。過去に履いて捨てるほどいた目立ちたがり屋の教祖様とは違う。あくまで伝道師という位置付けよ」
「それでは、何を神とするんだ?」
「...神は正義の御霊に宿りけり。狂気の息吹を光源に、使徒たる君へ、精霊が共にあれ」
呟くように言った後、レイカは嘲笑的な笑みを浮かべた。
「ぶっちゃけると、別に神の存在も所在もどうでもいいの。組織の兵隊に神に選ばれたという選民思想を植え付けて、それが正義だと殺人をも肯定する。私もあなたも、誰もが少なからず不満を抱えてながら生きている。不満を怒りに変えてこれ以上無理だという程に増幅させるテクニックがあれば、誰もが有能な殺人マシーンになる。だから採用チームには心理学や脳科学の専門家を多数抱えているのよ。信義が必要なら、適当な自己啓発本を宗教語で翻訳してやれば、それっぽいものができちゃうわ」
「俺には理解できないし、理解されるとも思ってはいないだろうが、1つ教えてくれ。陰惨な事件を造出させ続けた先に、お前達は何を期待しているんだ」
「何も期待しない… ただ壊したいのよ。うんざりしたこの世界を壊して更地にして、馬鹿な奴らに絶望を味合わせたい」
「それが組織が存在する動機なのか?」
「そんなものは私にはどうでもいいの。目の前に私の願いを叶えてくれるボタンが置かれた。私はただそれを押しただけ」
「ガキのお遊びじゃないんだ。苛々したから壊しましただと?」
「あんたに私の何が分かるのよ?」
バン! レイカがグラスをテーブルに叩きつけた音が響いた。
「さあな。分かったのは、馬鹿なガキの目の前に拳銃を放ったらかしてはいけませんってことか」
顔を紅潮させたレイカは突然立ち上がり、聖也の目の前で手を振り上げた。手のひらが頬に接触する前に手首を捉えると、レイカの胸元へ向けて強く押し出した。
レイカはよろけて床に砕けるように倒れこんだ。
そのまま突っ伏したまま動かず、天井に備え付けのエアコンが発する送風音だけが聞こえる
突然、肩を震わせながら声を殺して泣き出したレイカを無視して、聖也は組織の計画について逡巡しながら、何ら対抗策が思いつかない自分に苛立ちを感じていた。
レイカがよろよろと再びスツールに戻るのを見届けると、「俺を呼び出す時は携帯に電話してくれ」と言い残して聖也は店を出た。