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狂気のパンデミック

 翌日の報道は六本木の事件一色だった。その背景には事件の残忍性だけでなく、犯人が正午にはスピード逮捕されたことがあった。警察の発表によると、犯人は都内の有名女子大に通う20歳の女で、有名雑誌のモデルとしても同世代の間では知られる存在だった。

 犯行現場の街頭に備えられた防犯カメラが事件の一部始終を記録していたため、面割りは非常に早かった。すでに何度も繰り返し流されている逮捕の決め手となったビデオは、ショッキングかつ奇異なものだった。テレビでは大幅に修正が加えられ大量のモザイクがかかる映像が使われていたが、ネットの動画サイトには無修正版が投稿されていた。

 約10分ほどの動画の内容はこうだ。犯人が映像にフレームインしてすぐ、明らかにカメラ目線で30秒ほど笑顔を向けていた。リゾートハットを被り、ワンピース姿の女が違和感を強烈に放っている。

 すぐに事件は始まった。最初の犠牲者になったという男性がカメラに背を向けながら女に近づく。犯人の頭部が辛うじて男性の肩越しに映る。ナンパだろうと推測される。男性が脇腹あたりをおさえ道に倒れこむ。女の全身を再びカメラが捉える。しゃがみこむ犯人の右手が残像を残して何度も男性の首筋を突く。

 静止した手にナイフが握られているのが見える。報道によると艶消しが施された両刃のアーミーナイフだった。

 すでに近くにいた人々が事態に気づき騒然となっている事が無音の映像から伝わってくる。運が悪いことにそこは週末の六本木だった。悲鳴は街中では良く聞こえてくるし、誰かがふざけあっているとでも思われたのであろう、カメラフレームの端々に映る人々は気にするでもなく道を歩いていた。

  女の殺意は本物だった。無差別に人々を刺していく。まず腹部を刺し相手を制止した後、両手に持ったナイフをX字に交差させてからハの字に勢いよく開く動作で、被害者の首筋を切り裂いた。何度も同じ動作を繰り返し、その夜6名が亡くなった。

 猟奇殺人。最初は犯人の人生全てがメディアによって晒される。どこかの犯罪心理学者が女の心の闇について解説する。街ではこの話題で持ち切りになる。そして、忘れ去られる。


 膨大な情報が消費される時代、全てが文字通り流行しては消えていく。しかし、この事件は伝播する。狂気のパンデミックとなって。



 六本木連続殺人事件から1週間が過ぎた頃、大手通信社から発せられた速報が全国をかけ巡った。

 福岡にある小学校だった。ナイフを持った校長が授業をしていた3年生クラスの生徒を次々と刺した。全25名のクラス中、4名が死亡し10名以上の生徒が重傷を負った。まだ3年目だったそのクラスの担任が校長を取り押さえた。警察の発表によると、校長は終始「我に正義あり」と呟いていたという。


 その後、執刀中の外科医による刺殺、パトロール中の制服警官の市民に向けた発砲、消防士の放火、自衛官による爆破事件など、救うこと、守ることを職務とする人間による殺人が全国で発生した。途絶えることなく日本各所で息吹いた狂気は、疑心暗鬼という名の実態のない恐怖となり、人々の生活に巣食っていった。

 そして、都内で起きた満員の乗客を乗せた列車同士の衝突事故が社会を一変させることとなった。駅に停車していた列車に最高速度に達していた後続列車がぶつかった。打ち上げられた車両がホーム上にいた人々をなぎ倒し、事故を起こした列車は10両編成中半分が原型を留めないほどに大破し、700名以上が死亡した。

 事故直後の映像がソーシャルメディア上にすぐ様投稿され、事故の衝撃で引きちぎられた肢体に覆い尽くされたホームの様子は、日常生活の安全性が崩壊したことを強烈に印象づけた。


 事故を起こした車掌が事故発生数分前に行なった車内アナウンスに基づき、戦後最悪のテロ事件として歴史に刻まれることとなった。

「ご乗車ありがとうございます。この列車は間も無く新橋駅に到着します。それまでの間、正義の話を致しましょう。真の正義とは何か、一度でも想像したことはあるでしょうか。現代の正義とは複雑で、単に正義と悪の二極論では語るに困難であります。正義の名の下に多数の市民を犠牲にした戦争が幾度もなく起きましたが、これはどうでしょうか。そう、誰の視点で語るか、それ次第で善悪が異なるのです。社会に大きな歪みが生じ、生活格差は開き続ける。有限の人生においてこれは深刻な問題です。持てる者の既得権益を維持しながら、持たらず者の苦しみを改善する事は不可能です。なぜならは、貧しき者は富める者の物差しで計られ、定義されるからです。それならば、社会をリセットする事で今よりも優れた社会を創造する事を目指したい。皆様は狂人が起こしたテロの犠牲者とはなりません。理想とする未来への礎となった正義の使者として歴史に刻まれることでしょう。さあ、共に参りましょう。正義の理想郷へ。」

 このアナウンスが終了すると共に列車は駅へと突っ込んでいった。全ては列車の先頭にいた若い男性によって中継されていた。甲高い金属のこすれ合う音が鳴り響き画面が真っ赤に染まるまで。


 学校は臨時休校となったばかりか、日本経済にも大きなネガティブインパクトをもたらしていった。年末の流行語大賞にノミネートされるほどに、子を持つ親を中心に出社拒否が社会現象となり、営業停止に近い状況に陥った企業も出てきた。

 一連の事件に共鳴するように、六本木殺人事件に類似した犯罪も全国各地で頻発するようになり、夜間外出禁止令を発令する行政もあったが、日中のしかも日常に溶け込んだ狂気にはもはや効力をなさなくなっていた。



「うちの経営も打撃を受けるなんて予想もしなかったな、まったく」

 近況報告のため浅井と二人で銀座にある鉄板焼き店の個室で久しぶりに対面した。かつてはヤクザ者として数々の裏ビジネスに手を染めていた浅井も今では複数の事業を表の世界で展開する敏腕経営者だ。唯一、聖也が関わる殺し屋ビジネスを除いて。

「今じゃ誰もが自宅に引きこもって金を使いたくても使えない。宅配スーパーだの、出前で来た野郎が殺人鬼なんて事件もあったしな、これじゃ近所のコンビニに行くのも大冒険だな。恐ろしい世界になったな」

 言葉に反して浅井は豪快に笑いながらステーキを食らう。

「本業の方では、当面のあいだ赤が出るかもしれませんが、運用面では大幅に含み益が出てますので運転資金は問題ありません」

「ああ、その点は聖也がいるから心配していない。実は事業が再び安定したら若いもんに経営を譲って、俺はベンチャーキャピタルでもやろうかと思ってる。といっても現状ではすぐには無理な話だがな」

「新規事業としてボディガードなんてどうですか? トレーニング不要ですぐに社員を投入できますよ」冗談めかして聖也は言った。

 浅井が代表を務める浅井プランニングの従業員は皆かつて裏の世界に生きていた元ヤクザだ。

「それはいいアイデアだな。狂人に遭遇した時、相手をぶっ倒せるかどうかは技術以上に結局は度胸なんだよな。その辺の警備会社の人間じゃ経験しようもない修羅場をくぐった猛者ぞろいだぞうちは」

 浅井は真剣に事業案を検討し始めていたようだ。時代のニーズと初期投資の低さを勘案すれば魅力的なビジネスであることには違いない。

「ところで、相次ぐ殺人事件は一見バラバラなようで、どうも裏で誰かが絵を描いてるような気がしてならん。点で捉えれば見えないが、裏で絵を描いているやつがいたとしても驚きはしない。日本の安全神話の崩壊を画策してるやつがいるとすれば、実に効率的に最短距離で目標に近づいていると思わないか? 恐怖を緻密に演出する狂人がいるとすれば、だがな」


 浅井の嗅覚は今も研ぎ澄まされている。聖也は確証はないことを予め断ってから内藤のことについて話をすることにした。目を閉じてじっと耳を傾けていた浅井は、聖也の説明が終わるとすぐに、鋭い視線で聖也の両目を刺すように睨みつけた。

「おい、なぜ黙っていた? 俺はお前の親だぞ。お前の事が調べられたって事は、少なくともお前に危険が及ぶ可能性があるってことだ。見過ごすわけにはいかない、分かるだろう?」

「黙っていて申し訳ありません。敵であるかも定かでない段階で、ご心配かけたくなかったもので」

「まあいい。だが、その先生の素性を早速調べ上げるぞ。俺は俺でやるが、聖也もお前のネットワークを使え。聖也を取り込もうと画策しているようだから、むしろ乗っかってやっても面白いがな」

 内藤の計画に食い込む。この行為の帰結は予想できないが、今の状況を見過ごすわけにはいかない。


 1時間ほど鉄板焼き屋で過ごした。銀座の高級会員制クラブに行くという浅井の誘いを断り、聖也はタクシーを止め六本木へと向かった。事件現場付近を目的地として告げ、過ぎていく街の景色を目で追いながら今後の作戦を練った。まずは、内藤を見つけ出す前に周辺情報の収集から開始する。


 事件発生後に初めて訪れる六本木の様相は様変わりしていた。通りを行く人の数が圧倒的に少ないばかりか、営業していない商店が多い。一連の無差別殺人事件の第1号目と知られるこの地に足を向ける気がしないのは無理もないが。この調子では開いているクラブはないだろう。無駄足だったか。

 聖也がいる位置から50メートル先にいる男2人組がじっと聖也の方を見ながら、一方の男が携帯で通話しているのが見えた。表情は捉えれず、男であることが体格や動作で分かる程度。単に視線を向けているだけのようには思えない。

 聖也が移動しようと思った瞬間、パンツに入れていたスマホが振動した。発信者は非通知だ。構わず通話ボタンを押した。

「こんばんは、内藤です。六本木に来られているんですね。先ほど偶然通りがかりに見かけたんですよ」

 聖也はどうしてこの番号を知っているのか問おうとしてやめた。内藤が想定通りの狂人なら聖也名義のこの番号の入手はたやすいだろう。

「内藤さん、こんばんは。もしかして、お連れの方に見つかってしまったかな」

「はははは、やはり優秀ですね。今日はあなたに会える気がして、もしこの街で見かけたら教えてくれるよう頼んでいたんですよ」

 二人組みはこの間にも早足で聖也の方に近づいてきている。

「僕が会った事もない人に、ですか。まあいいでしょう。それでご用件は?」

「お会いできませんか、今から。私の思い上がりでなければ、私を探してらっしゃるかと思ってますが。少々お待ちください。連れに迎えに行かせます。それでは後ほど」


 通話の終了に合わせるように2人組が声をかけてきた。

 2人とも身長は聖也と同程度だかポロシャツの上からでも筋肉の隆起が見て取れるほどに屈強な体格をしている。

「内藤さんの指示でお迎えにあがりました、川崎と申します。こっちは木下です。数分の距離ですのでお連れいたします」

 一方の男が聖也を先導しながら、もう1人が対角線上にいて後方を固める形で歩き出した。逃げるつもりはないが、そう試みようとしても容易には切り抜けられはしないだろう。


 5分後、経年劣化が無数のひび割れとなって現れる雑居ビルに入居するバーにいた。入口を抜けると、ワイングラスを片手に内藤が待ち構えていた。カウンターのみの店内は薄暗く他に客はいなかった。 カウンターの向こう側で無表情のバーテンがグラスを磨いていた。

「お待ちしてましたよ、聖也さん。急にお呼びだてしてすみません。ここはお酒が充実してますが、お好きなものを言っていただければご用意しますよ」

 さっと、バーテンの後ろに並ぶボトル群を一瞥した。入手困難で知られるウイスキーやブランデーなどが並び、場末のバーという雰囲気に似つかわしくない品揃えに驚いた。

「入口で立ち話もなんですのでどうぞこちらへ」

 目の前にあったスツールに腰掛けようとすると、内藤は店の奥へと歩き出した。奥にはトイレがあるのは見えていたが、どうやらそれだけではないらしい。

 店の奥に突き当たった内藤が、黒人のサックス奏者を撮したポスターが貼られている壁面を押すと、忍者屋敷の仕掛けのように壁が回転し、そこには高級クラブのような壮麗な空間が広がっていた。

「古臭いビルが密集するところは、こんな遊びもできちゃうんですよ。ちなみにこの部屋は隣のビルにありますが外からは見えない設計になってます」

 革張りのソファーには胸元が深く開かれたパープルのサマードレスを纏う女がいた。レイカだった。レイカは数々の女性ファッション誌の表紙を飾るトップモデルとして世間では広く知られる存在だ。内藤の活動においては広報的な役割を務めているという。

「またお会いできましたね。嬉しいです」

 微笑を浮かべるレイカと内藤に挟まれる形でソファーに腰掛けた。聖也をここに連れてきた2人組は部屋の入口を塞ぐように立ち並んでいる。


 シャンパンで乾杯をしたあと、内藤はシャンパンに関するうんちくを披露した。聖也は爽やかな青年を演じながら内藤の出方を伺う。

「それで、本日、私を探していただいていたのはどのようなご用件で?」

 自ら話を進めるつもりはないらしい。

「実は先日のクラブでのお話に関心があります。内藤さんがあの時おっしゃっていた実験というのはすでに始まっているのでしょうか。率直に申し上げます。僕はここ最近頻発する事件と何かしら関連性があるのではないか、そう推測しています」

「いいでしょう。覚悟を決められてきたと解釈し、お話しいたします。聖也さんの推測通り、一連の事件には私の実証実験と関連性があります。ただし、実験に際して私はその端緒に直接関わりましたが、事件の内容や被害状況については予め目標を設定していたわけではありません。なぜなら、事件が起きること、それ自体に意味があったからです。私は、まず人々が持つ安全性に対する常識を一変させることに着手し、想定したタイミング通りに狂気を日本全国で発生させました。この結果は聖也さんも肌で感じるところでしょう。日常生活は根拠なき信頼性のものとに成り立っていた。恐怖が蔓延した今、社会は停滞期に陥っている。これは経済政策で対処できるものではありません。社会の土台が揺らいだ今、再建のためには上辺だけの改修を施したところで効果はない。地ならしから再び臨まなくてはならないのです」


 内藤の説明は具体性に欠ける。こちらから核心に切り込む必要があるようだ。

「では事件をどのような方法で起こしたというのです?」

「事件に関する報道でお気づきになられたかもしれませんが、犯人は皆一様に正義の名の下に犯行を犯したと供述しています。これが大きなポイントです」

 日本全国で相次ぐ殺人事件の共通点として、早期からこの事は捜査機関やメディアから指摘されていた。しかし、事件の裏側で暗躍する真の首謀者の存在は未だ噂レベルでも耳にすることはなく、歪曲したヒロイズムが狂気となって急速に伝播する様子が絶えず報じられたことで、社会には恐怖と相互不信の念が広がることとなった。

「実験の方法をご紹介するのが分かりやすいと思います。私はまず、安全性について何度かのヒアリング調査を経て分類していきました。人々が安全圏にあると考える対象のみを抽出すると、人間関係では家族、日常生活では警察や消防、医者などに対する信頼性が最も高いという結果でした。これは我々自身も実感しているものかと思います。ちなみに、政府の位置付けは下から数えたほうが早いという残念な結果も出ています。そして、次に、最も安全と考える対象を中心の円として描き、外側に向けて信頼度の高い順に対象を設定していくと、社会システムにおける仮想のコミュニティが浮かび上がるというわけです。実際はもっと高度かつ複雑に設定していますが、端的に申し上げるとこのような内容です」

 そこで一旦会話を区切ると、シャンパンを飲みながら内藤はレイカに目配せをした。

「私達は、実証実験の第1フェーズとして、もっともコミュニティサークルの外側に置かれる対象に対する工作を開始しました。ここで取られた手法は、他にも共通する基本形です。権威への服従という心理学の基礎となる原理を応用して、実行メンバーの思考をコントロールするアプローチを試みました。メンターと我々が名付けた各分野で高位にある権威者達を採用し、彼らが主に正義の使徒となる候補者の選定に携わります。私や内藤さん、そしてあと数人が実験本部のメンバーとして、正義思想育成のためのトレーニングを担当しています。使徒候補者に対しては3段階のトレーニング項目を設定しています。まず第1段階は浄化と呼んでいます。3日から5日間、食事は与えられず、終始流れ続ける不快音で睡眠をとることも叶わない無機質な個室に閉じこもります。これを経て候補者は覚醒の段階に入ります。ここからが第2フェーズです。覚醒の興味深い点は、それまで生きてきた世界をまるで空から見下ろすかのような俯瞰的視野を獲得できることです。この能力は神眼と呼んでいます。非日常的かつ理不尽にも見える苦行が生まれた瞬間から強制されてきた社会という鎖から解き放つのです」

 あくまで実験であるというスタンスを変えるつもりがないようだが、カルト教団の洗脳とその手法は大差がない。


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