解らない
「……ダメ」
か細い声で、力なく佐奈は呟いた。
景色が認識できない。窓の外は空があり、校庭が見えるのに、一階にいるのか、二階にいるのか、三階にいるのか、判断が曖昧になる。
認識のずれ。誤認の認識。
見えているのに見えていない。
やはりここは、鯨に選んでもらうしかない。判断する材料を多く持っているのは、移動してきた鯨なのだから。期待の眼差しで見つめる二人に挟まれ、鯨は考え込む。どちらだ、どちらを選べばいいんだ、と。
思考の、海に、沈没する。
考え込んでいると、背後から声をかけられた。
驚いて振り返ると、親友が帰ろうと言ってくる。辺りは大分暗くなっており、もうそんな時間なのかと思った。鞄を持ち、お喋りしながら下駄箱へ向かう。
親友といる時間は楽しく、嬉しささえある。例え騙されているとしても、構わないと思ってしまう。本当に自分のことを親友と思っているのか、親友の仮面をつけているだけじゃないのか、頭の隅に落ちないシミが残っていたとしても。
噂で聞いた、好きな彼と恋仲だという親友が、私と彼の恋を応援する。
階段を下りていく。
階段が見えたから、私はそっと手を、前へ上げた。
目前には、親友の背中が見える。
「……うん、上に行こう」
確固たる根拠はないが、判断と言えば、上から落とされた死体だろうか。おまじないの場所は件の少女に関係しており、もしかしたら二人が見た幻影は、殺害シーンなのかもしれないと考えたのだ。こうやって考えてみると、何か訴えかけているように思えてくるが、その先を考える材料を鯨は持っていない。今のとこは、とりあえず当面の儀式の中止を最優先に行動しよう。
鯨が先頭に、佐奈はもたれ掛る形で、柚希は一歩下がって、歩き出す。何も起きない事を願いつつ進んでいくが、想いとは裏腹にすぐに異変が訪れた。
階段の途中まで辿り着いた時、視界が変化する。
手すりさえない、危険極まりない螺旋階段へと変わったのだ。
「えっ!?」
突然の事に、そして初めて遭遇した怪奇現象に、鯨はびくりと体を震わせ立ち止ってしまう。
時計の針は刻むのを止め、うさぎの懐中時計だけが世界を照らす。
周囲は赤黒い壁か空間か、壊れた鏡に映る歪んだ虚像。
垂れ下がる腸のような赤い糸が、盛大になびく。
周囲の状況、情景、状態が変かしたことに、佐奈と柚希も同様に驚いたが、問題はそこではなかった。
寄り添うように歩いていた佐奈は、鯨が突然立ち止まったせいでバランスを崩す。
たたらを踏んでダンスを踊る。
髪が自然、後方への移動を拒否し、顔の前へと纏わりついた。
後ろを歩いていた柚希は、佐奈が踏み外すのを見て、斜め後ろに踏み外し柚希を巻き込むのを認識し、闇へと放り出された。
「なっ!?」
「やっ!?」
時間は刻まれない。
引き伸ばされた磁器テープ。
繊維はなく、ビニールの伸縮自在もどき。
伸ばしきったら、戻らない。
伸ばされた手が、事態に気付いた鯨へと伸ばされる。
佐奈が何か叫んでいた。
柚希が罵倒する。
下は奈落の闇の門。
サメの刃が二人を襲う。
「っくしょう!!」
柚希が空中で佐奈を蹴飛ばし、その反動でなんとか階段の淵を掴むことに成功した。佐奈もうまい具合に蹴られ、ぎりぎりのところで手が届く。
「う、うあぁぁぁ! ぐっ……は、早く助けてよっ!!」
「ひっ、く、鯨!!」
二人の悲鳴が木霊し、上に吹き抜け下から帰って来る。輪っかの中で前方に向かい叫んだら、音が反響し後方から聞こえてきたのと同じ。柚希は叫ぶ。
「何してんのっ!? 早く助けてって言ってんでしょっ!」
「く、鯨……う、腕が……」
早く助けなければならない。二人の腕力では、いつまでも持たないだろう。
だからそう、助けなくてはならない。
どちらから、助ける?
片方を助けてる間に、片方は落ちる可能性が高い。
すぐに引っ張り上げることはできないし、一人を助けたら力も使う。もう片方を引っ張りあげる握力が残っているかも解らない。
いや、問題はそこじゃない。
どっちだ。
どっちを先に、助けるべきか。
さあ、一体君は、どちらの『友達』を助ける?
選択肢→①佐奈
➁柚希