8 業と報い
店主は虚空に目をさまよわせ、自失しながら無意識的に受話器を置いた。
シモヤマ氏は、めちゃくちゃ言ってくる。道理が通じない。
通じるはずもないだろう。これは、対等なコミュニケーションではない。狡猾な詐欺師たちのハンティングなのだ。
狩られるのは自分。勝てる気がしない。
敵は、あらゆるシーンで、あらゆる脅し言葉をかけてくる。
あちらはマニュアルを持っているのだ。そんなものを持たない被害者には、手も足も出ない。
「もうダメだ」
「さっきから、もうダメだ、もうダメだ……。悲観してばかりいて、何一つ対策を立てませんね」
「あっちには弁護士様までいるし、取り立て回収チームなんていう強面のお兄さん方まで押し寄せてくるんだ」
「ばかばかしい。来るなら来てみやがれですよ」
助手は強気であった。詐欺師が脅威でないと言うことに、絶対の自信があるに違いない。店主は、その姿に、自分が失ってしまった活力を見た気がした。
「君は実に強い。だが、俺は違う。身も心も、傷だらけになってしまった。……電話が怖いんだ。怖くて仕方がない。これから逃げ出せるなら、もうどうなってもいい気分なんだ」
「負けを認めるんですか?」
「俺は、架空請求詐欺の被害者の気持ちを理解したんだ……。俺は、怪物を作ってしまったんだ。今になってようやく気付いた。そして、報いを受けている。大勢の被害者の怨嗟の声で耳が一杯に響いているんだ。苦しみと……悲しみの声が……」
店主は思わず、手で耳を塞ぐ。
だが、その声は、物理的に遮断できるものではなかった。
架空請求詐欺は、トラウマなんてものではなかった。もっと重い。
業である。
業が店主を殺しにかかっている。
店主が苦悶の呻き上げる。店主の体が衰えていく。恐怖が体に作用したのだ。
髪が白くなり、肌がひび割れ、皺を刻んでいく。
「きょ、恐怖を消す薬をくれ……」
店主は言った。声までもが張りを失って掠れていた。
「仕入れてもいないのに、麻薬なんてあるはずないでしょう」
「じゃあ、せめて側にいてくれ……頼む」
「勘弁してください、気色悪い。私はセラピストでもなければ、介護人でもない、バイトです」
助手は嫌悪を隠そうともしないで、立ち上がった。
「もう沢山です。下手くそな詐欺師にここまでバカにされて、嘆き悲しんで、被害者の気持ちを理解したとほざく? いい加減にしてください」
「俺は……罪人なんだ」
「私に言わせりゃ、貴方は廃人です。死体です」
「死体か。確かにな……だでも、自分で作った罪に食われるなんて、詩的じゃないか。因果だよ。何事にも因果がつきまとうんだ。俺は、このピンキー・パルプンテに殺される運命なんだ」
「アウトローが運命とか言っちゃおしまいです。顔もない張り子の敵に、どうぞ、骨までしゃぶられてください。お世話になりました」
そう言い捨てると、助手は店主の横を通って、出口へと去っていった。
三行半だった。振り返ることもない。
最後の頼みの助手まで去ってしまった。自分には何も残っていなかった。
どうしようもない。
自分は食われる定めなのだ。
この業界では、弱いものは食われるしきたりである。
自分にはもう強さがない。抵抗する気力もない。恐怖のあまり腑抜けになってしまった。
顔のない敵がどうしようもなく恐ろしい。
せめて顔が見えれば……自分に引導を渡すのが、どのような奴なのか分かるのに。
顔さえ見えれば。
「それだ」
店主が低い声で言った。
何でも屋の扉のノブに手をかけていた助手が、ぴたり、と止まった。
「去るにはまだ早いぜ、ハナコさん。ショーはまだ途中だ」
店主はそう言って、口の端をつり上げて笑った。