3 敵の正体
「いやー、やっぱりイザというとき、まとまった金がないとダメだな。土壇場で踏ん張れないから、強く生きていけないよ」
店主はしみじみと言う。
「どうだい、ハナコさん? こういうときのために、金歯という形でまとまった財産を身につけておくというのは。いい歯医者を紹介してくれないか?」
「やめといた方がいいですよ。裏路地で暴漢に襲われて、歯を引っこ抜かれるのがオチですから」
助手はノートパソコンのキーを叩き、書類をプリントアウトした。紙には、シモヤマ氏に紹介してもらった消費者金融のデータが載っていた。
なんとびっくり、金利36%という消費者金融である。
「闇金です。警視庁のサイトにも名前が出てます」
「古典文学風に言えば、高利貸しだな。高金利で財をなした連中と言えばメディチ家を連想するが、彼ら闇金も今世紀のメディチ家を目指しているのかもしれない。文学として読むだけならともかく、実際に借りるとなると緊張もひとしおだな」
店主は言いながら立ち上がって、服装を正した。腕の偽ローレックスに眼をやる。
「もう四時だ。早くしないと闇金が閉まってしまう。留守を頼んだぞ」
そう言って、何でも屋から出て行こうと歩き出した。
その店主の後ろ姿めがけて、助手は黒電話の受話器をぶん投げる。
受話器が足に絡まり店主はバランスを崩す。手を振り回しながら床に叩きつけられた。室内に積まれたオフィス機器が軋んで、埃を舞いあげた。
「あうち!」
店主が苦痛の呻きをあげた。
助手がゆらりと立ち上がる。床に這いつくばる店主を見下ろして口を開いた。
「なぜ……お金を払うことが前提なんですか?」
「いや、請求されたら払わにゃいかんだろ、君」
店主は至極まっとうなことを言ったつもりだが、助手は顔をしかめる。
「ニュースを見ていないんですか?」
「ニュース? はて。なぜ、そんなものを見ていると思うんだ?」
店主は当惑した顔で言う。そして、逆に助手に尋ねた。
「景気は悪いか?」
「ええ」
「タイガースは今年も負けている?」
「はい」
「今年の風邪はたちが悪い?」
「そのようです」
「見ろ! ニュースなんか見てなくても、世の中がどうなっているか俺は完全に把握している。ニュースなんて時間の無駄だよ」
助手は腰に手を当てて口調を強める。
「とにかくですね! 店主はエロ・サイトにアクセスなんかしてないんです! あのシモヤマとかいう野郎は、エロ・サイトという響きの疚しさと、他人の良心を利用して金を騙し取ろうとしている、ケチな悪党なんです! なんで気づきませんかね!」
「いや、でも、俺は本当にピンキー・パラダイムにアクセスしていて、登録したのを、すっかり忘れているという可能性もありそうだぞ」
「それはないです。店主のアクセスは私が全部監視しています。少なくともこの職場では店主はアダルト・サイトにアクセスしていません」
「ん?」
店主が助手の放ったひどく不穏当な発言に反応しかける。
助手は切れ目なく言葉を続けて、都合の悪いところに店主が食いつくのを防いだ。
「あっちは何やかんや脅してきますけど、あっちには何の力もありません。電話越しにリスクなしで、嘘とハッタリだけを武器に、無防備でおめでたい一般市民から金をかすめる奴らなんです。詐欺師の風上にもおけないゴミなんです。金なんて払ったら負けなんですよ!」
なおも合点がいかない顔つきの店主。その店主に、助手は敵の正体を明かした。
「これは架空請求詐欺ですよ!」
「架空請求詐欺……」
店主は、うっと呻いて、己が頭を抱えた。
脳の奥深くに封印された古傷がこじ開けられ、吐き気を催す記憶があふれ出てくる。トラウマをヤスリで抉られるようなものだった。
架空請求詐欺……。それは、過去に葬り去ったはずの亡霊だった。