(5)
工藤大地はリーシェ・ウォルスとともに、隣町のケンブルへ向かう馬車に乗っていた。
馬車には他に誰も乗っておらず、それなりの人数が腰掛けられそうな座席に大地とリーシェは向かい合うように座っていた。
「どうしたの?」
「結構快適なんだなって思って――」
「もっと酷いの想像してた?」
「い、いや。そういう訳じゃないけど――」
と、しどろもどろになる大地。
その様子を見て、リーシェはクスクスと笑った。
「昔はもっと小さい馬車だったんだけどね。今の親和王になってから、随分良くなったのよ。馬車の定期便がこんな地方まで走るようになったのも、親和王のおかげよ」
「へぇ~」
と、大地は馬車の中から見える風景に視線を移す。
開かれた道をゆっくりとしたペースで動いている馬車からは様々な景色が目に入ってくる。
アーリ町も長閑な雰囲気だったが、町を一歩出てみると、その雰囲気は一層強くなった。小さな民家がまばらに建っているだけで、地平線まで見通せそうなほど視界は開けている。視界のずっと奥にある林からは動物が発しているだろう鳴き声まで鮮明に聞こえてくるほどだ。
「なんだか、良い所だな」
やけに郷愁を感じさせる景色に、大地はポロリと呟いた。
「そう?」
「あぁ。俺がいた世界――いや、街とは大違いだ」
「どんな所に住んでたの?」
今度はリーシェが興味を示した。
「う~ん。もっとごちゃごちゃした街だよ。人も多くて、さっきの町よりもずっとうるさい感じ」
「そうなんだ。たしかに、私たちの町は静かだと思う。王都から来る商人たちもよく言ってるし」
「商人?」
「うん。都の品物を持ってきて、露店でいろいろ売ってくれるの。私たちはなかなか王都まで行かないから――」
随分と文化が違う世界なんだなぁ、と大地は思いながら「へぇ~」と相槌を打った。
馬車は一定の速度を保ったまま、ゆっくりとケンブルへ向かって進んでいる。時折、吹く風が本当に気持ち良くて、大地は眠ってしまいそうになる。
「王都か……」
「ん?」
「いや。ケンブルだっけ? そこでいい情報手に入らなかったら、もっとでかい街に行って、いろいろ聞いて回ろうかなって思って。それこそ王都とか」
「それもいいね! 王都には他国の人もたくさんいるから、きっと何か分かるよ」
「リーシェは王都に行った事あるのか?」
「うん。数えるくらいだけどね。お父さんの仕事についていったり、学校の行事で行ったり」
「どんな所なんだ?」
「とにかくおっきな都だよ。アーリ町なんて比べものになんないくらい」
少し興奮気味に言うリーシェ。
心地よい風を感じながら、リーシェの話に耳を傾ける。その話を聞いてるだけでも、大地にはとても珍しく楽しかった。
暖かな気候と小気味いい馬車の揺れが襲う眠気に、大地は小一時間なんとか耐えて、馬車はようやく目的地に着いた。
ケンブル。
アーリ町より王都であるクルス寄りにあり、エレナ王国のほぼ中央に位置する小さくも栄えた町である。
ケンブルには、アーリ町にはない学校があるらしい。アーリ町に暮らしている子どもたちは、馬車等を利用してケンブルの学校に通っているのだそうだ。
一時間ほどでケンブルに到着した馬車は、同じようにケンブルの広場に停まっている。
「学校は近いのか?」
馬車から降りた大地は、後から降りてきたリーシェに尋ねた。
「歩いてすぐだよ」
「少しでも情報が手に入るといいんだけど……」
「そうね」
不安そうに言う大地に、リーシェも小さく頷いた。
リーシェが口にしたのは学校の先生なら物知りかもしれない、というだけである。具体的に大地が知りたいと思っている事を知っている可能性は少ないと見て正しい。それでも、大地には他に縋る事が出来る人などいなかった。
「ついてきて」
と、リーシェは大地を先導する。
初めて目にする町の景色にやはり戸惑いと物珍しさを感じながら、大地はリーシェの後についていく。
広場から人の往来が激しい大通りを歩いていくと、ほどなくして大きな建物が見えてきた。
他の建物とは違い、一際大きな建物に近づくと子どもたちの声が聞こえてくる。見れば、建物の前で数人の子どもたちが遊んでいた。
「ここが学校?」
「えぇ、そうよ」
リーシェが案内してくれた学校は、大地が知っている学校とは随分景観が違っていた。
校舎がいくつも建ち並び、大きなグラウンドがある訳でもない。煉瓦作りの門と壁の向こうに、平屋の大きな校舎が一つあるだけだった。他に学校施設と呼ばれるようなものはない。一目見ただけで、それほど敷地が広くない事は窺えた。
予想していたものとはあまりに違った学校に、大地は戸惑う。
「さ、行くわよ」
「あ、あぁ……」
煉瓦作りの門を越えて、大地はリーシェの後を追いかける。
「勝手に入って大丈夫なのか?」
当然の疑問があった。
しかし、リーシェは「大丈夫よ」と答えた。
「私はここの卒業生だし、弟も通ってるから――」
「弟?」
「うん。今は勉強中だと思うけど」
大地の疑問も簡単に答えたリーシェは校舎の中にも、全く躊躇なく入っていく。隣を歩いている大地とは歩く速度が違うほどだ。
下駄箱らしき入り口を越えて、リーシェは「こっちよ」と大地を案内していく。
リーシェが案内している方とは別の廊下から、複数の声が聞こえてきた。どうやら、そちらで授業が行われているようだ。リーシェの弟もそこにいるのだろうか、と思いながら大地は小走りでついていく。
廊下の角を何度か曲がりながら、リーシェが案内したのは立派な扉が設えてある部屋だった。扉には、何やら文字が書かれた木札が取り付けられている。
「ここ?」
「うん。校長先生なら、たくさんのこと知ってると思ったの。大地の事も話して大丈夫。優しい先生だから――」
そう言って、リーシェは部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
部屋の中から、短く声がした。
重たそうな扉を開けて、二人は中へと入っていく。
すると。
「おや、リーシェ。随分久しぶりじゃないですか」
嬉しそうな声をあげたのは、小太りの男だった。
初老を迎えようとしている表情はリーシェの言っていた通り柔和そのものだ。着ている深緑のローブと合わさって、優しいイメージはさらに強くなる。
大きなテーブルに向かって仕事をしていただろう校長先生は、立ち上がって大地とリーシェを迎えた。
「こんにちは、先生」
「今日はどうしたんです? セシルくんはまだ勉強中ですよ」
「うん、分かってるわ。今日は別の用事で来たの」
「別の?」
校長先生は大地とリーシェにゆったりとしたソファを勧めながら、尋ねた。
「えぇ。聞きいてもらいたい話があるの」
真剣な面持ちをしているリーシェを見て、校長先生も対面のソファに腰掛けた。
「長い話になりそうですね。そちらの少年について、ということですか?」
「うん、そうなの」
「分かりました、伺いましょう」と校長先生も真剣な表情に変わった。
何から話せばいいんだろう、とリーシェは困った表情を大地に見せる。どこまで話せばいいのか。話して校長先生が信じてくれるのか、など急に不安になってきたのだ。
困っている様子のリーシェに向かって、俺から話すよ、と大地は頷く。
「俺の名前は、工藤大地っていいます」
「く、どう? 変わった名前ですね」
リーシェの時と同じ反応を、校長先生は見せる。
それを意に介さず、大地は話を続ける。
「信じてもらえるか分からないですけど、俺は……この世界の人間じゃないんです」
「……? どういう?」
校長先生もさすがに戸惑いの表情を浮かべた。予想していた話と随分違った事は、その表情からも分かる。
「この世界の、とは?」
と、校長先生が聞き返す。
「リーシェから聞いたんですけど、エレナ王国って国も、パンゲアって大陸も俺は全く知らないんです。この世界の地図を見ても、全く見た事ない地図で――。どうやら、俺は全く知らない世界に来たみたいんです」
「彼は、アーリ町で困ってたところを私が助けたの」とリーシェが補足を加え始める。
「いろいろ話を聞いたけど、私が知らない事ばかりで。大地の話を聞いてるうちに、本当なんじゃないかって思えてきて――。それで詳しい人はいないかなって思って、校長先生を訪ねてきたの」
リーシェの言葉に、大地も真剣な眼差しで頷いた。
「……なるほど」
声を漏らしたのは、校長先生だ。
「興味深い話ですね。つまり、君――大地くんは自分がいた世界から、気付いたらこの国にいた、と?」
「そ、そうです」
二人の話を聞いて、校長先生はおもむろに立ち上がった。そして、校長室の壁に添うように並べられている本棚から、一つの本を取り出す。校長先生が手に取った本は、随分古そうだった。
「この国――いや、この大陸には古くからある伝承が伝えられています。神話や伝説といった大袈裟なものではないけれど、何年にも渡って伝えられているお話です」
校長先生は取り出した本の、あるページを二人に見せた。
開かれたページには見開きの絵に、文字が数行書かれている。しかし、日本語ではなかったので、大地には読めなかった。
「この絵は?」
「リーシェも聞いた事はあるはずです。一人の勇者の物語を」
「う、うん。おとぎ話だって、お母さんがよく聞かせてくれたけど――」
「そう。そのおとぎ話が大陸に伝わっている伝承です」
そう言って、校長先生は開いた本の絵を指で示した。
絵には勇者とおぼしき男が複数の仲間を連れて、宝石のようなものを掲げている様子が描かれている。その一団の奥には、喝采を上げている民衆が描かれていた。
「文字は読めますか?」
「い、いえ、全然……」
恥ずかしそうに答える大地だが、校長先生は特に何かを思った様子はなく、話を続けていく。
「そうですか。なら、説明しましょう」
再び、校長先生はソファに腰掛ける。
腰かけた校長先生がまっすぐ自分を見ていることに気付いて、大地はごくりと喉をならした。その視線は、どこか大地を試しているように見えたのだ。
「この絵に描かれている集団が、正しく勇者とその仲間たちです。彼らは大陸を旅して、掲げている宝玉を手にする事を目的としていました。掲げている宝玉はこのパンゲアに一つしかない物とされていて、とてつもない力を持っている物とされています。そして、苦難の連続を乗り越えて、目的の宝玉を手にする。リーシェが言っていたおとぎ話の内容はこのようなものです」
「…………」
大地は疑問を口にすることもなく、じっと話を聞いていた。話を割ってはいけないような気がしたのだ。
それはリーシェも同様で、何度も聞いてきたおとぎ話に改めて耳を傾けている。
「この話を知っている人は多くが、あくまでもおとぎ話だと思っているでしょう。しかし、予見のオーブを持つ者たちの中では、これは伝承だと認識している者たちがいます。私の知人にも一人いますが、彼らは伝承と認識している――このおとぎ話が、いずれ起こる事だと述べています」
「いずれ起こる事……?」
たまらずに口を開いたのは、リーシェだ。子どものころから聞いてきたおとぎ話が、いつか起こる伝承だという一面に驚いているのだ。
一方の大地は、校長先生の話から必死に手掛かりを探っていた。
「えぇ。そうだ、と言っている者たちがいる。確証がない話ですが、予見のオーブを持つ者たちはそれなりの地位を持っているので、貴族たちの間では伝承としての面はそれなりに知られています」
そして。
と、校長先生は一拍置いた。
「この伝承が、あなたには大きな意味がある。私には、そのような気がします」
「お、俺に!?」
校長先生の一言に、今度は大地が驚いた。
「そうです。私には予見の力はありません。しかし、あなたの話を聞いた時に真っ先にこの可能性に至りました」
「どんな可能性……なんですか?」
「このおとぎ話に登場する勇者はパンゲアで生まれ育った人物じゃない、とする説があります」
「……?」
「それは、このパンゲアにおいて彼が持つオーブを他の誰も使えないから、です。あくまでおとぎ話だから、特別なオーブを持っていてもおかしくない。そう言う人がいるかもしれませんが、伝承だと認識している者たちの間では、それこそが勇者がパンゲアで生まれた人物じゃないという事を表している。そう主張しています」
「どういう……?」
意味が分からない大地の隣で、リーシェはハッとした声を発していた。
「そ、それは本当なの?」
口を手で押さえながら、リーシェは震える声で尋ねた。
リーシェの質問に、校長先生は縦に頷く。
「これも確証のない話です。しかし、あなたの話を聞いて、私はそうかもしれないと思いました。オーブとは、パンゲアに住む者が等しく持つ特別な力のことです。オーブは共通認識として、代々受け継がれるもの、とされています。パンゲアには無数のオーブの力が存在していますが、必ず二人以上が同様のオーブの力を持っています」
(オーブって何だ?)
先ほどから会話にちらちらと出てきた単語を説明されるが、大地にはぴんとこない。オーブ自体の事や等しく持つ力と言われても、理解出来なかった。
その大地の疑問に気付いていないのか、再び校長先生は本に描かれている絵を示す。
つられて視線を動かした大地に、驚く言葉が聞こえてきた。
「すなわち、勇者は他の世界からやってきた者となる」
校長先生の言葉に、今度は大地がハッとした声を上げた。
「っていうことは……」
「おとぎ話に登場する勇者は大陸でただ一人しか使えないオーブを使え、別の世界からやってきた者と予測する事が出来る。そして、私の目の前に、別の世界の住人と名乗るあなたがいる。これは、関係のない話なのでしょうか?」
優しい口調だが、しっかりと見定めるような問いかけだった。
「…………」
大地はすぐに言葉が返せない。
(お、俺が、おとぎ話の勇者な、のか――)
大地だけでなく、リーシェも校長先生の話に驚きの表情を浮かべていた。
おとぎ話なのだから、勇者が特別な力を持っていたとしても不思議ではない。作られたおとぎ話に様々な枝葉がつけられただけという見方もあるが、その可能性は薄くなった、と校長先生は言った。
「俺がこの世界に来たから――?」
「えぇ、その通りです」
そして。
「どうやら、あなたには大きな運命が圧し掛かっているかもしれない、ですね」