死の色に染まる
昔の人は上手く言ったもので、「酒はキチガイ水」という言葉があります。アルコールが入るといつも表現の衝動に襲われるのは、私が酒乱だからなのか。酒の勢いの過ちとはいえ、小説二作目ですので甘くみてやって、どうぞ最後まで駄文を耐え抜いてください。シラフになり読み返してみると間違いがかなり多く、時間をかけ直しました(ノω<。)率直なご意見、ご批判は大変ありがたいです。
落葉の砕ける乾いた音が耳に響く。
雨のしばらく降っていないアスファルトを飾るのは、夕焼け色のオレンジや滴るような赤、山吹色、緑の面影、朽ちていく褐色の落葉である。色とりどりの葉が、幼子の作る貼り絵のように、一面に無造作に重なり合っている。歩道の脇に並ぶ、年老いた街路樹から少しずつこぼれおちた一枚一枚が、自分の最後の居場所に向かい、秋の穏やかな風にその身をまかせ、丁寧に舞い落ちる。そこには決して己の意志は含まれず、全て風の赴くままである。そうして地上に降り立ったあとで、仲間たちとひしひしと身を寄せ合いながら、かつて自分のいた場所を見上げ、昔話に花を咲かせるのだろうか。
通勤で通うこの道は、ほんの昨日まで、暖かな太陽を全身に受け、喜びに揺れる新緑でいっぱいだったような気がするのに。時間はいつも、死をもってその存在を形にしては、見せつけていく。金剛不壊の秩序を持ち、決して後ろを振り返らず、前だけを見据えて進んできたであろう時間は、おびただしい数の生と死を横目に、今もなお、同じスピードで進んでいる。生の象徴は死であり、産声に死の影は生まれる。生と死は表裏一体なのだが、私は、どうも時間は死を好むような気がしていた。いまこの脚で踏みしめる落葉は間違いなく腐敗という死に向って突き進んでいる。太い幹から分かれた枝の先端で、小さく揺れながら体を赤に染め上げるあいだ、死は刻々とその色を増すだろう。それなのに、悲壮感や恐れ、痛みや後悔などは顔にこれっぽっちも滲ませず、むしろ晩年の喜びに満ちあふれているようであった。秋らしく、空にじんわりと滲む夕陽に一層身を火照らせては、最後の酔狂に身を投じる。若葉の頃のような、雨の雫が弾ける緑の肌を懐かしむことはなく、思い思いの色にその体を美しく染め上げ最後の演出を施すのだ。私は、自分の最後はこうはいかないだろうと思った。私には、死はあまりにも恐ろしい。こうして時間はあっという間に遠く過ぎ去っていくのを、様々な死によって目の前に突きつけられても、私は時間のもたらす忘却の恩恵から遠ざけられていた。時間がこれ見よがしに私の前を通り過ぎていくたびに、死の余韻に胸が鈍く、重く痛む。死だけを片手に持ち、時には季節の風となって、時には落葉となって、時間は姿を変え、無慈悲な秩序を知らしめるように、秒針の音を轟かせる。私はただそれを呆然と、ただ眺めることしかできない。体や顔が憎たらしいほど従順に年老いていくのに、私の心だけはいつも置いてきぼりだ。鉛のような痛みの感覚だけは決して衰えず、心は、死の恐怖だけ鋭敏に震えた。
ひどく暗鬱な思いがゆっくりと鎌首をもたげはじめたのを振り切るように、私は歩みをとめた。腕時計を見やると、時刻は六時になろうとしていた。こんなに早く会社から帰れるのはどれくらいぶりだろうか。特段なんの用事もなかったが、家にしか私の居場所は無いと脳みそは十分理解していたようで、寄り道もせず、足早にまっすぐと帰路に就いていたのだった。先ほどまでの暗い気持ちが心の影に隠れたのを見て、私は再び歩き出そうとした。するとそのとき、ひらりひらりと、一枚の落葉が、私の肩にふんわりと舞い降りた。私は落葉をそっと摘み、眺めた。小ぶりだが火を思わせる赤に体のほとんどを染め上げ、細い枝の付いている方にほんの小さな分裂葉を二つ付けているが、そこから大きな五枚の分裂葉となって人の指のように分かれている。分裂葉の縁は鋸の歯のように細かな不揃いのギザギザが形造られ、まるで鳥から抜け落ちた羽根のようだった。こうした特徴から、赤の落葉はイロハモミジらしかった。特段モミジの種類に詳しくはなかったが、幼い頃、小学校の校舎のすぐ側に一角だけこのモミジがおびただしいほど積もっていた。そこに駆け寄り見上げると、赤い葉をたくさん実らせた木が私を見下ろしていた。木のすぐ側に、“イロハモミジ”と書かれた看板が立っていたのだが、それが今ぼんやりと脳裏に蘇ったのだった。真っ赤に燃えるようなイロハモミジの赤を優しく貫くように、眩しく注がれる夕陽がかすかに漏れている。五本に分けられた分裂葉の先端には、染め切れなかった淡い黄色が僅かに残っており、時間が姿を変え、また現れたように思われた。夕陽が透かすイロハモミジの体は、惜しげもなく、短い人生の生き様全てを晒していた。細い枝から生まれた五枚の分裂葉には、それぞれ、中央に太い線が先端に向ってまっすぐ延びている。さらにそこからギザギザな葉の縁に向って、細い皺が、放射状に緩やかに規律正しく刻まれていた。だが、その一本一本は、綺麗に整然と並べてあるようで、全く同じものは一つとしてなかった。かつてこれが枝の端にぶら下がっていたときには、陽の光を一身に浴びて、全身で呼吸をしていたのであろうか。そう考えると、体に刻まれている放射状の皺は、まるで張り巡らされた静脈のようであり、夕陽の透けた赤は血を表しているようだった。右の親指と人差し指で摘んで夕陽に透かし眺めていたイロハモミジを、そっと左の掌にのせた。やはり、人の掌とよく似ていると思った。私の手に力なく重ねられた、死の色に染まった、母の掌に。
未だに母の面影に囚われている私をそのままにして、掌のイロハモミジは、ふいに現われた銀杏の香りを含んだ風にさらわれた。下から緩やかに突き上げるように吹く風に乗り、くるくると踊るように舞い上がった。薄い雲の棚引く優しいブルーの空には、小さくもはっきりとした赤がよく映えた。短いダンスを終えて地面に辿りつくころには、すっかり他の落葉に紛れ、その姿が分からなくなってしまった。
読んでくださり、ありがとうございましたฅ*•ω•*ฅ♡




