AD―ファミレスのちょっと怖いうわさ編―
登場しますファミレスは架空のものであり、実際の企業、店舗とは何の関係もございません。
………深夜のファミレスには魔物がすむ………
と言ったら言い過ぎだろうが、閉店間際までをファミレスの窓際で過ごす俺の耳には、近隣店舗のさまざまなうわさが耳に入る。
もちろん、『出る』と言うものだ。
ファミレス通の俺に言わせれば、そんなものは気の迷いだ。
だが、噂にはそれなりに理由がある。
そういう意味では、今日の店選びは失敗だった。
出張先で地の利がなかったせいもあるが、全国どこへ行っても変わらない大手の看板に安心して、よく吟味もせずに店に入ったのがいけなかった。
まず、客がいない。まだ十二時前だと言うのに、ただの一人もいないのである。
店員はあからさまに不機嫌な表情で出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。」
低い声でそれだけ言うと、すぐに奥に引っ込んでしまう。店内はがら空きなのだから、好きな所に座れと言う事だろう。
俺は灰皿の置いてある座席を探して座った。
ふと、視線の端にふわりとした小柄な影が通り過ぎた様な気がした。店員かと思って振り向くが、誰もいない。
……そう言えば、誰もいない客席を子供の人影が走り回るって話も……
いやいや、気のせいさ。さっさとメニューを選んでしまおう。
俺はメニューの影からあたりを観察した。本当に人がいない。店員もすっかり油断しているせいか、客席に出てくる気配もなく、裏から聞こえてくる音もない。
俺に言わせれば、まずこの環境がよくない。自分しかいない空間と言うのは、無駄な想像力を掻き立てる物である。
店員の接客態度も問題だ。あんなに暗い態度では客も、つい暗い想像をしてしまう。
確か、風水的にも、気の流れが……
って、何を取り乱しているんだ! みっともない。
俺は呼び出しボタンで店員を呼び、ハンバーグのセットをドリンクバー付きで頼んだ
もちろん、長居するつもりはない。ただ、食後のコーヒーを飲むたまにはどうしてもドリンクバーを頼まなくてはいけないってだけさ。
俺は一杯目のドリンクのために、コップを置いた。
……とりあえず、コーラだな。
ボタンを押すが、コーラが出てくる気配はない。
「……?」
さらに強く押すが、うんともすんとも言わない。
俺は仕方なく店員を呼んだ。
「どしたんスか?」
とぼけた店員の声とともに、低い機械音がしてコーラがグラスに注がれた。
「あー、ウチの機械、ちょっと調子がおかしいんスよ。」
……いや、機械のせいじゃないだろう。聞いたことがある。店員が見ていない時だけ必ず調子が悪くなるドリンクバー……
「お客様? 大丈夫ッスか?」
店員の声に、俺はハッと我に返った。
そうだよな。機械だもん、調子の悪い時もあるよな……
ハンバーグを喰い終わった俺は、窮地にたたされた。
……うんこ、したい……
激しくこみあげてくる便意に抗うことはできず、俺はトイレのドアを開けた。
トイレは、閉店前の清掃が終わったばかりということもあってか、思いのほかきれいだった。これはありがたい事だ。
ファミレス通の俺に言わせると『トイレに出る』と噂の店舗は十中八九トイレが汚い。
それでなくても最近は節電で、トイレの照明が暗い事が少なくない。清掃の生き届いていないトイレでは、壁の汚れが怨念のこもった顔に見えることがあっても可笑しくは無いだろう。
そう考えると、ここは節電すら気にしないのか照明も明るい。壁に変な形のシミもないし、何より、掃除に使ったサンポールの匂いが清潔感を演出している。
安心して個室に入り、褐色の息子たちを生み落としていると……
シャアァアアアア
男子用の小便器が水音を立て、俺の脊椎は恐怖に跳ね上がった。
……聞いたことがある。誰もいないのに反応してしまうセンサー。誰もいないのに鳴ってしまう呼び出しベル。誰もいないのに鳴ってしまう入口の……
取り乱すな! 素人じゃあるまいし。
ファミレス通の俺が解説しよう。男子の小便器と言うのは汚れ防止のために、決められた時間に水を流すように設定されているモノだ。だから、今このタイミングで水が流れても、何の不思議もない。たぶん?
頭を納得させることはできても、体は素直に恐怖する。
出そうとしていた最後の一片はすっかり引っ込んでしまった。
俺はできるだけ静かに水を流し、鏡を見ないように目をそむけながら手を洗い、トイレをでた。
席に戻って食後の一服に火をつけはしたが、俺は落ち着かない気分だった。
……そう言えば、近所の店で落ち武者が出たって話を聞いたことがあるな。
普通に考えれば笑ってしまう話だ。落ち武者がファミレスに何の用があると言うのか。
……店員さんが、お冷を一人分多く持ってくるって話も聞いたっけ。
どんなに優秀な店員だって、間違いはある。ごく当たり前の話だ。
大体が、そう言った幽霊の『うわさ』を聞くことはあっても、実際の目撃談を聞いたことはほとんどない。ましてや、幽霊に何かされたなんて話は今迄に聞いたこともない。
それでも……
俺はタバコをもみ消し、コートと伝票を掴んだ。
テーブルの上のコーヒーは一口分しか減っておらず、温かな湯気を立てている。いつもならそんな勿体ない事をしたりはしないのだが……
レジに立った店員は、お釣りを渡しながら怪訝そうな顔をした。
「あの……お連れ様は一緒にお帰りにならないんですか?」
俺は座席の方はぜったいに振り返らず、お釣りをもぎ取るようにして店を出た。
実際、こんなことは起こらないですよ。
起こらないけど『うわさ』に関しては、すべて実際にある噂です。