その8
―――オーギュスト・ロダン
その名前が誰を指すものか思い至って、私は胸がときめくのを感じた。
何しろその人物は世界王付筆頭秘書官にして、陛下がオルロック・ファシズに捕らわれていた頃から一緒にいた唯一の人物。
仲間たちの間ではその王道を詰め込んだ如き設定は様々な憶測とともに、素晴らしい作品たちの想像の源となった。(私ももちろん美味しく頂きました)
だって、秘書という言葉だけで生唾ものなのに、加えて幼馴染?主従?!美味しすぎる彼の立ち位置は、きっと乙女たちの夢の妄想を掻き立てるためにもたらされた光明に違いない。
だけど、噂では色々と情報が入ってくるけど、秘書官は表に出てくることのない裏方の仕事のため、彼の容姿や性格についての情報はほとんど皆無だった。
まあ、実際を知らなくても妄想するのは簡単だし、現実が幻滅するくらいブ男だったら元も子もないので、彼を探すことができる立場になっても私は積極的に探そうとは思ってなかった。
でも、それは間違い!これほどの逸材に気が付かないでいたなんて、私の愚か者ー!
「フィリー、待たせたな。」
凝視する私の視線に気が付かないまま、片手に持っている紙をヒラヒラと見せるロダン秘書官はなんと陛下を呼び捨てにする。
(おお!これが幼馴染の気安さというやつね)
実際は幼馴染かどうかも定かではないけれど、そんなことに感心しつつロダン秘書官を更に観察する。
どこか中性的な美しさを有する陛下とは対照的に、大きく男性らしい体つきに、少したれ目が印象的な美丈夫。年齢は陛下より少し上だと聞いている。
どこか超然としていて同じ人間という土俵に並べてしまうのも申し訳ない陛下という存在が、ロダン秘書官の前だと不思議と年相応の青年のように見えて……はっ!!駄目駄目、ここで妄想に走るよりも、この状況を目に焼き付けておかなくては、だって、こんなツーショット二度と拝める保証はない。
(…そうだ。ただのメイドのままじゃ見られない)
掃除するだけのメイドが、こうして陛下に拝謁することなんて二度とない。
終わりかけた夢の時間を感じて、私はふと冷静に我に返りつつ陛下とロダン秘書官のやり取りをなおも見つめた。
「これが頼まれた資料―――あ」
手渡ししようとした紙が勢いよくすべり落ち、机や私の近くの床にまで広がった。
床に落ちた紙は控えていたウォルフや私が拾ったけれど、机に落ちたものはロダン秘書官が拾おうとする…と陛下もまた同じ紙を拾おうと手を伸ばし……
『あ…』
僅かに触れ合った指先に二人は咄嗟にお互いの手を引っ込めて、視線を交わらせた。落ちる沈黙は一瞬の事、そのすぐ後に陛下は机に落ちた資料を取りそれに目を落とした。
「うん…確かに頼んでいたものだな」
微妙に顔をこわばらせているように見える陛下の表情。
目の前で展開された『お互い過剰に意識しちゃっているよ?!』的なシチュエーションに、私はこれが自分の妄想でないかどうか、こっそりと自分の手を抓った…痛い………これは妄想じゃない!!!
私は鼻息が荒くならないように細心の注意を払いつつ、拾った資料を渡すために再び陛下たちに近づく。
そして、こちらを背にして見えなかったオーギュスト秘書官の顔をちらりと覗き見る。
(ウッキャーーーーーー)
思わず心の中で上げたことのない鳴き声を上げた。
僅かに赤く染まる顔は男の色気もムンムンに美しくも切なげに歪められ、私の視線なんて全く気が付く様子もなく、ただ合わせられない陛下に向かって、その意識を全て注いでいる。
何だろう?何だろう?この言葉にできないような、むず痒く、それでいて胸をきゅっと掴まれるような感覚。
(これって!これって?!リアルーーー?)
現実と妄想が違う事くらい誰だって分かっているし、現実が妄想よりも厳しく辛いことも分かっている。
だからこそ、現実を諦めて乙女たちはせっせと妄想に励み、それを文章やら二次元やらで妄想を忠実に再現しようと挑戦を続けている。
こんな風に妄想を超える現実が目の前にあるなんて、私も心のどこかでは信じてなかった。
「これが女官長が用意した王妃付侍女の候補か。意外と数が多いな。」
あやうく放心したまま現実と妄想の交じり合った世界にトリップしそうになっていた私を、資料に目を落としたまま発せられた陛下の声が呼び戻す。
次いでつられて自分が持っていた資料を改めて見下ろす。そこには私と同じ制服を着たメイドやら女官やらの写真。そして、彼女たちの簡単なプロフィールのようなものが書かれているようだった。
「とりあえずは候補に過ぎないからな。これから候補を絞って、何人かを面談していくスケジュールを組むつもりだ。」
「その辺りは任せるよ。今、さっそく一人には断られてしまったけどな。ルッティ、資料を拾ってくれてありがとう。机の上においてくれ。」
言われて急いで持っていた資料を机の上に置いた。そうしながら、私は先ほど下した自分の選択にとてつもなく後悔しているのを感じた。
(妄想を超えたリアルが今後、私の前に現れる事がある?私が求めていたものこそ、このリアルなんじゃないの??)
オルロック・ファシズの人間である王妃という未知の存在は確かに怖い。だけど…
(こんな美味しいネタをぶら下げられて、他の女にそれをみすみす奪われてなるものか!!)
私の中で恐怖に欲望が勝利した。断るのも勢いならば、それを覆すのもまた勢い。
「陛下!!先ほどのお申し出を断ってしまってからでは遅いかもしれませんが、私が改めてお受けすることは可能でしょうか?」
「君が王妃付の侍女になってくれる…と?」
「はい!!!」
王妃付侍女とはいえ、陛下の関係者とまみえることも少なくないはず。そうすれば、他の美味しい光景を目の当たりにすることだって夢じゃない。
私はオルロック・ファシズの王妃付侍女になることを決断した。