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その16

 発している本人すらも耳が痛くなるほどの大絶叫。


(これだけ大声で叫べば誰か助けに来てくれるに決まってる)


 突如現れた恐怖のお面野郎(コホン、いえいえお面を被った人物ですね)に驚き、恐怖しつつも、そんな風に何処か冷静に考えていたりした私。

 だけど、狭い部屋とはいえ数メートルの距離をいきなり詰め寄られて、迫力のお面がすぐそこまで迫った瞬間、命とか貞操とか全ての危機だ!!と体中が警鐘を鳴らす。心理的な極限状態に一気に駆け上がって、私は、なんていうか、もう、自分でもよく分からない叫びというか、鳴き声を上げた。


「☆@?:F#H?EI!?‘%!!!!!!!」


 その大音量たるや、先ほどの叫びの比ではなく、お面野郎が近づいていた体を一旦退けるほどの威力を発揮。それを本能で察知して、怯んだ相手を追い立てるように私は近くにあったものを手当たり次第に投げまくる。


「来ないでええええええ!!!」


 女だからって舐めるな的火事場の馬鹿力とでも言おうか、はっきりいってこの時の私は自分で何をしているかも、何を言っているかも分からないまま、ともかく自分の身を守ることで一杯一杯…だったはずなんだけど、視界の端に映ったお面野郎が私の横を通りぬけて、机に向かって手を伸ばそうとしているのを見た瞬間にはっと我に返る。


(原稿?!!!)


 何を投げても、無意識で投げないでいた書きかけの原稿。

 何故だか知らないけど、お面野郎が原稿を奪おうとしていると直感した私は、恐怖とか混乱とかも忘れ去って、ただ冷静に原稿を守れと判断を下す脳に従う。

 伸ばされる手が机に届く前に、私は体で覆いかぶさって、そのまま机にしがみつき、お面野郎はそんな私を引き離そうと、薄着の肩に手を伸ばす。

 ゾゾゾとせり上がる悪寒。見知らぬ男(多分)に布一枚隔てただけで触られる感触は、生理的に受け付けられない。だけど、それよりも原稿を守ることが、この時の私には重要だった。


「いやあ!!!触らないで!」


 腹の底から叫び、我を忘れるほどの恐怖に駆られても、鳥肌が立つほどの嫌悪に苛まれようとも、乙女の夢だけは守らなくては!!

 また、同じものを書けばいいじゃないか?

 そんなものは無理!大体の流れは同じものが作れるだろう。だけど、言葉の端々や勢いなど、小説を書くにあたって、その時のテンションというものは大きく左右してくる。

 そして、この私が必死で守っている原稿は、アイルフィーダ様に衝撃を受けたあの日に書き上げたものも含まれている。

 はっきりいって勢いだけの、文章もままならない、まだまだ人に見せるのも憚られる出来。だけど、この時の勢いとか、感情とか、情熱とか、そういうものが乙女の夢が詰まった小説には不可欠なのだ!

 アイルフィーダ様への憧れは留まるところを知らないけど、あの衝撃を受けた直後と同じ文章は二度と書けないだろう。

 それが最高傑作かと問われて頷くことはできないけど、私はこの時の全てを大事にしたいと思った。実際、小説に載せるか載せないかとは別に私個人としてとっておきたい。自己満足に過ぎないけど、私にはとても大切な原稿。

 だからこそ、私はどんなに強い力が引きはがそうとしてきても、無我夢中でしがみつき続けた。そんな私の耳の届く苛ついたような舌打ち、そして―――


『これ以上、邪魔をすると怪我をすることになるぞ』


 耳元で低く呟かれたくぐもった声は、オカルトチックなお面を被る奇人にしては、中々の美声。


(おおお?その仮面の下はひょっとしてイケメン?)


 て、ちがーう!!いくら私でもここは妄想モードに入っている場合じゃない!!


「絶対にどきません!!!」


 原稿は死守!!乙女の夢と情熱は奪わせはしない!!

 大体、こんな脅しに屈しているようじゃ、陛下のあの黒々しいオーラと、絶対零度の視線に立ち向えないっていうのよ!

 それに乙女の第六感が、きっとあの方が来てくれるとビンビンと感じている。そう……


―――ドカッ!!!


 何かがぶつかったような音と共に、上にのしかかられていた重みがなくなる。

 第六感が告げていた存在が目の前に現れたことに、大きく息を吐きながら、感激に目の前が涙で潤む。キュウっと胸のあたりが切なくて苦しくなる。

 信じていた…ううん、第六感なんて嘘。私が信じたかったただの願望なのに、どうして、貴方は何も知らないはずなのに私の夢を、願いを叶えてくれるの?


「後宮で夜這いなんて、いい度胸しているわね」


 繊細な生地で作られた裾の長い寝衣だけを身にまとい、その姿は深窓の令嬢ならば裸体を見られるのとそう変わらないほどあられもない姿。

 にも拘らず、あまりに堂々とした我が主アイルフィーダ様の剣を片手にお面野郎に立ちはだかるそのお姿は、伝説の英雄、物語の中の騎士様、そして、私が愛してやまないアルマリウス様そのもののようにに凛々しく雄雄しい。

 かくして、颯爽と現れた正義のヒーローの登場に、悪の手先・お面野郎は大いに動揺し床に倒れたままおたおたし始める。


『おおおおお王妃!?』


 お面越しのくぐもった声。

 動揺のためか、先程は中々の美声だと感じた声が酷く滑稽に聞こえた。


「今更、焦った所で無駄よ。すぐに後宮の警備兵もくる」


 お面野郎の喉元に剣を突きつける。


「それにしても仰々しい仮面ね…そんなもので隠す顔っていうのは、どれだけ凄いものなのかしら?」


 言って、喉元から顔の方に動かしてお面に剣を引っかけた。ずれて顔が露わになろうとすることに慌てたお面野郎が起き上がり抵抗しようとするのを、アイルフィーダ様が腹部を踏みつけて黙らせる。


「大人しくしていてもらえる?」


 キャッ!女王様モードですわね!!色めき立って、しがみついた机から離れ、思わずはしゃぎまくったその瞬間だった。

 お面野郎が手に持っていた何かをこちらに向かって投げてきて、すぐさま辺りは強い光に包まれたのだ。

 咄嗟に目をつぶった私にドンと何かがぶつかって、ぐらりと体が大きく揺れる。


「キャアッ!!」


 床に倒れ込んだ私は眩む視界の中で、恐らくお面野郎と思しき人物が私の机の上から何かを持ち去ろうとするのが見えた。


「だめええ!」


 理由は分からないけど、やはり原稿を!?と咄嗟に目の前にある足に飛びついて、お面野郎をここから逃がしてなるものかとしがみつく。


『なっ離せ』


 お面野郎もまさか私が飛びついてくるとは思わなかったらしく、焦ったように私の頭をぐいぐい押す。

 一見すると細身だけど、鍛えているのかしがみつくと意外とがっしりしている体が、私の頭を首からもいでしまうのかと思うほどの強さで押してくる。


「いやぁああ!!返して!!!」


 多分、私の顔はすごいことになっている。

 何も考えずに全身全霊でしがみついてる顔はみっともないうえに、お面野郎は無遠慮にも私の頬のあたりに手を当てて自分からはがそうと躍起で、顔はへちゃむくれになっている事、請け合い。


「ルッティ!?」


 そのままの体制で聞こえてくる、驚いたようなアイルフィーダ様の声。

 ああ、この顔をアイルフィーダ様にお見せするなんて…乙女として最大の恥ではございますが、今は恥より夢を取らせて頂きます!


「そいつから離れてっ!私が何とかするから!!」


 後から考えれば、私がお面野郎にしがみついているせいで、アイルフィーダ様は攻撃できずにいた事なんてすぐに分かりそうなものなのに、この時の私はともかく自分のことで精一杯。周りの状況なんてまるで考えも及ばなかった。

 そのせいで…


『クソッ仕方ない!』


 お面野郎はそんな声と共に何かを小さく呟くと、ボンっという軽い音とともに煙となって消えてしまったのだ。

 そう…例え話でも、幻覚でも、手品でもなく、お面野郎は本当に消えた。しがみついていたはずの私はそのまま床にバタンと音を立てて倒れ込む。


―――カツン…カララ


 固い何かが落ちた音が聞こえた気がしたけど、倒れ込んだ衝撃に私の頭の中からそれはすぐに消えた。


「いったぁあ?え??あれ?お面野郎は???」


 床に激突したデコを抑えながら、キョロキョロとあたりを見回すけど、狭い自室にお面野郎の姿はなく、立ち上る煙越しに険しい表情のアイルフィーダ様と、今更に到着した兵士たちの姿。


「はっ!原稿は!?」


 倒れ込んだ床から痛む体も忘れて素早く立ち上がると、私は机の上を確認する。

 そこには私がしがみついたりなんやりして乱れていはいるけど、原稿がきちんと乗っかっている。中身を確認すれば、なくなっているページもなさそう。


「よかったぁああ」


 思わず原稿を抱きしめてその場に座り込んだ。

 その後ろで兵士たちが酷く怪訝そうな顔をしていることも、アイルフィーダ様が床に落ちていた何かを拾って眉を顰めていたことも、全く無視して私はただ原稿が無事だったことを喜んでいた。

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