その13
―――ゴクリ
唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる気がした。
音を立てないように体中の筋肉をフル活動させて一歩一歩近づいていく扉に、期待と緊張が否応なしに高まっていく。
通常、陛下をアイルフィーダ様の自室に案内してその後、私が居座る理由は当然ない訳で…退室した後のお二人の様子を覗くという芸当は、いくら私でもまだ踏み入っていない領域。
だけど、この状況と、自分でも分からないうちに盛り上がっている妙な興奮が、今こそその領域に踏み入るべきだと強く訴えかけている。
そして、私はその欲望に負けた。
(負けっちゃったんだもん。仕方ない。仕方ない)
なんて、誰も聞いていないというのに心の中だけで言い訳をしつつ、私は細心の注意を払いつつドアノブに手をかける。
音を立てずにドアを開ける事は、覗き(?)目的でメイドになった私にとっては必要不可欠スキル!家で何度も練習した技は今回もばっちり効力を発揮する。微妙な力加減が肝心。
かくして、一見すれば開いているかどうか分からないくらい、ほんの少しの隙間から私は罪悪感の欠片もなく、寝室を覗き込んだ。
扉からは大人が何人も寝れそうな大きなベッドがあるというのに、アイルフィーダ様がその端で横になっているのが見えた。陛下はその傍まで近づくと、アイルフィーダ様をじっと見下ろしているようだった。
『ようだった』というのは、開いている隙間がどうにも狭すぎて、見えない部分も多いせいだ。ベッドは何とか見えるのだけど、陛下の姿は半分も見えていない。
だけど、ここで事を急いで、覗いていることがばれるのは避けたい。じっとりと手のひらに滲む汗で滑らないよう、私はスカートで手をぬぐう。
そんな風に固唾をのんで私が見つめる中、陛下はアイルフィーダ様の傍に跪くと、そっと撫でるように顔に触れる。
(オオオオオオ!?)
疲れでぐっすりと眠っているらしいアイルフィーダ様は目覚める気配もなく、陛下はしばらく頬や髪に触れていた。
それは厭らしい雰囲気なんて微塵もなく、まるでアイルフィーダ様が愛おしくて仕方ない…というのが溢れんばかりのただ慈しむような様子で、このシチュエーションの場合、例外なく桃色妄想爆裂させてしまうだろう私ですら思わず赤面してしまう。
反応の薄いアイルフィーダ様と、何を考えているか分からない陛下から、単品ではともかく、セットになっときには一切妄想を刺激されずにきたけど、認識を改める必要があるらしい。
そんな風に思いつつ、心の写真に焼き付けるように私は二人の様子をじっと見つめていると、陛下が突如としてアイルフィーダ様にかかっている掛物をとりはずす。
(えええええ!!!)
もはや、私の心には絶叫しか存在しない。
慈しむ陛下の姿に神々しさすら感じていたはずの意識は、一瞬でピンク色に移行する。陛下は掛物を音もなくずらすと、寝ているアイルフィーダ様を見下ろす。
(こ、こここここれは)
ごくりと私は大きく生唾を飲み込んだ。脳裏には性別はこの際、無視して今まで何度も妄想してきた所謂『濡れ場』な情景が展開する。
まさか、大好きなキャラと被るお二人の生の濡れ場が見えるなんて!!!
かくして、聊か常軌を逸しているだろう思考の私をよそに、陛下は音もなくアイルフィーダ様の足に手をのば―――とその時だった。
「おい、何しているんだ?」
覗きに意識の全てを集中していたために、突如として上からふってきた声に咄嗟に反応できない。次いで何の準備もないまま襟首を持ち上げられる。
「グエ」
洋服で首が締まって、低い呻き声が出た。だけど、そんな事は今はどうでもいい。
「何するんですか!!」
私から夢を!希望を!奪うなんて!!一体、どこの極悪非道人だと、持ち上げられたまま首を動かしてその人物を認めてぎょっとする。
(れ、レグナ様!)
「何するんですかって…それはこっちのセリフだと思うが?」
渋みが効いた中年男子のそこはかとなく漂う色気、素敵!!とこの超至近距離からのアングルに、いつもの私ならトキメキ高ぶる場面。
眼光鋭く、喉仏を震わせた低い声は、きっとアイルフィーダ様と二人っきりでいらっしゃる陛下にヤキモキしているからなのね…と、妄想だって十分に膨らんでしまう場面。
(だ・け・ど!!今はダメー!!!)
私は無駄だと分かっていても、持ち上げられたままジタバタと暴れてみる。当然だけど、ご年齢の割に筋肉隆々とした若々しい体格のレグナ様は、そんなもの全く堪える様子もない。
だけど、だけど、だけどおおおおお!あんな美味しい場面!あの後、陛下はアイルフィーダ様に何をしたの!?
私の妄想さながら寝込みを襲った?それともアイルフィーダ様が寝ていることをいいことに、気が付かれないように何かを?それとも寝顔を見るだけで悶々と?!
妄想は何通りもできてしまうけど、それよりやっぱり現実を目の当たりにした方が楽しい!
だから、だから、だからあああああ!後生ですから、後数十秒だけでも私にもう一度、もう一度だけ、覗かせて!!
と、さすがに大声で感情のまま叫ぶわけにもいかずに、その感情をこめて暴れまくってみるけど、やっぱりレグナ様はびくともしない。
「見るくらいいじゃないですか!減るものじゃないんだから」
そうよ!別に覗くくらいいいじゃない。誰にも迷惑かけてない!資源だって無駄遣いせず、たくさんの人を幸せにしてしまう妄想ってエコ!
……あまりの悔しさに段々と思考が可笑しな方向に進み始めた私だったけど、それは次の瞬間、完全に真っ白になる。
「いいや、減る」
その場の空気が凍った気がした。
ぎぎぎと油をさしていないブリキの玩具のように、酷く固くなった首を再び扉の方に向ければ、いつもと変わらない美しさを湛える陛下が佇んでいる。
ちなみに寝室の扉は既に閉ざされていて、中のアイルフィーダ様がどうなっているかは分からない。
(この短時間じゃ、大したことには及んでいないわね)
などと、この期に及んで妄想一直線の思考を保ちつつも、私は自分の背中に冷や汗が伝っているのを感じる。
いつもの美しい笑顔でこちらを見ているはずの陛下。だけど、その背後からは言い知れぬ冷気、圧力、何やら言葉に表すのも恐ろしい雰囲気を醸し出していた。
十中八九、覗いていたのはバレているのだと思う。
「もう、いいのか?」
「ああ、アイルも寝てたし、俺も休むよ」
その言葉にレグナ様は私を下すと、部屋を出ていこうとする陛下の後についていく。
(あれ?お咎め…なし??)
どうみても現行犯で捕まった上に、陛下の機嫌も著しく悪くなったはずなのに、どういうことか二人は何事もなかったかのようにこの場を後にするらしい。
だけど、この状況、微妙に既視感を感じる。
これって王妃付きの侍女の打診が来たときに、私の執筆活動がばれた時と状況がよく似ている…お咎めなしと思いきや、突きつけられたのが王妃付き侍女という厄介事。
もしや…と緊張しながら陛下とレグナ様の背中を睨みつつ構えていると、案の定、陛下がこちらを振り返った。それも思わずクラリとしてしまうほどに清々しい、だけど、妙に黒い笑顔付き。
「ああ、ルッティ?」
名を呼ばれた瞬間に、乙女の第六感が警告を発する。
「次のアレ、楽しみにしているからね」
かくして、そう言い放ったまま後は私の返事を待つことも無く部屋を出て行った陛下。そして、残されて咄嗟にお見送りすらできずに呆然とする私。
「次のアレ…?それって『裏後宮』のこと?」
思わず独り言を漏らす私。
小説を書くことを咎め無い以上、陛下たちも私がそれを書き続けるだろうと予測はしていただろう。だけど、それを楽しみにしている?
それって…要するに小説書き続けるのは構わないけど、その内容は監視させてもらうってこと!?
妄想の行き過ぎで下手な事を書いたり、こんな風にうっかり覗いた内容暴露した暁には、どうなるかわかっているだろうなってこと???
いやいや、待て。待て、私!陛下は楽しみにしているって言っただけで、何も言っていないじゃない。
本当に広く、優しい心で私の執筆活動を見守って―――絶対ありえないわよね。自分で自分の考えにツッコミを入れて、大きく項垂れてしまう。
「…ですが、陛下。私もこんな事ではへこたれませんわ」
呟いた大きな独り言に突っ込む相手も今はいない。
私はぐっと拳を握りしめると、仁王立ちして上を向いた。
「いいでしょう。見ていてくださいませ!陛下も思わず唸ってしまうほど、アイルフィーダ様の魅力を満載した小説を私、必ず書き上げて見せます!」
素敵なアイルフィーダ様の魅力を万人に知らしめるための小説ならば、きっと陛下だって黙認、いいや、その虜になる事だろう!
よし!大きく一つ気合いを入れ、かくして、私は次の小説の構想へと意識をシフトさせたのであった。
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ちなみに翌朝、アイルフィーダ様の首筋や鎖骨辺りをそれとなく注目していたのだけど、赤いキスマークの類は発見できなかった。
あの短時間でもキスマークをつけるくらいはできるだろうし、よく見かけるシチュエーションなので、それを期待していたんだけど、陛下はどうやらしなかったらしい。
(小説の中では、キスマークつけさせよう)
なんて、陛下にくぎを刺されても尚、あまり変化のない私の妄想三昧な日常だったりする。
拍手の小話新しくしました。この近辺のフィリー編的な感じです。




