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本日は晴天なり  作者:
1/6

第一話 正美、取り憑かれる

 友人が死んだ。

 いやいや、のっけから申し訳ない。わたし自身、突然のことに少々驚いているのだ。知らせを受けたのが昨日の晩で、今日にはもう葬式に出ているのだから、頭の切り替えだってうまくいかない。分かってほしい。

 週末の夜の出来事だった。金曜日の夜ってなんにもする気が起きなくて、ただぼうっと自分の部屋でドラマ見てたら、お母さんが血相を変えて飛び込んできた。クラス連絡網で回ってきたのは、クラスメイトの坂上くんの死だった。

 わたしが通う高校の制服は淡い緑色をしているので、仕方なく、わたしは中学時代の防腐剤臭い制服をタンスの奥から引っ張り出した。これはちょうどよく黒っぽい色をしている。

中学時代三年間連れ添った服のはずなのだが、久しぶりにその制服へと袖を通した時は、他人の部屋に上がり込んだような違和感を覚えた。

 死んだのは、わたしが通うクラスの男子――坂上くん。どうやら、自転車で走ってる時にトラックに巻き込まれたらしい。即死だったそうだ。

 思えば、わたしは死に接する機会が少なかったように思う。両親は健康だし、兄弟はいない。そして祖父母はわたしが生まれる前に二人とも他界しているそうなので、わたしにある“死”の体験と言えば、小さい頃に飼っていたカナリアがのら猫に食べられてしまったことくらいだと思う。

 というわけで、休日であるはずのわたしの土曜の予定に、葬式が追加された。

 葬儀は坂上くんの家ではなくて、メモリアルホールなんとかといった、ちょっとした講堂みたいな施設でやっていた。午後五時、わたしがそこへと仲間三人くらいで集まってから到着した時、クラス担任の先生は何とも渋い表情をしていた。先生は全員が集まったのを確認すると、中へ入るように促した。

 わたしの知らない喪服の人たち――たぶん、坂上くんの親戚の人だろう――がたくさん集まっているのをすり抜けて、わたしたちは坂上くんと対面をした。

 対面と言うには、それはあまりも無機的だった。

 わたしが見たのは、恐らくこの中に坂上くんが入っているであろう金色の棺桶と、坂上くんの顔が映っている写真だった。写真の中で、坂上くんはぶすっとしてる。たぶん、急なことだったのでちょうどいい写真が用意できなかったのだろう。中学時代の制服と思われるブレザーが肩まで映っているその写真は、きっと、高校入試用に撮られた証明写真だと思う。

 わたしにも経験がある。何でか分からないけど、わたしはああいった時に笑顔を作れない。

坂上くんもそうだったのだろう。

 わたしは、坂上くんが笑ってる顔を知っている。あんなぶすっとした顔じゃなくて。

 でも、もう二度と、坂上くんの笑顔は見られなくなってしまった。そう思うと、無性に感情がこみ上げてくる。

 わたしは坂上くんと仲が良かった方じゃないし、大した会話もしていない。

だけど、昨日まであんなに元気だった人が、こうもあっさりいなくなってしまうとなると、やっぱり感慨深いものがある。「悲しい」とは、またちょっと違う感情なのだと思った。

だって、涙が出てこない。死んだのが坂上くんだから、なのかもしれない。鏡を見てみれば、きっとわたしは、お面を被ったような無表情でいるのだろう。

 あえてこの感情を言い表すならば、「虚しい」だと思う。手のひらに落ちた雪の粒のようにあっさりと消えてしまう、命のはかなさ。わたしは今日、それを知ってしまった。誰もいなくなった遊園地に一人紛れ込んでしまったようかのな、胸にぽっかりと穴の空いた気持ち。


「正美――」


 線香の匂いが立ち込める小スペース――きっと名前が付いているのだろうけど、わたしにはこれを挿す言葉を知らない。だから、小さなスペース。その小さなスペースの横で、延々とお坊さんがお経を読んでいる。金色の棺桶の上には、例のむすっとした坂上くん。そして灰が入った……これも言葉が見つからない。灰が入った小さな風呂桶みたいなやつ。思えば、お葬式に出るのはこれが初めてだ。もちろん、通夜と告別式の違いなんて分からない。


「ねえ、正美」


 坂上くんのご両親。うつむき、歯を食いしばっているのがお父さん、真っ白いハンカチでしきりに目頭を押さえているのがお母さんだろう。

 坂上くんは、どちらかって言うとお母さんに似ている。


「正美ってば!」


 彼女の言葉に、ハッとわたしは気付いた。

 正美とはわたしの名前。暗闇でいきなり背中をつねられたかのように、わたしはビクッと身をすくめてしまう。


「な、何!?」

「何をぼうっとしてるのよ? 早く先に進んで」


 そうだった。わたしたちは何故か、うまいと評判のラーメン屋にできる行列みたいなのを作っていたのだ。この行列が、あの例の灰をつまんでおでこに近付けるためであると知ったのは、ついさっきのことであった。その行為が何のためなのかは、いまだに分からないけど。


「あ、ごめんごめん」


 彼女は、佳奈というわたしのクラスメイトだ。お母さんに貸してもらったという真っ黒い喪服と、染め直すのが間に合わなかったというウェーブ掛かった茶髪が不釣り合いで、笑える。

 それにしても、佳奈はルックスもさることながら、雰囲気も場違いだ。こんな場所にもかかわらず、声がばかでかい。さっきもわたしの名前を大声で叫んだ時、会場中の視線がわたしに集中するのを痛いほど感じた。特に尋常じゃなかったのが、坂上くんのご両親。

すごい速さでわたしの方に顔を向けたかと思うと、睨み殺さんばかりの視線で見つめていたのである。ちょっと恐かった。

 で、何だかんだあって、わたしが灰をつまんでおでこに近付ける番になった。後で知ったんだけど、この行為は“ご焼香”って言うらしい。坂上くんの霊を慰めるためにするのだと言う。昔の人の考えることって、よく分からない。

 ふと、写真の中の坂上くんと目が合った。

 もう、この顔を見ることはなくなってしまうのだろうか。

 いつか、坂上くんのことを忘れてしまう日が来るのだろうか。

 わたしにも、忘れられる日が来るのだろうか。

 考えただけでも気が滅入ってしまいそうだった。ああ、虚しい。虚しさに押し潰されそうになってしまったわたしは、急いでご焼香を済ませた。一秒だって坂上くんの前にいたくはなかった。だけど、何だか坂上くんのぶすっとした顔が、わたしのことを睨み続けてるみたいで気味が悪かった。だからわたしは、心の底から彼の冥福を祈った。


 ――成仏してください、坂上くん。


 ………………


 島田正美。それがわたしの本名。

 自分で言うのも変だけど、普通の高校に通う、普通の女子高生。昨日はちょっと非日常的なことを体験したけど、今日はいたって普通の朝だ。ん? 朝? 朝と呼ぶにはもう遅すぎる時間だった。鳥のさえずりももう聞こえない。お天道様は完全に昇ってしまった。こんな時間まで眠っていられるのも、日曜日のおかげである。

 昨日はお葬式。で、今日はもう予定がない。

 坂上くんが死んでから、今日で二日が経った。時間の流れは誰がどうしたって止めることはできない。そして、時の流れは残酷だ。少しずつ、少しずつ人々の記憶を消してゆく。それが楽しいことだろうが、悲しいことだろうが。

 始めは濃かったはずの色の水も、水が増されるに従って薄まってゆく。水道から落ちる細い水の流れが、少しずつ薄めてゆく。これが時間の流れだ。

 そうして人は忘れられる。ああ……虚しい。


 ………………


 薄目を開ける。日差しが瞳に差し込み、わたしは思わず目を細めた。


「やっと起きたの」


 時計へと目をやる。午後十一時半。

 正午前までに起きられたのは、いつもなら早い方だ。むしろ褒めてもらいたい。


「まったく、いつまで寝てる気だったの?」


 ――いや、そう言われても。あえて言うなら、起きるまで。


「まあいいや、とにかく――」


 ――……ちょっと待って。


「ん?」


 ――あんた……誰?


 わたしは布団を引きはがし、身を起こした。

そして首をキョロキョロと、公園を歩くハトみたいに動かす。

目に入るのはどれも見慣れたものばかり。

白い壁紙、本棚、その上にオーディオ、机、電気スタンド、クローゼット、観賞用サボテン……。

 だけど、どこを探しても、声を発するような生き物――人間の姿はない。


「だ……誰よ!?」

「あ、自己紹介がまだだったね」

「自己紹介? てかあんた、今どこにいるのよ!? 隠れてないで出てきなさい!」


 わたしは声のする方を向こうとする。

だが、それがどこなのか、まるで見当が付かない。

上からのようでもあれば、下からのようでも、右からのようでもあれば、左から聞こえる気もする。わたしは、磁力の狂った森の中へと迷い込んでしまったような錯覚を受ける。


「どこ!?」


 ただ、何となく感じるのは、その声は、頭の奥から聞こえてくるような気がする。本当に何となくだけど。


「いやぁ、どこと言われても……」困ったような声。

「たぶんだけど、僕の姿は君に見えないんじゃないかな?」


 ――はあ? 何を言ってるの?


「ほら、今僕が何をしてるか分かんないでしょ? 君の目の前にいるんだけど」


 目の前? わたしの目の前の空間には何もないし、あえて言うなら、わたしの目線の先には一株のサボテンがあるだけだ。いや、あれはサボテンだし。サボテンが喋るわけないし。


「正解は、アイーンでした。分かんなかったでしょ?」


 ――アイーンをしてる奴の姿なんてこれっぽっちも見えないわよ。てか、ふざけないで。何がアイーンよ。


「ね、やっぱり見えないみたい」


 ――……ちょっと待て。


「え?」


 こいつ、どうしてわたしが何も喋ってないのに話ができるんだろう。わたしが口に出して言ってないのに、普通に返事をしてくる。


「ああ。まあ、その辺はフィーリングで?」


 ――いや、意味が分からないし。


 ただ一つ分かるのは、この声――声と呼べるのかは微妙であるが――どこかで聞いたことのあるような気がする。


「まあさ、とにかく話を聞いてくれよ」


 寝ぼけた頭で、ふと思った。

 なるほど。これは夢なんだ。

 夢なら何でもござれだ。空を飛べようが、瞬間移動ができようが、透明人間になれようが、誰も文句は言えまい。

 そう思ったわたしは、もう一度布団へと潜り込んだ。

 確かに夢なら何でもいいけど、こんな不快な夢はチェンジチェンジ! 無理矢理にでも違う夢にしてしまおう。


「おーい、また寝る気?」


 ――はいはい、そうですよ。


 姿の見えない誰かが心に話し掛けてくるなんて、例え夢であってもいい気分じゃあないから。


「まったく……じゃ、起きたらちゃんと話を聞いてね?」


 ――はーい、分かりましたよー。


 布団の中でわたしは目を閉じる。泥沼の中へと沈んでゆくように、ゆっくりとわたしの意識は夢の中へと旅立っていった。ん? 元々これが夢なのだから、厳密には何て言えばいいのだろう? 夢のまた夢……違うな。

 そんなことを思いながら、わたしは再び眠りに就いた。


 ………………


 薄目を開ける。日差しが瞳に差し込み、わたしは思わず目を細めた。


「やっと起きたの」


 時計へと目をやる。午後三時。


「まったく、いつまで寝てる気だったの?」


 ――いや、そう言われても。あえて言うなら、起きるまで。


「まあいいや、とにかく――」


 ――……ちょっと待って。


「ん?」


 ――あんた……まだいるの?


「当たり前でしょ」


 びっくり箱の中の人形のような勢いで、わたしは布団から飛び起きた。そして、再びキョロキョロと部屋を見渡す。


「って、何度同じことするのさ? あはは」


 これはたまげた。わたしはまだ同じ夢を見てるのだろうか。だとしたら、ずいぶんと芸の細かい夢だ。


「いや、だから夢じゃないみたい」


 ――夢じゃない?


「うん」


 ――じゃあ、現実ってこと?


「その通り」


 ――うそ。


「嘘じゃないよ。試してみれば?」


 わたしはほっぺを思い切りつねってみた。


「いででで!」

「ね?」


 痛い。

 ……ということは。


「何度も言ってるでしょ? 現実なんだよ」


 ――現実……。


「やっと気付いた?」


 へえ、これが現実なんだ。この、姿も形も見えない人の声が心に聞こえてくるのが現実なのだと言う。ああ、事実は小説よりも奇なりとは、よく言ったものだなぁ。


「あはは」


 ――分かったわよ。取りあえず現実ってことにしといてあげる。


「うん、だいぶ時間が掛かったけどね」


 ――でも、はっきりさせておきたいことがあるの。


「何?」


 ――あんた、何者?


「僕?」


 ――うん。


「正美だよ」


 ――正美?


「うん」


 ――ふざけないでよ。正美はわたしの名前よ。


「いやいや、ふざけちゃいないって」


 ――どういう意味?


「正美って名前は、君だけの持ち物じゃないでしょ?」


 ――まあ、それもそうだけど。


 世の中に同じ名前の人がいることくらい、わたしにも分かる。

 不意に、わたしは不思議な感覚を覚え始めた。この謎の声と会話をしているうちに、過去にも何度か、こうして話をしたことがあるような……そんな気がしてきたのだ。


「僕の名前は――」


 それは、彼の次の言葉を聞いた瞬間に分かった。その言葉が鍵となって、一つのドアが開いたのだ。


「坂上正美、だよ」


 ………………


 わたしはそれを見た時、大して驚かなかった。だって、わたしの行為はただの確認だったから。それは、スケルトンの箱でできたびっくり箱を渡されたようなものだった。開ける前に一回驚いてしまったから、開けた時にはビックリはないのだ。

 わたしが机の奥底から取り出したのは、一枚のプリント。クラス名簿だ。わたしのクラスメイトの電話番号、住所、そして、名前が記録されている。

 彼は、確かにわたしのクラスメイトだった。


 ――2年3組21番、坂上正美。


 わたしと同じクラスに、わたしと同じ名前の生徒――しかも男子が――いたなんて、今の今まで知らなかった。生前の坂上くんとはろくに話をしたこともなかったし、彼の名前がわたしと同じだったなんて、本当に気にも留めなかった。昨日のお葬式の時も、そんなことまで気にする余裕はなかった。


「まあ、改めてよろしくね。島田さん」


 坂上くん――と名乗る声――は、わたしの動揺が治まるのを待っていたのだろうか。

混乱し続けた頭の中がやっと静まり掛かったところで、また声を掛けてきた。


 ――いや、だから。全然意味が分からないんだけど。


「何が分からないの?」


 ――全部よ、全部。死んだはずの坂上くんの声が何で聞こえるのか。どうしてそれがわたしなのか。そして、「よろしく」ってどういう意味?


「ああー、そんなに一度に聞かれても……」


 ――うるさい。とにかく答えろ。


「う、島田さんって……けっこう恐い人だったんだね」


 ――何それ? それはお互い様よ。わたしだって、坂上くんがこんなに図々しい人だとは思わなかったわよ。


「ず、図々しい?」


 ――そうよ。だって人が眠ってる時に入ってくるなんて、チカンじゃない。変質者よ。


「いや、だからそれは……」


 ――何よ? 何か理由でもあるってわけ?


「あー、一から話した方がよさそうだな……」


 ――そうしてもらおうじゃない。せっかくの日曜日をこんなことにされたんだから。

ちゃんとした説明をして。


「えーっと、僕が死んじゃったことは知ってるよね?」あっさりと坂上くんは言った。


 ――し、知ってるわよ。てか、昨日葬式に行ったんだから。


「だから、今の僕が何なのか、自分でもよく分からないんだよ。僕は正美。でも、僕は死んだ。そのことは自覚してるんだけど……じゃあ、今の僕は何なんだ、って感じで」


 ――確かに、科学的にはあり得ない存在よね。今のあなたが、本当に坂上くんだとするならば。


「うん。まぁ幽霊ってやつじゃないかな?」


 ――ず、ずいぶんあっさりと言うのね。


「ま、それ以外の言葉が見つからないし。俗っぽい表現だけど」


 ――それもそうね。


 よし、一つ目の謎が解けた。

 死んでしまったはずの坂上くんがわたしに話し掛けられるのは、彼が幽霊になったから。

 って、それでいいのだろうか。


「……ヨシとしよう。先に進めないよ」


 ――うーむ……。まあ、話を進めて。


「で、僕は記憶が曖昧なんだよ」


 ――記憶が曖昧? どういうこと?


「うん。例えば……自分が“坂上正美”だったことや、島田さんと同じクラスだったとか、そういうことは覚えてるんだけど」


 ――うん。


「どうして死んじゃったのか。それと、死ぬ前に何をしてたのか……どうしても思い出せないんだよ。プッツリと記憶が途切れてるわけじゃないんだ。途切れたその断面は曖昧で、僕はどこから記憶を無くしたのか分からないんだよ」


 ――記憶喪失……なのかしら?


「あは、記憶以外のものもいっぱい喪失しちゃったけどね。身体とか」


 ――いや、笑えないわ。


「どうして死んじゃったのか、本当に分からないんだ。何となく、僕は“死んだ”ってことが漠然と分かるだけで、死んだ原因も、実はよく分からないんだ」


 ――ああ、それなら知ってる。又聞きの又聞きになっちゃうけど、自転車に乗ってる時に曲がってくるトラックに巻き込まれた、って言ってたわよ。


「トラックか……」


 ――何か思い出した?


「全然。だって、道を走ってた記憶もないし」


 ――うーん。じゃあ、この事は後回しにしましょ?


「そうだね」


 ――じゃあ二つ目の謎。理由は何にせよ、坂上くんの意識はここにある。でも、何でわたしの所にやって来たのよ? 親御さんとか、仲の良かった男子とかの所に行けばいいじゃない。


「あー、それは僕も謎なんだよね」


 ――な、何ですって?


「さっきも言ったけど、記憶がどこで無くなってるか曖昧なんだ。それで、僕、気が付いたらこの部屋にいたんだよ。そのときは、自分が何であるのかよく分からなったけど……」


 ――うん。


「君の寝顔を見た途端、ああ、僕は坂上正美で、この人は島田さんなんだ、ってことが蘇ってきたんだ」


 ――……何でわたしなのよ? そもそも、なんでわたしの部屋にあなたがいるの?


「よく分からないけど……」


 ――けど?


「ここからは僕の推測だから、確証はないけど」


 ――いいわよ、聞かせてみなさい。


「死ぬ前の僕には、この世に未練があったんじゃないかって思う」


 ――み、未練?


「うん。だから、現に成仏できてない」


 ――うーん。そういうものなのかな?


「突然だけど島田さん。君、葬式で名前を呼ばれなかったかい?」


 ――え、本当に突然ね。


「あ、ごめん」


 ――……確かに呼ばれたわ。佳奈って覚えてる? あの派手な子よ。あの子に大声で呼ばれたわ。恥ずかしかった。坂上くんのご両親にもすごい睨まれ……あっ。


「ん、どうしたの?」


 わたしは思い出した。あのときの、坂上くんのお父さんの驚いたような顔。そして、坂上くんのお母さんの睨み殺さんばかりの視線を。

 死んだ息子の名前を呼ばれたら、そりゃあビックリするだろう。


 ――な、何でもないわ。それより、それとこれがどう関係があるの?


「うん、僕が思うに……島田さんと僕の名前が同じだったことが大きな意味があるんだ」


 ――わたしと坂上くんの名前が? それ、どういう意味よ?


「これは僕の推測だけど……」


 ――分かってるわよ、早く言いなさいよ。


「魂だけになった僕は、いまだに未練によって成仏できないで彷徨っていた。自分の身体を求めて、葬儀場の辺りをね」


 あの葬式の最中。わたしの頭の上を、坂上くんの幽霊がうろうろしていたのだろうか。

坂上くん自身その時の記憶を失ってしまってるらしいので、確かめようがないけど。


「だけど、僕の魂が収まるべき身体は、もう使えないものになってしまっていた」


 ――そうね。それが普通よ。だから魂は天に召されてしまうのよ。


「そう。仕方なく諦めようとした僕だけど……」


 ――だけど?


「自分の名前を呼ばれたから――」


 「正美!」と大きな声で叫ぶ佳奈を思い出す。確かにあのとき、心そこにあらずだったわたしも、呼び寄せられるように我に返ったのだ。


「君に、取り憑いてしまった」


 ――と、取り憑く?


「うん。こんな話を聞いたことがある。名前ってのはすごく強い力があって、時には何か――例えば、霊とか魂とか――を呼び寄せ、それをとどめておくことができるらしい。名付けっていうのは、混沌とした世界から切り離す作業らしいんだ。ほら、赤ちゃんが生まれたら、まず名前をつけるでしょ?」


 ――分かるような、分からないような……。


「まあ、僕の推測だからさ。確証は全然ないよ。でも、こうでも考えないと、僕がここにいる意味が分からないんだよ」


 ――それで? どうして取り憑こうなんて思ったわけ? 当時の坂上くんは。


「たぶん、取り憑くつもりはなかったんだと思う」


 ――どういう意味?


「僕の魂が収まるべき身体はなかったけど、収まるべき名前だけは……そこにあった。普通、名前と身体は一緒の運命だから、身体が死ねば名前も死ぬ。そうやって普通の人は消えてゆく。だけど、僕の場合は――」


 ――わたしの名前、つまり、正美という名前が、たまたまそこにあった……。


「うん。そして僕は素直に自分の名前へと帰ろうとした。だけど当然のことながら、それは僕の身体じゃなかった。僕が支配できる身体ではなかった。かと言って、このまま無に消えてしまうには惜しい。何らかの未練があったから」


 ――そ、それって。


「そう、だから僕は、こんな中途半端な状態で現世に残ってるんじゃないかな?」


 ――じょ、冗談じゃないわよ。出て行きなさいよ。気安く居座らないで! わたしの身体は、公園のベンチじゃないのよ?


「それが、無理みたいなんだよ」


 ――な、何でよ?


「何度も試したけど、僕は君から離れることができないんだよ。この部屋の中……もっと言うなら、君から半径二メートル以上外に出ようとすると、何かに引っ張られてるみたいになって離れられないんだ」


 ――うそ。


「この期に及んで嘘は付かないよ」


 ――じゃあ何よ? 取り憑くだけ取り憑いといて、後は離れられないってこと?


「そうなるかな」


 ――ふ、ふざけないで。じゃあ、わたしは一生坂上くんに付きまとわれなきゃいけないわけ?


「それは……僕にとっても辛いんだよなあ」


 ――他人事みたいに言わないでよ。わたしは坂上くんと違って、まだまだ前途ある身なんだから!


「それはきついお言葉で……」


 わたしは愕然とした。これからのわたしの人生、一体どうなってしまうのだろうか。

わたしがこれから歩むであろう道。それを一人のクラスメイトが、思い切りねじ曲げているのを見た気がした。少し涙が滲んできた。


 ――坂上くん……お願いだから出てってよぉ。


「いやあ、だから僕も、できればそうしたいんだよ。早く成仏したいんだよ」


 ――どうして? 死んじゃってからもこうしていられるなんて、何だか、すごくズルいような気がするのに。


「……まぁ、そんなにいいものじゃないよ」


 ――そうなの?


「試してみたけど、僕はこの世界のものに手を触れることができない。ぼんやりとしか感じることもできない。僕の声は、たぶん、君以外には届かない」


 ――わたしに坂上くんの声が聞こえるのは、取り憑かれてるから、なのかしらね。


「たぶん、そうだと思う」


 ――うーん。


「僕には会いたい人もいるし、もう一回だけやりたいこともある。そりゃ、未練なんて探せばいくつでも見つかると思う。だけど、もういいんだ」


 ――どうして?


「例えば犬じゃないけど、腹ぺこの時に『おあずけ』で食べられないことほど辛いものってないだろう? つまり、僕は永遠に『おあずけ』なんだよ。そう考えたら、早くこんな世界からは抜け出したい。心の底からそう思うよ」


 坂上くんの言葉を聞いてるうちに、だんだん坂上くんの置かれている不幸に気が付いてきた。そして――死ぬのはもちろん辛いことだろうけど――坂上くんのような“半分生きてる”状態がどんなに恐ろしいのか、わたしにもおぼろげながら分かってきた。

こうやって話ができるのに、わたしと坂上くんが生きているのは、全く別の世界なのだ。

 だったら、坂上くんの魂をこの世に引きとどめさせた“未練”ってのは何だったのだろう。

坂上くんが成仏できずにいるのは、その“未練”の所為のはず。こんなに辛い状況を乗り越えてでも坂上くんがやり遂げたかったのは、一体どんなことなんだろうか。


 ――あ、そうか。


「お、察しがいいね」


 ――そうよ。その“未練”がなくなれば、坂上くんも成仏できるはず。


「そう、僕はそれが言いたかった」


 ――なるほど、つまり。


「その時まで『よろしく』って言ったんだよ。僕は」


 そうか、これで二つ目と三つ目の謎が解けた。

 偶然、わたしと坂上くんの名前が同じだった。そのおかげで、魂だけになった坂上くんは、わたしに取り憑くことができた。まるで非科学的だけどね。

 だけど、どうして取り憑いたのかを坂上くんは覚えていない。記憶を失ってしまったようだ。誰か他人に取り憑いてまで、この世に固執した理由が分からない。

 ということはつまり、わたしから坂上くんを追い出すためには、その理由を探せばいいんだ。


「よ、ご名答!」


 ――て、呑気に言わないでよ。


「あはは、ごめん」


 ――つまりこうね? 坂上くんがこの世に残した“未練”。それをわたしが調べてあげれば、坂上くんは成仏できる。


「うん。そういうことになると思う」


 驚きと戸惑いという闇の中、ようやく一筋の光が見えたような気がした。それはごく頼りなく細い光だったけど、真っ直ぐに前に向かって指していた。これを頼りに進んでいけば、きっと出口が見つかる。そう思った。


 ――……はあ、それにしても、いろいろと疲れた。


「まあ、限りなく非日常的な話だからね」


 ――ね、一ついい?


「何?」


 ――坂上くん、わたしの声が聞こえるのよね? 言葉に出してない声も。まあ、心の声とでも呼びましょうか。


「ああ。まあ、何となくだけどね」


 ――どんな感じに? 全部のことが手に取るように分かっちゃうの?


「いや、それはないな。耳をすませば聞こえてくるような感じだよ。生きてた頃には、手のひらを丸くして耳に当てたりしてたけど、あれをする感じかな」


 ――じゃあ、あんまりわたしの中に入ってこないで。お願いだから。


「うん、そのつもりだけど」


 ――良かった。坂上くんがいい人で。


「取り憑くような奴が、いい人かな?」


 坂上くんの言葉に、わたしはあははと笑った。


 ――でも、やっぱり不公平よね。


「え? 何が?」


 ――わたしには、坂上くんのことが分からないんだから。

見えないし、坂上くんが黙り込んじゃったら、そこにいるのかすら分からなくなっちゃう。


「ああ、そうだね」


 ――じゃあ、ルールを決めましょ。


「ルール?」


 ――いつまでになるか分かんないけど、これから一緒に暮らすんだから。ルールくらいは必要でしょ?


「なるほど」


 ――わたしが坂上くんに用がある時は、わたしの方から呼び掛けるわ。だから、むやみにわたしの心の中を覗かないでね。


「分かったよ」


 ――本当? ずいぶんと物分かりがいいじゃない?


「うん、だって島田さんの機嫌を損ねたら、調査をしてもらえなくなっちゃう。そしたら僕、成仏できないじゃん」


 ――ぷっ、おかしな関係よね。わたしたち。坂上くんは自分を消してもらうために気を遣ってるけど、坂上くんが消えないと困るのは、わたしだって一緒なのよ?


「あは、世界中で一番おかしな関係だろうな」


 ――じゃあ、わたしから話がある時は、坂上くんを呼ぶね。


「あ、ちょっと声を出してくれない?」


 ――声? 別にいいけど。


「何? 坂上くん」

「あ、やっぱり」

「え? 何が?」

「島田さんが心の中で思うより、言葉にしてくれた方がよく聞こえるや」


 ――へえ、不思議ね。今までに起きた数多くの不思議の前では、かすんで見えるけど。


「やっぱり、なるべく島田さんの心の中を覗きたくないからさ、用があるときは言葉に出してよ。そっちの方が僕も気付きやすいと思うから」

「分かったわ。……でも、周りから見ると独り言を言ってるように聞こえるのよね。わたし」

「ああ、それがあったか」

「二人きりの時は言葉で話せるけど、周りに人がいる時は心で話しましょ」

「そういうことにしておこうか」

「ええ」


 言葉と心。二通りのコミュニケーションがわたしたちには用意されている。まあ、坂上くんは言葉の方は使えないけど。


「でも、そうなると問題が一つあるな」

「何?」

「人が周りにいる時は心で話さないといけないってことは、僕はずっと島田さんの心の声に耳をそばだててないといけないってことでしょ?」

「あ」

「そうなると、さっき決めたルールが守れなくなっちゃう。矛盾だよ」

「うーん……」わたしは少し考え込んだ。「あ、簡単よ」そしてすぐにひらめいた。

「え?」

「人がいる時も、言葉で呼び掛ければいいのよ。その言葉を合図に会話を始めれば。もちろん心の方でね」

「そっか、なるほど」

「名案でしょ」

「あー、でも一つ問題があるな」

「何よ? ケチ付ける気?」

「ほら、例えば教室とかで僕を呼びたい時さ、『坂上くん』とか言葉に出しちゃうと、みんなが驚くような気がするんだよな」

「あ……」


 一理ある。


「じゃあ、合い言葉を決めましょ。その言葉をきっかけに心の会話を始めるってのはどう?」

「合い言葉か、いいね」


 何にしようかな。別に何だっていいんだけど。

 ふと窓の外に目をやると、今日はとてもいい天気だった。透き通るような青空に、真っ白い雲が二つ三つ流れていた。こんな天気の日にお昼まで寝てるわたしって、やっぱり罰当たり?


「じゃあ」


 よし、合い言葉決定! 安直でいいのよ、こんなものは。


「わたしが『本日は』って言うから」

「ふむふむ」

「坂上くんは『晴天なり』って返して」

「なるほど、それが心の会話を始める合図だね」


 ――ええ。


「よし、分かった」


 取りあえず一段落が付いた。わたしはプライバシー権を獲得することに成功した。坂上くんと決めたルールによって、心の中を覗き見られることはなくなったと思う。まだやらなければいけないことも、分からないこともたくさん残っているが。

 うーむ、じゃ、テスト。


「本日は?」


 すぐさま坂上くんの声――大気の振動によって伝わるのではなく、ダイレクトに心に響く声が返ってくる。


「晴天なり」


 ――おっけー? 坂上くん。


「うん、こんな感じで会話始めればいいんだね。人前では」


 ――そうね。


「島田さんの声が聞こえたらすぐ返事をするよ」


 ――よろしくね。


「おう」


 とまあこんな感じで、坂上くんの霊に取り憑かれたわたしの生活は大きく変わってしまいそうだった。いつまで続くのか分からないけど、昨日までとはまるで別の生き方をすることになるだろう、わたしは。

 でも、それは坂上くんにとっても同じことか。死んだことによって、過去とは全く違った生き方を始めることとなった。自分が生きてきた足跡を辿りながら、坂上くんは何を見つけるんだろうか。

 ……よし、今日はもう寝よう。明日のことは明日考えよう。

 わたしは布団へと潜り込む。そんなわたしの行動を見ているのだろう。坂上くんがの呆れた声が聞こえた。


「て、よく寝る子だね」


 ――うるさい。明日からは頑張るわよ。


「……ごめんね」


 ――へ?


「そう言えば、まだ謝ってなかったよ。本当にごめん。僕がどうして取り憑いてしまったのかは思い出せないけど、島田さんには悪いことしたなって思ってるよ」


 ――べ、別にいいわよ。何だか、面白いことになりそうだし。


「はは、ホントに気楽な意見だな」


 ――そんなこと言うと、調査してあげないわよ。


「ひえ」


 ――ふふ、飼い殺しね。


「……もう死んでるけどね」


 坂上くんの笑えないギャグを最後に、わたしたちは会話をおしまいにした。明日からは学校が始まる。学校に坂上くんを連れて行ったら、みんなはどういう反応をするのだろうか。もちろん、坂上くんの姿はみんなに見えないけれど。

 布団の中でわたしは、「くくっ」と笑いをこらえた。

 かくして、わたしたちの奇妙な共生生活はスタートしたのだった。

初めまして。ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。感想などいただけると非常にありがたいです。

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