死
「突撃ィ!」
グレン小隊長の声と共に、わたしたちは塹壕から出て、敵兵の方へと走り出した。
銃弾の雨の中、わたしたちは出来るだけ体勢を低くして走り始める。この時代の銃は、前世ほど精度が高くない。だから、きちんと狙っても当たらないことは多々あり、体勢を低くして走るだけで、ある程度は避けることが出来るのだ。
しかし――
「っ!」
頬に銃弾が掠る。いくら精度が低いと言っても、銃であることは変わらない。その弾は簡単に体を貫くし、急所に当たらなくても、失血死する可能性もある。
だから、足を止めるわけにはいかなかった。止まった瞬間に撃ち抜かれる。走り続けるしか、生き残る道はない。
(銃弾が、三発しかない……。慎重に使わないと)
死なないためには、殺される前に殺すしかない。なのに、銃弾が三つしかないのは、あまりにも心許なかった。
(外したら……終わりだ)
喉がひどく乾く。
走っているのに、身体の芯が冷えていくようだった。
前方では、グレン小隊長がまるで弾雨を切り裂くように突き進んでいる。……いや、本当に銃弾を斬って進んでいる。
そのおかげで、わたしたちに銃弾の雨が降り注ぐことは無いが、側面から撃たれると、本当に為す術がない。だから、走りながらも、視界の端で左右を確認し続けるしかなかった。
「はぁ……はぁ……残り、四発」
どうやら、アインはここに至るまでに、一度撃っていたようで、息を切らしながらも必死に銃を握り直していた。
おそらく、このような状況になっているのは、わたしたちの技術が足りなかったからだろう。ルーク上等兵のような何年も従軍している人たちは、銃弾を確実に相手に当てる。けれど、わたしたちのような新兵は、どう頑張っても、弾を外してしまうのだ。
だから、それを補うためには数で誤魔化すしかない。
そのため、長時間も続く防衛では、銃弾が尽きかけてしまうのだ。
「し――!」
敵兵が銃をわたしの方に向ける。わたしは、何とか引き金を引かれるよりも先に撃つことが出来て、その敵兵を殺したのだが、これで銃弾が残り二発になってしまったのだ。
今みたいなことが出来るのは、残り二回だけ……銃弾が無くなってしまった状況では、ただ殺されるの待つだけになってしまう。
(はぁ……はぁ……。いつまで、続くの?)
そもそも、この突撃は敵の塹壕を占領するためでは無く、銃弾の消費を少なくするためのものだ。ずっと塹壕で敵を撃ち続けるより、グレン小隊長を先頭に突撃したほうが、銃弾も使わないし、より多くの敵を殺せる。
だから、この選択は何も間違っていなかったのだ。
「セラ、アイン」
すると、ルーク上等兵が話しかけて来た。
「敵の後続が引き始めた。だから、もう少しで終わる。……けど、気を抜くなよ。こういう時が一番、死ぬ」
そう言われて、初めて敵兵の後続が撤退し始めていることに気が付いた。どうやら、グレン小隊長の突撃のせいで、これ以上攻めるのは割に合わないと判断したのだろう。
けれど、撤退しているのは後続のみ。最前線にいる敵兵は、まだこちらに向かって撃ち続けていた。
きっと、まだ撤退する許可が下りなかったのだろう。最前線の兵士が背を向けて逃げ出してしまえば、グレン小隊長が追撃してより大きな被害を出してしまうからだ。
(あと、ちょっと)
この時のわたしは、決して油断していなかったと断言できる。
数時間にわたる塹壕戦で身体は限界に近かったが、それでも足を止めず、周囲の警戒も怠らなかった。
客観的に見ても、それはきちんとできていたし、問題なんて何もない――はずだった。
「っ!」
突然、背筋を冷たいものが走った。
理由なんてわからない。ただ、反射的に頭を下げていた。
直後、乾いた銃声が響き、弾丸がわたしの頭上をかすめていく。
地面に転がっていた死体が、わずかに動いた。
――隠れていた。
死んだふりをしていた敵兵が、最後の一撃を狙っていたのだ。
けれど、その弾丸は紙一重で避けることは出来ていたし、運よく流れ弾として他の人に当たることは無かった。だから、わたしは残り二発しかない銃を敵兵の方に向け、引き金を引いたのだ。
乾いた音が鳴り、鼓膜を震わせる。
塹壕戦の疲れのせいで、腕にあまり力が入っておらず、ほんの少しだけ反動で銃がぶれてしまい、弾丸は敵兵の頭では無く、肩に食い込んだ。
肉が裂ける鈍い音が、走り抜ける風の中でもはっきり聞こえた。
「……っぐ!」
敵兵が苦痛に顔を歪め、よろめきながらも銃を離さない。けれど、肩を撃たれたことによる痛みのせいで、ほとんど力が入っておらず、わたしが撃ち直す好きは十分にあった。
弾倉の中にあるのは、残り一発。これを使ってしまったら、もう銃が撃てなくなってしまう。
その事実が、ほんの一瞬の躊躇いを生んでしまった。
そして――その一瞬の間に、敵兵の口から漏れた言葉を聞いてしまったのだ。
「……ごめん、アンナ」
その呟きは、風に消えそうなほど小さかった。けれど、わたしの耳にははっきり届いた。それが誰なのか、わたしは知らない。この敵兵の恋人なのか、妻なのか、また別の何かなのか。唯一分かることは、この兵士にとって、一番大切な人なんだろう。
顔を上げた敵兵の表情は、痛みよりも、寂しさの色が濃かった。まるで、もう二度と会えない相手を思い浮かべているような、そんな顔だった。
この人には、この人だけの物語があり、積み重ねてきた時間も、想いも、未来も――全部。それを今から……わたしが終わらせてしまう。
もう、何人も殺しているはずなのに、胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。呼吸が浅くなり、指先が冷たくなって、銃を握る手の感覚が遠のいていく。
わたしは、今まで人を殺すという行為の意味を、全く理解していなかったのだ。人を殺すということは、相手の人生を終わらし、今までの積み重ねを――そのすべてを、わたしの手で断ち切るということ。このまま引き金を引いてしまうと、この兵士が今まで歩んできた人生が、全て無意味なものになってしまう。
胸の奥が痛い。息がうまく吸えない。視界の端がにじむ。
今まで何人も殺してきたはずなのに、わたしは他人の人生を終わらす覚悟が出来ていなかった。
敵兵は、肩を押さえながらも、まだ銃をこちらへ向けようとしていた。
その動きは遅く、震えていて、痛みに耐えているのがわかる。
でも、わたしは引き金を引く――そんな単純な動作すら出来なくなってしまっていた。
(あ……)
気づいた時には、敵兵が引き金を引いていた。銃口が、まっすぐわたしを捉えている。
逃げられない。避けられない。
全てがゆっくり動いているように見え、弾丸でさえ……はっきりと見えてしまったんだ。
(――死)
止まった世界の中で、それだけが、静かに浮かび上がった。
風の音も、銃声も、足音も消えていた。ただ、目の前に迫る弾丸だけが、異様なほど鮮明だった。光を反射しながら、ゆっくりと回転している。
まるで、わたしに触れようと手を伸ばしてくるみたいに。
驚きも無い。悲しみも無い。人を殺す覚悟を持ってない兵士には、とても相応しい結末。
胸の奥が、すっと冷えていく。まるで、身体の中から色が抜け落ちていくみたいに。
(これで、終わりか)
そう思った、瞬間だった。
「セラッ!!」
わたしを呼ぶ声と共に、身体を横に大きく突き飛ばされる。
そのおかげで、わたしに銃弾が当たることは無く、敵兵は力尽きて、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。
「アイン?」
わたしを助けれくれた人物に呼び掛ける。でも、返事が返ってこない。
視界が赤い。
肌に、ぬめぬめした温かい液体が付着してる。
(……なに、これ)
指先で触れると、指が赤く染まった。自分の血ではない。
痛みはどこにもない。
そして、わたしを突き飛ばしたアインの方を見てみると……そこには脳天を銃弾で貫かれたアインがいた。
目は虚ろで、何も話さず、少しも動かない。
その身体から流れ出た赤い液体が、周りの地面を赤く染めていく。
「あいん……?」
ついさっきまでは、わたしのすぐ横で走っていた。
ついさっきまでは、わたしの名前を呼んでいた。
そのアインが――今は、静かに倒れている。
信じられなかった。目の前の光景が、どうしても現実だと思えなかった。
(眠ってる、だけだよね……)
現実から目を逸らそうとした。
けれど、目の前の景色は、アインがわたしを庇って倒れたという事実を、これでもかと突きつけてくる。
赤い色。
動かない身体。
返ってこない声。
(そんな……そんなはず、ないよ……)
胸の奥がぎゅっと縮まり、呼吸がうまくできない。
喉が震え、視界が揺れる。
「アイン……ねぇ、起きてよ……」
声が震えていた。
自分でも、こんな声が出るとは思わなかった。
アインは動かない。
まるで、わたしの声がもう届かない場所にいるみたいだった。
(いやだ……いやだよ……)
わたしの代わりに。
わたしを守るために。
その事実だけが、頭の中で何度も反響する。
理解したくないのに、理解してしまう。
(わたしが……敵を殺さなかったから)
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
まるで、心臓を素手で掴まれたみたいに。
(わたしが撃っていれば……アインは……)
思考がそこまで進んだところで、呼吸が乱れた。
喉が震え、視界が揺れる。
頭の中が真っ白になっていく。
「いや……いやだ……そんなの……」
声が漏れた。自分でも、何を言っているのかわからなかった。
でも、止められなかった。
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい)
そして、わたしの意識はそこで途切れた。




