平穏
「――い、おーい!」
誰かが、わたしを呼んでいる気がする。
「おーい! ……いい加減にしてくれ!」
うるさいな、わたしは気持ちのよく寝てるんだよ。
「さっさと起きてくれ! 馬鹿セラ!」
は?
思わず手を前に突き出し、ずっとわたしのことを呼んでいた人間の鳩尾に突き刺してしまう。
拳が肉に刺さる柔らかい感触、それと共に、呻き声が鼓膜を震わせ、わたしを眠りから現実へと引き戻す。
「え? アイン?」
「お、お前な……」
目を開けると、アインの顔が目の前にあり、腹を抱えて苦しそうに悶えていた。どうやら、わたしのことをずっと呼んでいたのはアインだったようで、わたしの拳が綺麗に鳩尾に入ってしまったようで、アインは涙目になりながら、かすれた声で抗議してきた。
「……セラの寝起き、殺しにきてるだろ……」
「ご、ごめんってば! 寝ぼけてただけで……! って、近すぎ!」
「ぐえぇぇぇぇぇ……!」
アインの顔が目の前にあることをやっと自覚し、反射的に足が動いた。次の瞬間、わたしのつま先はアインの鳩尾に見事な軌道を描いて突き刺さっていた。
……うん、自分で言うのもなんだけど、あれは人生で一番綺麗な蹴りだった。たぶん、グレン小隊長も無言で親指を立ててくれるレベル。
だって、仕方ないでしょ。寝る前にあんな話をして、心がぐちゃぐちゃになっていたのに――目を開けたら、アインの顔があんな距離にあるんだよ。恥ずかしくて、反射で蹴るに決まってるじゃん。
「セラ……お前……」
「あ、ごめん! つい……」
「ついですむわけないだろ……」
アインは涙目でうずくまりながら、恨めしそうにわたしを見上げていた。
その顔が妙に子どもっぽくて、胸の奥がちくりと痛む。
「……ほんとに、ごめん。でも、顔が近かったから……」
「顔が近かったからって……近づいてきたのはセラなんだぞ」
ふと、今の状況を客観的に見てみる。すると、わたしは寝ている間にアインのところまで転がり込んでいたようで、アインが起き上がるためには、わたしをどかす必要があったのだ。
つまり……顔が近かったのは、わたしの寝相が原因であり、アインは何一つ悪いことはしてなかった。
(ということは……)
わたしは、ゆっくりとアインの顔を見た。アインは腹を押さえたまま、涙目で、でもどこか呆れたようにこちらを見下ろしている。
怒っていないのは、アインが優しすぎるだけで――どう考えても悪いのは、わたしのほうだった。
「その……ごめんなさい」
「はぁ、いいよ。セラの寝相が悪いことは知ってたし……いたっ」
十四歳の若い乙女に向かって、寝相が悪いって。デリカシーというものがないの?
……いや、まぁ。物心つく前からの幼馴染だし、そんなことで怒るような関係じゃない。普段なら気にも留めないはずなのに――なぜか、胸の奥がちくりとした。
理由はわからない。わからないけれど、いらっとしたのは事実で、その気持ちを持て余したまま、アインの脇腹を“ほんの少しだけ”蹴っておいた。
(……なんで、こんなことで)
自分でも理解できない感情が、胸の奥で小さく渦を巻く。
けれど、それを深く考える気にはなれなくて、わたしはその違和感を思考の隅にそっと押しやった。
「今って何時くらい?」
「さぁ、動けなかったからわかんないや。けど、体感では夕食の配給が終わりかけぐらいだと思うぞ」
「そっか。なら、早くいかなくちゃ」
そうして、わたしたちはテントの中から出て、野戦厨房から温かいスープと固いパンを貰った。
どうやら、それらがなくなるぎりぎりだったようで、もう少し遅くなれば今日の夕食は無くなっていただろう。間に合って本当に良かった。……遅くなった原因はわたしなんだけどね。
「そう言えば、明日からはまた前線だってさ」
「え? もう?」
「うん。まぁ、突撃はせずに、塹壕で銃を撃つだけらしいけど」
どうやら、わたしたちの感覚はマヒしているようだった。塹壕で銃を撃つだけと言っても、敵兵の突撃で死ぬ可能性もあるし、手榴弾や魔導隊に注意しなければ、簡単に死んでしまう。
なのに、突撃よりかは死ぬ可能性が低いと思うと、それでよかったと思ってしまうのだ。これは、本当に良くない傾向だ。
(まぁ。それは仕方が無いか)
まだ兵士として戦って三日目。
けれど、その三日の中で二回も突撃し、数えきれないほど死にかけたんだ。だから、塹壕の中にいる方がマシだと思うのも無理はない。
「そう言えば、訓練の時……ありがとうね」
明日に思いをはせると、死をより実感してしまうため、話を変えてしまいたかったし、何よりこれは伝えなければならないよな気がして、わたしはアインに感謝を伝えた。
もし、わたしがあの時倒れそうになっていなければ、アインはグレン小隊長に殴られることも無かったし、あんな目に遭うこともなかった。
「そして……ごめん。わたしのせいで、アインまで……」
そういうと、アインはわたしの頭に優しく手を置いた。
「いいって。俺が勝手にやったことなんだし……」
アインは言葉を続いていく。
「俺は決めたんだ。出来るだけ多くの敵を殺して、俺の命を使ってでも、セラだけは守るって。だから、訓練の時にセラを助けようとしたんだ。俺が勝手に決めたことなんだから、セラが謝す必要なんてないって」
その時のアインの眼は、どこか空虚で、まるで自分の命の重さをどこかに置き忘れてきたみたいだった。わたしを守るという役割を勝手に背負うことで、人を殺す罪悪感や戦場の厳しさから目を逸らしているようにも見え、危うい状態だということは、一瞬で理解できた。
けれど、わたしにはどうすることも出来なかった。アインのその決意は、わたしの言葉なんかじゃ止められない。止めようとすれば、きっとアインは笑って誤魔化すだけだ。
わたしの胸の奥に、じわりと冷たいものが広がっていく。
(……そんなの、嫌なのに)
アインが自分の命を軽く扱うのも、わたしを守るために死ぬつもりでいるのも、全部、嫌だ。
でも、言葉にできない。言ったら、何かが壊れてしまいそうで。わたしには、覚悟という物が致命的に足りなかった。
「……そっか、ありがとね」
口から出たのは、そんな言葉だけ。その言葉がどれほど残酷で、酷い物かは理解していたはずなのに、わたしは口に出してしまったんだ。本当は、自分の命を大事にしてということを言いたかったのに、喉の奥で固まってしまったのだ。
沈黙が落ちるのが怖くて、わたしは無理やり話題を変えた。
「そういえば、魔力ってどうやったら増えるのかな?」
「魔力? 何で急に?」
「だって、わたしたちの銃って魔力で撃つんでしょ? 多いほうが有利じゃん」
「……まぁ、確かに」
わたしたちが徴兵された理由は、人より少しだけ魔力が多いからだ。
この世界の銃は、前世の火薬式とは違い、魔力を媒介にして弾を撃ち出す仕組みになっている。だから、性別や身体能力よりも魔力量のほうが重要視される。
とはいえ、本当に魔力が多い人間は魔導隊に回される。わたしたちの魔力量なんて、その本物と比べれば誤差みたいなものだ。
つまり―― 前線に出されるほどのアドバンテージなんて、最初からなかった。
(そういえば……女性が前線にいるのも珍しいって言ってたっけ)
ルークさんと初めて会ったとき、彼らはわたしを見て少し驚いていた。女性、それも十四歳の子どもが徴兵されるなんて滅多にないらしい。
一応、この国では十四歳から成人扱いになっている。けれど、それは戦争で人手が足りなくなったせいで、数年前に無理やり引き下げられた年齢だ。
国民のほとんどは、十四歳なんてまだ子どもだと思っている。
(……でも、戦場はそんなこと関係ないんだよね)
わたしがどう思おうと、誰がどう思おうと、銃弾は年齢も性別も気にせず飛んでくる。
その事実だけが、胸の奥に重く沈んだ。
「魔力が多くなればさ、グレン小隊長みたいな盾を作れるようになるんじゃない?」
「確かに、ルークさんは小隊長クラスなら誰でも作れるっていってたけどさ。それって、ルークさんでも作れないってことなんだぞ」
「そう、だよね」
わたしは苦笑いを浮かべた。魔力が増えれば強くなれる――そんな単純な話じゃないことくらい、もう理解している。
でもね……
「セラ、何で急にそんなことを言い出したんだ?」
「だって、アインに守られてばかりじゃ、気に食わないから。わたしもアインを守ってあげようかなって」
「……そう言えば、セラって負けず嫌いだったよな。孤児院で年下とも張り合ってたし」
「負けず嫌いじゃなくて、勝利に貪欲って言ってよ。……あれ? これは誉め言葉なのかな?」
「しらねぇよ」
さっきまでの暗い空気は、もう残っていなかった。アインが笑って、わたしも笑って――まるで、ほんの少しだけ普通の子どもに戻れたみたいだった。
こうして、三日目が終わった。
思い返してみれば、この日は最も幸せだったのだろう。これからは、地獄が続くのだから。




