憎しみ
夜。
未だ雨は降り続けており、一向にやむ気配が無い。しかし、こんな雨の中でも、常に最高のコンディションを保つには、睡眠をとらないといけないため、ルークさんをはじめ、先輩方は眠っていた。
正直、よくこんな状況で眠れるなと思う。
それに対し、わたしとレオン二等兵は、敵兵が攻めてくる可能性に備えて、ずっと見張りを続けていた。
もちろん、それは一晩中というわけではなく、一定時間ごとに他の人たちと交代するのだが、それでもこの時間は苦痛だった。
「……」
「……」
わたしとレオン二等兵の間には、会話が一つも無い。
そもそも、ルカやレン伍長とは違い、わたしとレオン二等兵が話したことは少ししかなく、相手がどんな人かも理解していない。それは、あのルークさんも同じだったようで、三人来た新兵の中で一番よくわからない人だった。
それでも、彼が現状にかなり追い詰められており、今にも自殺してしまいそうな雰囲気を醸し出していることだけは理解できる。
わたしだけで、それを何とか出来るとは思っていない。何せ、ルークさんやシス伍長が、この塹壕に入った時から常に声を掛けており、その精神状態を気遣っていたにも関わらず、一向に改善できなかったからだ。
(ルークさん達で無理なら、わたしが何かすることが出来るのだろうか?)
でも、それは諦める理由にならない。だって、わたしは仲間に死んでほしくないんだ。
たとえ、仲の良くない仲間であっても、アインやルカのような悲惨な死を迎えてほしくなくて、出来ることならば、この戦争が終わるその日まで生き続け、その後の人生で本来受け取るべき幸せを受け取ってほしい。
だから……
「あの……その……大丈夫、ですか?」
わたしは、レオン二等兵に話しかけた。
「……」
「えっと……その……」
レオン二等兵は、わたしを睨んだだけで、何も返事をしない。
何なら、その視線には憎しみのようなものが含まれていて、ソレは敵兵から感じるものに、どこか似ているような気がした。
(そうだよね……戦場から逃げ出したいと思っているはずだよね)
一度兵士になった以上、ここから抜け出すことは敵前逃亡になってしまい、処刑されてしまうことは分かり切っていた。
だから、彼はこの戦場から抜け出すことが出来ず、ただこの地獄の中で、ゆっくりと追い詰められていくしかなかった。そして……そうなってしまうのは、どう言い訳しようとも、戦争のせい。わたしたち兵士のような、戦争の象徴と言うべき存在に憎しみを向けるのは当然のことだった。
でも、憎しみだけだと、いつか死んでしまう。希望でも、呪いでも、何を使ってでもいいから、彼に生きるという意志を身に着けさ無いといけない。
身勝手でもいい、傲慢でもいい、わたしは……誰も死んでほしくないだけ。
「レオン二等兵……」
わたしは、レオン二等兵のすぐ横に座る。
人は、誰かが近くにいるだけで、ほんの少しだけ孤独から解放される。それが分かっていたから、わたしは距離を詰めた。
「辛いことがあったら、わたしに言ってください。不満があったら、わたしにぶつけてください。わたしはすべて、受け止めますから」
言った瞬間、自分でも少し驚いた。 こんなことを言えるほど、わたしは強くない。
でも、言わなければいけない気がした。
レオン二等兵は、わたしの言葉に反応したのか、ほんのわずかに顔をそむけた。
「なんで、そんなことを言えるんですか……」
その声は、枯れていた。戦場で消耗して、壊れかけている人間の声……聴くだけで、胸が締めつけられるような、そんな音だった。
戦争は、ろくなものじゃない。特に子供にとっては。
どれだけ強い人でも、どれだけかんばって生きてきた人でも、戦場に適応できなければ、すぐに壊れてしまう。……いや、壊れることこそが、適応なんだ。だから、わたしもきっと、どこか壊れている。
「何ででしょうね。わたしも、正直分からないんです。でも、こういうことを言わないと、駄目な気がして」
「……綺麗事が好きなんですね」
「そうかもしれません。だって、そっちの方が救いがあるような気がしませんか?」
レオン二等兵は、わたしの言葉にすぐ返事をしなかった。
雨の音だけが、二人の間に落ちていく。
やがて、彼は小さく息を吐いた。それは、諦めとも、怒りとも、悲しみともつかない、重たい音だった。
「もう少し、近づいてもいいですか?」
「もちろん、わたしがレオン二等兵の負担を弱らげることが出来るのなら、何でも」
レオン二等兵が、少しだけ私に近づいてくる。
誰かが側にいた方が安心できる。それは、わたしがアインのおかげで耐えられたことからも、よく分かっていた。
だから、その距離が縮まったことが、わたしには嬉しかった。
はずだったんだ。
「んっ……んぐ……っ!」
強い力で、口を押さえつけられる。
レオン二等兵がわたしに近づいてきた瞬間、彼は突然、荒々しい動きでわたしの口を塞ぎ、肩を押し倒した。
泥の地面に背中を叩きつけられ、息が一瞬止まる。十四歳のわたしの身体では、年上の男性の力に抗えるはずもなく、腕で押し返そうとしても、びくともしなかった。
「んむっ……っ!」
レオン二等兵は、わたしを押さえつけたまま、必死で、乱暴で、どこか壊れたような呼吸を繰り返していた。
その目は焦点が合っておらず、狂気に飲み込まれたような、虚ろな目をしていた。
「ふざけるな……ふざけるな……」
もう少し前に気付ければ、まだやりようがあった。
力ではレオン二等兵に勝つことは出来ないが、体術では彼よりも上のため、逆にわたしが押さえつけることが出来るだろう。でも……味方だと油断していた相手には、普段わたしの命を助けている勘すらも機能せず、わたしはただ思うがままにされていた。
「ん、ぐ……」
「どうせ、お前は最初から俺を利用していたんだろ。優しくして、信頼させて……いざという時に切り捨てるために。そうなんだろ、淫女が!」
違う、そんなこと考えてない。
わたしはただ、仲間に死んでほしくないだけで。
「何が正しいだ……自分は間違ってないって顔をして……。だったら説明してみろよ。あれだけ慕っていたルカを、なぜ見捨てた!」
レオン二等兵の力が、より強くなる。
痛い、辛い、苦しい。銃で撃たれた痛みとは、また違う痛みに、全身が悲鳴を上げる。
見捨てたって……わたしは見捨てたくて見捨てたわけじゃない。ずっと生きててほしかったし、守りたいと思ったのは本心だ。ただ、その願いと決意を、戦場で全うできなかっただけ。切り捨てたりなんて、していない。
「どうせ、お前なんかが今まで生き残ったのは、そうやってみんなを利用してたからだろ。女って性別を上手く利用して……いろんな奴らを、盾にして……」
レオンの手がわたしの口から離れ、首へと移動してくる。指先が触れた瞬間、背筋がひやりとする。銃を向けられた時よりも、手榴弾を投げられた時よりも、かつて魔導隊と戦った時よりも強烈な死の匂い。わたしだけに向けられた憎しみと共に、ソレが近づいてきた。
「や、め……」
「死ねよ、クソ女」
首がじわじわ絞めつけられていく。脳に回る酸素が、じわじわと減っていき、視界が霞んでいく。もう、雨の音や泥の匂いは感じることが出来ず、わたしはこの世界と切り離される。
嫌だ、死にたくない。敵兵に殺されるのは良い、でも……こんな死に方だったら、あの世でアインとルカに合わす顔が無い。
(うごか、ない)
でも、わたしの力では、どうすることも出来ない。
もし、わたしが男性として生まれたのなら、こんなことは起きなかったはずなのに……。
「ぐん、きが……」
「ははっ、どうでもいいだろ……。どうせ死ぬんだから、何をしたって」
狂ってる。……いや、哀れだと思ってしまった。
きっと、この戦場のストレスのせいで、歯止めが壊れてしまったのだろう。もう、言葉ではどうすることもできない。わたしは彼に殺されて、彼は軍規によって処刑されるだけ。言い方が悪いけど、本当に価値の無い死に方だ。アインとは……大違い。
「あぁ、どうせ死ぬなら、勝手に使っていいよな。動くなよ、分かっているだろ」
両手で押さえつけられていた首から、片手だけが離れ、わたしの身体の方に移っていく。胸などを触れられた感触は、ぞわぞわして、気持ち悪い。でも、この状態で声を上げてしまうと、彼はきっとわたしと一緒に死のうとするだろう。
だから、何も抵抗することさえ、許されない。……わたしは、こんなことをされるために、こんな形で死ぬために、今まで生きていたわけではないと言うのに。
(やめてっ)
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。気持ち悪い、触れられたくない、今すぐここから離れたい。なんで、なんでこんなことをされないといけないの? わたしが何をした? わたしはただ、手を差し伸べようとしただけなのに。
(やめて……やめてよ……。助けて……アイン)
わたしを庇って死んだ幼馴染に、助けを求めてしまう。もうこの世にいないってことは、分かっていたはずなのに。
そんな時だった。
レオン二等兵がわたしの服を脱がそうと、地面に押さえつける力が緩んだ瞬間、その力がわずかに緩んだ。そして、その一瞬の隙に、無意識で逃れようと身体が反射的に動いてしまった。
カチャ――と、小さな金属音がした。
レオン二等兵でさえ気付かないほどの、ほんのかすかな音。それは、わたしのホルダーの中に入っている銃が、逃れようと動いたことで、ホルダーの金属部分とぶつかってしまったことで生じた音だった。
けれど、そんな小さな音で、何も変わるはずがない。
ルークさん達は、未だわたしの状態に気付かず眠っているし、わたしを押さえつけているレオンすら、気付いていないのだから。
でも――
「あァ?」
長年、前線で戦い続けていた……狂った鬼だけは、わたしの近くで鳴った、あまりに小さな金属音を聞き逃さなかった。




