冷酷
(死んだ……)
それを見た時のわたしは、どうしようもなく、冷酷だった。
ルカの頭から赤い血液が吹き上がるのを見て、わたしは即座に死んだと判断し、ルカを見捨てて塹壕の中に侵入した。それは、自分の命を守るためだ。
それは、兵士としては正しい行動。死んだ仲間のことは切り捨てて、自分の命を優先して守り、より多くの敵兵を殺す。死んだ仲間のために出来る唯一のことだ。
でも、それは戦場の常識。前世の価値観があるわたしには、とても罪深いことだと感じてしまう。
(ごめん、なさい)
手が届く範囲ならルカを守ると誓ったのに。わたしはその手を引き、ルカを見捨てた。
もしあのまま掴んでいたら、ルカだけじゃなく、わたしも撃ち抜かれていたかもしれない。生き残ったとしても、ルカを助けることはできなかっただろう。
だから、あの判断は正しい。正しいはずなのに――
心が、それを許してくれなかった。
罪悪感で、心拍数が上がり、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。視界も歪んでいき、このままだと、真っすぐ歩くことすら出来ないだろう。
でも、それじゃあ、あの時の二の舞だ。祖国の兵士として、するべきことを成し遂げないと。
「セラ……」
「大丈夫です、まだ戦えます」
それを見ていたルークさんが、わたしのことを気遣ってくる。
でも、安心してほしい。アインの時のような間違いはしない。取り乱すのは、全部終わってから。それまでは、生きるために戦い続けなければらなない。
そのためになら、わたしは何度でも、わたしに嘘を吐く。……酷い人間だと罵るのなら、罵ればいい。それはきっと、本当のことなのだから。
「る、ルカ……」
ルカの死を見たレオン二等兵は、青ざめた顔で動揺していた。彼は、運が良かった。もし、彼が塹壕に入るより前にルカが死んでいたら、動揺のせいで足を止めてしまっていて、ルカに殉死するように撃たれていただろう。
……これを言っても、励ましにはならないけれど。
「お前らァ! 塹壕を取り返せェェ!」
グレン小隊長は、ルカの死を気にする様子もなく、塹壕を取り返し始めた。そうだ、それが正解だ。グレン小隊長は、兵士として完成されている。だから、あの人のようにならないといけないんだ。
わたしは歯を食いしばり、塹壕の奥深くへと足を踏み出す。奥歯が軋んで、欠けそうになるけれど、それは足を止める理由にならない。
グレン小隊長が先頭で、敵を殺しながら進んでいく。曲がり角で潜んでいた敵の銃弾も、小隊長の盾に弾かれて、その肉体には届かない。
(上――)
こんな時でも、わたしの勘は正常だった。壁越しに投げられてきた手榴弾を、正確に打ち抜き、弾き飛ばす。その手榴弾は空中で爆発し、小さな破片が頬を掠めただけで、被害者は出ずに済んだ。
「よくやったァ! お前らも続けェ!」
それを見たグレン小隊長は、一瞬だけわたしのことを褒め、より奥深くへと進んでいく。
わたしには、褒めれる資格なんて無いのにね。
――銃声がする。
――血が流れる。
――呻き声が聞こえる。
でも、それらは全部。わたしのものじゃない。もちろん、それらがわたしのものであってほしいと思っているわけではない。
わたしは、出来るだけ長く生き続けないといけないから、簡単に死を受け入れることが出来ない。
でも、どこかでそれを求めてしまっている自分もいる。
「――ッ」
けれど、理性がそれを許さない。わたしの指が、いつもと同じように引き金を引き、銃口から弾が飛び出す。
乾いた反動が腕に伝わり、敵兵の身体が崩れ落ちる。その光景を見ても、胸は何も動かない。
悲しみも、恐怖も、怒りも──全部、どこか遠くに置き去りにしてきたみたいだ。
わたしが人でなしだってことは、自覚していた。そもそも、兵士は皆……人でなしだ。戦場に、道徳なんてものは無く、平気な顔をして、人を殺すのだから。……もちろん、それはわたしも。
でも、今のわたしは、味方の……それも、わたしを慕っていた後輩の死ですら、この心にほとんど触れてこない。胸の奥に沈むはずの痛みが、どこにもない。悲しむべき場所が、空っぽのまま。
(どうして……)
問いかけても、何も返ってこない。
返ってくるのは、銃声と、血の匂いと、土を蹴る音だけ。
わたしは、きっとどこかで壊れてしまったのだろう。
でも、壊れたままでも――身体は動く。
敵を見れば銃を向け、引き金を引けば倒れ、倒れたら次へ進む。
まるで、誰かに操られているみたいに。
「よし、これで終わりだ。ここから数日間、この塹壕の中で敵を食い止める。覚悟しとけよ」
そして、何事も無く、わたしたちは奪われた塹壕を制圧し、ようやく前進が止まった。
敵の影は消え、銃声も途切れ、代わりに湿った土の匂いだけが濃く漂っている。
戦いが終わったはずなのに、胸の奥は何も動かない。安堵も、達成感も、恐怖の余韻すらない。
(……終わった、の?)
そう思っても、実感はどこにもなかった。ただ、身体の奥に残る微かな震えだけが、さっきまで命を奪い合っていた事実を教えてくれる。
「シス、犠牲者を数えて、報告しろ」
「はい、重症者一名、軽症者三名、死者一名です」
「そうか」
夜中にした突撃にしては、死者どころか負傷者すら少なかった。けれど、その唯一の死者こそが、わたしの後輩だった。
守ると誓った。でも、守れなかった。
わたしの実力不足じゃない。わたしが手を引いた。
守れなかったんじゃなくて、守らなかったんだ。
「うっ……」
吐き気がする。視界が歪み、胃が口から出てくるような、強い強い圧迫感が喉の奥をせり上がってくる。
後輩が死んだ。
わたしが守ると誓った相手が、わたしの手の届く場所で倒れた。
それなのに──
(どうして……何も、感じないの)
胸の奥は空っぽのまま。痛みも、悲しみも、怒りも、どこにもない。あるのは、ただ吐き気だけ。
心が反応しない代わりに、身体だけが拒絶しているみたいだ。
膝が震え、土の上に影が揺れる。呼吸が浅くなり、肺がうまく動かない。それでも、わたしは倒れない。
倒れるわけにはいかない。わたしは、兵士だ。ここは塹壕の中であり、未だ戦場……ここで気を抜くことなど、決して許されず、周りに気付かれることすら許されない。
もう、アインが死んだ時のように、戦場で取り乱さないと決めたんだ。だから、だからっ――
「セラ、大丈夫か?」
ルークさんが、わたしの異変に気付いて、声を掛けてくる。でも、駄目だ。その優しさに甘えてはいけない。
わたしは、一人の兵士として、一人で立ち続けないといけないんだ。
「大丈夫です、気にしないでください」
「でも……」
「大丈夫です!」
もう、甘えたくないんだ。死から、逃げたくないんだ。
これで、終わりにしよう。
(ごめん、ルカ。君は許してくれないと思うけど、謝るよ。来世で、幸せに)
非情だ。人の心が無い。
わたしのせいで死んだ人に、薄っぺらな謝罪だけを告げて、それで別れを終わらそうとするなんて。
酷い、酷すぎるよね。でも、わたしにはこれしか出来ないんだ。
「今から、夜が明けるまでは、寝ることを禁ずる。いいな」
「「はい」」
グレン小隊長の命令に、わたしたちは声を揃えて返事をした。
これから始まる夜は長い。この塹壕で、わたしたちは夜明けまで敵を待ち続ける。暗闇の中で、死んだ仲間のことを考えないようにするなんて、きっと不可能だ。
でも、それでいい。
わたしはこの罪から逃げることなんて、もう出来ないのだから。
――この時、レオンがわたしを睨んでいたことに、わたしは気付けなかった。




