友達
「いたっ」
歩くたびに左腕の奥で何かが擦れるような痛みが走り、思わず声が漏れた。止血していたおかげで出血はほとんどないが、痛みだけはどうしようもない。戦闘中は気にならなかったのに、今になって急に重くのしかかってくる。
でも、歩き続けるしかない。戦場には余裕なんてものは無く、自分一人で出来ることは、自分一人でするしかない。
「あ、見えて来た」
野戦病院の白いテントが見えてくる。布が風に揺れ、忙しなく動く影がその向こうに映っていた。
何度も来たことがあるけれど、いつも衛生兵に人たちは忙しくしていて、また仕事を増やすことになると思うと、少しだけ申し訳無くなってくる。やっぱり、怪我をしないことが理想なんだよね。
そんなことを考えながら、わたしは負傷者の列に並んだ。そこにいるのは、わたしと同じ隊にいる人だけでは無く、他の隊にいる人たちも並んでいる。そのため、野戦病院の前にある負傷者の列は、かなり長く、その上より重症の人を優先して治すため、この傷を治してもらえるのはいつになるのか予想も出来なかった。
まぁ、それは仕方がないことなんだから、別にいいんだけどね。
痛みに耐え続けながら、わたしは自分の番が来るのを待ち続けた。
それはとても大変なことで、頭がくらくらしてくるけど、わたしよりもっとひどい怪我をした人がいると思うと、その痛みにも耐え続けることが出来た。
そして、四十分くらい経った時、ようやくわたしの番が来たんだ。
「次の人ー。あ、セラちゃんじゃない。大丈夫そう?」
「大丈夫だったらここに来てませんよ」
「それもそうよね」
いくら魔力があるとはいえ、前線で戦う女性は珍しいようで、わたしの名前は衛生兵の人たちに覚えられていた。当然だよね、女性は筋力や体力が男性よりも劣るから、基本的に衛生兵や魔導隊に回されやすい。前線で突撃する女性なんて、銃を撃てるくらいの魔力しかない人だけだ。
ほんと、わたしには才能が無い。
「また銃で撃たれたの? もう、お嫁さんになる前の女の子に傷をつけるとは、これだからスレブルグ奴らは」
「ははは……」
わたしは、衛生兵の人たちにも可愛がられているようで、怪我をするたびにこんなことを言われていた。
まぁ、誰かと結婚するつもりは無いし、傷が残っても構わないと思ってはいるから、どう返事をしたらいいのか分からない。
「うん、この傷は結構簡単だね。セラちゃん、嫌だったら嫌って言ってもらってもいいんだけど、ちょっといい?」
「いいですけど、急になんですか?」
すると、衛生兵のお姉さんは少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「今日から衛生兵として働く子がいてね、技術は及第点なんだけど、実戦経験が少なくて、その練習台になってほしいのだけど、いいかな? もちろん、嫌なら断ってくれてもいいのよ」
「……練習台、ですか」
わたしは思わず左腕を見下ろした。脈打つたびに痛みが走る。正直、誰でもいいから早く治してほしい。でも、ここは戦場だ。贅沢なんて言っていられない。
「大丈夫よ。横でわたしが全部見てるから。変なことにはならないって保証するわ」
衛生兵のお姉さんは、いつものように明るく笑った。その笑顔を見ると、不思議と不安が少しだけ薄れる。
「……分かりました。お願いします」
「助かるわ。じゃあ――ほら、入ってきて」
呼ばれて、テントの奥から一人の若い衛生兵が姿を見せた。
わたしと同じ年くらいの女の子で、白衣の袖口をぎゅっと握りしめている。緊張しているのが一目で分かった。
「こ、こんにちは……。あの、よろしくお願いします……!」
声が震えていた。
わたしは思わず苦笑してしまう。
「こちらこそ。……優しくお願いしますね」
「は、はいっ!」
新人衛生兵は勢いよく返事をしたものの、手はまだ震えていた。
その様子を見て、先輩衛生兵が肩を軽く叩く。
「大丈夫よ。セラちゃんは優しいから、落ち着いてやりなさい」
「……はい!」
その声には、さっきより少しだけ力がこもっていた。
「えっと、この傷は……」
新人の女の子は、わたしの左腕をそっと持ち上げ、恐る恐る傷口を覗き込んだ。指先が震えているのが分かる。無理もない。実戦で撃たれた傷を見るのは、これが初めてなのだろう。
「……弾、残ってますね。貫通はしてません」
「そうそう。だからまずは周りを洗って、位置を確かめてからね」
先輩衛生兵が横から優しく声をかける。
新人の子はこくりと頷き、深呼吸を一つしてから、消毒液を手に取った。
「じゃ、じゃあ……消毒します。ちょっとしみるかもしれません」
「大丈夫です。お願いします」
わたしがそう言うと、新人の子は慎重に傷口へ消毒液を垂らした。
途端に、鋭い痛みが走る。
「っ……!」
「ご、ごめんなさい!」
「大丈夫、気にしないで……」
痛い、痛いけど撃たれた時ほどじゃない。だから、歯を食いしばって、痛みを耐えろ。この子を、安心させてあげるんだ。
そして、新人の子は、ゆっくりと丁寧にわたしの腕から銃弾を取り出した。決して手際が良いとは言えないが、丁寧で優しく、安心して身を任せることが出来た。
「ありがとうございます」
「えっ……あっ、ありがとうございます」
「敬語じゃなくていいですよ。わたしは十四歳ですから」
そう言うと、少女は安心したように、けれど、未だ緊張した表情で、小さく笑った。
「えっ、同じ年なんです……なの?」
「同じ年だったんですね。あ、わたしも敬語じゃないほうが良いですか?」
「う、うん。普通に話して……ほしいかな。ここには同年代の友達がいないから」
少女は、言ったあとで恥ずかしそうに視線を落とした。
白衣の袖口を指先でつまんで、ぎゅっと握りしめる。その仕草が、戦場の喧騒とはあまりにもかけ離れていて、胸の奥が少しだけ温かくなる。
そして、衛生兵のお姉さんは、そんなわたしたちを見て笑っていた。
どうやら、この子にわたしの怪我を直させたのは、経験を積ませるだけじゃなくて、友達になってほしいという思いもあったのかもしれない。それが、わたしを気遣った物なのか、この子を気遣った物なのか、それとも……その両方なのかはわからないけど、どちらしせよ、ありがたいことだと思った。
「リナ、ここからは一人で出来そう?」
「は、はい」
「じゃあ、私は他の患者さんを見てくるね。しっかり治してあげなよ」
衛生兵のお姉さんは、わたしたちを残してテントの奥へと歩いていった。白衣の背中が布越しに揺れ、やがて別の患者の声に紛れて見えなくなる。
テントの中には、わたしとリナだけが残された。
「……えっと、その……」
「リラって言うの? わたしはセラだよ。これからよろしくね」
「セラちゃん……。えっと、私たちは、友達なのかな?」
「そうだと思うよ。わたしは、友達が少ないから、よくわかってないけど」
そう言うと、リナは「えへへ」と笑って、頬を少し赤くした。
その笑顔は、さっきまでの緊張が嘘みたいに柔らかくて、年相応の女の子そのものだった。
「友達……なんだね。なんか、変な感じ。ここに来てから、ずっと怖くて……誰とも話せなかったから」
「わたしもだよ。先輩たちは、わたしのことを気遣ってくれているけど、同年代も、女の人も、いないからね」
そんな会話をしながら、リナはわたしの腕の治療を進めてくれている。友達になったからなのか、その指先の震えは無くなっており、今ではしっかりとした衛生兵の一人のように見える。
少し気が弱いところがあるから、これからも苦労することはあると思うけど、たぶん立派な衛生兵になるんじゃないかな。
「麻酔を打つけど、大丈夫?」
「うん、そのくらいは問題ないよ」
わたしが頷くと、リナは小さく息を吸い込んだ。
さっきまでの震えはもうなくて、でも慎重さだけはしっかり残っている。
「じゃあ……ちょっとチクッとするね。すぐ終わるから」
リナは細い注射針を手に取り、わたしの腕の横にそっと添えた。
その手つきは、思っていたよりずっと落ち着いていて、丁寧だった。
「いくよ……」
針が皮膚に触れた瞬間、わずかな痛みが走る。
でも、それは本当に一瞬で、すぐにじんわりとした感覚に変わっていった。
「……大丈夫?」
「うん。リナ、上手だよ」
「ほ、ほんと……? よかった……」
リナはほっとしたように肩を下ろし、胸の前で手をぎゅっと握った。
その仕草があまりにも年相応で、思わず笑ってしまう。
「それじゃあ、縫っていくね」
そうして、リナはわたしの腕に糸を通しながら、ひとつひとつ確かめるように手を動かしていった。リナが針を持ち直すたびに、銀色の先端が灯りを反射してきらりと光る。
わたしは、その動きをただ黙って見つめていた。麻酔のおかげで痛みはない。でも、針が皮膚を貫く瞬間、わずかに押されるような感覚だけは伝わってくる。
リナの指先は細くて、思っていたより器用だった。針を通して、糸を引き寄せて、結び目を作る。その一連の動きが、ひとつひとつ丁寧で、慎重で、そして――どこか必死だった。
「……すごいね、リナ。手が震えてない」
「いや……セラちゃんの方が凄いよ。麻酔が効いてると言っても、普通は自分の腕を縫われているところなんて、見ることが出来ないよ」
「え? そうかな?」
そう言われるのは予想外だった。ルークさんやシス伍長だって、この程度のことは出来るだろうし、グレン小隊長なんて、麻酔が無くてもいいって言いそうなほどなのに。
「うん……普通はね、自分の皮膚に針が通ってるところなんて、怖くて見られないよ。わたしだって、もし自分の腕だったら絶対目をそらしちゃうもん」
「そうなんだ……」
わたしは縫われている自分の腕を見下ろした。針が皮膚をすくい、糸が引かれて、傷口が寄っていく。
痛みはないけれど、皮膚が引っ張られる感覚だけは伝わってくる。
でも、怖いとは思わなかった。
ただ、淡々と、ああ、閉じていくんだなと感じるだけ。
「セラちゃんは……なんていうか、強いよね」
「強いのかな? わたしは、ただ慣れてるだけだよ。それに、怪我を縫う技術を覚えたら、将来使えるかもしれないじゃんか」
「そういう所が強いんだよ」
リナは針を動かしながら、小さく呟いた。
その声は、どこか引っかかるような、少しだけ寂しそうな響きがあった。
「わたし、まだ怖いよ。血を見るのも、傷を見るのも。でも……セラちゃんみたいに、落ち着いてる人がいると、わたしも頑張れる気がする」
「わたしは、リナが治してくれるから安心できるよ」
「……っ、そんなこと言われたら……もっと頑張らなきゃって思っちゃうじゃん」
リナは照れたように笑い、最後の縫い目を結んだ。
「はい、終わり。すごく綺麗に縫えたよ。ごめんね、わたしの魔力は少なくて……重傷者にしか【癒】を使うことが許されていないんだ」
「ううん、気にしないで。ありがとう、リナ」
そう言うと、リナは胸の前で手をぎゅっと握りしめて、嬉しそうに、でも少しだけ誇らしげに笑った。
「セラちゃんの怪我は、何があってもわたしが治すから、絶対に生きて帰って来てよ」
その言葉は、思っていたよりずっと強くて、真っ直ぐだった。
それは、わたしは一瞬だけ返事に迷ってしまうほどで、アインの死以外の、生きる理由が出来てしまった。
「……うん。帰ってくるよ。リナが待ってるなら」
そう言うと、リナは胸の前で手をぎゅっと握りしめて、嬉しそうに、でも少しだけ誇らしげに笑った。
その笑顔を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。戦場の真ん中で、こんなふうに誰かに帰ってきてなんて言われる日が来るなんて、思ってもみなかった。
それが、わたしとリナとの出会いだった。前線で生きることは、いつだって死と隣り合わせだ。
でも、この日から、わたしには、帰る理由がひとつ増えた。包帯を巻かれた左腕をそっと押さえながら、わたしは再び前線へ戻るため、テントの外へと歩き出した。




