怪我
「チッ、やっと来たか」
「やっとって……時間は守ってるでしょうに」
「ふん、そんなことはどうでもいい。さっさとブリーフィングをするぞ」
わたしたちがグレン小隊長のところに着くと、グレン小隊長はわたしたちを見て舌打ちをした。あの人はずっとこうだ。いつも、何かに対して焦っていて、落ち着きがない。
それが分かっているからこそ、誰も嫌な顔はせず、シス伍長がいつもの軽口を言うだけだった。
ちなみにいうと、グレン小隊長は理不尽の暴力を振るうことはほとんどない。かといって、体罰をしないというわけでは無く、しっかりとした理由の元、わたしたちに対して、暴力を振るってくる。
そこには優しさなんてものは無く、やりすぎだと断言できるものではあったが、そのおかげで、同じミスはもう二度としなくなった。……とは言え、その体罰を肯定することは出来ないけどね。
「今日の突撃は――」
そうして、グレン小隊長は説明を続けていく。
厳しい体罰のおかげでもあるのか、わたしたちは姿勢を正して、その説明を聞いていく。普段は軽口を叩いているシス伍長ですら、戦場用の意識に切り替えると、表情が一変としてしまう。
そのおかげもあり、ブリーフィングの空気は冷たく張り詰めているモノへと変貌した。
「シス伍長に命令する。右翼を率いて、敵の塹壕手前まで前進しろ。泥で足を取られる場所がある。そこは避けろ。はまったら終わりだ」
「了解いたしました。復唱します。右翼を率いて敵塹壕手前まで前進、泥地帯は回避します」
どうやら、今日のわたしはシス伍長の後ろで戦うようだ。別に、シス伍長の下で戦うのが嫌なわけではないけれど、グレン小隊長の後ろだと、飛んでくる銃弾がかなり減るため、出来るならそっちの方がよかった。
まぁ、今までも何度かシス伍長の下で戦ったことがあるから、別にいいんだけど。
「これで、ブリーフィングを終える。各自、準備するように」
「というわけで、セラちゃんは俺の指揮下で戦うことになったな」
「よろしくお願いいたします。シス伍長」
「ははっ、もしかしてグレン小隊長の下で戦いたかったとでも思ってんのか?」
「いえ、そんなことは……」
「シス、返答に困る質問をするな」
シス伍長が、いつものようにちょっと意地悪な質問をしてくる。いつものことのはずなのに、返事を考えると胸がざわつく。あの人は何を言っても笑って受け流すと分かっているのに、どうしても言葉が詰まってしまう。
そんなわたしを見て、ルークさんが呆れたように助け舟を出してくれるが、その声音にはどこか優しさが滲んでいた。わたしが言葉に詰まるのを分かっていて、いつもこうしてさりげなく救ってくれる。
……情けないと思う反面、正直ほっとしてしまう自分もいる。
「ごめんな、コイツはいつもこうで」
「大丈夫です。なれ……そうにはなっていますから」
「慣れてねぇのかよ」
シス伍長が大げさに肩をすくめる。
その仕草が妙におかしくて、緊張していた胸の奥が少しだけ軽くなった。
「さっさと銃弾を斬れるようなれ。そしたら、セラも安心できるんだよ」
「小隊長ぐらいしか出来ねぇよ!」
「切り替え速いですね」
そんなことを話している内にも、突撃する時間は刻一刻と迫ってくる。
うん……正直、理解している。いつまでたっても、この時間に慣れないわたしを気遣って、ルークさん達はこのような会話をしているってことを。
それは、本当に……ありがたい。
「準備も終わりましたし、配置につきますか」
「お、やっぱしセラちゃんは早いな。俺なんて、まだ一つも用意してないぞ」
……うん、そうに違いない。
普通に気を抜いているわけではないはずだ。
「突撃ィ!!!!!」
中央で、グレン小隊長が怒声と共に、敵の塹壕へと突撃している。その声は大地を揺らし、空気を震わせ、わたしたちの背中を強引に押し出すようだった。
敵兵は、その突撃を気付くと、即座に塹壕から銃を構え、グレン小隊長目掛けて銃弾の雨を降らしていく。けれど、正面から降り注ぐ銃弾は、小隊長の前に展開された魔力の盾に弾かれ、軌道を逸らされていき、それでも抜けてくる弾は、両手の軍剣が音もなく斬り払っていた。
彼の後方にいる人たちは、小隊長の背中に張り付くように走れば、正面からの銃弾はほとんど届かない。それが分かっているから、誰もが必死にその背中を追いかけた。あの人の後ろを走るのは、とても大変なことであり、一瞬でも気を抜くとすぐに置いて行かれてしまうのだが、この戦場の中で一番安心できる場所でもあったのだ。
「よし、俺らの突撃するのか」
とは言え、今日のわたしが配属された場所はそこではない。わたしがやるべきことは、グレン小隊長が敵の注意を引きつけている間に、右翼から塹壕へと回り込み、敵の側面から塹壕に侵入することだった。
グレン小隊長が注意を引き付けているおかげで、撃たれる銃弾の数自体は少なくなるものの、銃弾を斬ることが出来る先頭がいないため、身をかがめて弾が当たる面積を小さくしないと、すぐに死んでしまう。
「いくぞ」
小さな声でシス伍長が呟き、わたしたちは出来るだけ敵に見つからないように、低く身を沈めて進んでいく。正面の銃声が激しくなるほど、こちらへの注意は薄れる。だが、それでも完全に安全というわけではない。
わたしたちの足音は、正面で暴れ回るグレン小隊長たちの轟音に飲まれ、敵に届くことはなかった。息を潜め、影のように前へ進む。
そして――
「今だ」
ある程度敵の塹壕に近づいた瞬間、わたしたちは一気に敵の塹壕目掛けて突撃した。
これ以上息を殺しながら近づいたとしても、敵に見つかるのは時間の問題だ。だから、敵に見つかることと引き換えに、敵に殺されるより早く突撃すればいい。
「なっ! こっちに敵がいたぞ!」
塹壕の中にいる敵兵が、わたしたちの突撃に気付き、慌てて声を上げている。
ここからは、時間の問題だ。
「撃て!」
敵兵が銃を構える。けれど、それよりも早く、わたしは腰のホルスターから銃を抜き、反射的に引き金を引いた。
「っ……!」
走りながら撃つなんて、本来なら当たるはずがない。照準なんてまともに合わせられていなかった。
それでも――アインが死んだ次の日、あの妙に勘が鋭かった時の感覚が、まだ身体のどこかに残っていたのだろう。弾は敵兵の手をかすめ、銃を弾き飛ばすように逸らした。
「いてぇ!」
敵兵が悲鳴を上げてしゃがみ込む。
けれど、油断はできない。この戦場では、手を撃たれようが、倒れようが、死ぬ直前でも引き金を引いてくる兵士なんていくらでもいる。
「突入するぞ!」
シス伍長の声と共に、わたしたちは敵の塹壕の中へ侵入した。
敵の塹壕の中に入ったことは、何度もあり、その総数は十を遥かに超えている。けれど、決して慣れることなんてない。どれだけ経験を積んでも、ここは一瞬の油断が死に直結する場所だ。
狭い通路に、土と鉄の匂いが充満している。敵兵の荒い息遣いが、すぐ近くから聞こえた。
わたしは銃を構えたまま、慎重に一歩ずつ進んでいく。塹壕の壁が近すぎて、息をするたびに自分の呼吸音が耳に響いた。
そして――
同時に銃声が鳴った。
片方は、敵兵の脳天に。もう片方は、わたしの左腕に。
「――ッ!」
痛い。撃たれた腕から、焼けるような熱が一気に広がった。衝撃で左手の力が抜け、銃がわずかに揺れる。弾は貫通していない。肉の奥に何か硬いものが残っている感覚があった。それでも、腕はまだ動く。握ることはできないが、ぶら下がっているだけだ。
「セラ、大丈夫か?」
「はい……自分で止血します」
わたしは震える右手で布を取り出し、撃たれた場所より少し上――肘の近くをきつく縛った。患部そのものを締めると弾が食い込むと教わっていたからだ。
左腕はぶら下がったまま動かない。それでも、血の流れが少し弱まったのが分かった。
「よし、それで十分だ。後で衛生兵に見せろ。まだ動けるか?」
「……はい。右手は動きます」
痛みで呼吸が乱れる。それでも、わたしは銃を右手だけで構え直した。
この程度の怪我なら、何度かしたこともある。それに、この場所を撃たれたのは、狙ってやったことだ|。
敵兵と打ち合う直前、嫌な予感がして、わたしは心臓近くを左腕で隠すように構えていた。弾は心臓を外れ、左腕に逸れた。狙ってやったとはいえ、ほんの数センチでも判断を誤っていたら、わたしは今ここにいなかった。
左腕に残った弾が脈打つたび、鈍い痛みが走る。けれど、死ぬよりはずっといい。腕一本で済んだのなら、まだ戦える。
……この痛さには、まだ慣れていないけど。
「ただ、後ろに居ろよ。怪我をしてるやつに先頭を任せるわけにはいかねぇからな」
「……ありがとうございます」
そうして、わたしたちは敵の塹壕をさらに奥へと進んでいった
何事も無かったわけでは無く、何度か死にかけた人も出て来たし、わたしぐらいの怪我をした人だっていた。けれど、全員がぎりぎり生き残って、制圧することが出来たんだ。
「グレン小隊長、こちら右翼制圧完了しました!」
「損害は?」
「死者ゼロ。重傷者三名、軽傷数名です!」
「よし。重傷者は衛生兵のところへ運べ。歩ける者は自力で、無理な者には付き添いをつけろ」
「了解!」
そうして、わたしの何度目か分からない突撃は、わたしたちの勝利で終わった。
戦闘が終わった途端、張り詰めていた空気が一気に緩む。土と血の匂いが混じった風が、ようやく呼吸できるものに変わっていく。誰も声を上げない。ただ、荒い息だけが塹壕の中に残っていた。
「全員、生きてるな……よし、怪我人は野戦病院にいけ。元気な者は、敵が再び来ないか警戒しろ」
シス伍長の声が響く。普段の軽さはなく、戦闘直後特有の低い緊張が残っていた。
わたしはふらつく足を前に出す。左腕はまだ熱を持ち、脈打つたびに痛みが走る。それでも、歩ける。歩けるなら、まだ大丈夫だ。
周囲では、仲間たちが互いに肩を貸し合いながら移動していた。重傷者は担架に乗せられ、衛生兵のもとへ運ばれていく。軽傷者は自力で歩きながら、時折顔をしかめていた。
「セラ、歩けるか?」
「……問題ありません、このくらい耐えて見せます」
「そうか……なら、頑張れよ」
シス伍長は短くそう言うと、すぐに周囲へ視線を走らせた。制圧したとはいえ、敵が反撃してくる可能性は十分にある。伍長はその場に残り、塹壕の奥と外周の警戒に移った。
「セラ、お前は行け。野戦病院は中央の奥だ。迷うなよ」
背中越しに、シス伍長がそう言った。振り返りもしない。もう次の危険に意識を向けているのが分かった。
相変わらず、戦場だと頼りになる。
「……了解しました」
わたしは右手で銃を支え、ふらつく足を前に出す。仲間たちの声が遠くで響く。担架の軋む音、衛生兵の呼び声、誰かのうめき声。戦闘は終わったはずなのに、まだ戦場の匂いが身体にまとわりついて離れない。
左腕は熱を持ち、脈打つたびに痛みが走る。それでも歩ける。歩けるなら、行かなければならない。
塹壕を抜けると、冷たい風が頬を撫でた。血と土の匂いが薄れ、代わりに野戦病院のテントが並ぶ光景が目に入る。白い布が風に揺れ、忙しなく動く衛生兵たちの姿が見えた。
――生きて帰れた。
その実感が、ようやく胸の奥に落ちてきた。




