別れ
「なんだ、まだ生き残っていたのか」
わたしたちは敵の塹壕を完全に制圧し、分かれ道で別行動していた班と合流するため、元の地点へ戻っていた。
そこには、先に制圧を終えた別班の兵士たちが数名、壁にもたれて休んでいた。もちろん、そこにはグレン小隊長がいて、わたしを見ると、すぐにそんなことを言ってきた。
……どうやら、グレン小隊長もわたしの精神状態を理解していたようだ。
「小隊長のせいで、大変なことがあったんですよ」
「知らねェよ。敵を殺せるのなら、それでいいんだからなァ」
「はぁ、小隊長はそういう人ですよね」
そんなグレン小隊長を見て、ルークさんは呆れてため息を吐いた。
まぁ……うん、気持ちはわかる。グレン小隊長は、戦争に勝つことしか考えておらず、部下の精神状態なんて、全く気に掛けない人だから、自分の発言のせいで部下が死ぬとは考えないだろう。
いや……考えないというより、より多くの敵を殺せるのなら、部下が死んでも構わないと思っているだけか。兵士の命は、戦争に勝つための部品。そんな考えの人だから、それでもおかしくない。
「それで、元に戻ったのか?」
「まあ、生きようとは思うようになってくれましたよ。……小隊長が聞きたいのは、そっちじゃないと思いますけど」
「当たり前だ。昨日みたいに、敵を撃てないってことは無いんだろうな?」
グレン小隊長がわたしの方を見て、そんなことを問いかけてくる。
敵を殺せるかどうか。兵士にとって、当たり前のことを昨日のわたしは出来なかった。そのせいで、アインが死んでしまい、わたしはずっとあの時のことを悔い続けている。だから……
「……殺せます。殺して見せます」
わたしは、そんなことを口にしていた。
死ぬためじゃない。生きるために、人を殺す。そんな罪深いことを、これからし続ける……そんな決意を、わたしは抱いたんだ。
「ふん、それならいい」
グレン小隊長は、それだけを言って、わたしから注意を逸らした。どうやら、敵を殺せるのなら、後はどうでもいいと思っているようだ。
その考えは、グレン小隊長らしくて……不思議と、少しだけ安心した。
「悪いな、小隊長はいつもあれで」
「大丈夫ですよ。戦場って、そんなものだと分かっていますし」
戦場の常識と、日常の道徳は全く違う。
だから、どれだけ酷いことでも、この戦場だと正義と言われ、推奨されてしまうのだ。だから、わたしはこの罪悪感から目を逸らしながら、人を殺し続けないといけないのだ。
……ほんと、狂ってしまいそう。
ルークさんは、わたしの言葉を聞いて、申し訳なさそうに目を逸らした後、そっと、わたしの頭に手を置いた。
その手は、戦場の冷たい空気とは違って、ほんの少しだけ温かかった。撫でられるたびに、胸の奥に張りつめていた何かが、ゆっくりとほどけていく。
「今は、少し気を抜いてもいいんだぞ」
「え?」
「塹壕内の敵は片付いた。それに、小隊長がいるからな。いざという時はどうにでもなる。だから、そんなに張り詰めなくていい」
そう言われてしまうと、どうしていいのか分からなくなった。気を抜く――そんなこと、今まで一度も許されなかった。アインが死んでからは、なおさらだ。
悲しむ余裕なんてなかった。泣く暇も、立ち止まる時間もなかった。ただ、前に進んで、戦って、死ぬことだけを考えていた。
だから、ルークさんの言葉は、胸の奥のどこかに触れた。
「いいん、ですか?」
「ああ。誰かが死んだなら、その死と向き合う時間は必要だ。俺だって……仲の良かった奴が死んだ日は、どうしても眠れなくてな。夜の間だけは、そいつのことを考える時間にしているからな」
その言葉を受けて、わたしはアインの死に改めて向き合ってみた。
物心ついた時から、一緒に孤児院で過ごしていた幼馴染。喧嘩をしたことも、仲良く年下の面倒を見たこともあった。
わたしは、アインとは違って、全員と仲がいいというわけでは無く、あまり人と関わろうとしなかったけど、そんなわたしをアインはずっと気に掛けてくれていた。
そんな彼は、わたしを庇って死んだ。
目から、涙のようなものが流れてくる。
涙なんて、もう枯れたと思っていたのに。
「……アイン」
名前を呼んだ途端、喉の奥が詰まった。声にならない声が漏れて、唇が震える。
すると、ルークさんがわたしの頭を優しく撫でてくれて、その手の温かさに、胸の奥がさらに揺れた。
「泣いていいんだよ。今だけはな」
その言葉が、引き金になってくれた。
「アインは、わたしのことをずっと気に掛けてくれていたんです……」
「ああ」
「お人好しで、優しくて、他人と関わろうとしなかったわたしのことを気に掛けてくれて……。そんな彼が、わたしを庇って、死んでしまって……。どうすればいいのか分からなくて、謝りたいのに、もう会うことは出来なくて、だから死にたいなと思って……」
真面な文章にすらなってない。でも、もう取り繕う余裕なんて、どこにもなかった。
「なんで、なんでこうなったんですかね? ずっとじゃなくても、あと何年かは一緒にいると思っていたのに、急にこんな別れになるなんて……。もし、戦争なんて物が無かったら、まだ会うことが出来たはずなのに」
こんなこと、戦場で頑張っている人達がいる場所で言ってはいけない。そんなことは、頭では分かっている。
でも、もう止められなかった。
「わたし……アインが死んだ時、何も感じられなくて……。悲しいとか、怖いとか、そういうのも全部、どこかに消えてしまって……。ただ、生きてるのが苦しくて……」
言葉が震えて、涙がまた溢れた。
胸の奥が痛くて、息がうまく吸えない。
「死ねば……アインに会えるんじゃないかって……。そんなことばかり考えて……」
そこまで言ったところで、声が完全に途切れた。喉が詰まって、もう言葉が出てこない。
ルークさんは、そんなわたしを否定しなかった。責めもしなかった。ただ、そっと頭に置いた手に、少しだけ力を込めた。
「そうだな。その気持ちは、わかるよ」
否定ではなく、肯定。
ただわたしに寄り添おうとしているだけで、本当にそう思っているのか分からないけど、その優しさが胸に染みた。
「泣いていいんだ。悲しさも、怒りも、全部出してしまえ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。
張りつめていた糸が、ぷつりと切れたような感覚だった。
「……っ、う……」
声にならない声が漏れた。涙が止まらない。頬を伝って、次から次へと溢れてくる。
止まらない、止められない。でも、それでよかった。アインが死んでから、ずっと感じていた重さがどんどんなくなっていき、胸の奥に張りついていた黒い塊が、涙と一緒に溶けていくようだった。
そんなわたしを、ルークさんは優しく慰めてくれた。
その手は優しくて、温かくて、そのおかげで……わたしは前を向くことが出来たんだ。
「セラ、飯だ。食いなよ」
「はい、ありがとうございます」
夜になった。あれから全員がわたしたちの地点へ集まり、多少の怪我はあったものの――珍しく誰一人欠けることなく、敵の塹壕を制圧することができた。
グレン小隊長も、この結果には満足したようで、支給された酒を豪快にあおっていた。塹壕の中に、酒の匂いと笑い声が少しだけ広がる。……あれだけ一気に飲んだら、急性アルコール中毒になりそうだけど、大丈夫なんだろうか?
「ははっ、良い飲みっぷり。あ、セラはまだ飲んじゃだめだぞ」
「分かってますよ。興味ないですし」
グレン小隊長ほどではないけれど、先輩たちも酒をしっかり飲んでいる。戦った後なのに、いや……戦った後だからこそ、みんな楽しそうで笑顔だった。
もし、ここにアインがいたらなと思うことはあるけれど、その悲しさと寂しさを表に出すことはしなかった。楽しんでいる人たちに水を差すのもあれだし……なにより、アインの死に対して、ある程度の踏ん切りがついたからだ。
アインのことは、一生忘れないと決めている。けれど、いつまでも引きずって立ち止まっているのは違うと思った。
それに……アインだって、ずっと沈んだままのわたしを見たいとは思わないはずだ。だから、前に進もうと決めたんだ。
「ルークさんは、あっちに行かなくていいんですか?」
「いや、あそこに行くと無理やり飲まされそうだから行きたくない。それに、俺が向こうに行くと、セラはここで一人になっちゃうだろ」
「それはそうですね」
わたしは苦笑しながらスープを口に運んだ。温かいはずなのに、どこか味が薄く感じるのは、疲れのせいだろうか。
ルークさんは、わたしの隣に腰を下ろすでもなく、かといって離れすぎることもなく、絶妙な距離を保って立っていた。その距離感が、妙に心地よかった。
「……あの、ありがとうございます」
「ん?」
「今日、助けてくれて。泣かせてくれて……その、色々と」
「気にするなって。新兵が死んだら、俺でも少しは辛いって感じるんだよ」
ルークさんは、軽い調子でそんなことを言った。
けれど、その時のルークさんの目は、何一つ嘘を吐いていないようにも見えて、少しだけ……彼の内面のような物を見ることが出来た。
「……長い間いても、慣れたりはしないんですね」
「さぁな。少なくとも俺は、仲間が死ぬことには慣れちゃいないよ。せいぜい、表面だけ取り繕えるようになっただけだ。……グレン小隊長みたいな人間なら、慣れてるのかもしれないけどな」
ルークさんは、そんなことを言いながら、グレン小隊長たちの方を見る。
「まぁ、戦場で平気な人は滅多にいないよ。きっと、どこか壊れて、平気なように見せているだけ。大丈夫なのは、本物の狂人くらいだよ」
「……グレン小隊長は、十分狂人だと思いますけど?」
「ははっ、セラから見れば、そうなるのも仕方がないか」
そうなるのも仕方がないって……。兵士の命を、戦争に勝つための道具としてしか見ない人が、狂人じゃないのなら――一体なんだと言うのだろうか。
わたしが胸の内でそんな疑問を抱えていると、ルークさんは小さく息を吐いた。
「まぁ、いずれわかるようになるよ。いや……わからないほうが良いな。セラには、あの人の良さをずっと理解しないでほしい」
「なんですか? それ?」
「ははっ、何でもない。忘れてくれ。セラには、俺らのようになってほしくないから。それじゃあ、明日も早いし、さっさと寝るか」
そう言って、ルークさんは軽く伸びをした。
ルークさんが言った言葉の意味はよく分からなかったけど、わざわざそんなことを言うってことは、きっと事情があるんだろう。だから、わたしは何も詮索しなかった。
夜の冷たい空気が、肌を撫でていく。
昼間はあんなにも血の匂いがしていたのに、夜空の星は静かに瞬いていた。その光を見ていると、ほんの少しだけ――いつか、あの光の下に帰れる気がした。




