前進
『そこを曲がったところに、敵がいるぞ』
(教えてくれてありがとう、アイン)
わたしは幻聴に導かれながら、敵を殺し続けた。アインの導きは正確で、敵の居る位置を瞬く間に当てていく。それはきっと……今度はしっかり敵を殺せよって、わたしに言っているのだろう。
……そうに違いない。
本来なら、わたしが先頭に立つことは出来ない。けれど、アインの幻聴による冴えのおかげで、わたしはずっと結果を出し続けることが出来ている。そのため、誰も止めることは出来ず、ずっと先頭で歩き続けることが出来ているのだ。
彼らの目が、とても痛ましいものになっていることは、全く関係ない。
『また敵がいるぞ、気を付けろ』
また敵を殺す。殺して、殺して、殺し尽くす。
躊躇いなんて、無くなっていて、息を吸うように引き金を引けるようになってくれた。これなら、天国にいるアインも納得してくれるはずだ。
わたしは、地獄に行くだろうから、会うことは出来ないけど、これが償いになるのなら、それでいい。
ぺちゃぺちゃと、流れだした血を踏みながら歩いていく。
血の匂いにはもう慣れたし、人を殺す覚悟も出来ている。だから、自分の命を敵を殺すために使い潰せるのだ。
(アイン? まだ敵はいる)
『ああ、いるよ』
あははっ、幻聴だってわかっているはずなのに、こんな会話すら出来るようになっちゃった。
けれど、それでいいや。今の方が、アインが死んだってことがより実感できるし、わたしの罪にも……より、向き合うことが出来る。
この塹壕はどこまで続いているのだろうか。
曲がり角がいくつもあって、同じ景色が何度も繰り返されているように見える。
湿った土壁はどこまでも同じ色で、足元のぬかるみも、踏むたびに同じ音を返してくる。
(終わりがないみたいだね、アイン)
『塹壕ってのは、そういうものだ。敵も同じことを思ってるさ』
(そっか……じゃあ、わたしはまだ殺すことが出来るよ)
胸の奥は静かだった。
恐怖も、焦りも、疲れも、どこか遠くに置き忘れてきたみたいに。
後ろから、誰かの小さな声が聞こえた。
「……セラ、もう十分だろ……」
誰の声かはわからなかった。
けれど、その声には、痛ましさと戸惑いが混ざっていた。
(どうしてそんな声を出すの? わたしは、ちゃんとやってるのに)
敵兵を殺すのは、兵士の務めでしょう? わたしは、しっかりそれをこなしているんだから、おかしいところなんて何もない。
きっと、アインも今のわたしを見たら、よくやったなって言ってくれるはずだよ。
そんな思いを胸に、わたしは敵の塹壕を進み続ける。今日のわたしは、幻聴のおかげで、妙にさえている。だから、どんなことがあっても、敵を殺すことは出来るはずだ。
そんな時だった。
『止まれ、そこから先は危険だ』
幻聴が、そんなことを言ってきた。
危険? それはどういうことなんだろうか? 今までは、敵がいるとしか言ってなかったのに、わざわざ危険という言葉を使ったんだろう?
でも、結局それって、敵がいるってことでしょ? 未来では違うかもしれないけど、現在では地雷のようなものは発明されていない。だから、この先には敵兵がいるに違いない。
(そんなの、気にしなくていいのに)
危険とか、どうでもいいでしょ。重要なのは、敵を殺せるかどうかだけ。
最低限は相打ちで、わたしが生き残ることが出来れば、より多くの敵兵を殺すことが出来るから、少しいい程度のこと。だから、危険という理由で、立ち止まるわけにはいかないんだよ。
そうして、わたしは一回息を吸った後、目の前の角を――迷わず、踏み込んだ。
銃を出し、引き金を引く。
銃声が響き、鼓膜を震わせて、銃口から鉄の塊が飛び出した。
……けれど、それは敵兵の身体まで届かなかった。
曲がり角の先にいた敵兵は、木板のような遮蔽物を持っていて、わたしの銃弾を減速させ、逆にわたしの方へと銃を向ける。
至近距離の銃弾だ。それを躱す術を、わたしは持たない。
敵の銃弾が止まっているように見える。けれど、身体は金縛りにあったかのように、動かない。
こんな感覚になるのは、これで二度目だ。きっと、アインやわたしに殺された人たちは、こんな感覚に陥っていたのだろう。
(あ、死んだ)
でも、頭の中に思い浮かんだのはそれだけ。死にたくないだとか、もっと生きたいなんて気持ちは、一切湧いてこなかった。
嘘。もう一つだけ、思い浮かんだことがあった。
(やっと、死ねるよ)
一人で自殺するのは違う。それは、アインに助けて貰った命を、無駄に消費するだけだから。でも、このまま何事も無かったかのように生きるのも違う。
グレン小隊長の言葉があっても、わたしから死にたいという気持ちは無くなることは無かった。だから、こうした。誰よりも前に出て、誰よりも多くの敵を殺して、そして……殺される。
生き残された命を出来るだけ有効に使いながら、わたしの望みを叶えることが出来る方法。ね、いい考えでしょ。
そんな考えが胸の奥に浮かんだ瞬間――世界が、急に引き戻された。
「え?」
わたしは、軍服の襟を掴まれて、勢いよく背後へと投げられていた。
わたしの背中が、塹壕の壁にぶつかり、ひどく痛む。てっきり、敵の銃弾によって死ぬと思っていた身体では、その予想外の痛みに耐えることが出来ず、肺の奥から短い息が漏れた。
「っ……!」
視界が揺れる。
土壁のざらつきが、背中越しにじわりと伝わってくる。痛みが、妙に鮮明だった。
「今だ!」
ルーク上等兵の声が響いた。
次の瞬間、複数の銃声が重なり、狭い塹壕の空気が震える。敵兵の影が崩れ落ちる気配がした。
わたしは、ただ呆然とその場に座り込んでいた。
背中の痛みがじわじわと広がり、呼吸がうまくできない。
(……なんで?)
死ぬはずだった。やっと、終わるはずだった。
それなのに、わたしはまだここにいる。なんで……どうして……やっと、わたしは死ぬことが出来たはずなのに。
「馬鹿野郎!」
次の瞬間、頬に強い痛みが走った。
「お前、それが目的で、前を歩いていたのかよ!」
ルーク上等兵に殴られたのだった。
頬に走った痛みは、背中の痛みよりも鋭かった。けれど、それ以上に――その痛みが現実を突きつけてくるようで、胸の奥がざわついた。
「お前……それを、アインの奴が望んでいるとでも思ってんのか!?」
「それは……」
分かってた。敵を殺して、敵に殺されるなんて、ただの自己満足だってことくらい。
でも、こうしないとアインに顔向けできない。
「ここは戦場だ! 仲間に庇われたなんて話、俺にだってある。だから先輩として言っておく。死ぬな。死んだ仲間の分まで生きろ。どれだけ辛くても、どれだけ険しくても……それが、生き残った者に課せられた義務だ」
「でも……」
「ああ、辛いさ。痛いさ。そんなの当たり前だ。けどな……それでも前に進むしかないんだよ。それが、生き残った兵士の責務なんだから」
その時のルーク上等兵の目は、とても痛ましげで、悲しそうだった。
きっと、彼もわたしと同じような経験があったことは理解できた。だから、何も言い返すことが出来ない。
「だからな、今日みたいなことを二度とするな。今のお前は、お前だけの命じゃなくて、アインの命も背負っているんだから」
その言葉は、何よりも重かった。誰かに守られた命は、もう守られた人だけの命じゃない。守った人の命も、背負っていくしかないんだ。
だから、今日みたいなことは二度と出来ない。どれだけ死にたくても、どれだけ終わりたくても、呪いのような祝福が、ずっとわたしを縛っていくんだ。
「……はい」
その言葉を口にした瞬間、自分の声がひどく遠くに聞こえた。
返事をしたのはわたしなのに、まるで別の誰かが代わりに言ったみたいだった。
ルーク上等兵は、わたしの顔をじっと見つめていた。怒っているわけでも、呆れているわけでもない。
ただ、何かを確かめるように、静かに。
「……よし。それでいい」
そう言って、彼はわたしから視線を外した。
その横顔は、どこか疲れていて、どこか安心していて、どこか諦めているようにも見えた。
わたしは、胸の奥に残ったざわつきを押し込めるように、深く息を吸った。
土と血の匂いが肺に入り、喉の奥が少しだけ焼ける。
(……わたしは、生きなきゃいけないんだ)
その言葉は、呪いのように重かった。でも、ルーク上等兵の言葉が胸に刺さったのも事実だった。
アインの命を背負っている。それは、わたしが勝手に思い込んでいたことじゃない。
誰かに守られた命は、もう自分だけのものじゃない。
そう理解した瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「……セラ、立てるか?」
ルーク上等兵の声が、現実へ引き戻す。
わたしは小さく頷き、塹壕の壁に手をついて立ち上がった。
「はい、まだ戦えます」
「それならいい。ただ、もう先頭を歩くことは許さないからな。これからは、俺らの後ろをついてこい」
塹壕の奥から、また遠くで銃声が響いた。
乾いた音が空気を震わせ、土壁に細かな砂が落ちる。
(……まだ、終わってない)
銃を握り直す。手のひらに残る冷たさが、少しだけ心を落ち着かせた。
こうして、わたしは……死ぬためではなく、生きるために前へと進んだんだ。




