第一幕・第一話「ツノが生えた日」
2023年5月、東京日本橋の交差点に溢れる人波は、朝の通勤ラッシュらしくせかせかと前を急いでいた。スーツ姿の会社員、制服の学生、老婦人。誰もが何気ない一日を始めようとしていた……はずだった。
その朝、最初に異変に気づいたのはバスの運転手だった。ルームミラーに映る自分の額から、何か白い小さな突起がのぞいている。にきびか吹き出物だろうと最初は笑った。
だが次の瞬間、突起はみるみる伸び、硬い質感を持ちはじめた。長さは数センチ。形は、キリンのツノのように丸みを帯びている。
「おい……あんた、それ、ツノじゃないのか?」
乗客の驚きの声。運転手自身がパニックになり停車したときには、すでに数人の乗客の額にも様々なツノが芽生えていた。車内は悲鳴とざわめきに満ちた。
それは東京から加速度的に全国へと広がっていった。人々の体表から、突如『かわいいツノ』が生え始めたのだ。
最初は疫病だと誰もが恐れた。だが皮肉なことに、ツノの外見は不思議なほど愛嬌があった。
鋭利で凶暴なものではなく、小さく丸みを帯びた形や、色とりどりの半透明な光沢を放つものまで現れる。中には宝石のように輝くツノを得た者もいた。
「いやだ、かわいいじゃない!」
「インスタ映え最高!」
一部の若者たちは早々にツノを『装飾』と受け入れ、写真を撮り、ネットに拡散した。
数週間で恐怖は収まり、代わりに『自己表現の記号』としてのツノが、人々の間で熱狂的に受け入れられていった。
それもそのはず、ツノが生えたことによるマイナス面はなく、むしろあらゆる能力に向上が見られたのである
やがて新聞やテレビはこれを『ツノウイルス現象』と呼んだ。報道では、突然変異した未知のウイルスが日本人の遺伝因子に作用し、強制的な生体変化をもたらしたと伝えた。
その感染力は驚異的で、2023年6月には日本全国ほぼすべての日本人が罹患。年内には、世界中の日本人すべて(ハーフ・クォーター等、少しでも日本人の血が入っていれば全員)がツノ持ちとなった。
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日本社会が落ち着きを取り戻したのは、ツノを持つ人間が『多数派』になり、かつ見慣れた頃であった。
2024年1月には、日本人はそれを美のステータスと定義し直した。
いつしか広告モデルはツノを競うようにポーズを取り、学校では『ツノの大きさ自慢』が流行し、就職試験の面接官ですら応募者のツノを値踏みするようになった。
言葉も変質する。「トガり」「トガってる」――鋭さを表す言葉がそのまま「ツノがかっこいい」「ツノがイケてる」の代名詞となり、かわいいツノには「トガ」などと新たな言葉が生まれた。
若者たちが万能スラングとして口癖にし、場違いなテンションの友人を「トガってんね」「うわ〜トガ〜!」と冷やかす。意味が広がり、何にでも使えるワードになった。
やがて海外からは「ONI」という日本語が逆輸入されて流行し、世界中のSNSで「#ONI」が使われるようになった。鬼ではなく、むしろ愛嬌あるスラング、称賛の言葉として。
ただし、すべての人間がツノを得たわけではない。
2024年1月末、関東圏では全員が罹患したにもかかわらず、依然としてツノが生えないままでいる高校生が3人いた。
そのことを誰も公には言わなかったが、噂はすぐに広がり、『ツノなし』と揶揄されるようになった。
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社会はツノを持つ人間が支配するヒエラルキーへと変貌した。テレビ番組でツノの形状による『ツノ占い』が流行し、"恋愛運はツノの湾曲で決まる"と軽薄に語られる。
駅前の若者占い師が片手にルーペを持ち、行列の角をひとつひとつ鑑定する。
「透明な2本ツノの方は金運バッチリ!木の質感のある1本ツノのあなた……今週は慎重にね〜」
笑いながら見守る人々。
ツノがあれば安全と尊厳が与えられる。街を歩く人々は、ツノがない日本人がいるなんて考えられない。差別は誰もが無意識に、ほとんど空気のように吸い込んでいた。ある人は気にも留めず、ある者はそれを権力の基盤にした。
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2025年現在、ツノ社会は成熟したようでいて、どこか病的に歪んでいた。 学校ではツノの太さと長さを競い、彼氏や彼女の選択基準もツノの美しさに直結。企業もまた、幹部候補をツノの輝きで選び取る。
夜の街のネオンは『トガリ割』『ONI級サービス』『2本3本喜んで』とツノ語彙で染め上げられる。
誰もがツノを愛で、ツノに狂った。だが、その均衡は長く続かない。
東京日本橋、日本の商業の中心地にそびえる製薬会社。この物語の秘密はそこに端を発する。ツノウイルスは決して自然発生したものではなかった。そこから流れ出た研究の影が、2025年にようやく露見することになる。
そして運命を揺るがす、3人の"ツノなしたち”が──。