1%の欲望
男に春は来るのか
伝えたい想いの99%は伝わらないから、1%を君に伝えます。
業務スーパーで買った冷凍餃子を十分茹でたら飲み残しのコーヒーを冷蔵庫から取り出す。柔らかいはずの餃子が治療中の歯茎だろうか、その辺りに攻撃を仕掛けてくるから今夜の食事は楽しめそうにないだろう。
「何考えているの?」
彼女の瞳は純粋で到底、僕の不純さを理解できないだろう。この中華料理屋に行くことが決まる前、家でのことだ。二回ほどトイレに行きやることをやった。その動画があまりにも秀逸で誰かに話したい衝動に駆られていたのだ。
「歯、がね。治療中で痛いんだよね。」
「大丈夫?」
全然大丈夫なんかじゃない、あの新人女優は22歳にして人妻のオーラを放っていたんだぞ、人としてのギャップに惹かれているのか設定が良かったのかをもう一度確認しなければ、そう思っていた頃、豚足が卓上に並んだ。脂を食べてるような感覚であったが彼女があまりにも美味しそうに、そして綺麗に食べるものだから少し見惚れてしまう。
今夜も僕はできるのだろうか。
「どれも美味しかったけど、パクチーの乗ってた料理が一番美味しかったね。」
「美味しかった、豚足はちょっと僕には合わなかったけどこのお店はまた来よう。」
「職場の先輩に聞いて正解だった。こうやって庄司くんと来られて嬉しい。」
照れたような純粋な笑顔を向けられると少し心がチクリとする。この後の展開を僕は知っているからだ。
ダウンを着て会計を済ませる。さすが中華料理屋だ、お会計の時まで中国語で会計が進んでいった。エレベーターに乗り込み一階を押し、僕の足はそれとなくを右に曲がる。
「今日はいいんじゃない?」
彼女が僕の袖を引っ張り引き留めた。
なんのこと?などと返したい気持ちを抑えもう一歩踏み出してみる。
「今日は普通のデートをしよう。庄司くんと居られるだけで私、楽しいよ。」
あぁ…男としてのプライドが壊れていく音がする。情けない、絶倫だったら良かったのだろうか、それ以前の話だろうか。
「俺も楽しいよ、そうだね、二軒目でも行こうか。」
スマートにデートしていると言えるのだろうか?わからないまま近くの酒屋に入って、いつも通りのたわいない会話を重ねる。終電が過ぎたことに気づかないふりをしたまま僕は三杯目のビールを口にした。
「終電なくなっちゃったね。なんか夜遊びしてる気分。」
そんな彼女はカクテルだが六杯目を口にした。それでも顔を赤らめることなく飲み進める彼女。ふと僕に春がやってきた。今すぐホテルに行きたい。今じゃないといけないんだ。そう思いながらも飲み始めてしまったビールを飲み干す頃、もう桜は散っていた。
出来ないわけじゃない。
彼女がダメなわけじゃない。
それでも男なら満足できるような青春を味合わせてあげたい。それが出来てこそ最高のカップルと言えるだろう。
今までもそうだった。ワンナイトだったからだろうと思っていたんだが違ったみたいだ。そろそろ病院に行ったほうがいいと同僚には言われている。動画の中では満足できるのになぜだ。
「お店変える?」
そうして何件も周り健全な夜のデートは幕を閉じた。
溜まりまくった感情を捨てるべくトイレに向かって一発二発。そうしてベッドに倒れ込みボーッとする。
もう日曜日だ…
隣にいるはずだった彼女は居ない…
喪失感か孤独感だろうか。
眠りにつくとあっという間に日は暮れ、昨夜の中華料理屋から二十四時間が経っていた。
昨日の服のままレンジの上に置いてあるインスタント麺、恒例の業務スーパー物を手に取り鍋にお湯を沸かす。
彼女と会えるのは週に一度だけ、たった一回。それでちょうどいいと言う奴もいるが僕にとっては貴重な休日で大事な存在に会える1日なのだ。職場に行けば同僚がいて飲みにも行きはするがまた少し違った高揚感だ。
そんなことを考えていたら麺がぐでんぐでんになるまで茹でてしまった。
「おはようございます。」
「おはようございまーす。昨日飲み過ぎて頭痛いんで、今日早く帰りまーす。」
「中澤、仕事置いて帰んなよ」
「わかってますって、先輩怒らせられないんで頑張りまーす。」
「ところでこないだはできたんですか?」
「あれか、もういいんだよ。諦めたわ。」
「まじっすか、じゃあ俺の最近の一押し女優教えちゃいますね。」
「22歳のあれは良かったぞ、で、なんて名前なんだ?教えろ。」
「確か、」
スマートフォンをポケットから取り出し中澤が首を横にする。動画を開いているのかこんな朝の会社内で、こいつは本当に…
「ユウナって言う子なんですけど、二十歳ピチピチですよ。作品数は多くないんですけどおすすめですねー。」
「ありがと、今日帰ったら調べるわ。いや、めんどいな顔見せて。」
それが失敗だった。いや春が来たとも言えるのだろうか。写真に写っていたのは垂れ目でいかにも清純そうな黒髪ボブのよく見た顔だった。
「まじか」
「先輩どうしました。」
「なんでもない、名前なんだっけ」
「ユウナですね。気に入っちゃいましたか〜?。」
「そんなんじゃないけど、ありがとう。仕事戻るぞ。」
仕事に集中できるはずがなかった。あの瞳が、フラッシュバックする。あの中華料理屋についこないだ行ったばかりで、清純で何もしらないような彼女が、僕の彼女が、アダルト女優だなんて、夢であって欲しかった。しかし僕に春が来ていたことも確かであった。
残業が長引き家に帰れたのは夜中の手前であった、彼女にはまだ連絡を返せていない。
食事など取っている暇はない、今はただユウナという女優をスマートフォンに打ち込みトイレに駆け入る。
着信…
彼女からであった。さすがに出ないわけにもいかないあれから連絡を返していなかったのだ。恐る恐る受信ボタンを押す。何を話したらいいのだろうか。清純そうな彼女にこの類の話をしたこともないし、ましてやこんな秘密を抱えていただなんて容易には聞けない。
「もしもし。」
「庄司くん、生きてた?お仕事中?」
「今帰ってきたところだよ。」
手が熱い。頭がパンクしそうだ。とりあえず会って話さなければ、そう思ったのに僕の口は動画の中にいる彼女に語りかけていた。
「ユウナ…」
「え、今なんて」
彼女の名前と似ていた。だから失敗したんだ。言ってしまえばスッキリするものでつらつらと言葉が出てきた。
「三作品しかないんだけどその中で一作目を今見ていたんだ。まだ途中だけど男優さんとの喋りだけですごく良くて、いつもの優香とは違う雰囲気がすごくいいんだ。それで、」
「ちょっと待って、バレちゃったのか。私の、その、動画というか作品。」
「優香が、そんな子だとは思ってなかった。それは本当に思う。けど俺、変態なのかも知れない。」
「どういうこと?」
優香の声でありユウナの声だ。
「明日会おう。」
「仕事は?休みなの?」
「休むから会おう。」
電話は長くは続かなかった。続けられなかったのだ。トイレから出た僕は神の領域に立っているような気さえした。混沌とする暇もないくらい僕の中にある興奮が幾度となく押し寄せてきた。今日は眠れそうにない。
翌朝準備を済ませ都会の駅ビル前に向かった。彼女はたまたま休みだったらしくタイミングが良かったと言えよう。真昼間、仕事しているはずのこの時間に出かけたことがあるだろうか、数えるほどもない、有給もあまり使ってこなかったからだ。会ってから聞きたいことは山ほどあるがとにかくしてみたいことがあった。
「おはよう」
「おはよう、昨日はあんまり眠れなかった。電話したらあんなことになって絶対嫌われたって、庄司くん冷静じゃなかったけど冷静になったら優香のこと…」
泣き出してしまった彼女を強く抱きしめる。その行動に覚悟なんてなかった。ただそうしたくなったのだ。
「大丈夫、あとでゆっくり話そう。全部。」
「うん。」
ビルの一階にあるデニッシュが人気の喫茶店に入る。カレー屋が向かいに見えるのがまた都心部らしい。
「さっきはごめんね、急に泣いちゃって、私が悪いのに。」
「いいよ、それより注文何にする?」
僕の頭は結構冷静なようだった。コーヒーもいいが冷め切ったコーヒーは飲みたくないのでアイスコーヒーにしようかなどと考えていると彼女の注文が決まった。
注文を終えるとしばらく無言の間が続く。
「どうして言わなかったの?というか仕事は事務って言ってたよね。」
マッチングアプリで出会った僕たちはお互いの勤務先などはやんわりとしか知らなかった。どこかのラノベ小説みたいな話じゃないか。「マッチングアプリで出会った彼女がアダルト女優だった件について」みたいな。
「ごめんなさい、事務もしてるんだけど、アルバイトでちょくちょくって感じなの。言わなかったのは、本当にごめんなさい。」
「謝らなくていいよ。」
「本当の私、優香と恋して欲しかったから、まだ作品も少ないしタイミングが来たら話さなきゃなって思ってた。それがまさかこんなに早く来るなんて思わなくて。」
純粋そうな目から滴が溢れる、おしぼりでは足りないと気づいたのか彼女がバッグからタオルを取り出し目頭を押さえた。
「同僚から聞いたんだ、優香のことは何も話してなくて、ただ女優の話になった時にって感じで、というか二十才は若すぎなんじゃないか?」
「若くみられるからそれで行こうって社長が…」
「確かに童顔だもんな。」
「その、私から言いづらいんだけど、別れ話されるんじゃないの?」
「しないよ。」
「なんていうか。」
「俺、あんまり言ってなかったけどアダルト作品めっちゃ見るし、好きなんだ。優香としてる時は出来なくて本当に申し訳なかったしそれで悩んでたんだ。それで同僚に相談してたりもして、それで今って感じ。」
「男の子だもんね、好きなのはわかるよ。私じゃ勃たないってことは私も気にしてた。」
男のプライドもあるが女の子にもプライドがあったことに今更気づいた。そしてそれが打開できそうであることも伝えなければいけない。
「電話でも話したけど、俺、多分変態でさ、ギャップで勃つことに気づいて…」
「うん。」
「今のアダルト女優やってる優香がめっちゃ好きだ。」
「それってユウナが好きってこと?」
「それとも違くて、清純だと思ってた彼女がこんなにもって感じなんだけど…ごめん、優香がその職業をなんで選んだのか、苦しんでるとかならお門違いだよな。」
色んな理由を説明してくれた気がするがあまり頭に入ってこなかった。簡単に言えばスカウトされた時に流れでみたいな感じらしい、偏見もあまりなかった彼女は本当に純粋だったからこそ進んだ道なんじゃないだろうかとも思えた。
「だからね、このままお付き合い続けるのはもう無理なんじゃないかなって思うんだけど、どうかな?」
俺は数々の理由に同意せざるを得なかった。俺にはアダルト女優を恋人に持つ覚悟はできなかったのだ。
喫茶店を出てからの帰り道、何も考えることはなかった。
ただユウナにまた動画で会える。その幸福感だけが少しあっただろうか。
しかしユウナの動画を見ても僕に春はこなかった。優香がいたからこそだったのだろうか。
読んでいただきありがとうございました。