【仕返し屋SQATT】兄嫁に嵌められて実家を追い出され人生を破壊されたので
■ 依頼者の無念
「なぜ、今そんなに悔しいんですか?」
ここは少し特別な探偵事務所。俺はそこの所員……というか、雑務……いや、奴隷の……。
そんなことはどうでもよく、今日は目の前の依頼人の話を聞くのだ。彼女の名前は海野乙姫。
「あの兄嫁、私の猫を殺したんです! 絶対仕返ししてやりたい! あいつの弱みを見つけてほしいんです!」
どうやら【本業】の方でも話を聞けるかもしれない。
ここは探偵事務所。……と言ってもマンションの4LDKを事務所として使ってるような小さな事務所だ。ちなみに、所員は所長と秘書と俺の3人だけ。
【表向き】は探偵事務所。今は所長も秘書も出払ってる。とりあえず、俺が依頼人の話を詳しく聞くことになりそうだ。
「すいません。録音しながら話を聞いてもいいですか?」
「……はい、構わないです」
録音することで、有事の際あとで依頼人がその様に言った言わないの水掛け論を回避できる。
リビングのこの部屋で一番広い部屋にソファセットが置かれている。そのソファに依頼人が腰掛けている。テーブルの上にはボイスレコーダー。俺はローテーブルを挟んで彼女の前に座っている。
たしか、依頼人の彼女の名前は海野乙姫だったか。見た感じ20代半ばって感じか。話している感じでは、すごく怒っている。
「すいません。録音の関係もあって、さっき聞いた話をもう一度聞きますけど気を悪くしないでください」
「……ええ」
彼女の話を要約するとこうだ。
■回想1
彼女は25歳の会社員。父母は共に50代。兄30代で元々は4人家族だった。家族仲は普通だったらしい。
数年前に当時20代の兄が結婚した。兄は高校時代にひどいいじめを受けていたので人間不審なところがあった。それなのに彼女がいたことも驚いたが、結婚するなんて海野乙姫は予想もしていなかった。
そして、その兄は実家を出て行かず、夫婦で実家に住むことにしたらしい。彼女は当時高校3年生になったばかりだった。
嫁姑問題を心配したが、兄嫁も姑もお互い気を使い合ってそれもなかった。一見、平和に思えたが問題は兄嫁と海野乙姫の間で起きた。それも、かなり静かなところで。
最初は夕飯の時だったらしい。海野乙姫は部活をしているので夕飯が一人だけ遅かった。リビングで一人でご飯を食べていると、たまたま兄嫁がキッチンに来て彼女を見つけた。
「箸の持ち方が変だね。田舎の人はせめてそれくらいできるかと思った」
「……」
あまりのことに海野乙姫は言葉を失った。彼女は自分の箸の持ち方について完璧ではないけれど、人差し指がちょっと箸から浮いているくらいでそこまでひどくはないのだという。探偵事務所に箸は置いていなかったけれど、彼女は近くにあったボールペンを持って箸の握り方をしてみせてくれた。巧としてはたしかに指摘するほど変だとは思わなかった。その事実よりも彼女は、一見優しそうに見えた兄嫁がそんなことを言った事を受け止めきれないでいた。
さらに、兄嫁は大学時代には東京に住んでいたことを教えてくれた。なんでも兄とはその大学のときに知り合ったらしい。
最初はたまたま箸の握り方に厳しい人なのかと思ったらしいが、これだけじゃなかった。
廊下ですれ違ったら兄嫁は彼女にタックルしてきた。最初は貧血かなにかで倒れかかって来たのかと思ったらしいが、悪意100パーセントだと知って信じられなかった。こんな悪意を持った人間が現実に存在することを信じられなかった。現実とはとても思えなかったのだ。
しかし、彼女には相談相手がいなかった。兄嫁は彼女と2人きりの時のみ悪口を言ったり、嫌がらせをしてきていたのだが、母親に相談した時の反応はこうだった。
「兄嫁は私と2人きりの時だけ悪口をいうの!」
「何言ってんの、バカなこと言わないの! それより、霞さんのことを『兄嫁』とか呼ばないの! 失礼でしょ!」
父親に相談したときはこうだった。
「お父さん! 兄嫁が私のことを陰でいじめるの!」
「バカ言うな。霞さんは家事とかまでやってくれてるだろ!」
父も母もまるで信じてくれなかったらしい。それというのも兄嫁はみんなが見ている時はいじめをしなかった。それこそ、天使か菩薩の様に笑顔を絶やさない美人で控えめなお嫁さんだった。海野乙姫と2人の時だけ依頼人に嫌がらせをしていたからだ。
両親はあてにならなかった。しかし、兄は違うはず。兄妹としての関係も築いてきた。兄妹関係は悪くない。兄が力になってくれると考えていたのだ。そして、兄に相談した時の答えはこうだった。
「やめろよ、お前。そういうの良くないぞ。そういうのは小姑っていうんだ。あいつをいじめるな。俺の大切な嫁だ。嫉妬か? ちゃんとお前のことも考えてるから」
他にも、温めて出してくれた夕飯のコロッケがフォークでズタズタに刺されていたり、明日持って行かなければならないので干していた部活のユニフォームを濡らされていたり、シャーペンの替え芯だけ全部2つに折られていたり、通学用の靴下に穴を開けられていたり、家の廊下ですれ違った時は突き飛ばされて……。
とにかく、兄嫁の仕業だと言っても証明するのが難しいものばかりだった。そのくせ、それを見つけた時の兄嫁の反応は見下げるような冷たい視線で「やっと気づいたんだ。にっぶ!」とか「だっさ」とか、とにかく普段他の人間がいる時には絶対言わないようなことを言ってきたらしい。
依頼人にとって自尊心がめちゃくちゃにされた。しかも、悪いのはいつも依頼人ということにされてしまっていた。
ついでに兄からは頭を小突かれるほどだった。
■ 兄嫁の悪行
「兄嫁感じ悪いですね!」
探偵事務所で依頼人の話を聞いて巧はついつい感想を言ってしまった。
「私を信じてくれるんですか! あんなに長く住んでいる家族が誰も信じてくれなかったのに……」
依頼人は少し悲しそうな表情で言った。
「俺たちは依頼人の事を全面的に信じてますから」
彼女の瞳が少し潤んでいるのを巧は見逃さなかった。
巧は話を聞いて疑問に思ったことを訊ねてみた。
「それってあなたが高校生の時のことですよね? 失礼ながら、もう何年も前のことじゃ……」
「それくらいなら私も嫌な気分になるくらいで相手を殺そうとまでは思わなかったです」
殺そうと……。彼女はその兄嫁を殺そうと思っているのか。そこまでとは……。何があったというのか。
「3年の夏くらいから兄嫁からのプレゼント攻撃が始まりました」
「は? プレゼント……ですか? あからさまに怪しいじゃないですか」
「そうなんです。ただ、実害はなかったんです……、しばらくは……」
■回想2
プレゼント攻撃はしばらくは続いたらしい。ヨーロッパの世界的に有名なブランドのバックや財布、ハンカチにスカーフ。月に1個か2個、約半年でプレゼントは10個に及んだ。
財布くらいは使ったが、彼女としては使い道がないのでほとんどは押し入れの肥やしになっていた。それでも、兄嫁との和解の品だと思っていたから返さずに保管していた。
そして、入試の前日の夜。依頼者は当然の様に自分の部屋で勉強をしていたらしい。そこに父母と兄が部屋に入ってきた。
「乙姫! ここを開けなさい!」
部屋には一応鍵があり、集中するために彼女は鍵をかけていた。しかし、外で父親がドアをドンドン叩きながら大声を上げていたので彼女も慌ててドアを開けた。
「お前! 霞さんに嫌がらせをしていたのか!? 裏でそんな事をしてるなんて!」
父親は訳のわからない事を言いながら部屋に入ってきた。母親と兄は父の後から部屋に入ってきて彼女のクローゼットを開け、中をあさり始めた。依頼者は訳が分からず困惑するばかり。事情が分かったのは兄からの言葉だった。
「お前! これなんだ! こんなバッグどうしたってんだ!」
クローゼットからは兄嫁からもらったブランド物類がどっさり出てきた。
「これは兄嫁からもらって……」
「こんな高いもんを高校生にやるやつはいないだろ! 嘘つくにももう少しましな嘘があるだろ!」
依頼者は父親に殴られた。たしかに、この状況では兄嫁の持ち物を盗んだり、奪ったりして隠し持っていたように思えなくもない。
「ほんとにもらった……」
「まだ言うかっ!」
続けて父親からは胸ぐらを掴まれて思いっきり力任せに殴られた。
「乙姫! あんたが裏でこんなことしてたなんて! お母さん悲しいわっ!」
「違っ……私はっ……!」
「まだ言うかっ! このっ!」
母親も信じてくれず、父はまだ殴ってくる。兄も罵倒してくる。
父親に殴られながら部屋の入口に視線がむくと、頭だけ出して部屋の中の様子をうかがう兄嫁が立っているのが見えた。こいつの仕業かとやっと理解したが後の祭り。
「お義父様、お義母様。乙姫さんは悪くないんです。私が大事なお兄さんを取ってしまった格好になってしまったから……」
いかにもしおらしい事を言う兄嫁。
「霞さんは黙っててくれ! これは私がこのバカ娘に対しての教育だから!」
「私は何を間違えたの!? あんたがこんな事をする人間になってしまうなんて!」
父も母も娘が兄嫁の持ち物を盗んだ事を疑わない。兄も自分の嫁を守る正義の人を気取る始末。
彼女は自分の味方はいないのだとこの時点で悟った。恐らく、ブランド物のプレゼントをくれ始めた頃から約半年をかけて少しずつ依頼者に疑念が向き、兄嫁の味方をする様に家族を洗脳してきていたのだろう。
そして、なんの防御策も取らずに来た依頼者は兄嫁イビリの犯人に仕立て上げられてしまっていた。
「霞さんはな、二の腕とかお腹とか、見えないところに痣がいっぱいだったぞ! 見えないところばかり殴って姑息な!」
どうやら裏でDVしていることにもされている模様。ショックなのは、それを家族が信じていること。
父母と兄は代わる代わる暴言を吐き、被害者は無理やり正座を強要された。その折檻は朝方まで続き、依頼者は完徹で共通テストに臨んだ。後に1日目の記憶はほとんどない状態。弁当もなく昼休みの時間は机に突っ伏して眠っていた。
帰れば両親は泥棒の大学費用なんて出さないと言い始め、依頼者の心を折りにかかっていた。そんな調子で受験がうまく行くはずもなく、共通テストは惨憺たる結果になった。おかげで、国立は早々に諦め、教科数が少ない私立に絞る羽目になった。
あの日から家族は娘と食事を摂らなくなり、父母と兄夫婦がご飯を食べ終わったあとに残った物を食べるよう強要された。料理も彼女の分だけ皿に盛られておらず、依頼者は自分で鍋に残ったおかずをついで、電子レンジで温めて食べていたという。父親が兄嫁に謝れと言ったことに対して、最後まで一度も謝らなくったのが気に入らなかったらしい。
私立はそれまでに貯めていたお小遣いで2校(2学部)だけ受験し、見事2校受かった。しかし、奨学金がもらえる学校にする必要があり、大学のランクは一つどころか、三つか四つ落とすことになった。
依頼者は高校卒業と共に実家を追い出された。この時、昔から可愛がっていた猫は連れてこれなかった。住むところが定まっていなかった上に、お金の面でも不安があったからだ。自分が食べるのも大変だったのに、猫の分までは手が回らなかったらしい。
彼女は親の援助もなく、奨学金とアルバイトで学費と生活費を稼ぎ大学を卒業した。社会人になって数年経ったのが今らしい。
■ 今仕返しをしたい理由
「じゃあ、なんで今のタイミングなんですか? その時からもう何年も経ってるのに……。やり返すならすぐっていうか……」
「つい先日、兄嫁がこたつ……私の猫を殺したんです」
「は……!?」
こたつとは、彼女の飼っていた猫の名前らしい。それにしても、そこまでするかって気持ちだった。
「兄嫁は猫とかペットを嫌ってたから、なにかのタイミングで殺したみたいで死んだこたつの画像を送ってきたんです」
「死んだ猫の画像!? かなり非常識ですね」
依頼人の顔を見たら、あいつならやるって表情だった。
「だから、あいつの弱みを見つけて徹底的に仕返ししてやりたいんです!」
「なるほど……。もしかしたら、うちに依頼してもらったのは正解だったかもですよ?」
「……?」
依頼者は首を傾げた。
「話しは聞かせてもらったわ!」
急にこの探偵事務所の所長である花蓮がドアを開けた。
「あ、所長!」
いったいどこで話を聞いていたら、外から帰ってくるや否や依頼者の話を理解しているというのか。
そして、所長がいるという事は、当然ながらあの人も……。
「たっだいまー。あ、巧くんが美人と浮気してるー!」
この人はいつも楽しそうだ。秘書兼お色気担当……? の三千華さんだ。
「三千華さん、やめてください。依頼者さんなんですから」
「あ、ごっめーん♪」
いや、その片目ウインクで舌がちょろっと出てる「ごっめーん」はめちゃくちゃ可愛いですからーーー!
「あの……この方たちは……?」
依頼者の海野乙姫さんは少し困惑気味に尋ねた。俺は少しドヤ顔で答えた。
「このふたりと俺で『仕返し屋』なんですよ」
○●○
「仕返し屋」とは、その名の通り依頼者に成り代わって仕返しをしたり、依頼者をサポートして仕返しをする者である。
所長は花蓮。探偵事務所の所長兼仕返し屋のリーダー。身長143センチと小柄。さらさらのロングヘアに世の中を見透かしたような半眼が特徴。
秘書は三千華。探偵事務所の秘書兼ハニートラップ担当兼仕返し屋の実行役の一人。道を歩けばほとんどの男が振り返る程の美貌が武器。
そして、俺。巧。探偵事務所の力仕事と雑務担当兼……奴隷。仕返し屋の実行役の一人でもある。
不条理な世の中の一筋の光、仕返し屋はあなたの悔しい思いを晴らします。
○●○
■反撃開始
「巧さんが『仕返し屋』ってことは分かったんですけど……」
再度、海野乙姫が探偵事務所を訪れていた。巧は依頼人の海野乙姫に「仕返し屋」は仕返しの代理や補助をするという事を既に説明されていた。しかし、当の依頼人はご不満の様子。その表情からすぐに分かった。
巧が彼女に「任せてください」と言ってからすでに4週間。目立った動きがなく海野乙姫はしびれを切らしていたのだ。
「じゃあ、仕返しのプランをお知らせします。
「ちょっと待ってください! 私は仕返しがしたいんじゃないんです! あの女を殺そうと思ってるんです!」
その勢いに一瞬、巧がたじろいだが、そのまま顔を近づけた。今度は海野乙姫が怯む番だった。そして、巧は静かに言った。
「ただ殺すんじゃなくて、極限まで後悔させてから殺すのはどうですか?」
「……いいですね。詳しく教えてください」
海野乙姫はニヤリと微笑んだ。彼女は本気だった。それほどまでに彼女の怒りの炎はたぎっていた。
「まずは、海野家に盗聴器を仕掛けました」
「はぁ~~~!? そんな事が可能なんですか!?」
海野乙姫はものすごく驚いていた。
「俺がリフォームの営業になりすまして無料点検の名目で家に潜入したし、こちらの三千華が兄嫁さんにと化粧品の訪問販売でも訪問して来ました」
「なんでそんなことできるんですか!? 普通、どっちも玄関ドア前で追い返されるやつじゃないですか!」
海野乙姫の実家は一軒家だ。訪問販売はかなり多い。マンションと違ってインターホンとオートロック付きのエントランスがないので、営業の訪問は多い。だからこそ、ほとんどの営業を断る術を持っているはず。そこに2人も入ってきて、その上盗聴器まで仕掛けてくるなんてこの2人、とんでもなく優秀なのでは!? ……と、海野乙姫は驚いたのだ。
「うちのメンバーは優秀なので」
所長の花蓮が小さい身体ながら腕組みをしてどや顔で言った。もっとも、クールな彼女なので、それがどや顔だと分かったのは同事務所のメンバーだけだったのだが。
優秀も何も縁もゆかりもない家に入り込んでその家の人間に悟られないように盗聴器を仕掛けてくるというのはかなり難度が高い。しかも、盗聴器と言えば大きく分けて3種類あるのだが、その一番難易度が高いものを設置してきたのだという。
「一番手軽で現実的なのはコンセントに付けるタイプで二股になっていたりするものです。電源供給がコンセントからされるので半永久的に使えます。他には電池内蔵のカードタイプです。厚みが6ミリしかなくてクレジットカードと同じ大きさなので相手の荷物に忍ばせたりすることができますが、電池が概ね1日しか持ちません。最後に一番難しいのがコンセントのパネルの裏に取り付けるタイプです。電源供給されるので半永久的に使える上に外からは見えません」
「ちょっと待ってください」
ここで海野乙姫が手のひらを巧に向けて話を遮った。
「あの実家ですよ? 実の娘の言うことも聞かないダメな両親と芯の芯まで意地が悪いあの兄嫁と、それの言うことを丸々信じるあの兄たちの家に入って、その壁の中に取り付けるという盗聴器を付けてきたって言うんですか!?」
「そうなりますね。まあ、乙姫さんからしたら信じられないかもしれませんね」
んんん、と一つ咳ばらいをして巧が詳細を説明し始めた。
■ 盗聴器の仕掛け方
巧は自分が盗聴器を仕掛けに行った時のことを説明し始めた。
「俺は作業着を着てリフォームの営業として訪問しました。無料点検に加えて、1か所までは無料で修理することを言うと家にあげてもらえました。床下と壁の中が白アリに食べられてないか調べてみますって言って、コンセントの中に盗聴器仕掛けてきました」
「あの家の人間ならタダとかに弱そう……」
海野乙姫が頭を抱えている。あり得そうと思ったのだろう。
「次は、三千華さん」
「はいはいはーい!」
今度は三千華が代わりに立ち上がり、敬礼しながら嬉しそうに答えた。
「私はね、肌をプルンプルンにしてあの家の近くを通りかかって、洗濯物を干していたお兄さんに声をかけました。高級な化粧品を奥様にプレゼントしたいって言って無料サンプルの箱をチラつかつつ、胸元が開いた服で言ったらお兄さんは胸ばかり見てましたし、すぐに家に入れてもらえました」
「あの兄……」
海野乙姫は目を覆ってその時のことを想像していたようだ。よほどリアルに想像できたのだろう。
「まあ、そんなこんなでどちらも簡単に入れましたよ?」
そう言いながら、何でもないことの様に巧は説明した。そして、スマホほどの大きさのボイスレコーダーと思われるものをテーブルの上に置いた。
『乙姫の猫はどうした?』
そこからは海野家の父親の声がしていた。他でもない18年間あの家で暮らしていた依頼者にはそれが一発で分かったのだ。
『乙姫さんがとても可愛がっていたってことだったので丁重に葬ってあげました』
今度は少し若い女性の声だった。これが兄嫁の声だとすぐに乙姫には分かった。なにが「丁重」にだ、と頭の血が沸き立つように沸騰するのが彼女自身感じられた。兄嫁が猫を殺した証拠はないものの、苦悶の表情で死んでいる猫の画像を撮影してわざわざ送ってくるあたり悪質だと感じたのだ。
長年猫を飼っていた乙姫には分かるのだ。猫は死ぬ間際飼い主やその他の人にその亡骸が見られないように人目につかない場所に移動する。あの家の場合は軒下とか、いっそのこと敷地外の普段絶対に行くことのない公園の茂みの中などだ。
ところが、送られてきた猫の画像は苦しい顔をした上に畳の上に横たえられていた。彼女が物心ついた時には家にいた猫で、既に20歳位になっていた。これは人間で言えば100歳くらいの老猫だ。一日のほとんどを横になって過ごしていただろう。それを踏みつけて殺したことすら考えられた。
乙姫はあの人ならそれくらいのことはする。そう感じていた。
ただ、ここではそれは問題ではなかった。ちゃんと父親と兄嫁の声が聞こえたのだ。あの居間のどこかに本当にこの人たちは盗聴器を仕掛けてきたのだと心強く感じたのだった。
「これからどうするんですか?」
「実は準備が全て終わったのでお呼びしました。俺たちしかできない方法で思う存分仕返しさせてあげます」
「巧さんたちしかできない方法……?」
全てが彼女の想像の斜め上だったので、海野乙姫にはこれから何が起こるのか想像すらできないでいた。
ちょうどこのタイミングで海野乙姫のスマホに彼女の兄からメッセージが届いた。
「メッセージ? 兄から……?」
「ジャストタイミング! 開いてみてください」
巧は指をパチンと鳴らして海野乙姫のスマホを指さした。彼女はスマホのメッセージに視線を移した。
『久しぶりだな。実は衛が血液の病気なんだ。ドナーが必要で適合者を探してる。適合率は血縁者で1/4なんだ。俺も霞もダメだった。父さんと母さんも適合しなかった。家族以外だと数万人に1人の確率らしい。念のため、お前も検査を受けてもらえないか。病院はこちらから手配しておく』
『衛』とは兄夫婦の子どもの名前だ。
「これは……?」
「来ましたか。チャンス到来ですね!」
「これ……どういうことなんですか……?」
海野乙姫は困惑していた。まずは兄からのメッセージが数年ぶりだ。いや、彼女は実家で一緒に住んでいた頃もメッセージなんて送られてきたことがないことを思い出した。既におかしなことが起き始めていた。
「あの……これってどうすれば……?」
「受けましょう! 検査を受けましょう。そしたら、乙姫さんの下準備も全て終わりです」
涼しい顔で巧が言った。
■ ザマァの開始
約10日後、海野家の実家に一同が集まった。集まったと言っても、父母、兄夫婦はそこに住んでいるので話し合いに参加しただけだが、今回の依頼者である海野乙姫に加えて、所長の花蓮、秘書の三千華、そして、担当の巧が同行していた。ちなみに、件の子ども衛は別室にいるのか、入院中なのかその場にはいなかった。
話し合いは海野家の客間で行われた。和室に大きなローテーブルが置かれ、海野乙姫の両脇を探偵事務所のメンツが固めたので、テーブルを挟んで向かい側に父母、兄夫婦が陣取る形になっていた。
「乙姫、この方たちは?」
父親が不機嫌そうに彼女に訊いた。
「弁護士事務所の方です。色々相談させてもらってます」
通常、探偵が弁護士を名乗ると法律違反になってしまう。しかし、巧たちの事務所の場合、所長が弁護士資格を持っているので三千華と巧はその資格を持っていなくても助手としてそう名乗ることを許される。
こういう時は、人数は多いに越したことはない。ましてや弁護士が同行となるとそのプレッシャーは数人分ではないだろうか。
「なんで弁護士が……」
「それよりこれ」
父親が続きを訊こうとしていたが、乙姫が話を進めた。
「それっ!」
乙姫が大きな封筒から「骨髄提供についてのご案内」と書かれた紙がのぞくものをテーブルの上に置き、それを見た兄嫁がいち早く反応して飛びついた。封筒から紙を取り出し、結果を食い入る様に見ていた。
今一番彼女が欲しいものと言える。
「私は適合したみたいです」
冷静な感じで乙姫が全員に発表した。
「じゃ、じゃあ……」
「よかったー! これで衛は……」
「でかしたぞ!」
海野家の実家側の人間はホッとした様子で勝手なことを言って喜んでいた。
しかし、ここからが彼女の仕返しが始まるところだ。
「条件を飲んでもらったら、提供もやぶさかではありません」
彼女の一言で海野家の実家側はピタリと止まった。
「こんな時に条件を出すなんて!」
「衛の命がかかってるんだぞ! 非常識だ!」
「人でなし!」
実家一同は乙姫を罵る。この場合逆効果だと思わないのだろうか。
「じゃあ、今の時点で提供しないことに決める」
乙姫は子どもが拗ねたみたいに横をプイと向いてしまった。
「まあ、冷静になれ。乙姫の条件ってやつを聞いてみようや」
家長たる父親が一同を静かにさせた。意を決した様に乙姫が言葉を紡ぎだした。
「兄嫁が私に2人のときだけ悪口を言ったり、私にくれたブランド物を盗んだって嘘ついて私が泥棒したみたいに言った理由をここで言って」
「「「……」」」
部屋が水を打った様に静かになった。
「……霞?」
兄嫁が恐る恐る訊いた。
「違うの! あの時は若かったの! 予定外に義両親同居になって、家の中に味方がいない所に1人で入ってきて心細かったの! いつも失敗しないかピリピリした空気の中、1人でお気楽な乙姫さんが憎らしく思えたのっ!……あ」
ここでしらばっくれることもできたかも知れない。しかし、我が子の切羽詰まった状況と極度の緊張で兄嫁はほとんど全てを自白した様な形になってしまった。
「どういう事だ!?」
兄は兄嫁に詰め寄る。
「ごめんなさい! 乙姫さんは可愛がられて、楽しそうで、部活も勉強も楽しそうで眩しかったの!」
反射的に答える兄嫁に兄は呆れて追求を止めた。
「じゃあ、あの乙姫が悪口を言うっていうのは……嘘……だったの?」
「……はい」
愕然とする兄に申し訳なさそうに答える兄嫁。
「アザは……?」
「自分でぶつけました」
「はぁ!?」
ここでようやく両親が我に返って状況を理解し始めた。
「もしかして、ブランド物の窃盗の件も……? いや、まさか……な」
もはや信じたくないという状況の兄。
「わざわざ共通テストの前日に私を犯人に仕立てて、家族を部屋に乗り込ませましたね」
「……」
違うと否定してしまうと乙姫がへそを曲げてしまう。そうなるとドナーになってもらえない。嘘をつくことも許されず、兄嫁は答えに窮した。
再び沈黙が客間を支配した。兄嫁は耐えられなくなりテーブルの下座に移動したかと思ったら、土下座で乙姫に謝りだした。
「すいません! 乙姫さん! 悪気はなかったんです! 本当に緊張が続いてて普通じゃなかったんです!」
兄嫁は畳に額を擦りつけたまま謝り続けた。
「まだありますよね? この際、全部話してしまいましょう。お義姉さん」
乙姫は元来Sの気があったのかもしれない。かなりノリノリだ。
「巧さん、あれを」
「はい」
そう言われて、巧は乙姫に送りつけられてきた猫の画像をA4サイズに印刷したものをテーブルの上に置いた。
「きゃーっ!」
一番に悲鳴を上げたのは母親だった。父も兄も顔を引きつらせていた。世話は乙姫が主にやっていたといっても長く家で飼っていた猫だ。苦悶の表情で絶命している猫の画像はそれなりにショックなようだった。
「この猫は寿命ではなく殺された可能性があります」
「そんな、まさか!」
巧の説明に兄が驚きの声を上げた。
猫は軒下などで最期を迎えるなどの情報を説明し、その上でこの写真の亡骸はおかしいと付け加えた。
「猫が死んでいたと聞いたし、弔いは霞さんが引き受けてくれたから……」
どうやら家族たちは猫が死んだあとその亡骸を見ることもなかったようだ。
「ひどい……。こんな写真を撮って飼い主の乙姫に送り付けるなんて……」
「普段、優しく接してくれている霞さんが裏でこんなことをしていたなんて……」
「霞……お前……」
一斉に海野家側の人間が兄嫁に嫌悪感をにじませてきた。
「ち、違うんです。洗濯物を両手いっぱいに抱えたまま縁側を歩いていたら、たまたま足元に猫がいたことに気付かなくて……」
兄嫁は土下座の姿勢で海野家の方に方向を変え、弁解し始めた。
「踏んづけて殺したって言うのか!? ひどすぎる……」
一度頭を上げた兄嫁は一同を見渡すと改めて土下座をして謝罪した。
「お父様、お母様、渉さん、乙姫さん、これまで本当に申し訳ありませんでした。私の心が弱いばかりに……、本当に申し訳ないことをしてしまいました。これからは全力で汚名返上と名誉挽回に努めたいと思いますので、なにとぞ一度だけのチャンスをください!」
兄嫁は土下座していても分かるほどに泣いていた。時々とぎれとぎれに謝罪する様は本当に悪いと思っている様に感じられた。
「……霞さんもこんなに謝ってるし……」
「誰でも間違いはあるものよね……」
「……」
どれだけ寛大な家族なのか。妹の乙姫があれだけ迫害されていたのは何だったのかと思えるほどに父親、母親は兄嫁にほだされそうになっていた。
「巧さん、第二弾をお願いします」
少し話がまとまりそうな時に、海野乙姫がクールな口調で言った。
■ 完全勝利
「はい」
ここで巧が2番目の封筒を取り出し、先ほど同様にテーブルの上に置いて中身を取り出した。そこにはレジュメが入っており、人数分のコピーが準備されていた。
「なんだ?」
「今度はなんだっていうの?」
「もういいだろ……」
なんだかんだ言いながら両親と兄はそのレジュメを受け取り、中身を見て行く。
「「「……」」」
3人の口から何も音が発せられなくなり、次の瞬間6つの目は未だ土下座状態の兄嫁に向けられた。
異常な空気を察し、テーブルの上のレジュメのコピーを慌てて手にする兄嫁。そこには「海野霞氏経歴調査レポート」と表題が書かれていた。5ページほどのそのレジュメを慌ててページを開き中身を検める兄嫁。
「お兄ちゃんは高校の時3か月ほど不登校になっていたわ」
兄嫁がリアクションするよりも一足先に乙姫が話し始めた。
「そのころ学校でひどいいじめを受けていて、お兄ちゃんは教科書や体操服を捨てられたり、メッセージで死ねとか連日言われてノイローゼになってた。お兄ちゃんの友達が自殺未遂したことで明るみになって新聞に載るほどの大問題になったわ。それ以来、お兄ちゃんはいじめに対して人並み以上に嫌悪感を持っていると思うわ」
既に目を通していた乙姫がそのレジュメの内容を話し始めた。
「ここにはお兄ちゃんとは別の学校の別のクラスのいじめについて書かれているわ」
「それが私と何の関係が……」
兄嫁が何のことだか分からないという様子で眉をひそめる。
「探偵が兄嫁のことを調べていたら、高校3年間特定の女の子をいじめて、その子は最終的に学校に来なくなり、後に自殺未遂をしていた事が分かりました」
乙姫が左右の花蓮、三千華、巧に視線を送るとそれぞれが無言で小さく頷く。そして、視線を兄嫁に移して言った。
「そのいじめは海野霞さん……いや、旧姓の祖月輪霞さん……と言った方がいいのかしら?」
「そがわ……?」
ここで一番最初に反応したのは兄だった。
「霞がいじめを……?」
「学校でもかなり問題になり、調査が行われたみたいですね。加害者たちは生徒たちのアンケートで特定され、その親たちが謝罪して和解金を支払った記録があります」
淡々と巧が調査結果を報告していく。
「そんな……じゃあ、霞は……」
「その加害者の1人……1人どころか主犯格でした。未来ある若者たちってことで、加害者の罰は軽いものだったみたいです」
巧の言葉に顔面蒼白の兄嫁。兄はいじめ経験者で人一倍嫌悪感を持っている。いじめの加害者だった兄嫁を許せるのか、それは兄にしか分からない。
「霞……お前……」
「違うの! あの頃はまだ若かったし! それに私じゃないもの。ちょっとノリで言っただけで調子に乗ったヤツがちょっと追い詰めただけで……」
「ノリで殺されてしまったら、いくつのときでもシャレになりません」
冷たく合いの手を入れる巧。言葉を失う兄嫁。
「さあ、誰が本当のことを言っていて、誰が嘘を言っているのか、みなさん段々分かってきたところで、話を戻したいと思います。本日は、お兄様と兄嫁様のお子さん衛くんのドナーのお話です」
巧の言葉に一同がはっとする。あまりに衝撃的すぎる暴露話が続いたのでみんな本題を忘れていた。
「お義姉さん、お義姉さんにとって子どもは大切ですか?」
乙姫は兄嫁を見下げ、さげすむ様な視線で聞いた。
「当たり前じゃない! お腹を傷めた大切な子どもだもの! 大切に決まってるじゃない! 行き違いの件は謝ったわ! 猫の件も! 最終的にはちゃんと葬ったんだから結果オーライでしょ!? お願い! 衛の治療にはドナーが必要なの!」
もうなにを言っているのか分からない兄嫁。しかし、畳に額をこすりつけて泣きながら土下座の状態で乙姫に懇願する。
「ふーん、あなたみたいな人でも子どもはかわいいですか」
「当たり前じゃない! バカじゃないの!?」
頭に血が上って本性が見え隠れする兄嫁。
「じゃあ……」
「ほんと!? ありがとうございます! ありがとうございます!」
全部言い終わる前に、被せる様にお礼を言い続ける兄嫁。
「骨髄提供……しません!」
「「「……」」」
乙姫の言葉に三度客間が静かになった。
「お……お前! きさまーーーーー!」
兄嫁が乙姫に掴みかかった。その時の顔は普段の温厚そうな顔ではなく、鬼気迫った鬼婆のようだった。当然横にいた巧がいともあっさり制圧した。
「子どもの命が大切だと言うあなたは、かつてのクラスメイトを死の淵に追い詰めたり、私の猫を殺したり、命の重みが分かってないみたいだから他人から蔑ろにされたらどう感じるか思い知ってほしい」
「……」
兄嫁はそうとう悔しそうな顔だが無言。海野乙姫の完全勝利で話は終わった。
■ 後日譚(海野乙姫)
こうして私、海野乙姫の「ザマァ」は全てスッキリと終わった。後日譚としてその後ドナーは見つからず子どもは3か月後に亡くなったらしい。兄嫁は鬱の症状が出始めてしまい、掃除も洗濯も料理もしなくなり、1日中子ども部屋の床で座って過ごす様になってしまったという。
兄は兄嫁がかなり深刻ないじめをしていた過去を知り、自分の同級生の自殺未遂のことを思い出して兄嫁のことを軽蔑する一方、妻であり自分の亡くなった子供の母親であることから手放しに見捨てることもできず、どう接していいのか判断に困っているようだ。しかし、兄嫁は廃人の様になってしまっているので追い出すこともできず話は進まない。
両親は兄嫁の裏の顔を知ってしまい接するのが怖くなってしまったらしく、彼女に一切話しかけなくなってしまった。なんとか家から追い出したい気持ちが透けて見える。
なお、両親と兄は私に何度も謝罪をしようと弁護士事務所に申し入れを行ったらしいが、住所も電話番号、メールアドレスなど一切知らせないでという私の希望にそって何も知らせなかったため連絡手段がなく謝罪することすらできないでいた。
逆に私は実家の住所や電話番号は当然知っており、いつでも連絡することができた。
「もしもし。あ、その声はお義姉さんですか?」
私の反撃は終わっていなかった。しばらくして実家に電話をかけた。たまたま電話に出たのは兄嫁だったらしい。
『あんた、なによ! これ! 私への当て付けのつもり!?』
私は入園用のカバンを買って兄嫁宛に送りつけていた。
『もうすぐ幼稚園入園の頃ですね。子どもも入園したかったでしょうね』と書いた一筆箋を同梱した。
最近では荷物が届けられた瞬間に発送主にメールでお知らせが届くサービスがある。私は海野家実家に荷物が配達されたタイミングでわざわざ電話をかけた。実家に電話したのは兄嫁の電話番号を知らないから。父母や兄が電話に出た場合、兄嫁に替わってもらうつもりだった。
替わらなければいいだろうと思うけれど、兄嫁は負けず嫌いだ。荷物が届いたら電話がかかってくると分かっている。その電話に出ないことはないのだ。廃人同様だとしても彼女のプライドにかけて。
「お義姉さん、何かお困りの際は知らせてくださいね」
『ぐうっ……!』
嘘である。そもそも兄嫁は私の連絡先を知らない。連絡することなどなんてできないのだから。要するに、嫌味か、皮肉か、はたまた嫌がらせかなのだ。
私は電話を切って小躍りしながら別の小さな端末のスイッチを入れた。
『きーーーーーっ! あいつは何なのーーーーーっ! (がしゃーーーーーん!)』
スイッチを入れたのは巧さんに仕掛けてもらった盗聴器だ。家にいながら実家の声が聞けるのだ。早々に電話を切っても私には実家の様子が手に取るように分かっていた。
『霞さん! 落ち着いて! 渉! わたる来て!また霞さんがっ!』
『霞! 物を投げるな! あぶっ! あぶなっ!』
『渉! やっぱり病院に連れていきなさい!』
家の中がもめているのがすごく分かる。
「ふふふ……」
高校時代は友達をけなされて、受験を妨害されて、行ける大学も変えさせられて私の人生は大きく変えられてしまった。仲が良かった家族も奪われて私の味方は一人もいなくなった。物心ついた時からずっと一緒だった猫は殺された上に、その亡骸を見せつけられた。
多分、私の心はどこかの時点で壊れてしまっているのかもしれない。あれだけのことになっていても少しも助けたいという気持ちが起きないのだから。
この状況になった頃、仕返し屋の人たちには「じゃあ、仕返しもできたし、次は兄嫁さんを殺しますか?」と訊かれた。「とんでもない」と私は答えた。殺してしまったら、今後の仕返しができなくなってしまう。相手は私に手を出すことはできない状態で、好きな時に好きなタイミングで相手に仕返しをし続けることができる……この状況を自ら手放すなんて、そんなことする訳ないのだ。
■ 後日譚(仕返し屋)
「「「スカットーーーーー!」」」
弁護士事務所 兼 探偵事務所 兼 仕返し屋オフィスでは恒例の祝杯をあげていた。「スカット」は仕事が終わった時の祝杯の文句。社名でもあるし、すっきりした時の「すかっとした」などもかかっているらしい。俺が入所する前からの定例らしいのでそれ以上は知らないけど。
「お疲れ様でしたー」
俺たちは今回の依頼の振り返りをしていた。
「巧くんもお疲れ様ーーーーー」
「巧、お疲れ様。いい仕事だったわね」
三千華も花蓮もそれぞれ好みの酒をグラスで持っていた。
「もう1回乾杯しますか」
「そうね、カンパーイ」
「乾杯」
おい、「スカット」はどこ行った。
俺はこの事務所ではほぼ実行役を担っていた。実行役と言えば聞こえはいいけど、物理的に動くことのほとんどをやっていた。所長はほぼ頭脳労働。まあ、彼女が動く時はそれなりに覚悟する必要がある。そんなことを考えたら、つくづく俺は奴隷だなぁと思う。
「それにしても、兄夫婦の子どもさんは残念でしたね。タイミング的に絶妙だったというか……。結果的にあれがあったから依頼者の仕返しにだいぶ有利に働きましたね」
花蓮が無言で口元だけに笑みを浮かべた。それを見て巧は怖くなった。
「所長、もしかしてお子さんを意図的に病気にさせたりしてないですよね……?」
「……」
所長の花蓮は何も言わない。ただ微笑んでいるだけ。
三千華さんはお色気担当。本来なら今回の出番はないはずだ。今回は実家に盗聴器を仕掛けに言った訳だけど、先に行った俺が既に盗聴器を設置できた。じゃあ、三千華さんはなにをしに行ったんだ!?
「いやいやいや、そこは否定してくださいよ」
冗談にツッコミが無く不安になる巧。
「三千華さん、なんか言ってくださいよ。所長が……」
三千華は明後日の方向を向いている。この分かりやすい反応。所長と違って三千華さんはそこまで頭脳派じゃない。彼女はなにをしに実家に潜入したんだ!?
「え? 嘘ですよね? あの子、死んだんですよ?」
「あら、巧はあの子どものお葬式に行ったの?」
「……いえ、行ってないですけど」
彼女たち2人が何も言わないことで現実味がわいて来て、巧は少し怖くなった。
そういえば、低周波音にずっとさらされていると病気になるという話をテレビか何かで見たことがあることを思い出した。低周波は一例としても、病気になることを人為的に誘発することができる様な仕掛けが存在して、それを三千華さんが仕掛けに実家に行ったとしたら……。
「ちょ、ちょっと待ってください。どこからどこまでが本当で、どこまでが嘘なんですか?」
「私たちの仕事は人を殺すことではないわ。まあ、社会的には抹殺することはあると思うけど。依頼人が気持ちよくスッキリできればいいの」
所長の花蓮は涼しく答えた。
「ちょっと、俺だってここの一員なんですから、詳しく教えてくださいよ!」
「ふふふ……じゃあ、詳しく教えてあげようかしら」
事務所の中で花蓮による解説が始まったようだ。あなたはどこからがフェイクだったのかおわかりだろうか。ひとまず、今回のSQATTの仕事は終わったようだ。
〈了〉
需要があれば他のお話を書きたいと思います。