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金曜日の信用


 昼休みの終わりを告げる鐘の音で先輩と別れたわたしは教室に行かず、渡り廊下にいた。


 もうすっかりサボりが板についてきた。

 しばらく猫の顎の下を撫でていたが、猫は急に何かに気づくといなくなってしまう。


 顔を上げて、すぐ近くに来ていた人に言う。


「……先生が来ると、猫が逃げます」


「う、うん。ちょっと僕の教科で使う薬草の匂いが嫌みたいでね……僕もいつも悲しいんだけど……」


「僕が嫌われてるわけじゃないんだからね」と、子どもみたいな反論をして、先生はわたしの隣に座る。


「授業は出ないの?」


 また、サボりを目撃されてしまった。二度目ともなるとちょっと気まずい。


「ここが……気持ちいいので……」


 先生は「そう」と言って隣に腰を下ろす。


「レアンドロとは仲良くしてる?」


 そう聞かれて顔を上げる。ニコニコしていた。


「いや、彼、落ち込みやすくて繊細だから……なかなか友達とかもできないんだよね」


 なるほど。この先生、妙に絡んでくるなあと思っていたけれど、その理由がわかった。

 レアンドロ・アルドナートは素行は悪いけれど、ものすごく才能あふれる有望な生徒でもある。

 もしかしてバルトロマーニ先生は、妙なのが妙なことして先輩の勉強の妨げにならないか心配なわけだ。

 ごめんなさい。妙なのが妙なことしてます。でも、もうすぐいなくなりますから。


「何か、困ってることとかある?」

「え? わたしですか?」

「うん」

「なんでですか?」

「いや、僕、一応教員なんだよね……何か力になれることがあれば……無理はしなくていいけどね」


 劣等生には興味ないかと思っていた。

 まぁ、ついでに聞いただけかもしれない。

 でも、そうだな。せっかく恋をしたし、恋愛相談でもしてみようかな。恋話、したことないし。


「わたし、先輩に好きになってもらいたいんですけど、ぜんぜん駄目なんですよ」


 臆面なく言ったわたしに、先生は目を丸くした。

 鼻の頭をポリポリ掻く。そうして結構長い時間、どこかを見て考えていた。


 よく考えたら教員にしても困る質問だったかな、そんなふうに思い始めた時、先生が口を開く。


「彼が人を好きになれないのは……結局相手の好意を信じられないからじゃないかな」


 ぽつりと吐き出された言葉にまたその顔を見る。先生はやわらかに笑った。


「信用できないと、誰かを好きになるのをどうしても認められないんだよ。まぁ、彼の、わりと悲惨な生い立ちの弊害ってやつだと思うんだけど」


「わたしも、まぁまぁ悲惨な生い立ちだったので……わかる気がします」


 いろんな嫌な目に遭ってきている先輩は、心に強いガードが存在する。

 他人を好きになろうかなと思っても、条件反射のように裏切りを警戒してしまう心のバリアがあるのだろう。

 うっかり好意を持ちそうになっても自分の心がそれを頑なに認めようとしない。どこか鍵をかけたままにしてしまう。

 それは、なんだかわかる気がした。

 わたしも、似たようなところがあるからだ。

 他人とちょっと仲良くなっても、ほんとうは向こうがどう思っているかすぐ疑ってしまう。きっといつか裏切られるから、最後までは信用しないようにしている。ほとんど無意識にその機能は働く。

 わたしたち、ちょっとかわいそうだな。


「そしたら、わたしの愛がちゃんと先輩に伝われば、先輩もわたしを愛すかもってことですか?」


「あはは。その保証はないけど……まず警戒が解けないことには始まらないよね」


 まぁいまだに、たまに触ろうとすると避けられるから、警戒は解けていないだろう。


 先生は笑って「クッキー食べる?」と言って小袋を取り出した。お礼を言ってもそりと齧る。


 あれ? その時気づいてしまう。

 先輩は、わたしが何度告白しようとも、全部呪いを解くための嘘と思ってしまいそうだ。この状況で猜疑心の強い人に信じてもらうのむずくないか。


「彼は、だいぶ奥手だからね。でも、君に心を開こうとがんばっていると思うよ」


 先生がクッキーをモショモショしながら呑気な口調で言うのを聞いて、先輩にはちゃんと見てくれる人がいるのだと、それを嬉しく思う。


「先生、先輩のこと、よろしく頼みます。幸せにしてあげてください」

「……僕は誰に何を頼まれているんだ……?」


 先生は苦笑いしている。


「え、っと、変な意味じゃなく、先輩が信用できるとしたらわたしより、やっぱ先生だし。わたしは、先輩には、もっと幸せになってほしいんです」

「君は、それでいいの?」

「はい」


 会ったばかりで迷惑をかけているわたしが好かれなくても仕方ない。

 自分じゃなくとも先輩が信用できる人間がいるということは、すごくいいことだと思う。



   ***



 先生が仕事に戻っていったので、わたしも渡り廊下を離れた。

 さっきどこかに行ってしまった猫を探しながら校舎を徘徊する暇つぶしをしていると、少し遠くに見知った白い頭が見えた。


 あれ、先輩だ。

 何やってるんだろう。授業中なのに。人のことは言えないけど。あれ、誰かと話してる。先輩って、人と普通に話したりするんだ。


 柱の影からそーっと覗き込むと、相手は『魔術実践II』のルナデッタ先生だった。


 ルナデッタ先生は、金髪のベリーショートに吊り上がった瞳のエキゾチックな美人だ。さらに背が高くて胸とお尻が大きくて腰がくびれてる、蜜蜂みたいな体型だ。元軍人らしく、かなり厳しい先生なのだが、それでも男子生徒にはたいへん人気がある。


 長身で美形の先生の隣に立って様になる男性はそうはいない。

 しかし、美しき孤高のエリート不良の先輩は見栄えでまったく負けていなかった。


 それぞれ世界観の強い美形が二人並んでいる迫力に衝撃を受けた。

 すごい。すごい格好いい……すごくすごく似合う、気がする。

 ずっと、先輩に恋人がいるのとか想像もつかなかったけれど、同級生で想像していたからかもしれない。先輩には、同じくらいの歳の子たちより、大人の女性が似合う……。


 しくり。胸が痛んだ。

 ん? なんだこれ。


 わたしはついさっき先輩が普通に話せる人間や信頼できる人間が、いないよりいるほうがいいと思った。それがバルトロマーニ先生なら気にならなかったのに、ルナデッタ先生だと何かモヤモヤする。


 授業中に何してるんだろう。なんだかこっそり密会してるみたいに見えたり……見えなかったり。


「じゃあ、明日だからな。今日は妙なことしないでさっさと寝ろよ」


 よく通る声でそう言った先生が、先輩の肩にぽんと手を置いてどこかに行った。親密そうなお触りにわたしのメンタルがまた少し削られる。


「うう……」


 胸が苦しくなってしゃがみこんで身を丸める。

 うーーん。さっきまでは確かに湖くらいの広い心で先輩の幸せを願えていたのに……トゲトゲして、一気に水かさが減った気がする。


 うずくまっていると、頭上から声がした。


「おい、ジュゼム、どうした! 大丈夫か」

「え? あ、先輩……大丈夫です。ちょっと苦しかったんですけど……べつに……」

「大丈夫かよ……」


 先輩がわたしの背中に手を置いてさすった。

 そうされると不思議なことに、胸にあった苦しい塊がすーっと消えていった。


「あれ? 治りました」


 先輩がはーっと息を吐いて立ち上がる。


「お前、授業戻れよ」

「え?」


 教師にすら言われなかった当然の言葉をサボり中の不良に言われた。


「じゃあ、また放課後にな」

「あ、はい!」


 せっかく会えたのに、先輩はあっけなくどこかへ行ってしまった。

 そうして思い出した。そうだった。先輩がわたしと過ごしてくれるのは、お昼休みと放課後だけだ。そのほかの時間は約束してない。

 だからサボり中に偶然会っても、一緒に過ごせるわけではない。

 まぁ、でもどうせ放課後には会える。

 わたしは大きな伸びをして再び、さっきいなくなった猫を探す旅に出た。


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