金曜日は恋に浮かれる
金曜日。お昼休み。
わたしは先輩に会いにいった。
べつにがんばるとかなんとかじゃなくて、朝起きてからずっと、会いたくてしかたがなかったのだ。
レアンドロ・アルドナートがわたしのことを好きになる気配なんて少しもない。
しかし、わたしは彼を好きになってしまった。
好き。それもただの好き、じゃない。
人間的魅力を感じつつ、ちょっとした仕草にもときめいてしまう。ちょっと触れたら心拍数急上昇。目が合ったら倒れそう。そんな好き。
恋に落ちた。
これは、すごい。すごくいい。想像以上にものすごいものだった。
不安に押しつぶされそうな夜も、先輩を思い出すと、わりと簡単に浮かれることができる。朝起きた時も目覚めが爽快。体が軽い。なにこれ便利!
レアンドロ・アルドナートに恋したら朝の散歩がすごく楽になりました! 辛かった階段の登り降りも楽ちん! 嫌いなチーズも食べれちゃう! なんでもできちゃう気がしてくる!
みんなしれっとした顔で、こんなことして生きてたの? ズルい。わたしも誰かにもっと早くこの素晴らしいもののことを教えてほしかった。
いや、以前のわたしならそんなの、聞く耳も持たなかったかもしれない。
人生の残りゲージが突然少なくなって、わたしはようやく、急にいろんなことを楽しめるようになった。
四年生の教室に行くと、中に先輩を見つけた。
紅い瞳。白い髪。整った鼻梁。形のよい唇。どこをとっても綺麗だ。
上級生の教室前にいるとおそろしい女子の視線だけでなく、野卑な男子の視線もある。
男の先輩にニヤニヤしながらヒソヒソされるのは女子の先輩に悪口を言われるのとは別種の怖さがある。
先輩がこちらを見たので大きく手を振ってみた。
気づいてくれた。先輩が立ち上がる。
先輩が完全にヨタ者歩きで野卑な男子たちの横を通ると、ぶつかったのか足でも踏んだのか、ぎゃあーと痛そうな悲鳴が上がった。
「溜まってんじゃねぇゴミ共が。邪魔だ」
先輩の体からバチバチ電気のようなものが爆ぜる。口が悪いし柄が悪いし治安も悪い。
「おう……ジュゼ。昼飯だな」
「はい!」
相変わらずオラついた顔を周囲に向けてはいるが、その歩調はちょっとだけゆっくりだ。たぶんわたしに合わせてくれてる。優しいのだ。
先輩とわたしは湖広場へと移動した。
何箇所か彷徨い続けたあげくに、外のお昼はここが最適ということになった。ここはなんとなく暗黙の了解で、お昼休みはカップルの逢引場所みたいな扱いをされているのだ。
そしてカップルたちは基本お互いに夢中なため、そこまで注目を集めずに済む。
先輩が来た瞬間にバサバサと羽ばたくように移動されることも多いので余計に都合がいい。
「粘ってみろって言われたから、がんばりますね!」
「お、おう」
わたしの不敵な笑みに、先輩が腕組みして少し身を仰け反らせた。
ほんとうは先輩をがんばって落とそうとは、あまり思ってない。そんな難易度の高いことに挑戦しようなんて、もはや思っていない。
それに、色々考えなくてもわたしは先輩が好きなのだ。変に何かの真似をしようとしたり頭で考えるよりは、気持ちをぶつけるのが一番かもしれない。
ちらりと先輩を見る。
ものすごく柄の悪い座り方をしてるし、目つきも悪いのに、もう世界一格好良くしか見えない!
好きな人がそこにいる。昂ってくる。
わたしはただ、自らの熱い恋心に全てを預け、本能に呑まれていくのみ。
──来た。来たキタキタ!!!
「先輩! 好きです! ぎゅってさして!」
「ほざくな」
「じゃあ手握って!」
「アホか」
「匂い嗅がせて!」
「消すぞ」
先輩は、ふうと息を吐いて哀れみのこもった目を向けてくる。
「お前、恋愛経験皆無って……マジなんだな」
「しみじみ言わないでください!」
勢いのまま掴もうとした腕は、身を引かれて届かなかった。
「……っ、じゃあ、どうしたらいいのか教えてくださいよ!」
「知んねえよ……もう早いとこ教員のとこに相談に行け。さっさと解いてもらえ」
「やです!」
「じゃあなんか考えろよクソが! てめえがかかった呪いだろうが!」
先輩がまたバチバチ魔力帯電した。やっぱり短気だ。でも、もうぜんぜん怖くない。
「とりあえずお昼食べます」
「切り替えはえーなお前……」
鼻歌混じりに学食のランチボックスを開けていると、先輩もパンを構えた。
「あれ? 先輩また野生パンですか?」
「これは学食で売ってんだよ! 妙な名前つけんじゃねえ!」
「ついさっきやっつけた獣の硬い肉食いちぎってるみたいで格好いいですよ」
「てめえは俺とパンをバカにしてんのか!」
「褒めてるのに……」
わたしが半分食べたくらいの頃、先輩はもう野生パンを食べ終わっていて、どこか手持ち無沙汰にわたしが食べるのを見ていた。
「ジュゼム」
あ、名前、呼んでくれた。
この学院で普通のテンションで先輩に名前をよばれることのできる女子が何人いるだろうか。
嬉しい。もっと呼んでほしい。そんなことを思いながら、顔を上げて先輩を見る。
「なぁ、お前はなんでそんなに落ち着いてるんだ」
「ん? 落ち着いてるわけないじゃないですか」
この状況で落ち着いている人がいたら見てみたい。死の呪いと退学と恋とで、わたしの頭は間違いなく人生最大におかしくなっている。
「お前、気が大きいのか小さいのかわかんねえんだよな」
「え? 気は……ものすごく小さいですよ」
わたしは昔からすぐに他人と自分を比べて落ち込む。
人の目も異常に気にしていて、言われた言葉を深読みして落ち込む。何かするたびにあとでくよくよ後悔する。未来に対しても常に悲観的で、最悪の場合の想像を繰り返す。わたしはずっと、ものすごく気が小さかった。
あの日、妖精の呪いにかかるまで、わたしは毎日かかさず吐いていた。限界だった。
「でもわたし、呪いにかかった時に、結構色々開き直ったんですよ!」
自分の死をすぐ隣に実感したとたん、気楽になった。だから今は結構元気いっぱいだ。なにしろ恋までしてるし!
「なんかお前、ヤケクソで……ほんとうは、はなから全部諦めてるみてえに見えんだよ」
「えっ……そんなこと……」
わたしはべつに死にたかったわけじゃない。妖精の呪いに対する反発心だってちゃんとある。だから勇気を出して先輩のところにだって行った。そのはずだ。
だけど、先輩の紅い瞳は、わたしの心を見透かすようで、ぎくりとする。
そうかもしれない。
わたしは呪いにかけられた時にも、ちゃんとがんばろうと思っていた。
でも、精一杯がんばって、もがいて、無理だったならその時には潔く諦めよう。そうも思っていた。
それで、ほんとうはもう、早く、駄目だったという結果を得て、さっさと全部諦めて逃げたかったのかもしれない。
だって、レアンドロ・アルドナートを最初に見た時、とてもいい、と思った。
すごく綺麗で、能力が飛び抜けていて、苛烈で厳しく排他的。
いろんな意味で、わたしの存在をバッサリ、完膚なきまでに打ちのめしてくれそうな人だったから。
気楽になれるのはきっともう、抱えていた苦しい気持ちを全部手放す気でいるから。心のどこかで諦めているから。
それで、先輩は、わたしがほんのちょっとだけ死にたがっているのに気づいていた。
そう思った時、ずっとわからなかった先輩の行動原理がすっとわかった気がした。
「先輩、また、試しにまた言ってみてくれません?」
「何をだよ」
「す、好きって……言われたい……なー……」
先輩は一瞬口を半開きまで開けたが、すぐに閉じた。恐ろしい目で睨んでくる。また、体の周りがバチバチいいだす。何その無言のお怒り表明。
「ひ、ひぇぇ! ごめんなさい!」
牙を剥いた狼に目の前でグルグル唸られたらこんな気分になりそう。
「無駄だって言ったろうが。くだらねえこと何度もさせんな」
「無駄でも……言ってるうちにそんな気持ちになるかもですし」
ほんとうは、たんに聞きたいだけだった。
棒読みでもいい。好きな人から出る「スキ」を聞いてふわぁーってなって、ハアハアしたい。
わたしのよこしまさの溢れる視線に先輩は嫌そうな顔をして答える。
「ぜっってぇ断る」
「わかりました」
「なんか考えろ」
「うーん……思いつきません」
わたしの提案をことごとく却下してくるくせに、諦めるのはよしとしない。
死ぬな死ぬなって言ってるみたいな先輩は、ちょっとだけズルい。