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木曜日の初恋


 木曜放課後。わたしは先輩と、学院の敷地内をウロウロ歩いていた。

 先輩がチャンスをくれたのは今日までだ。

 ほんとうはどこかでゆっくり話でもしたかったのだが、先輩はどこに行ってもすごく人目を引いてしまうのだ。


 ちょっと一か所にとどまっていると遠くから人が集まってきたりもする。それでいて会話を盗み聞けそうなギリギリの距離で、それ以上は決して近寄ろうとはしない。


 先輩はまるで、その人たち全員に前世で惨殺されたかのような憎しみ深い顔をして、すぐに場所を移動しようとする。しかし、どこに行っても似たようなものだった。


「神殿のほうまで行けば人はいねえだろうが……さすがにかったりいな」


 神殿はどれも校舎から外れたとこにあり、人けはないが十分ほど歩く。


「はい。それにあの辺は妖精臭がきつくて……」

「あ?」

「匂いっていうか、たぶん気配なんですけど。呪われてから過敏になっちゃって……ちょっと苦手なんですよ」


 行くあてに困って足を踏み入れた中庭にはおしゃべりに興じている女生徒たちのカタマリがいた。顔の感じからすると上級生だ。

 彼女たちは一斉にこちらを見て、一瞬だけ静まり返り、またすぐにこちらを見てヒソヒソしだす。


 すぐに、ブスとか大したことないとかの悪口の端切れが耳に入ってくる。ここに来て先輩の潜在モテが顕在化しているように思われる。

 ただ、こういう場合では容姿を貶めたくなるものなのだろうが、わたしの持つ強い劣等感は容姿より才能や成績に深く根ざしているのでそこを言われないのはまだ幸いなことだった。


 先輩は不快をあらわにした顔でそこからもすぐ踵を返そうとした。ヒソヒソ元をぼんやり見ていたわたしはしばらくそれに気づかずにいて、慌てて追いかける。


「あ、先輩、先輩待って! 足早いですよ」

「……なんで俺がどんくせえ奴に合わせないといけねえんだよ」

「そ、そこは人情といいますか……」

「クソが」

 先輩は明らかに苛立っている。

「口が悪いです。せめて大便と……あっ、先輩どこに行くんですか! 待っ…………」


 慌てて追いかけようとすると、足をもつれさせて転んだ。

 ドシャ、という音で先輩が振り返る。

 近くにいた女生徒たちの嘲笑が聞こえてくる。


 先輩が、突如キレた。


「るっせぇぞ性格ブス共が!!」


 先輩の体の表面にバチバチバチ、と白色の電気が爆ぜる。ひえぇ、苛つきがすごい。これ、たぶん魔力漏れてる。なんて苛烈な人なんだ。


 先輩は周囲にギッと人を射抜けそうな視線を走らせ、戻ってきてわたしを引き起こした。


「来い」

「え? どこへ……」


 どこに行くのかは知らないが、先輩はわたしの手を掴んだまま、ぐいぐい進んでいく。


 こんな人でも手はあったかいんだな。

 それに、強引なわりに握り方はとても優しい。



   ***



 そこは先輩の寮のひとり部屋で、何がなんだかわからないまま、わたしは座っていた。


「ああクソ。もう、さっさとすませよう」

「え?」


 ぽかんとしていると先輩がわたしの目の前にドカッと座り、目を細めた。その眉間には深い皺が寄っている。

 やがて、形のいい唇から驚くほど小さな声が発せられる。


「………………スキ」


 わあ。

 先輩はやっぱり優しい人だった。私はいそいそと呪いのアザを確認する。


「……も、もっかいお願いします」

「チッ…………スキ」


 舌打ち混じりのまったく心のこもらない「スキ」をがんばって言ってくれている。しかし、アザはまったく消えないし薄くもならないし、なんならずっと嫌な光を纏っている。


「もっかいお願いします!」

「あーーーークソ! スキスキスキスキ」

「ぜんぜん消えません! もう一声!」

「スキだっつってんだろ! 消えたか!?」

「くっきりしてます」

「……無駄だったな」


 先輩はまた「クソ」と吐き捨てた。

「スキ」に比べると格段に心がこもっている。「クソ」に込めるその情感を「スキ」にも少しでいいから乗せてほしいものだ。


「やめだ。俺が誰かを好きになんのは無理だ。もう、この馬鹿げたことはしねえ!」


「い、いえ、ありがとうございます」


 わたしは感動していた。

 この人、常時手負いの獣みたいな顔してるけど、やっぱりかなり優しい人じゃないか。


 だってまったく効果がなかったところを見ると、今は少しも好感がないのに試しにやってくれていたわけで。好感ゼロの相手をただ助けるためだけに。これを優しさといわずしてなんと言おう。


 先輩は柄にもないことをしたせいか、ほんのり頬を赤くさせている。末代までの恥くらいには思われてそうで申し訳ない。


「先輩、そんなに恥ずかしいんですか?」

「うるせえ黙れ!」


 まためちゃくちゃ狂犬の顔で吠えてるけど、だんだん怖くなくなってきた。


「もう無駄だ。帰れ」

「え? 先輩がひっぱりこんだんじゃないですか」

「人目避けたらここしかなかったんだよ!」

「でもでも、今日までチャンスくれるって言ったじゃないですか! まだ今日は終わってませんよ」

「……もう諦めろよ!」

「死ねと?」

「だから! 教員に言って呪い解いてもらえっつってんだよ!」

「やです」

「クソ! クソが……! この野郎が……」

「へんふぁい! いひゃい! いひゃいです!」


 ついに怒りが頂点に達した先輩が、わたしの頬を両手でギリギリ引っ張りだした。思ったより攻撃方法が子どもっぽい。でもほっぺ千切られてないし、八つ裂きにもしてこないのでやっぱ思ったより優しいかもしれない。


 やがて、わたしへの制裁に飽きた先輩がフンと鼻を鳴らし、立ち上がって少し離れた位置に座り直す。


 わたしはヒリヒリする頬を両手で押さえ、彼をまじまじと見つめてみた。


 彼はとても綺麗な人だ。

 最初は中身と違いすぎると思った。

 でもその時、この人の中身はもしかしたら、すごく優しくて、とても繊細な人かもしれない。そんな、どこか本能的な、予感めいたものが湧いた。同時にわたしの心にモヤッとした感情が生まれる。


 これは、先輩が自分の想像よりいい人だったがために湧いた罪悪感だ。最初から、彼を巻き込まなければよかった。


 いや、今からでも。


 もうやめよう。


「わたし、先輩の生い立ち、聞きました。ごめんなさい」


「…………チッ、どうせ誰でも知ってるこった」


「先輩……それでもわたしは先輩が羨ましいんです」


「あ?」


「羨ましいっていうか。眩しくて」


 先輩は怪訝そうにこちらを睨んでいる。


「先輩は、自分の才能と能力で自分を救えるから」


「…………」


「わたしは、どっちにしろ無理でした」


 魔術師になれれば、自分の才覚で身を立てられる。それは女性がとれる数少ない自立手段だ。わたしはそのために学院に入った。

 でも、学院には自分より明らかに能力のある人間がごろごろしていて、自分の才能のなさを知った。本当はもう随分前から、遅かれ早かれわたしが実家に戻ることは決まっていた。ここで少し延命したとしても、結局卒業したら実家に帰ることになるだろう。


「無理なお願いに付き合っていただきありがとうございました。もう十分です」


「なぁ、おい」


「わたし、帰りま……」


 一瞬立ち上がりかけたわたしはくらりとよろけて、すぐにまたすとんと腰を下ろした。


「どうした?」


 先輩が驚いた顔で立ち上がる。

 わたしは口元を押さえて大きなあくびをする。


「んん……ちょっと眠い……です」

「あぁ?」


 ほんとうはちょっとじゃなかった。

 ここのところずっと、あまりの眠さに頭がぼうっとしていた。それなのにぜんぜん寝付けなくて。

 そして唐突に、あらがえない強さで黒い暗幕がストンと下ろされた。



  *

  *

  *



 どうやらすっかり眠ってしまっていたらしい。

 ぱちりと目を開けると、先輩の異様に整った顔が目の前にあった。その顔には深い呆れが滲んでいる。


「よく男の部屋で無防備に寝こけられるな……」

「実は呪われてからぜんぜん寝られてなくて……」


 短い時間だが、ちゃんと寝れた気がする。先輩といると少し前向きに呪いと闘ってる気持ちになって安心するからかもしれない。


「いや、ここは俺のひとり部屋だぞ。ちったあ危機感持てよ」

「危機感て……?」


 先輩が眉根を寄せて黙り込み、なんとなく意味を察した。


「先輩はわたしにひどいことはしないです」

「俺はそんなに信用できる奴か? お前のことグチャグチャにして、部屋から放り出すかもしんねえぞ」

「……しません」


 先輩はわたしの目をじっと見つめ、チッと舌打ちして逸らした。


「お前、いつ死ぬんだっけ」

「……なんてひどいことを」

「そうじゃなくて、呪いの期限だよ」

「呪いの発動は…………火曜正午です」

「妖精の呪いは特殊だからな。特級の解呪医を呼ぶ必要があるだろうが……半日もありゃ来れる。余裕を見ても日曜夜に相談に行けば、十分間に合うわけか」


 先輩はふん、と息を吐いてから言った。


「なら、もう少し粘れよ」

「……え」

「……チッ、俺に、お前のことを好きにさせてみろってんだよ!」

「いいんですか? うーん、でも……」

「あんだよ?」


 先輩をちらっと見て、目を逸らす。

 わたしをこれ以上そばに置くのは彼にとって、とても危険なことに思える。


 レアンドロ・アルドナートはきっと、喪失や裏切り、好奇の目、憐れみ、嫉妬、多くのものに苦しめられてきた人だ。


 ── 俺が誰かを好きになんのは無理だ。


 先輩はさっきポロッとそう言っていた。

 彼はきっと、なかなか人を好きになれないんだと思う。

 生い立ちから。過去に散々人に傷つけられたから。裏切られたから。


 もしもわたしが彼を頼ったあげくに死んだら、彼が人を愛せないから死んだことになる。

 べつにわたしを愛せなかったからといって人を愛せないとは限らないのに。本来ないはずの責任を負うハメになるのだ。きっと、また傷つくことになるだろう。そんなのは最低だ。


「うーん……うーん……」


 いつまでも迷っているわたしに先輩が苛立った声を上げる。


「んだよ! 俺がいいっつってんだからいいだろが!」

「で、でも、先輩が……」


 半身を起こすと、いつの間にか上にかけられていた毛布がばさりと落ちる。


「…………」


 びっくりしてそれをぽかんと見つめる。

 胸がきゅうっとなる。なぜだか泣きそうになった。


 その時、天啓のような想いがふわっと降ってきた。


「あの……先輩はわたしのこと好きじゃないかもですが……」


 わたしは目の前にあった言葉を、そのまま読み上げるみたいな気持ちで言う。


「わたしは、先輩のこと好きです」


 それは、唐突に降ってきたようでいて、ずっとそこにあったかのような、確信に満ちた想いだった。

 出現して、一瞬でわたしの心を前からその色だったみたいに塗りつぶして染めていく。


 わたしは、この人が好きだ。こんな人、好きにならないはずがない。


 先輩をほんの少し知っただけで、好きになるのは簡単だった。その感情は胸の奥から強く、いくらでも湧いてくる。


 あと三日で死ぬかもしれない時に初恋か……。

 人生ってなんなんだろ。


 先輩はこちらを見て呆れたように目を細め、首をすくめる。


「…………ああ、俺もスキだ」


 相変わらずの棒読みに、思わず急いでアザを見るが、消えていない。意気消沈して彼の顔を見つめる。


「悪いな。そこそこ言われ慣れてるから、そんくらいでコロッといかねえんだ」


「え?」


「でもオメーの気概は感じたよ。ぶっ殺すつもりでかかってこい」


「ええ?」


 何その反応。

 もしかしてこれは……わたしの告白を、まるで信じていない? 呪いを解くためについた嘘だと思っている?


 先輩の顔を見て深いため息をこぼす。


 どこまで難易度高いんだこの人は。


 いやでも初回は頭吹っ飛ばすって言われたから、ぶっ殺すつもりでかかってこい、は進歩かもしれない。前向き前向き。


「とりあえず、今日はもう戻ります」


 戸を小さく開けると、入った時には席を外していた寮監がいるのが見えた。


「先輩……帰れないかも」

「ん? ああ」


 よく考えずとも、男子寮は女子は入室禁止だ。

 先輩も扉から外を覗いて、ため息を吐く。


「俺はべつに女連れ込んだことくらいバレても構わねえが……お前は退学寸前なんだっけか」

「そうですね」

「仕方ねーな……俺が連れていってやる」


 先輩がわたしの肩を抱きよせる。


「ひえ?」

「うるせえ動くな」


 先輩が短く呪文をつぶやいて虚空に魔術式を展開させると、星の多い夜空の下にいた。

 見覚えのある風景は女子寮のすぐ裏手だ。


「魔術での移動は学内では禁止だ。チクったらお前の頭かち割るからな!」


 非常に物騒な言葉を言い残して先輩は消えた。


 すごい。

 ぜんぜん怖くなくなってしまっている。

 そうして、朝にはなかった巨大な感情が心を支配している。


 好きだ。

 わたし、あの人が好きだ。

 そう思うだけで、ドキドキして胸が苦しい。



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