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木曜日の野生パン


 昼休みになって先輩を訪ねた時、彼はいつも通り不機嫌だったし感じも悪かった。

 デフォルトが苛ついているのでわたしに対して苛ついているのかどうかは判然としない。

 そもそも先輩はいつも相対する全員に平等に感じが悪いし、誰にでも噛み付くような態度をしているから、わたしのことを嫌いかどうかだってわからない。


 でも、やっぱりなんだかんだ待っててくれたので、優しいのかもしれない。


 湖広場に着くと、先輩は鞄から野生パンを取り出した。

 わたしもサンドイッチを取り出して膝に乗せ、空を見上げる。

 黄緑色の小鳥が木の実をついばんでいる。

 いいお天気だ。昼休みが終わったら少し遠くの噴水広場まで足を伸ばしてみてもよさそうだ。


「おい、てめぇ……悠長になごんでんじゃねえぞ」


 わたしがまったりと物思いに耽っているだけなのが気になったらしい先輩が唐突に野次を飛ばす。


「え? でも、何したらいいかわかんないです。せんぱ……」

「俺だってわかんねえよ!」

「先輩は経験者じゃないですか!」

「……んなの結構前……一年の時、ひと月だけだ。いうて、告られて、それに頷いただけだしな」

「え? もしかして承諾して放置してたんですか?」

「ずっとじゃねえが……そういう文句も食らったし、だいたいそうなんだろな……クソめんどくせえ」


 そりゃ、好きでもないだろうし裏切られても怒りも湧くまい。


「じ、じゃあ、もしかして先輩も、恋人同士が何してるのかろくに知らないの?!」

「っ、アホか! んなもんそこら見てりゃわかんだろがよ」


 先輩は少し離れたベンチのカップルを顎でしゃくる。

 購買で買ったと思われるプチケーキを持った男子が、手を伸ばして女子に食べさせている。

 それから今度は女子が自分の持ったチョコのかかったプチケーキを食べさせている。あれは……おそらく、味の交換である。


「えと、じゃあ……先輩、アレやってみませんか?」

「あ? んでだよ!」

「先輩、先ほど、わたしたちは恋愛偏差値が共にバブちゃんだということが発覚しました」

「あ? それでなんであんなんをするんだよ」

「恋人同士がやることをやってみたら、ドキドキして、そんな気になるかもしれません」

「んなふざけたこと……」

「じゃあほかにあるんですか! 人になんか考えろって言うくせに!」


 勢いよく言って先輩の口元に手付かずのサンドイッチを差し出す。


 先輩は一瞬眉根を寄せ、ふん、と息を吐いたが、おとなしく顔を手元に寄せてきた。

 びくっとした。

 先輩の顔が、わたしの指先のすごく近くにある。

 顔が近い。白くて艶のある髪もすぐそこにある。

 伏せた睫毛も白い。見ているとその瞼が開いて、紅い瞳がこちらを見上げた。


 ぞくりとする。

 唇が開いて、ぱくりと食いついた時にも、びくっとしてしまった。あ、ひとくちがわたしよりだいぶ大きい。

 わたしの手と、先輩の顔と、動線が繋がっている。


 それは、思ったよりもずっと、ドキドキすることだった。


 サンドイッチを噛みちぎると、すぐに離れていく。

 食いちぎる時に、唇が指に少し触れた気がする。

 手が、痺れたみたいに小さく震えた。


 先輩がモシャモシャして飲み込んで、口元についた食べカスを親指で拭った。


「……てめぇ……そんな恥ずいならやんじゃねえよ……」

「え……? なんでわかったんです」

「そこまで赤え顔しててわからん奴がいるかよ」


 頬がぽかぽか熱かった。たぶんかなり赤くなっているだろう。


「い、いやだって……なんか。なんかこれ……」


 思ったより恥ずかしい。恥ずかしいっていうか、ドキドキする。わたしが免疫なさすぎるだけなんだろうか。


「ほらよ」


 先輩が焦茶の細長いパンを目の前に差し出してきた。

 わたしのターンだ。

 そして……そうだ。ここにはプチケーキはない。

 あるのはこの、茶っこくてやたらと硬そうな、「あーん」にはひたすら向かなそうな野生パンのみ。


 しかし、人にやらせて自分だけやらないなんてことをしたらこの凶暴なヤンキーに全部の歯を折られるかもしれない。

 仕方ない。腹を括るしかない。思い切ってかぶりつく。ええい、ままよ!


 ガイン!


 そんな感触だった。


「んぐうっ!?」


 嘘でしょ!? なにこれ! いくらなんでも硬すぎる! なんだこれ! ほんとうにパンなわけ!? 硬あ……マジで硬い!

 なんとか歯は立てられるけど、意外に粘り気がすごくて、食いちぎれる気がまるでしない。

 根菜か何かのほうがまだマシだ。

 こんなのパンじゃない! えらそうにパンを名乗るな!


「ぐっ……ぐうううッ」


 わたしが苦戦しているのを見て先輩がパンをぐいっとひっぱって補助してくれた。なんとか離すまいと歯を食いしばる。先輩がさらに引っ張るので、頭のほうがちょっと持ってかれる。


「おいジュゼム。てめえ、がっちり咥えろ。離すんじゃねえぞ!」

「んぐぐぐぐッ! ぎぐぐぐぐぅ〜!」

「よーし、歯ぁ食いしばれ!」

「ぐぎぎっ……ぐうむうう……ッ!」


 先輩がパンをぐいぐいひっぱり、わたしが呻き声をあげながら反対側に綱引きする。


「ぐうむむむむむむ……ッ、ぎ、ッぐううッ!」


 口からは獣の咆哮のような音しか出ない。脂汗出てきた。口が塞がってるから鼻息も荒い。これは、側からは先輩が猛獣をいなしているか、あるいは壮絶なイジメに見えるかもしれない。


 その地獄のような光景に、近くにいたカップルたちが逃げるようにぱらぱら移動していくのが目の端に見える。

 ムードをぶち壊してすまないが、こちらも必死だ。


 妖精如きに呪われるわたしであったが、さすがにパンにまでは負けたくない。

 だって、パンだよ!? 生き物ですらないのに……! 絶対負けたくない……! そんな思いで必死に食らいつく。


「むぎぎぎぐぐぐむむむっ、ふぐううッ」


 ちぎれそうで、なかなかちぎれない。まだか。もう少しか。しぶとい。そのうちに闘志が燃え上がる。

 この野郎!! 歯が折れても、この命がついえても、お前だけは絶対に食いちぎってやる!!!


「んぐぎいいいいッ!!!!」


 わたしの歯が折れるか、パンが千切れるか。

 熱い闘いは一触即発だった。


 やがて、ブチッとした感触でパンがちぎれる。

 パンの端切れを口に入れたわたしは反動で勢いよく後ろに倒れた。


「……おい、急に視界から消えんなよ。大丈夫か?」


 先輩が覗き込んでくる。

 

 なぜだろう。やりとげたのに、涙がこみあげてくる。


 わたしはなんとか起き上がった。スカートをはたいてベンチに座り直し、口の中にあるモサモサの塊をなんとか飲み込もうとしていた。


「先輩」

「ん?」

「このパン……まずいです」

「そうかあ?」


 先輩は残りの野生パンを溢るる野性味でもって食いちぎっている。もうわかった。このパンはおそらく先輩専用のパンだ。


 そうして、気づけば周辺にわたしたち以外誰もいなくなっていた湖広場で、深いため息を吐く。


「先輩」

「なんだよ?」

「恋人同士って、こんな感じなんでしょうか……?」


 先輩はパンを食いちぎって飲み込んだあと、平然と「ちげーだろーな」と言った。




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