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◇エピローグ


 森から出ると、そこには来た時とそう変わらない風景があり、魔動馬車もまだそこにあった。

 学院の人間は誰もいなかった。丸一日戻らなかったくらいだと、そこまで騒ぎにならないんだろうか。少し釈然としないまま、ひとまず、学院に戻ることにした。


「こんなんじゃ、進級できませんよね……」


 無事に帰れはしたけれど、課題の時刻は大幅に過ぎている。丸一日帰りが遅れたことについて説明しなければならない。

 でも、特待生なので、学費はかからない。もう一度二年をやることで在籍はできるだろう。この間留年を回避したと思ったのに……結局留年……。


「たぶんだけど、大丈夫だろ」


 先輩は緊張感に欠ける落ち着いた声で言う。


「いやあ、そんな……ことは……」

「妖精学って、ピァッツィだろ。俺も一緒に行って説明してやっから」


 私は頷く。ピァッツィ先生は丸眼鏡で頭髪がやや薄い、紳士な雰囲気の先生だ。


 学院に戻った私は先輩と、すぐにピァッツィ先生の部屋を訪ねた。


「おかえり。おつかれさま〜」


 部屋の中にはなぜかバルトロマーニ先生がいて、ニコニコしながら招き入れられる。


「レアンドロ、君にお客さんが来てるから、このあと会ってもらいたくて。ここにいれば来ると思って迎えにきたんだよ」


 たぶん、捕獲しにきたと言ったほうが正しい。先輩が顔を顰めた。

 ピァッツィ先生がニコニコしながら私に言う。


「エルミさん、時間通り。枝も持ってこれていますね。進級おめでとうございます」

「え? 枝? わぁ」


 私の体には妖精樹にとりこまれたときの枝がまだいくつもひっついていた。手首なんてバングルみたいになっている。怪我の功名だ。先輩は気づいていたみたいで、鷹揚に頷く。


「え、あれ? 時間通り……?」


 はて、と首を捻る。

 隣で先輩がチッと舌打ちをした。


「あそこで起きたことは全部お前の感情由来だからな……もしかして時間止まれとか余計なこと思ってたんじゃねえのか?」


 ……思ってた! めっちゃ思ってた!

 目を白黒させながらこくこくと頷く。


「中で何かあったのかな?」

「えっと……同じ場所にぐるぐる戻されたりして……一晩経過して……」

「えぇ? なんでそんなことに?」


 先生ふたりが私に顔を向ける。

 先生たちは妖精の性質を知っているので、なぜそんなことになったのか、原因となる私の感情を聞いてきている。口を開きかけてまた閉じる。


 え? そんな恥ずかしいことを、言わなきゃいけないの……?


 まだ言葉を発してないうちからカーッと顔が熱くなる。それでも、先生たちは真剣な顔でこちらを見て促してくる。


「そ、そのっ……先輩と、外デートみたいで、す、すごい楽しかったから……」


 あまりの恥ずかしさに声がどんどん小さくなる。


「つい、ずっと、こうして先輩と、このまま一緒にいたいって……思ってしまい……」


 先生二人も、若干頬を赤らめてうつむいた。


「あ、あと、妖精樹に閉じ込められたりもしました……」

「そ、そんなの聞いたことありません……! それもう妖精と間違われてるじゃないですか……」

「ははは……間違われ……」

「いや、すごいことですよ。ですが、だいぶ危険でしたね」


 先輩は腕組みしてピァッツィ先生に向かって言う。


「こいつ感度がスゲエんだよ……」


 バルトロマーニ先生が驚いた顔で口を挟む。


「えぇ?! なんの話? ダメだよ課題中にそん……」

「クソがぁ!」

「ブッフェ!」


 バルトロマーニ先生が先輩に叩かれた。教師を平気で叩くのすごい。


「んな話はしてねえ! 妖精からの影響を異様に受けやすいってのは、こっちの精神さえ安定していれば、かなり強い力で妖精に干渉できるってことだろ?!」

「ははぁ……君専門外なのによく調べてるねぇ」

「るっせえ! バルトロマーニ、テメェぶち殺されてぇのか!」


 先輩はだいぶ乱暴だが、バルトロマーニ先生もひとこと多い。


「うん……そうですね。あとはメンタルの脆ささえなんとかできれば……かなりの才能ですよ」

「え、そうですか」


 ピァッツィ先生ににこやかに言われて恐縮する。


「ただ、メンタルは強くないとなりません。実のところそこが大きな問題点で、だからこそ妖精学の上級者は少ないんですけどね」


 バルトロマーニ先生が時計を見て立ち上がった。


「エルミさんはとりあえず今日はもう寮に戻って休むといいよ。あ、レアンドロ、きみは三十分後に来賓室に。一応礼服着てきて」

「へーへー」


 私と先輩は校舎を出た。

 なんだかんだやっぱり楽ではなかったけれど、無事に進級課題をこなすことができた。


 私はまた先輩を盗み見る。

 今はもう、あの森にいたときのような不安定でふわふわした気持ちはない。けれど、あの時湧いた不安や願いは私の心の奥底に、確かにあるものだったのだろう。自分でも知らなかった無意識の恐れを見せられてしまったような気分だった。


 打ち勝って前に進めたかと思ったらまた弱気になって元の場所に戻っていたり、私はいつもそんなことを繰り返している。

 先輩が呪いを解いてくれたあの日、確かに生きたいと思ったのも私だし、やっぱりつらくて全部から逃げ出したくなる私も、消えてはいなかった。そのふたつは同時に存在している。


 男子寮と女子寮の別れ道まで来て、少し前を歩いていた先輩が振り返った。

 そして、私の目の前までズンズン来て立ち止まる。


「あっ、先輩、どうもありがとうございました」


 ぺこりとお辞儀をして、顔を上げる。先輩が私の襟首を捕まえて、ぐいっと引き寄せられた。


「んっ」


 温かい唇が少し乱暴に重ねられる。

 目を開けると、仏頂面の先輩がこちらを睨んでいた。


「ジュゼム」

「は、はい!」

「あんなクソみてぇな嘘、二度と言わせんじゃねえぞ!」


 先輩はチッと舌打ちして、去っていく。


 その背中から目が離せない。


 なんなんだ。この人。


 こんなにしんどいのに、まだまだ生きていたいって思わされて……つらい。






ジュゼム・エルミと妖精の森 ◆おしまい◆

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