妖精の森(1)
私は先輩と学院の魔動馬車に揺られていた。
魔動馬車は、馬がいなくても魔導石と魔法紙に書かれた魔法陣で目的地まで連れていってくれる。
ゴトゴトガタガタ。
舗装されてない道に車輪が揺れる。
先輩はずっとそっぽを向いて黙ったまま、窓の外を見ていた。
普段からデフォが不機嫌みたいな人だからわかりづらいけれど、面倒なのかな。
私はやっぱり、こんなことに彼を付き合わせてしまったことに少し罪悪感がある。
窓の外を見ている先輩を、そーっと覗き込む。
ズームして、よーくよーく観察する。
ん? ピコピコ。私のセンサーが反応した。
私の特殊な先輩EYEでしか観測できないくらいの微細な変化ではあったけれど、口元がほんの少し笑っているように見える。
「先輩」
「ん? なんだよ」
話しかけると、普通の顔で振り返った。
それから、大あくびなんてしている。
「そういや、お前に懐いてる妖精は連れてきてんのか?」
「バンですか? 先生に置いてけって言われたから、今日はいません」
「……そうか」
もしかしてこれは……そんなに不機嫌じゃない!
私は安堵の大きな息を吐く。先輩につられてあくびが出た。
そしてそこから一時間ほど、私は課題の指定場所である妖精の森に着くまで、すやすやと寝てしまっていた。
「おいジュゼ、起きろ。行くぞ」
先輩に肩を揺らされて、半覚醒する。気持ちいいからまだ寝てたい。先輩の声がして、いい夢だ。
「んん? いい夢見てるから……まだいやです」
「なんの夢だよ」
「ぐふふ……先輩がいて……ん?」
薄目を開けると目の前に先輩の顔があった。
「え、もしや、これ現実ですか? なら起きてもいいです」
「……相変わらず頭沸いてんな」
先輩は馬車から降りて大きな伸びをする。
「うっし! ジュゼム、行くぞ気合い入れていけ!」
先輩が自分の手のひらに拳をパァン、と打ち込む。
「お、おー!」
妖精の森は不思議な静けさに満ちていた。
時折頭上から鳥の声が聞こえるけれど、姿は見えない。
魔物が棲みついているというが、先輩と一緒なので不安はカケラもない。もしかして、先輩のカッコいい魔術が見れちゃうかもしれないと思うとべつの意味でドキドキ動悸が止まらない。
「妖精はいんのか?」
先輩に言われてあたりを見まわす。
「ほとんどは隠れてるみたいですけど、これ、たぶん、うじゃうじゃいます」
この森の妖精は学院にいる妖精より警戒心が強いのか、巣に潜んでいて姿はそこまでたくさん見えなかったが、たぶん膨大な数潜んでいるし、おそらく個体の力も強く、その匂いというか、気配もものすごく濃い。そのせいで、妖精の影響を受けやすい私の精神もどことなくふわふわした感じになっている気がする。
少し進んだが、いるという噂の魔物はついぞ現れなかった。
もしかしたら先輩の魔力が強すぎて隠れているのかもしれない。
そんなふうに思いながら、ふと見ると先輩が何かを踏んづけていた。足元を見ると、フェアスライムがじゅうと溶けて煙と化していた。もともと先輩の漏れ出す魔力に弱っていたところ踏まれてやられたのかもしれない。先輩、気づいてすらいない感じ……。
そのとき、前方から小鳥くらいの大きさの獰猛な魔物が飛んできた。
「ウラアァ!」
カッと目を見開いた先輩が、拳を突き出してそれを吹っ飛ばした。
「えええぇ!?」
まさかの……物理!?
この人魔力を使わず物理の拳で吹っ飛ばした。
特級魔術師とは……!?
この時点で私はこの課題をあまりに楽勝だと思っていて、妖精の森のほんとうの恐ろしさをまるでわかっていなかった。先輩といると魔物が羽虫くらいにしか感じられない。
ざく、ざく、ざく。
土を踏み森の奥を目指しながら、気づけば私はだいぶ浮かれていた。
なんだかんだ、先輩と学院外にふたりで出られるのは超スーパーウルトラレアな機会だからだ。
先輩と、ふたりだけで森を歩いている。なんて楽しいんだろう。空気がおいしい。先輩と課題、外デートみたいでめちゃくちゃ楽しい。もうずっとこの森にいたいくらいだ。いっそ時間が止まってしまえばいい。もうここに先輩と、ずっと一緒にいたい。好き。大好き。
私はそんなふうな、最大限呑気で緊張感のないデレデレした気持ちで歩いていた。
けれど、この森は人によっては実はかなり危険な場所だったのだ。あるいはそれは、課題の場で浮かれていた私への神罰ともいえるものだったのかもしれない。
──きぃん、と頭に妙な感覚が走った。
「ん? どうした?」
「あ、いえ……大丈夫です」
何か違和感があったけれど、私はそれを見なかったことにして先を進んだ。
数歩行ったとき、先輩が立ち止まって声を上げる。
「なぁ、ここ、さっき通ったよな?」
「え?」
先輩の声に私も足を止める。
確かに、枝が豪快に折れているこの木は、さっき通った時に見たものと酷似している。
「ほんとだ……」
順風満帆と思っていたが、腐っても妖精の森だ。気がついた時にはもうおかしなことになっていた。でも、こんなの聞いたことがない。
「せ、先輩……戻りましょう。異常事態です。戻って教員に報告を……」
「……戻れるならな」
「え?」
先輩は幹に小さな傷をつけた。そして、黙ってまた歩き出す。
先輩の予想はあたってしまい、しばらくするとまた同じ場所に戻ってきていた。先輩がつけた傷もまんまだったので、そっくりな木というわけでもなかった。
そこから私と先輩はしばらく方向を変えてグルグルした。
やっぱり、戻ってくる。
「せ、せんぱ……これど、どうし……ええ……?!」
焦ってパニックになる私をよそに、先輩はわりと冷静な声で言う。
「この木を中心に、二〇メートルくらい行くとここか戻されてるみてえだな……」
「なんで? そんなの聞いてないです!」
アワアワしていると、何度か通ったはずの場所のぬかるみに足を取られ、ズルンと滑って転んだ。
べシャンと音を立ててうつ伏せに地面にめりこむ。
「うお!? ジュゼム、大丈夫か?」
少し前を歩いていた先輩が慌てた顔で戻ってくる。
手を伸ばして起こしてくれた。少しぬかるんだ土には私のデスマスクがくっきりとできていて、私の顔も土でだいぶ汚れた。
「お、おお……大丈夫かよ」
「う……」
急激に高まっていく情けなさに胸を押さえる。
いつもそうだった。私は、昔から普通の人がなんなくやれることでつまづく。
生まれ育ちも能力のなさもすべて私の『持ってなさ』だ。
だからこの緊急事態も、たまたま今日だけ気象条件が酷かったとか、たまたま妖精の機嫌が悪かったとか、無意識にやっちゃいけないことをしてるとか、そういう、私の生まれ持ったダメさや不運に起因しているに違いないのだ。
私のせいだ。こんなことになるなら、やっぱり先輩を連れてくるんじゃなかった。先輩は、国の宝なのに……私のようなゴミゴミのクズと一緒にいたがために……不運に巻き込まれている。
しばらくぷるぷると耐えていたが、限界がきた。
「う、うわあぁあーーーん!」
「う、うお、ジュゼ、どっかいてえのか?」
「だ……だいじょ、びでずぅ……ええーん」
「バ、バカ、んな擦ったら赤くなるだろ」
さっきまでわりと冷静だった先輩がだいぶオロオロした顔で狼狽している。
「ひっ、ひぐっ……ぶえぇ」
「だ、だから泣くなって!」
先輩は自分の制服の袖口が汚れるのも構わず、私の顔をゴシゴシ擦ってくる。少し痛い。
ズビビと洟をすすり、目元を拭いた。
***
日が傾くころ、私たちは木の根元で火を焚いていた。
妖精の森では、焚き火の色が七色だった。
それをぼんやり見つめる。
パチパチ、パチン、と火の粉が爆ぜる。
もうとうに課題終了の予定時刻は過ぎていて、日が暮れてきていた。ぎゅるぎゅると腹の虫が鳴く。食料なんて持参していない。
先輩が「腹減ったな……」とこぼすので、心臓がぎゅっとなった。私のせいで……先輩に無用な空腹とご不便を……。
「ぜ、ぜんばい……いざとなったら私を食べて生き残ってくだざ……」
「食うかアホ!」
先輩は「ちょっと待ってろ」と言い残し、しばらくしてやたらと大きな鳥を獲って戻ってきた。
腰から剣の柄みたいなものを出す。
先輩が短く呪文を唱えると刃が出現して、先輩はそれで鳥を手早く捌いていく。
「それ、なんですか?」
なんか、装飾の石も含めて高そうな代物に見える。
「これか? エーテルグリップっていう、魔導器だよ。特級取った時に魔術省の偉い奴にもらったんだけど……クッソ便利。刃物にもなるし、トーチにもなるし、水も出せるからよ」
「へえぇ」
確かにすごいけど……先輩の側で魔力の属性を切り替えていろんな形状変化をしているだろうから、大抵の人は使いこなせないだろうな……。私が持っていても、ただの剣の柄のオブジェだ。
鳥の丸焼きと、お水で夕ごはんを食べた。
先輩といると、こんな状況でも死ぬ気はまるでしないけれど、ただひたすらに自分が情けない。
魔物を素手で魔力を使わず吹っ飛ばす先輩。
かたや何もないところで転ぶ私。かなり難易度が低く設定されているはずの初級課題でつまづく私。
私と彼は、今は一緒にいるけれど、いる場所は果てしなく離れている。
そうだ。今はこうしてただの『ふたり』でいられるけれど、学院に戻れば特級魔術師さまと劣等生でしかない。
「先輩」
「ん?」
「先輩が……せめて、ただの困った面倒な人だったら、よかったのに……」
「あぁ?」
「なんで……そんなにすごいんですか……」
先輩は顔を顰めてちょっと呆れた息を吐いた。
「ただでさえこんな課題に巻き込んで申し訳ないのにぃ……」
「あのなぁ、ジュゼ」
「はい」
「俺はこんな危険があるならなおさら一緒に来てよかったと思ってんぞ」
「う、せ、ぜんばいぃ……!」
それに対しての反論はたくさんあったけれど、胸がいっぱいになって、先輩に飛びついた。
「うおっ!」
先輩はだいぶ驚いた声をあげたが、ちゃんと抱き止めた。そして、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「時間になっても戻らなかったら、学院側がきっちり探すだろうからな。あんま心配すんな」
「…………はい」
実のところ先輩と一緒なので、命の危険は感じていない。ただ、こうも劣等生だと、私が先輩と一緒にいつづけるのは難しい感じがしてしまう。
この先だって私は退学になるかもしれないし、それでなくとも卒業後も彼と自然に一緒にいる未来なんて、こんなんじゃ、想像すらできない。
一度はすべて諦めて死を受け入れようとしていたというのに、希望が湧いてしまったが故に苦しくなってしまう。たぶんきっと、希望があるから絶望するのだ。
先輩の大きな手がぽん、ぽん、と小さく背を叩く感触に我に返る。
先輩にくっついていると、あったかい。
手のひらが背中から上がってきて、頭を優しく撫でた。気持ちいい。
うっとりしていると、先輩が私の首筋に顔を埋めて、すん、と嗅いだ。
「……んッ」
唐突に湿った感触が肌に触れたのでぴくん、と体が小さく跳ねてしまう。
「……そろそろ離れろ」
「外ですよ! 外ならいいんでしょう?!」
「バ、バカかテメェは! 外でも夜だし誰もいねえだろ! まかり間違って食われないように離れとけっつってんだよ!」
「さっき食べないって言ってた……」
「……うるせえ黙れ!」
「でも気が変わったなら、大丈夫ですよ! 私、先輩の血肉になれるというのなら、私の人生で考えうる中で最も尊い死に様だと……私先輩にならほんとうに何をされてもいいし、先輩が死ねっていうならそうします! ごはん足りなければ片腕くらい差し出せますよ! なにか私にできることありますか?」
「んなこと言われたら逆になんもしづれえわ!」
「は?! なんでですか!? 私、先輩が喜ぶならなんでも……」
「だから! 黙れっつってんだ!」
先輩のお願いなので大人しく黙った。しかし、離れる気は毛頭ない。いくら先輩のお願いでも聞けるものと聞けないものがある。
さらに身をすり寄せてガッチリと抱きしめると、頭上から先輩のものらしき『バチン』という弾けた音が聞こえたけれど、大きなため息と共に許容されたらしく、無理にひきはがされることはなかった。
結局そのままゆるやかであたたかな睡魔に呑まれていく。




