呪いにかかった火曜日
翌日の休み時間。バルトロマーニ先生から呼び出しを受け、先生の部屋を訪ねた。
先生は髪の毛の一部が少し焦げていた。燃やされたんだろうか。いつもの着古した白衣も、よりいっそうボロくなっている気がする。
そして、その落ち込みようは空前絶後だった。
「ほんとうに……ごめんね。申し訳なかった……教員としてあるまじき判断ミスを僕は……」
「昨日のことですか? 特になんもなかったですし……いいですよ。先生にはお世話になってますし……あれくらい」
思い出すとまだドキドキするけど先輩もすぐ我に返ってたし、幸いわたしは髪の毛を焦がされるようなこともなかったし、問題ない。
「先生……ちゃんと寝てますか?」
先輩も眠そうにしていたけれど、先生も目の下のクマがすごかった。先輩だけじゃなく先生も試験合格のあとのいろんなアレコレで大忙しだったからだろう。
バルトロマーニ先生は先輩が在学中の保護監督責任者になっている。その昔、先輩の猛獣すぎる気質に多くの反対が出る中、先生は彼の才能を信じ、学院での特別待遇を与え能力を伸ばし、特級魔術師の資格獲得までこぎつけた。バルトロマーニ先生の功労はかなり大きい。
ただ、先輩と先生。その関係はあまりホンワカはしていない。
なにしろ先輩は先生に甘えきっていて、いろんなことをすぐにぶん投げてすまそうとする。
しかし、先輩からしたら生活の保証を盾にとられて気質に合わない多くの束縛や要求を受けている状況だ。とりわけ、特級を取るためには複数の魔術言語を習得しなければならないし、命の危険があるような魔獣召喚もさせられる。お偉いさんへの根回しも必要となる。
彼はなまじ能力があるだけに必要以上の要求を多くされている。バルトロマーニ先生もその辺は容赦しないで先輩にぶん投げている。
この二人はもはや一蓮托生とはいえ、その関係は若干距離が近すぎてギスギスしている部分もある。
「恋人と会わせれば……少し落ち着くかと思って……でも、教員としてほんとうに配慮不足だった」
「……先生」
「ん?」
「わたし、先輩と恋人かどうかは……ていうか、十中八九違いますね」
「え……えぇ?」
先生は軽くのけぞった。
「そ、そこは、はっきりさせてもいいんじゃないかな」
「やです。先輩、そういうの嫌がりそうだし。わたしは先輩至上主義なんで、先輩がガチンコで嫌がりそうなことはビタイチしたくないんです!」
「そ、そんなぁ……嫌がるかわからないじゃない?」
「駄目です! ていうか……わたしまだ、先輩にそこまで好かれてません!」
「えぇ〜そう、かなぁ。エルミさん自尊心も自己評価も低そうだからな」
「む、むろん、嫌われてるとは思ってませんよ! でも、恋人になるほどではないんですよ……」
これは冷静な観察により導き出された正しい評価だ。
この間も好きですって言ってみたけど、ものすごいしかめ面で「そうかよ」と言われただけだった。そのあと時間をおいてもう一回好きって言った時は目を逸らされたし、鼻息をフンとはいてすぐにどこかに行ってしまった。舌打ちされなくなっただけでもマシだがまだまだラブラブには程遠いのである。
先輩はわたしの呪いを解いてくれたし、約束も果たしてくれた。わたしが好きっていうのを信じてくれた。デートに誘えば来てくれる。
けれど、そこまでだ。
「もちろん諦めてはいませんけど、時期尚早にそんな博打打てるわけありません」
それに、試験結果が出てからの騒ぎを目の当たりにしたわたしは、実はまた、先輩に少々ドン引きモードでもあった。
今、畏れ多くて特級魔術師様の恋人になりたいなんてとても思えないというのもまた正直な気持ちである。
「エルミさん、僕はね、彼を引き取ってこの五年……何度も首が飛びかける危険な目に遭ってきている……」
「はぁ……お気の毒です」
「なんとか能力に見合った資格を取らせて……や、やっど、少し落ち着くかと思ったのに……ご、ごれじゃあ……」
先生、声が掠れてるし目が潤んでいる。
睡眠不足も手伝って涙もろくなった教員のガチ泣きを見させられている。
「エルミさん、なんとかして、彼の……恋人に、なってもらえないかなあ……」
「先生……もしかして、なんとかして先輩に首輪を付けようとしてます……?」
「首輪っていうのは人聞きが悪いよ。ただ、大事な存在がいれば彼も安定するし、周りみんなが幸せかもしれないと……! エルミさん、君にかかってるんだよ!」
「またその生贄みたいな言い方やめてください。先輩は日照りの時に村の乙女を捧げられる神話の龍神様じゃありません」
バルトロマーニ先生はずっと頭を抱えていたけれど、やがて顔を上げる。
「仕方ない。僕がここに君を呼んだもうひとつの理由も含めて……ひとつ、呪いをかけさせてもらう」
「の、呪いですか?」
なんかぎこちない笑顔で不穏なこと言い出したぞ。
そんなこといったって、教員が生徒にほんとうに呪いをかけたら大問題だし、そもそもこの人は秘薬学の教員だから、そこまで強い呪いなんてかけられないだろう。そんなふうに思ってちょっと侮っていた。
しかし、先生は指を一本突き出して言う。
「レアンドロ・アルドナートと恋人にならなければ、二年生をもう一度やる呪いだ!」
わたしはリアルにぎゃあーと悲鳴を上げた。
「ひっ……ひどすぎませんか?!」
「いや、君は二年生になって成績がかなり低迷している。サボり中の課題もあって、ここまでですでに実習を六つ落としてる……実はこのままだと留年は順当なところなんだよね」
「う……うう……」
「ただ、君は今、妖精学に特化した特待生用のカリキュラムに組み直しているだろう? 組み直すと今後不要な教科がいくつも出る。カリキュラムの変更を早めに適応してしまえば……落とした実習のうち四つは不要なものになり……落とした数は二つになり……」
「三年生に……なれますか?」
「その通りだ。しかしこれは、誰が傷つくわけではないが、ちょっとしたズルなんだよ……それを教員である僕がやるというのは……それなりの対価を必要としたい」
顔を上げた先生の表情は悪い大人のそれだった。
「僕の言いたいこと……わかるね?」
「先生……そこまでして(こんなくだらないことを)わたしに……?」
「君といるレアンドロにはね……今まで見たこともなかった人間らしさと責任感が見え隠れしているんだよ。保護責任者としても……これを逃す手はないんだ!!!」
固く拳を握って熱弁する先生は、もはや良い大人なのか悪い大人なのかよくわからない。ただ、先生も、ものすごく先輩に参っているのだけは感じられる。
「で、でも、そんなうまくいくとも思えないんですけどぉ……先輩ですよ? レアンドロ・アルドナートですよ?」
「いや、いける。僕は昔から彼に動物を飼わせようとしてたんだけど、彼、臆病だから、別れが嫌だとか言って絶対飼おうとしなかったんだよ。裏切りさえなければ、人間の恋人は最適なはず」
「そうじゃなくて、わたし……なんもない……ですし」
「エルミさんは不良じゃないし一途そうだし、何の問題もない。だいたい、彼が君の呪いを解いたんでしょ? 好意だってしっかりある」
「でも……恋人になってくださいって言って先輩がすんなり頷く気がなぜかぜんぜんしないんです!」
バルトロマーニ先生は顎に手を当てて思考する。
「……確かに彼は頑固だし難敵だ。しかし、幸い僕は秘薬学の教員だ。ならば何種類か役立ちそうな薬を提供しよう」
先生は机にずらりと薬瓶を並べた。
「これは、ほんとうのことを話したくなる薬。効果は一分」
「へえ」
「こっちは、二分間他人に化けれる。これは三十秒動物の声真似ができる。これは一分間浮遊魔術が使える。こっちは、飲むと眠くなる。こっちは、腹痛に効く。こっちは肩凝りに効く」
最初のやつ以外はさほど役立つとは思えない。後半にいくほど恋愛要素は皆無。
「もっと手っ取り早い惚れ薬とかないんですか?」
「一時的なものならあるけど……そもそも彼はもう君に好意は持ってるわけだから……昨日みたいなことがあるとも限らない。教員として、ちょっと……渡せないな。あくまで理性的に安定的な関係性を構築してほしいんだよ」
まぁ、教員が生徒に貸し出せるのはこのくらいなのかもしれない。
「先生、あと、ひとつだけ」
「ん? なんだい?」
「……もしわたしが一縷の望みもなく振られたら……どうしてくれるんですか……死にますよ」
「……ないとは思うけど。そこまで言うなら……」
先生は鍵のかかった引き出しを開けてガサゴソ探る。
「あれ? ラベル剥がれてるな……これじゃなかったかな……ん? ああ、こっちだな。これこれ!」
先生が差し出してくる瓶を受け取った。
「これは五分前までの記憶が綺麗に消せる。最悪、振られたらすぐにそれを飲ませて、なかったことにしてくれれば……」
最後のラベルだけ異様に仰々しくて、明らかに教員が生徒に貸し出しちゃいけないタイプの秘薬だ。
先生、疲れて判断力弱まってないだろうか。これに関してはこちらでかなり注意して扱ったほうがいいかもしれない。
「エルミさんのカリキュラム変更の提出期限が来週の月曜日。五日後だから、それまでになんとか結果を出してね」
「え?! リミット短すぎません?」
「見る限り君たちは放っておいたら何年もこのままだろうし……リミットがあったほうがいい。頼んだよ。頼む。なんとか……もう少しでいいから落ち着いてほしいんだ……僕は心の底から……それだけを願っているんだ。そのためにできることがもうほかにないんだ」
「わ、わかりましたよ……」
先生が本気すぎる。
万が一わたしと恋人になったからって、問題を起こさない保証はないのに……。




