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月曜日の妖精


 西南の小神殿に着く頃には、わたしは先輩に抱えられていた。まったく力が入らなくなっていたのだ。


 神殿の目の前まで来て、とさりと下ろされる。


 先輩がわたしに「そいつ、いるか?」と聞いた時、小さな羽音が聞こえた。


 ふわり、あの日会った妖精が飛来する。

 急に体が、鉛のようにずしりと重くなった。


「あ、そこに……」


 あの日と同じように、どこからか笑い声が聞こえた。


 動悸が速くなって、呼吸が浅くなる。

 くらりと天地が反転するような感覚のあと、意識が遠のいていく。


 ぺしぺし、と軽い衝撃が頬を打ち、目を開ける。


「おいジュゼム、こんなときに寝んなよ。死ぬぞ」


「い、いや、寝ようとしていたわけでは……」


 ガチで死にかかってるんだと思うんですが……。


「で、そのクソ妖精はどこにいんだよ……」


「え、さっきから目の前に……」


「この辺か? 俺はあまりに弱っちい奴は見えねんだよな……」


 先輩がじろりと周囲を睨みつけると、妖精は「ピーッ」と鳴いて、怯えたように身をすくめた。


「クソ……見えねえな」


 先輩が空を見上げる。その背後に太陽が高い位置に昇っていく。もう、正午は近づいていた。時間はあとわずかだ。


 めちゃくちゃ眠い。

 でも、寝る前にこれだけ──


「せ、先輩、今すぐどっか行って!」

「嫌だ」

 先輩にだけは、見られたくない。

「早く! どっか行ってよ!」

「断る」

「わ、わたしのこと……好きじゃないくせに!」

「あ? 何言ってんだてめえは」

「先輩は、ずっと……たんにわたしを死なせたくなかったんでしょ?」


 途中からはもう気づいていた。

 この人は、最初から好意や感情とは離れたところで、わたしを『死なせない』ように、それを目的として動いていた。

 だからできることは一応してみたし、協力を申し出ながらも呪いを解くことはできなかったので、結局教員への相談を勧めていたのだ。


 距離を置こうとしだした矢先、なんとなく先輩のほうが積極的にこちらに関わってくるようになったのもそうだ。

 わたしが、諦めそうになるたびに、先輩は距離を少しだけ詰めてきた。

 それも、全部『死なせたくない』という倫理観や優しさなのだろうと考えるとしっくりくる。


 でも、結局ずっと、その『優しさ』しかないから、だから好きだなんて試しにでも言わなくなったんだろう。きっと、わたしが落胆して諦めるのが怖かったからだ。


 先輩は優しい。優しいけれど、残酷だ。


 もし呪いが解けて告白なんてしても、振り向いてくれることはないくせに。


「くそう……人の恋心弄びやがって! 意地悪! どっか行け! ほんっと腹立つ!」

「おう……突然ガチ感情こめんのやめーや」


 怒りでにじんだ涙を先輩の指がぬぐう。


「まぁ、俺も最初は……なんか面倒だから、お前がさっさと諦めて、教員のとこに行きゃあいいと思ってたんだよ……でも、お前を知るごとに、ただ呪いを解くことに意味があんのか疑問になってきた」


「え……」


「妖精は単体では魔術師のような強い力は持たない。けれど、人の心に影響を与えやすい」


 学院に呼ばれる妖精たちは学院の象徴として、お守りとして、小さな神様のように祀られている。

 彼らは人にひそやかな安心を与えたり、ほんのりとした勇気を灯したりすることができる。

 でも、妖精は反対に悪戯に人の心の不安を突いて増幅させたり、憎しみを増したり、そんなことだってできる。

 もちろんわたしがうっかり粗相をしたのが大きな要因ではあるけれど、きっと、弱すぎる心の闇を増幅されたのだ。


「死のうと思って水に飛び込んだ奴助けても、それはほんとうに助けたことになんねえだろ? 根っこで死にたがってる奴の死の呪いを解いたところで、何も変わんねえんじゃねえかと思ったんだよ……」


 先輩は、わたしがちょっぴり死にたがっていることに気づいていた。


「俺は、できたらお前には自分の意思で生きたいと思ってもらいたかったんだがな……」


 ちょっと、返事がしにくくなってきた。目の前がぼんやりしている。


「でももう時間切れか。しゃあねーな……」


 先輩はわたしの上半身を持ち上げてよっと起こした。


「まぁ、そこはクソみたいな人生の弊害ってことで、これからおいおいだな」

「先輩?」

「俺が今からひでえ嘘を吐くからな。よーく聞いてろ」

「え? あ、はい……?」


「ジュゼム」


 先輩はわたしの片方の手をぎゅっと掴む。


「好きだ」


 その瞬間、胸のアザが外にもわかるくらいの明るさで、カッと光を帯びた。


 あまりの眩しさに、ギュッと目を瞑る。

 胸が熱い。煙がしゅうしゅう噴き出すような感覚で、何かが外に出ていく。


「……なに、これ」


 覗き込むとアザがみるみるうちに消えていく。

 急に体が楽になって、酸素が多く入ってくる。軽くなったことで、どれだけ体が重くなっていたかがよくわかる。

 目を丸くして息を整えていると、先輩がわたしの耳元で囁いた。


「ちなみに、お前がちゃんと生きて闘うなら、ちゅーもしてやる」


 なんだと?!


「先輩、今の、聞きましたよ!」


 わたしはガバっと立ち上がった。

 突如として腹の奥から元気がモリモリ湧いてきた。


 わたしは、生きる!!!


 生きて、先輩にちゅーしてもらう!!!


「てやッ」


 わたしは馬の糞くらいの大きさの悪妖精バンシーを思い切り鷲掴んだ。


 悪妖精バンシーは、ピィ、ピィと叫びながら手足をバタバタさせている。わたしを殺そうとしてたくせに可愛こぶりやがって。

 そう思って、掴んだ悪妖精バンシーをまじまじと見つめる。


 あれ? なんかすごく怖いものに見えていたのに、こんな……蝿みたいな……え?


 こんなものに? わたしは呪いを?


 急に我に返ってしまった。


「先輩」

「ん?」


 わたしは、ゆっくりと、大きくふりかぶる。


「約束、絶対守ってくださいね!!!」


 そして、思い切りぶんと投げた。


 悪妖精バンシーはキャピー! と叫んで空の彼方に消えた。


「勝った……」


 勝った。先輩に……約束を守って……もらわなきゃ……わたしはうつろな頭でそう思う。けれど、目の前がぼやけていく。



   *

   *

   *



 目が覚めた時には寮の自分の部屋で寝ていた。

 生存していたし、アザもすっかり消えている。


 部屋を出ると、昼過ぎにレアンドロ・アルドナートがわたしを担いで女子寮に来て、寮監に預けて去っていったらしいと教えてもらえた。


 ということは夢ではなかった。わたしも、約束も生きている。わたしはともかく、約束が生きているのはものすごく大事。


 体がひどく疲れていた。わたしは軽い食事をとり、寝床に取って返すと、そこからまたぐうぐう寝た。



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