◇プロローグ
「わたしに、好きって言ってもらえませんか?」
放課後の校舎内、正門に続く広い通路で。わたしは待ち伏せてはいたものの、結局背後から声をかけた。
振り返った男子生徒は肩までの白い髪に目つきの悪い紅い瞳、制服はシャツのボタンがだらしなく開けられ、だいぶ着崩している不良スタイルだ。
名前は、レアンドロ・アルドナート。
彼はこの魔術学院で一番有名な人間だ。美しい容姿に反して中身は凶悪。人嫌いだし女嫌いでもある。
授業はすぐサボる。やたらと人と揉める。教師にもすぐ突っかかる。協調性皆無ですぐに人を恫喝する。苛烈で偏屈、不遜な狂犬。
素行だけ見ると立派な不良なのだが、成績は飛び抜けて優秀だし、無駄に容姿端麗。とにかく扱いにくい人間らしい。
彼は学年がふたつ上なので、関わることはなかった。
昨日までは。
「あァ?」
「ひぃ!」
ものすごく不愉快な顔で威嚇された。
顔は一分の隙もなく整っていて綺麗なのに、ものすごく剣呑な目つきをしている。いや、顔が綺麗だから余計にその迫力がすごい。
過去にある噂では、渡されたラブレターを目の前で魔術で灰にしたなんてのはまだいいほうで、告白した女子が睨みつけられて一瞬後には白骨化していたとか、肩に触れた手を腕ごと天高く吹き飛ばされたとか、さすがに尾鰭としかいえないような物騒な噂がたくさんある。
下校時刻を少し過ぎた時間。周囲の生徒たちは正門に、あるいは寮へと向かって歩いていたが、例外なくこちらを見て行く。しかし、決して関わろうとはしてこない。怖いから。
だが、今のわたしはそんな恐怖に負けてやすやすと引き下がるわけにはいかなかった。
「二年生のジュゼム・エルミ。十七歳です。わたしに、好きって言ってほしいんです!」
「失せろ。ゴミが」
レアンドロ・アルドナートは鋭い言葉の刃でさくっと華麗にわたしを串刺しにしたあと、用は済んだとばかりに去ろうとした。
わたしは走っていって前に回り込む。両手をばっと広げて通せんぼしようとする。
「お願いします! 一度でいいのでわたしを好きって言ってもらえませんか!」
精一杯頼み込んで顔を上げると、先輩はおそろしく忌々しい顔で舌打ちした。
「……頭吹っ飛ばされたくなきゃそこをどけ」
すごい。女子からの告白を断る時の文言とは思えない。しかし、めげずに追撃する。
「そこをなんとか! 嘘でいいですから!」
「あ?」
「呪われてるんです!」
レアンドロ・アルドナートがギョッとした顔で足を止める。わたしをじっと見た。
「呪い?」
「はい! これを見て下さい!」
いそいそとシャツのボタンを開け始めたわたしに彼がのけぞる。
「うわ、なにしてんだてめぇ!」
「これこれ、これです」
鎖骨の下、胸の上あたりに呪われた時についた群青色のアザがくっきりとあった。
わたしは彼に逃げられる前にと、そこで経緯を捲し立てた。
「はぁ、悪妖精の不興を買って呪いをかけられたと……」
王都から少し離れた場所にある五年制の王立ヴェアロンテ魔術学院は、緑の豊富な丘の、切り拓かれた中央に建っている。
魔術において、ただそこにいるだけで大きな加護を授けるとされる妖精を少しでも多く呼ぶため、敷地の端には小神殿が複数配置されている。ようは鳥の巣箱みたいなものだ。だから妖精は敷地の端にはウヨウヨいる。
彼らはヒトとは違う価値観で生きている。善悪の観念も違うし、気まぐれで扱いが難しい生き物だ。
それでも彼らは基本人目を避けて隠れているし、人間に害をなすようなことも基本はない。魔力がそれなりにあればなおさら。
魔力たんまり、四年生にして上級魔術もほぼ網羅しているというエリートの先輩が怪訝がるのも無理はない。
しかし雑魚雑魚劣等生のわたしはうっかりした行動で悪妖精から不興を買った。
そして、『七日以内にレアンドロ・アルドナートに好きと言われなければ死ぬ』というアホな呪いをかけられた。
ほんとうにアホとしかいいようのない呪いだ。
しかし、こちらの命がかかっていようとも悪妖精にとってはふざけた悪戯でしかないのが余計に腹立たしい。
「確かに……呪いの刻印みてえだな」
「はい! 先輩に好きって言われないと死にます!」
元気よく言うと先輩が目を見開いた。バカじゃねえのと、その顔に書いてある。
「なんでそんなことになったんだよ……」
「それは……」
「あ、やっぱいい。興味ねえ。教師にでも相談しろ」
「そ、そんなことしたら退学になってしまいます!」
確かに教師に相談すれば、このアホアホな呪いは解いてもらえるだろう。
しかし、わたしは以前から落第寸前で後がないヤバヤバ劣等生だ。
妖精の呪いの解呪にはおそらく特級の解呪医を呼ぶ必要がある。結構なコストがかかるはずだ。そんな不利益を招いたとなれば、きっともう退学処分だろう。
「お願いします! 好きって言ってください! 退学したくないんです!」
「てめえのしでかした不祥事だろうがよ」
先輩はヒトを射抜けそうな眼力でギッと凄んでくる。
べつに胸ぐらを掴まれてるわけじゃないのに、歯ぁ食いしばれ、という声が聞こえてきそうな顔だ。あ、犬歯すごい尖ってて凶悪。こわあ。
「こんなところで俺に大迷惑かけてねえでおとなしく教師に相談しろ。それで退学になったならてめぇの自業自得だ。そもそもが妖精ごときに呪われるなんて雑魚もいいとこだからこの学院にいても芽はねえだろ」
先輩はじろっと睨むと、今度こそ去っていった。
方角からして男子寮に帰宅するものと思われる。
十一月のひんやりした風が、汗をかいた額を撫ぜていく。
周囲にいる生徒たちはこちらを見てさっそく噂を始めている。でも、そんなのどうでもいい。
空を見て静かに状況を整理する。
このままだと退学か死だ。
──これは、死にかけのわたしの人生の中で、最大に生きていた七日間の記録。