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死にたがりと春雷  作者: 黑野羊
春雷の光る
1/21

1−1

 遠くで、雷鳴が聞こえた。




 一緒に帰ろうと言った友人が、忘れ物をとりに教室へ戻ったのを待っている時だった。花曇りの空に響く音に震えたのか、頭上の枝葉がざわめいた気がして、春日(かすが)祐介(ゆうすけ)は視線をそちらに向けた。

 中学校の正門近くにいくつか並んで植えられた常緑樹。そのうち1番近い木の1つが不自然に揺れていて、青い葉っぱがはらはらといくつか落ちてきた。よくよく見れば、立派に広がる大きな枝と枝の隙間に、同じ中学校の学生服に身を包んだ少年が1人、身体を器用に曲げて身を潜めている。


「……何、してるんだ?」

「シィッ!」


 彼は、人差し指を口元に当てて、囁くような小さな声を短く返した。

 不思議に思いつつも、春日は視線をそれまで暇つぶしに広げていた手元の本へ戻す。と、すぐにその理由は明らかになった。

 校門前にあるロータリーの向こうから、女子生徒が数人バタバタとやってきたのだ。


「あ、春日くん! 相模くん知らない?」

「……いや、知らない」


 息をきらし、学校中を駆け回っていたらしい女子生徒たちに問われ、春日は表情を変えることなくそう答える。


「えぇー、どこ行ったんだろ」

「じゃあ体育館のほうとか?」

「よし、いってみよ!」


 女子生徒たちはそう言い合いながら、来た方向とは反対の、体育館のある方へ嵐のごとく駆けていき、あっという間に見えなくなった。

 再び静かになると、木の枝が再び小さくざわめいて、語りかけてくる。


「……行っちゃった?」

「あぁ」

「はー、助かった。悪いね、春日」


 春日の答えに安堵の息が聞こえ、それから小さな緑の葉っぱのいくつかと一緒に小柄な少年──相模(さがみ)和都(かずと)が、木の枝を揺らしながら飛び降りてきた。

 彼は地面に軽やかに着地すると、艶めく黒髪と紺のジャケットにくっついた緑の葉っぱを丁寧に叩いて落とす。それから不自然な体勢のために曲がってしまった、紺地に白チェックのネクタイを直した。


「なんで追いかけられてたんだ?」

「えー? なんか、おれと仲良くなりたいんだってさ」

「なればいいじゃん」

「やだよ。……気持ち悪い」


 背負っていた通学用リュックにもくっついていた葉っぱを払いながら、相模は人形のように綺麗な顔を苦笑するように歪め、さも当然のことのようにそう言った。


「……は?」

「集団で仲良くおれを囲んで話してるけど、よくよく聞けばみんな他の誰より自分がおれに相応しいとか、仲良くしたいってアピールで必死なの。それをずっと笑顔でやり続けるなんて、気持ち悪いと思わない?」


 整った顔立ちと黒目がちで大きな瞳を持つ彼は、眉をひそめて吐き捨てるようにそう続ける。可憐な少女と見間違えそうな、清楚で美しい見た目をした人物から出てきた言葉とは、到底思えなかった。


「……『怪物(モンストル)』かよ」


 ちょうど読んでいた本の中に出てきた、人間を『気持ち悪い』と言って嫌う醜い見た目の『怪物(モンストル)』と重なってしまい、思わず出た感想だった。

 言われた相模は、最初きょとんとしていたが、春日の持っていた本のタイトルに『銀貨物語』と書かれているのを見て、あぁ、と気付いて口を開く。


「『ああ きもちわるい きもちわるい おまえら人間なんか だいきらいだ』の『怪物(モンストル)』?」

「そう」

「『怪物と少年』のやつか。……初めて言われた」


 相模はそう言うと、妙に嬉しそうな顔で笑う。

 その笑顔が、学校で見るどの人物よりも綺麗で、春日は背筋がゾクリと粟立つのを感じた。

 深くて暗い瞳の黒さが、底知れない色に光っている。

 彼は、もしかしたら本当に『怪物』なのではないだろうか。

 精巧で美しい造り物が、夜中に動き出したの見てしまったような、そんな気持ちだった。


「じゃあ、お先っ」


 相模はそう言うと、正門を出てすぐの道をまっすぐ、体育館とは逆の裏門のある方向へ向かって駆けていく。




 遅い春を告げる雷鳴は、遠くでもう1度だけ瞬いた。



 ◇



 相模和都は、中学1年の4月の半ばというとても中途半端な時期に、隣の県から杜山(もりやま)中学校に転校してきた、イレギュラーな存在だった。


「じゃあ席は、窓際の1番後ろが空いてるから、そこに」


 朝のホームルームで紹介された彼は、身長140センチ台と小柄なものの、整った顔立ちと大きな瞳が妙に印象的で、吸い込まれそうに深い色の黒目と艶やかな黒髪のせいか、肌の白さが際立って見えた。

 黒板の前から指定された席に向かうだけの彼を、クラスの誰もが、特に女子生徒はため息を漏らしながら見つめる。

 そんな彼と周りの様子を、春日は1番後ろの席で眺めながら、前日の放課後、担任教師に言われたことを思い出していた。




「転校生? このタイミングで、ですか?」


 放課後の職員室。

 担任教師に呼び出された春日は、クラスに新しく転校生がやってくることを告げられ、シンプルに驚いていた。入学してまだクラスの雰囲気も落ち着くかどうかという、この微妙な時期に転校生がくるというのはあまり聞いたことがない。中学1年になる年に県外から越してくるのであれば、入学式のタイミングに合わせてやってくることが多いからだ。


「うん、なんかお家の事情がいろいろあったみたいでね」

「そうですか。でも、なんで俺にそれを?」


 春日は中学1年生にしては大きい身体を、教師の近くにあったキャスター付き椅子に収めながら改めて聞く。そんな春日を横目に見ながら、教師は頭を掻いていた。


「んー、なんでも『よく倒れる』子らしいんだよ」

「倒れる……。病弱、とかですか?」

「そういうわけではないらしいんだが、時々、発作のようなものを起こして、倒れちゃうらしくて」


 そう言いながら、教師は机の上にそれまで見ていた書類を放る。それをチラリと盗み見ると、名前の欄に『相模和都』と記されていた。


「春日お前、保健委員だろ? 来るのは男子生徒だし、だからまぁ、一応言っておこうかと思ってな」


 保健委員は各クラスで男女1名ずつ決められており、生徒が病気や怪我をした時などに保健室まで付き添ったり、介抱したりするのが仕事だ。『よく倒れる生徒』がやって来るということは、保健委員の仕事が増えるということを意味する。それを事前に教えておきたいという、担任教師なりの配慮だったようだ。


「ああ、なるほど。わかりました」

「大変だと思うけど、よろしくな」




 ──たしかに、体力はあまりなさそうな感じだな。


 身長が低めなのもあるが、全体的に華奢で身体が薄い。少し無理をすると簡単に壊れてしまいそうな、そんな儚い印象を春日は持った。

 窓際の1番後ろの空席。その隣の席に座っていた春日は、椅子を引いて座ろうとする相模に自分から声を掛けた。


「……春日祐介だ」

「ああ、よろしく」


 チラリとこちらを目だけで見て、高めの、変声前と思われる声が返す。間近で見れば見るほど、精巧に造られた人形を見ているようだった。

 ホームルームが終わるとすぐ、教室内にいた女子生徒たちが隣の机をぐるりと囲み、あれやこれやと話しかける。しかし、その中央に座る彼は周囲の話し声など全く聞こえていないとばかりに、通学用のリュックから本を取り出し、そのまま読み始めてしまった。


「すげぇのが隣になったな」


 完全無視を決め込んだ隣席の様子に少しばかり呆れていると、少し離れた席の日野(ひの)翔馬(しょうま)が話しかけてくる。日野は小学生の頃から春日とよく一緒にいる友人だった。


「なんか話した?」

「いや、挨拶くらいしかしてない」

「ちょっと、面倒臭そうな奴だな」

「……そうだな」


 日野が自分と全く同じ感想を持っていたので苦笑する。

 授業が始まると、まだこちらの学校の教科書が間に合っていないらしく、隣の春日が見せることになった。

 机を寄せ合い、くっつけた天板の真ん中に国語の教科書を開いておく。


「悪いね」

「いや」


 相模は教科書を捲って目次や進捗を確認すると、真新しいノートを開いてタイトルや本文について書き始めた。転校してきた、と言ってもまだ4月も半ばで、授業はそこまで進んでいるわけではないし、簡単に追いつけるだろう。


「もし必要なら、これまでの分のノートも見るか?」


 相模の様子に春日がそう言うと、1度視線をこちらに向け、すぐに教科書へと戻す。


「……国語は、大丈夫。今やってる長文は、前に本で読んだことあるし。他の教科は借りれたら助かるけど」

「じゃあ、今日帰る前に貸すよ」

「ああ、助かる」


 そう答えて、相模は再びノートにシャープペンシルを走らせ始めた。

 彼は、自分と目を合わせて話そうとしない。

 転校初日、自分より20センチ以上も大きい同級生が隣席になって怖がられているのかと思ったが、そんな様子も感じられなかった。緊張している、というのもまた違う。


 ──人と話すのが嫌いなタイプ、か?


 春日は隣であるのをいいことに、このどうにも掴めない転校生を暫く観察することにした。

 授業中は比較的真面目に話を聞いており、板書する文字も丁寧で綺麗な文字を書く。一見大人しそうで、真面目な雰囲気だが、授業が終わり休み時間のたびに変わるがわるやってくる女子生徒たちとは、一切会話しようとしなかった。

 本格的に人と関わるのが嫌いなタイプかと思ったが、授業中に話しかけると短い返事ではあるものの普通に答えるので、会話が特別に苦手というわけではないらしい。


 ──女子が苦手、なんだろうか。


 もしそうであるならば、他のクラスから女子生徒が見物にくるほど人を惹き付けてしまう容姿なのは、なかなか大変そうだな、と春日は少しばかり同情した。

 昼食を食べ終えた昼休み。

 この時間になると、相模の机を取り囲む人の山はより増える。1年3組の教室出入り口付近には、他学年の生徒までやってくるという、異例の事態になっていた。


「お隣、大人気だな」

「そうだな」


 こちらの席までやってきた日野に、春日は呆れるように短く答える。

 短い休み時間では遠慮していたらしい生徒も、まるで競うように彼に話しかけていた。しかしその中央にいる彼は、やはりそれらの一切を無視している。

 しばらくそんな状況のままだったが、相模は不意に立ち上がり、驚いて割れた人垣の隙間を縫うよう抜けると、すぐ隣、春日の席の傍らにやって来て、


「図書室に行きたいんだけど、案内してくれない?」


 初めて、まっすぐに自分と視線を合わせた黒い瞳が、そう言った。


「……わかった」


 一瞬、言葉の意味を飲み込むのが遅れてしまったが、春日は答えながら立ち上がり、先を歩こうとする。と、それまで机を取り囲んでいた女子生徒たちが、不満を露わに騒ぎ出した。


「学校の案内なら私たちがするのに!」

「そうよ、春日くんじゃなくてもいいじゃん!」


 根気よく何度も話しかけている自分たちではなく、ただ隣の席だというだけの春日に案内を頼むのは納得がいかないらしい。

 ブーイングさながらの声を上げる女子生徒たちに、近くで見ていた日野が呆れて相模と女子生徒たちの間に入った。


「おいおい、お前らさすがにそれはさ……」


 いつものお調子者らしい振る舞いで落ち着かせようとしたのだが、


「うるさい!」


 日野のすぐそばで、相模が短く強い声でそう言った。


「もう春日に頼んだから、必要ない」


 不満の声をあげた女子生徒たちのほうを、眉をひそめてジロリと睨みつけた後、相模は視線をふと床に落とす。


「……騒がしいの、嫌いなんだ」


 息をつくようにそう告げると、教室の出口のほうへ向かって歩き出し、すぐ近くで見守っていた春日のほうを見た。


「行こう、春日」

「……あ、ああ」


 答える自分より先に相模が教室を出ていこうとするので、春日は慌てて後を追いかける。

 そんな2人を、呆気にとられるように見送った後の教室は、小さな爆発が起きたように不満の声でいっぱいになった。


「えー、なにあれ!」

「ちょっと態度悪すぎない?」

「せっかく親切にしてるのに!」


 相模の机を取り囲んでいた女子生徒たちが口々に文句を言い始める。

 これには、一部始終を見ていた日野も流石に呆れてしまった。


「いやでも、さすがにうるさすぎでしょ」


 確かに初めて来た学校では分からないことも多く不安だろうし、転校生に積極的に話しかけにいくのは悪いことではない。しかし、向こうは休み時間の度にやってくる女子生徒たちを、完全に無視し続けているのだ。周りから見ても迷惑であろうことは明白である。しかし、女子生徒たちは全く懲りていないようで。


「だって他にいないじゃん、あんな子!」

「お人形さんみたいだよねぇ」

「絶対、仲良くなりたいもん!」


 さきほどまで不満を爆発させていたと思ったら、今度は手のひらを返したように、相模の容姿についてキャーキャーと騒ぎ始めてしまった。


「わー、めんどくせぇ」


 そんなクラスメイトたちを眺めながら、日野はずっとこれに囲まれるのは流石にいい気分にはならないよなぁ、と相模に同情するのだった。

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