第十八話「君の未来が永遠に続きますように」
彼女が最後に言った言葉──
あの時の僕はまだ、その言葉の意味を理解していなかったのだ。
────最終話「君の未来が永遠に続きますように」────
翌日。学校に彼女の姿はなかった。
次の日も。そのまた次の日も──。
(そういえば……須藤さん、あの日の帰りになんて言ってた……?)
『それじゃまた、十年後に会えたらいいね』
確かにそう言った。
(どういう意味だったんだ……?)
なぜあの言葉に疑問を持たなかったのか。
僕はいつも後悔ばかりしている。
その時、水森が血相を変えて教室へと駆け込んできた。
「神谷……! 神谷いる……⁉」
「ど……どうしたんだ、水森……⁉」
息を切らした水森は、その場で呼吸を整えている。
そして少し落ち着いてから、僕に笑顔を向けて言った。
「心春から……! 心春からメールが返ってきた!」
「……え⁉」
実は、あの日から須藤さんと連絡がとれなくなっていた。
拒否しているというわけではなさそうなのだが、いくら連絡しても返事がないのだ。
電話もメールも返事が戻ってこない。
だから水森は、須藤さんからメールの返信があったことを、慌てて僕に知らせに来てくれたのだ。
僕と水森はお互いの顔を見合わせてから、その視線を水森のスマホへと向けた。
緊張が走る。
「……読むね」
「お、おう……」
水森は一度深呼吸してから、一字一句、大事そうにそのメールの内容を朗読した。
『ひさしぶりだね。朱音ちゃん。元気? いっぱい連絡くれたのに返事できなくてごめんね。突然、学校辞めちゃってごめん。いくつか理由はあるんだけど……そのうちのひとつ。私はまだスタートラインに立ったばっかりなんだってこと。それに気づいたから。だから私はこっちでがんばる。朱音ちゃんに追い越されないようにがんばる。しばらくは連絡できないかもしれないけど、ごめんね。神谷くんにも、ごめんって言っておいてね。こはるより』
そして訪れる沈黙。
「ど、どういう意味だ……?」
「あたしに聞かれたって分からないわよ……!」
何となく『何か』は書いてあるのだが、あまりにも抽象的過ぎて思った以上に情報量が少なかったことに愕然とする。
ただ少なくとも、須藤さんがアイドルとしてがんばっているということ、そして彼女の安否が確認できたということに、僕も水森もホッとしていた。
「おい、水森……! おまえ早くアイドルになって、須藤さんの近くに行ってやれよ!」
「わ、わかってるわよ! あんたに言われなくたって、そのつもりだからっ……!」
結局──
それ以降、須藤さんから連絡が来ることはなかった。
それから一年後。
水森は須藤さんとの約束を果たし、『愛宕いずな』の名でデビュー。
すぐに頭角を現し、トップアイドルとしてその名を世界に轟かせていた。
だが──
いくら待っても『秋月ひかげ』の名が世に出てくることはなかったのだ。
(須藤さん…………いったいどうしちゃったんだろう?)
水森がアイドルのオーディションに合格して東京に行くことが決まったとき、僕は彼女に「何か須藤さんのことが分かったら、僕にも連絡して欲しい」と伝えておくべきだった。
まさか水森まで連絡がとれなくなってしまうとは思っていなかったのだ。忙しいのか、それともほかに何か事情でもあるのか──。
(本当に僕は後悔ばかりしているな……)
ただ、今やインターネットが当たり前となった情報社会だ。水森が活躍していることは、定期的に確認できていた。
しかし須藤さんのことだけは、どうしてもわからないままだった。
いつまで待っても──
彼女がアイドル『秋月ひかげ』として、お茶の間に姿を見せることはなかったのだ。
数年が経過した頃、僕は居てもたってもいられず彼女の番号に電話をしてみたこともあったのだが、もうその頃には彼女の番号は変わってしまっていた。
それからは、毎日のようにテレビやネットで『秋月ひかげ』を探すのが、僕の日課となっていったのだ。
だが結局──
最後まで彼女が姿を現すことはなかった。
それから長い年月が流れ、ついに運命の日が訪れた──。
二〇一二年四月十七日。
かつてアイドル『秋月ひかげ』としてデビューし、二十四歳という若さで命を絶ってしまった須藤心春の命日となった日である。
僕は恐るおそるテレビの電源をつけ、ニュースを食い入るように見ていた。
さらには手元に持ったスマホでもニュースを検索している。
(──ない。まあ、当然と言えば当然か)
僕が確認していたのは『秋月ひかげ』の自殺があったかどうかだ。
当たり前だが、そんな報道などあるはずはなかった。
なぜなら今僕がいるこの世界に、恐らく『秋月ひかげ』などというアイドルは存在していないからだ。
それでも調べたかった。
少しでも須藤さんが自殺していないという証拠が欲しかったのだ。
僕がタイムリープしてくるまえの世界では、間違いなく須藤さんは『秋月ひかげ』として存在していた。
だが僕が今こうして生きているこの世界に『秋月ひかげ』は多分存在していない。
ずっと探してきたにも拘わらず、見つからなかったということは、そういうことなのだろう。
(やっぱり僕が、あの日の結果を変えてしまったことが影響しているのだろうか?)
確かに『秋月ひかげ』の自殺が発生しなかったのは喜ばしいことだ。
しかしながら、存在していない人間が自殺などするはずがないのだから、起こらなくて当然といえば当然なのだ。
それは同時に『須藤さんの安否が確認できていないという現実』を突きつけられているも同然だった。
もともとの計画では、この日に『秋月ひかげ』が自殺しないことを見届けることで、僕は彼女の自殺を回避できたと判断するつもりでいたのだ。
(結局、須藤さんはアイドルを諦めてしまったのだろうか……?)
この時点で、須藤さんの生存確認は出来ていないことになる。
それどころか、彼女が『秋月ひかげ』としてデビューしなかったことで、僕は彼女の生死を確認する術がなくなっていたのだ。
もしかしたら須藤さんの自殺が、今日ではなくなっている可能性もある。
逆に、どこかで元気に生きている可能性だってある。
だが──
最悪、すでに亡くなっている可能性だって十分にあるのだ。
考え始めたらキリがないくらい、無数の可能性があることに気づく。
(もう須藤さんの安否を確認する方法なんて──)
その時だった。
(いや、待てよ?)
ふと僕の中に一つの方法が浮かんだ。
(そうだ……彼女の実家に出向いて確認すればいいんじゃないか!)
なぜ、そんな簡単なことに気づかなかったのか。
実際には一度、数年前に彼女の実家を訪れている。
その時は「いくら同級生とはいえ、よくわからない男などに娘の情報は教えられない」と言われ、追い返された。
だがそれは、僕が彼女の居場所や連絡先を聞こうとしたからだ。
きっと安否確認くらいであれば応じてくれるだろう。
場合によっては、もしかしたらアイドルを辞めて実家に戻っているかもしれない。
僕は急いで身支度をして、小走りに玄関へと足を向けた。
その時だった。
ピンポーン。
まさに玄関に足を踏み入れた瞬間のことだった。
玄関のチャイムが鳴ったのだ。
(誰だ? この忙しい時に……)
玄関を開けた僕の瞳に映り込んできたのは、明るい栗色の髪をした綺麗な女性だった。
ショートボブほどに揃えられた髪は、丁寧に手入れされており、とても品が良さそうに見える。
そして彼女は、太陽のようにまぶしい笑顔を僕に向けて言ったのだ。
「久しぶりだね、神谷くん。ちょっと背伸びた?」
「……え? ど、どちらさま……でしたっけ?」
すると彼女は一瞬しかめっ面を見せてから、すぐに笑顔に戻って自分の名前を名乗った。
「春日ひなた────と申します」
「ど、どうも……」
僕は必死で自分の記憶の引き出しを漁りまくっている。
だが、いくら考えても『春日ひなた』という名の人物が思いだせない。
(どこかで聞いたことある声だが──だ、誰だ……? 春日ひなた……名前も何となく聞き覚えはあるのだが思い出せない。僕の知り合いに、そんなやついたか……?)
おろおろしている僕を見て、彼女は「ぷっ」と笑ってから、改めてその目をまっすぐ僕に向けた。
すると彼女は、少し愁いを帯びた表情に変わり、衝撃的なひと言を口にしたのだ。
「────十年ぶりだね」
僕は目を大きく見開いて、驚いた表情を見せた。
胸が熱くなる。
(ま、まさか……?)
僕は、恐るおそるその名を口にした。
「す、須藤……さん?」
すると『春日ひなた』と名乗った人物は、優しそうな顔で僕に微笑んだ。
あまりの衝撃に、僕はそれ以上言葉が出てこなかった。
(十年前に僕がいた二〇一二年と名前が変わってる──?)
どおりで気づかなかったわけだ。
僕は、ずっと『秋月ひかげ』の名を追っていたから────。
よく見ると確かに面影がある。
僕が最後に彼女を見たのは中学三年生の頃──つまり十年前だ。
わからなかったのも無理はない。
何より彼女の化粧の質が、タイムリープするまえの僕がいた二〇一二年の須藤さん──つまり『秋月ひかげ』とまったく違ったのだ。
しかも『秋月ひかげ』は真っ黒な長い髪で顔を隠していたが、今の彼女──『春日ひなた』は明るい栗色のショートボブをしている。
そういえば──
今、もっとも人気があるアイドルの名前が、たしか『春日ひなた』だった。
僕の中で二〇一二年の須藤さんは『秋月ひかげ』のイメージが強く定着していたこと。それから僕自身がアイドルに疎かったこと。さらに容姿も名前も全く変わっていたことで、彼女の存在に気がつかなかったのだ。
しばらく僕が呆気にとられていると、彼女は大人びた表情で僕の顔を覗き込んできた。
そして、ゆったりとした口調で僕に語りかけてきたのだ。
「十年前のあの日────。君は言ったよね?」
「え……?」
思わず聞き返した僕の言葉に笑顔だけ返して、そのまま彼女は続きを口にする。
「もし十年後。私の人生が希望に満ちあふれていて、まだあの日のことを覚えていたのなら、その時は会いに来て──って」
彼女は目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「あの日。私が言おうとしていた言葉の続きを聞かせて欲しい──って」
そして『春日ひなた』は、少しだけ哀愁が入り混じったような笑顔を僕に向けて言ったのだ。
「だからね────会いに来たよ」
一瞬、時間が止まったような錯覚に陥る。
「……長かったようで、あっという間だったね。十年って」
言葉を失って固まっている僕を、優しく介抱するように語りかける彼女。
「私ね。あの日、神谷くんに告白するつもりだったんだ」
やはり僕の直感は間違えていなかった。
だからあの日、僕は強引にでも彼女の言葉を制止したのだ。
もちろん自惚れていたというわけではない。
ただ──
あの状況下では、彼女が正常な判断を下せないのではないかと考えたからだ。
僕は本来、彼女を見捨てた側の人間だ。
彼女の好意を受け入れる資格などないのだ。
だが、彼女の言葉には続きがあった。
「…………でもね。本当は告白して、そのままお別れを言うつもりだったの」
「……え?」
相変わらず落ち着くリズムで話す彼女──
「十年前ってさ。まだアイドルが異性と交際するのは良くないんだって雰囲気があったでしょ?」
言葉を聞いているだけで居心地が良い。
「もちろん当時の私は、まだ合格したばかりで余裕がなかったことも事実だけど──まだそういう時代だった」
不思議と心が温かくなる。
「だから……私は神谷くんのことを諦めるつもりだったんだ」
それが彼女の答え。
十年前、彼女が僕に伝えたかった言葉。
今こうして知ってしまえば、あの時に無理して止める必要などなかったのだと気づく。
結局──
言葉にして伝えなければ何もわからない。何も変わらない。何も伝わらないのだと、僕は思い知ったのだ。
「あの日。神谷くんが、どうして『十年後』って言ったのか私にはわからなかったけど、なんかあの時の神谷くん……とても辛そうな表情で私の言葉を止めたような気がしたから。だから私ね。あの日、君に告白することを諦めたの」
彼女が今日まで僕に連絡をくれなかったのは、あの日の僕が「今はまだ話せないけど」と口にしたことで『十年後』という言葉の先に何か深い意味があるのではないかと感じていたからだそうだ。
そのくらい、あの時の僕は酷い顔をしていたらしい。
須藤さんいわく。『まるで世界の終わりのような顔』だったとか──。
また水森も須藤さんからその話を聞いたことで、僕に迂闊なことを口走らないようにと、念のため僕と距離を置いていたのだという。
そして須藤さん自身、僕に対しての気持ちについては、多少なりとも一時的な感情の錯覚が影響しているのだろうという自覚もあったようだ。
ただ昔から一緒にいて、もともと僕に好意的な気持ちを持ってくれていたことも嘘ではないと言っていた。
そして『あの日、上京を決意したこと』と『アイドルを目指すという現実』のなかで、どうせ叶わない恋なのだからと割り切って告白に踏み切ろうと思ったらしい。
僕に想いを伝えるという行為によって、感謝も同時に伝えられるという気持ちもあったからだそうだ。
僕の頭の中は真っ白になった。
そうか。あの日、彼女は僕に感謝を伝えたかっただけなのだ。
それを僕が自分のエゴで拒絶して踏みにじった。
「うまくいかないもんだな……」
僕は目を逸らして、囁くような小声で呟いた。
また僕は彼女に酷い仕打ちをしてしまったのかもしれない。
本当に人の心は難しいと改めて感じる。
僕が申し訳なさそうな顔でうつむいていると、彼女は少し困ったような表情に変わって言葉を続けた。
「でもね。あれから十年たって、アイドルも人並みに恋愛していいんだって雰囲気に変わってきたでしょ……?」
彼女の顔が、徐々に紅潮していく。
「本当は十年前に君のこと諦めたはずだったのに────」
彼女の唇にぎゅっと力が入る。
「あれから十年経って────今日。君に会えるんだって思ったら、私の心がこれまでにないほど高鳴っていることに気づいたの」
十年という歳月が、彼女の瞳を涙で潤す。
「抑えきれなくなった気持ちが──。感情が────。私の心に訴えるの」
そして彼女は、その大きな瞳をまっすぐ僕に向けて言ったのだ。
「君のことが──────好きなんだって」
突然の告白に僕は言葉を失い、戸惑った表情を見せてしまった。
彼女の足が震えているのが見えた。
何やってんだ、僕は────
これじゃ、いつまで経っても何も変わらないじゃないか。
情けない。
相変わらず、情けない。
これは選択だ。
僕と彼女の関係が一歩前進するか、後退するか、それとも平行線のままか。
たまには勇気を出せよ────
「な、なあ……心春……!」
彼女を下の名前で呼ぶのは初めてだった。
突然のことに、須藤さんも目を大きく見開いて驚いている。
十年間も迷わせたうえに、彼女に告白までさせたのだ。
僕は答えなければならない。彼女の勇気に──。
「……必ず! 僕が幸せにしてみせるから……だから──」
彼女に見合うだけの勇気と誠意を、僕も見せなければならない。
「僕と……け、結婚を前提に…………付き合ってくれないか!」
僕は、彼女に交際の申し込みまで先にさせるわけにはいかなかったのだ。
それは、まるで教科書に書かれているようなベタな言葉だったかもしれない。
それでも、彼女は笑って受け入れてくれた。
いつの日か────
十年前に僕が体験したあの不思議な出来事を、彼女に話す日が必ず訪れるだろう。
その時が来ても、心から二人が笑顔でいられるように──
何が起ころうとも、ずっと二人が信じあえるように──
これから先どんな困難に直面しようとも、僕は彼女の未来をたくさんの幸せで彩り続けたいと願うのだ。




