第十五話「今日も君が、あの日の君のままでいてくれますように」
水森は、須藤さんに叩かれた頬を押さえながら放心状態になっている。
すると須藤さんは、そのまま水森の頭を包み込むように彼女を抱きしめたのだ。
「ごめんね……朱音ちゃん」
「え……?」
突然の出来事に、目を丸くして驚く水森。
須藤さんがつけていた香水の香りが、ふわっと僕のもとまで届いた。
「ど、どうして心春が謝るのよ……? 酷いことしたのは、あたしのほうなのに……」
「私が……朱音ちゃんの夢を横取りしちゃったから……」
そう言うと、今度は須藤さんが自らの心の内側を語り始めた。
「私──ずっと知ってたよ? 朱音ちゃんがアイドルを目指していたこと」
須藤さんは、目に涙をためながら言葉を続ける。
「アイドルになるために……誰よりも努力していたこと」
水森自身、まさか須藤さんに知られていると思っていなかったらしく、とても驚いた表情をしていた。
水森がアイドルを目指していたことを、須藤さんが知ったのは偶然だったそうだ。
ある日。水森の机の上に置いてあったカバンが少しだけ机からはみ出していたことがあり、その時に須藤さんが誤ってカバンを床に引きずり落してしまったのだという。
カバンに入っていた教科書やノートなどが床に散らばってしまったのだが、やけに学校とは関係のない専門的な本がたくさんあったことにまず驚いたそうだ。
よく見ると、それらの本はすべてアイドルになるための教本──つまり、ボイストレーニングだとかダンス関連のものだったとか。
須藤さんは慌てて拾い集め、そのあと何事もなかったかのように装っていたのだと言っていた。
「そのこと──私、朱音ちゃんに黙ってた」
「そんなこと……あったんだ」
水森が須藤さんの行動に対して怒ることはなかった。
むしろ、気づいてくれていた──という嬉しさのほうが強かったのだろう。
須藤さんは隠していたことを申し訳なさそうに語ったが、恥ずかしそうな表情に変わった水森の口もとに、少しだけ笑みが浮かんだように見えた。
「そのあとね……。毎日、友達の誘いを断って帰っちゃう朱音ちゃんのことが気になって……。それで一度だけ跡をつけてみたことがあったんだ──」
「えぇ……? び、尾行……⁉」
さすがの水森も、これには驚いたらしい。
僕も驚いた。
「……でもね! ほ、本当にその一回だけだったんだよ……? だって……あんなに社交的でみんなに好かれていた朱音ちゃんが、急に全然みんなと遊ばなくなっちゃったんだもの……。し、心配になるでしょ……⁉」
水森の視線は下を向いていたが、その表情はどこか嬉しそうに見える。
僕は小学校の頃の水森をよく知らないが、確かに僕の知っている水森も校内では人気者で──
だけどギャルみたいな格好をしているわりには、あまり遊び歩いているようには見えなかったかもしれない。
「でね……。その時、見ちゃったの。朱音ちゃんが一人でカラオケに入って行ったのと、そのあとで神社の境内を借りてダンスの練習をしていたのも……」
「こ……心春、あんた……いったい何時間尾行していたのよ……⁉」
涙を拭いながら、恥ずかしそうにツッコむ水森。
一瞬だけ嬉しそうにはにかんだ彼女の笑顔が、僕の胸を絞めつけた。
「それでね? この日──。朱音ちゃんが言った言葉が、私の人生を変えたんだよ」
「え……? あ、あたし……なんか言ったっけ……?」
すると須藤さんは、水森を抱きしめていた手を離して立ち上がった。
そして、背中に手を組んだまま数歩距離をおいてから、くるっと身をひるがえして水森に笑顔を向けて言ったのだ。
「『あたしがアイドルになって、世界中の人たちを笑顔に変えるんだぁあああっ!』……って!」
まるで当時を再現するかのように、少しオーバーなリアクションで水森を茶化す須藤さん。
そして、それを見た水森自身も驚き、その目を大きく見開いた。
「あの時の朱音ちゃんの一言が、私の心に焼きついて離れないの」
「こ、心春……」
「この人のようになりたいって……そう思った。だから、私もアイドルをめざしたの──。だから……だからね────」
水森への想いを語る須藤さんの顔は、少し寂しそうな表情に変わっていた。
少しだけ時間が止まり、窓から差し込む光が須藤さんと水森の二人をやさしく照らす。
「その朱音ちゃんが『アイドルになりたいなんて思うべきじゃなかった』なんて……そんなこと言わないで──」




