第7話 失った人
鳥のさえずりが聞こえる、疲れ果ててしまったアラスタとガマルはリビングに置かれたひとつのベッドに入り寝てしまっていた。
窓から差し込む日光が2人を照らした事でようやくアラスタは起きる事が出来たが、ガマルは依然として深い眠りについたままでその巨体でアラスタを下敷きにしていた。
「んん、ガマル……おい、ガマル!!」
「どうしたアラスタ!!おおっと……寝ていても僕の筋肉まで君が大好きなようだ」
アラスタは全力でガマルを押しのけようとするが、重すぎて全く退かせる気がしない。
「冗談言ってないで早くどけよ暑苦しい!!」
一通り揉みくちゃになった後ようやく2人はベッドから降りて時計を見る。
この時計は特殊で、燃焼が極めて遅い薬剤が練り込まれた麻縄が灰皿の上に置かれており、毎晩消えかかったものを取り払い、新しく火をつけて、その燃え残りの長さから時の経過を調べるものだ。
それによると今は午前の6時、いつもなら父が帰ってきている時刻だが、家を見渡すかぎりその様子はない。
「体の方は大丈夫そうだな!!」
そう言いながら笑い、アラスタの体を肩から太もも辺りまで力強く叩くガマル、アラスタ自身今ようやく気付いたが痛みも腫れも何も無かった、若さゆえか、それともこの世界はそういう物なのか分からないが。
「あぁ、じゃあ早速外でやるか?」
「いいや!!その前に風呂だろう!!その後ご飯を食べて特訓だ!!健全な生活からこそ健全で強固な体と意志が出来るものだ!!さぁ風呂はどこだ!!」
2人はすぐ近くを流れる川に来ている、木製の桶と絹のタオルを持ち川のど真ん中で体を水をかぶり、体を擦るアラスタを不思議そうに眺めるガマル。
「ミハイルさんは自然主義なのだな」
「そうだな、慣れると気持ちいいぞ」
アラスタが桶を差し出すと、ガマルはそれを見ていなかったのか大きな水しぶきをあげながらアラスタの目の前に飛び込んだ、服は昨日の晩破り去ったので今もパンツ一丁である。
「びっっっくりしたなぁおい、あっやべ」
その時アラスタのパンツが湿った重みでずり落ちた。
「ははは!!見ろ!!水しぶきがたったぞ!!ははは……ぬぅ⁉︎」
ガマルは眼前に広がったアラスタの秘部を見て驚愕した、小さな体に女の様な顔、そんなアラスタからは想像出来ないものがそこにはあった。
自分のパンツを引っ張り自分のをのぞき込み、もう一度アラスタの物を見る、決してガマルの物は小さくはない、なんなら大人顔負けの物をぶら下げていると自負していたが、アラスタのは一回り所か3~5割り増しの物が振り子のように揺れていた。
「なんて、なんて事だ!!」
ガマルは己の股間を右手で握りしめ、恍惚とした表情をうかべた、おそらくこの状況を赤の他人が見たら、いや身内が見たとしても良からぬ誤解をするだろう。
「ふふ〜ん、どうだ!!2勝目かなぁ!?」
「今日から毎日引き伸ばすとするよ……負けてたまるか!!」
引き伸ばしてどうにかこうにかなる問題じゃない気もしたが、アラスタとガマルはそのまま水浴びを楽しんだ。
しばらくして、2人は濡れた髪と身体をタオルで拭き取り、家の外に作られた石造りの竈へ迎い、アラスタがその竈の中に薪を重ね、乾燥した細い薪をナイフで削るようにして火口にし、それにマッチで火をつけると、重ねた薪の隙間に入れる。
少し時間がかかるが火は燃え広がり、上置きの穴から火が上がる、そこへガマルに頼んで持ってきてもらった鉄のフライパンを置き油を引くと煙が出るまで良く熱する、その横で川の水も煮沸させていく。
煙突からは白い煙が立ち上り、時折その煙が風向きでアラスタの顔へと流れむせる、完全に構造上の問題だ、毎回もう少し高い位置まで煙突を作ればいいのにとアラスタは考えていた。
「アラスタ!!肉ってこれの事か!?」
「ありがと、塩漬けだから……卵と焼くか!」
そうと決まったらアラスタはガマルに火の守りを頼み、家のリビングの戸棚に木製の皿2つを重ね、その上に卵を4つ置き手に取ると、竈に戻った。
そしてフライパンに厚切りにした塩漬けの豚に似た肉を4枚滑らせる、寒さと塩によって白く固まった脂身が熱でゆっくりと溶けだしパチパチと弾ける、そこへ4つ卵を片手で割り焼いていく、芳ばしい香りが2人の鼻腔を刺激し、口内に唾液が水の如く溢れ出して行く。
「アホみたいに美味いから楽しみにしとけよ〜」
「親友との初の食事!!ワクワクが止まらないな!!」
塩漬け肉をひっくり返すと、沸騰した油がキツネ色の焼け目の隙間で音を立てていた、そしてゆっくりともう片面も焼いていき、最後にフライパンへ煮沸した水をかけ、水気が無くなるまで焼いていく。
そして木製のフライ返しで繋がった4つの卵を2分割し、皿へ乗せると、後から塩漬け肉を乗せ、2人は家の中へ入っていき、テーブルに皿を置くと椅子に座り、2つのコップの中に水差しで水をついだ。
「そんじゃ、いただきます」
「いただきます!!」
2人は一番最初に肉をフォークで突き刺し、持ち上げると大きく頬張った。
キツネ色に焼き固められた肉の表面を自身の歯で突き破る感触の後。
肉の繊維を1本1本ちぎっていく感覚を感じ、あまりにも濃厚な旨味で唾液腺が破裂しそうな感覚が多幸感と共に訪れ、頬張る口が止まることがない。
しかし最後の一口は残す、半熟の卵の黄身を破るとゆっくりと流れ出す、それに最後の肉をつけ、口にほおりこんだ。
黄身によってまろやかになったその肉の味は絶品の二文字が似合うものであった。
最後に残りの卵をほぼ飲み込むように食べ切る、肉から染み出した汁によってこれもまた美味であった。
「すまないな、僕はただ見ているだけしか出来なかった」
「ん?ここは僕んちだぞ?振る舞うのは当たり前だろ」
2人は見合わせた後、微笑をうかべ、水を一気に飲み干すと、コップをテーブルに置く。
「ご馳走様でした!!」
2人は叫ぶようにそう言った時、父の部屋から小さな物音が聞こえた。
そこから全く時間はかからなかった、ほんの一瞬のこと。
チェスターコートを着た好青年、街に行った時、馬に乗っていた警察が、ノックも無しに2人のいる家の中へ飛び込んできたのだ。
「良かった!!無事だったか!!」
2人は突然現れた警察を見てただ呆然とするだけ。
警察の顔は二人を見て安堵したようだったが、すぐに、唇をかみ締め、俯いてしまった。
「いきなりどうしたんですか?」
「すごい慌てようだ!!ひとまず水でも飲んで!!」
警察は二人の元へ歩み寄ると、涙で濡れた目元を袖で拭き取り、神妙な顔で抑え込み、口を開いた。
「落ち着いて聞いてくれ」
二人は嫌な予感がしていた、そんな訳がないとそれを抑え込むが、嫌な予想ほど当たるものだ。
「ミハイルさん、ハルクさんが……殺された」
その言葉に、二人の世界は一瞬、しかし2人からしたら永劫にも思えるほど時が止まった。
思考は出来ない、ただ、全てが止まった。
体が冷えていく感覚と裏腹に心拍数は上がり続け、冷たい汗が全身から滲んでいく。
そんな中、震え声で最初に言葉を発したのはハルクだった。
「父さんは……どこに?」
警察は玄関の外の方に視線を送るが、すぐにガマルを見て。
「見ない方がいい、今はそれよりも君たちを保護しなきゃ行けないんだ」
そんな警察の言葉を、2人が聞くはずもなかった。
アラスタとガマルは外へと走り出す、アラスタが前に、ガマルが少し後ろで、気持ちが混沌とし頭の中を巡る、警察は止めなかった、止めることが最善だと思わなかったから。
外に出ると小さな幌馬車が止められていた、2人は走る、アラスタは足がもつれて転びながらも必死に走るが、ガマルは転んだまま立ち上がれずにいた、怖かったのだ。
怖くてたまらなかったのだ、もしあの中を見てしまったらきっと何かが壊れてしまうと2人とも思っていた。
しかし止めようと駆け寄るチェスターコートの集団をくぐり抜け、よくやく幌に手をかけると、アラスタはゆっくりとそれに近づいた。
そこに居たのは頭部が切断された、上半身だけのミハイルと、誰のかは分からないが2つの切断された足が置かれていた。
肌は青黒くなり、今だ頭部と腹部の切断面から出血を続けるミハイルを見たアラスタは、傍で膝から崩れ落ちると、切断面に手を当て、次に胸、首と触れた、冷たい、そんな一言しか頭の中に浮かばなかった。
「そんな……そんな、いや……ははは、父さん、なんで」
手を見る、白黒でぐるぐると回っていた。
アラスタは混乱していた、視界が歪み、波打つほどに。
何が現実で、何が自分の作り出した妄想かも分からない、浮遊感にも似た精神状態、そんな中でもガマルが叫んでいるのだけは分かった。
アラスタはフル回転している頭をゆっくりと巻き戻すようにして、再び自分の手を見た、そこには。
血液で濡れた手が震えて、そこにあった。
「アラスタ!!」
ガマルもようやく幌を開いて乗り込んできた、ミハイルの姿を見たガマルは、その場に尻もちをつき、静かに涙を流す。
そしてその横に置かれた足を見る、理解したくなかったが、尊敬していた父のことだから、無意識の中でも理解してしまった。
この靴、この残されたズボン、それは父の物だと。
「アラスタ……アラスタ?ははは、なんだこれは、なんなんだ」
「父さん、父さん?父さん!!」
アラスタはミハイルを抱き寄せ、ガマルは残された足を2つ抱き寄せ、泣き叫ぶ。
全身の痺れや意識の浮遊感、そんななか、ただ2人は、ずっと、泣き叫ぶだけだった。
しかしアラスタは立ち上がった、そして馬車を飛び出すと、周りにいる者たちに震えながら、ただ何があったのかと聞きまわる。
しかし目を伏せるだけで返答がない、そんな態度に怒りをあらわにする余裕もなく、ふらつく足取りのまま、家へと歩き出す。
玄関をくぐると、警察の青年が立っていた。
「何があったんですか?」
その問いに、警察だけが返答した。
「前々から危険視されていた……月の香りの探求者に、だけど、ミハイルさんとガマルさんはただじゃやられなかった、月の香りの探求者の物と思われる右腕だけが見つかった」
「なんで、殺されなきゃいけないんですか、なんでですか?なんで、なんでなんですか」
うわ言のように「なんで」と呟きながら血まみれで父の部屋へと歩き出し、扉を開くアラスタ、その時だった。
液体の入った小さな小瓶がアラスタの顔目掛けて飛んでくる、とっさの判断で顔を背け手を前に出すと、接触していないにも関わらず割れ、両手と顔の左半分に降りかかった。
「なにが」
そう呟いた時、警察の青年がアラスタを抱えて玄関へ走り出した。
今の状況がさらに分からなくなったアラスタは父の部屋へ視線を向ける、するとそこには。
父のものと思われるウォーピックがその先端を赤熱させ、今まさに床へめり込もうとしている瞬間だった。
視界は一瞬白くなり、次に赤を目にした時、顔と手に激しい痛みと熱を感じたアラスタは、体の底から捻り出したような叫び声をあげて、警察の腕から脱出すると、地面で転げ回った。
視界は揺らめく炎が支配し、鼓膜は燃え盛る炎の音と自分自身の叫び声、そして遠くで叫ぶガマルの声が聞こえているのみ。
そして、頭の中で「あぁ、なんでこんな」と呟いた時、薄れゆく視界の中、誰かに水をかけられ抱えられた、その声からしてガマルだと気付くのにそう時間はかからなかった。
「アラスタ!!アラスタ!!お前まで僕を置いてい……あぁ」
視界に移るガマルが見ている方向へと視線を移すアラスタ、そこは燃え盛る家の上。
そこには、うっすらではあるが、何かがいた、それはこちらを見ると、確かに口元に笑みを浮かべ、その後空へと去っていった。
2人の鼻腔に、透き通った香りを残して。
「お前か、お前なのか、僕達を、僕達の父さんを」
2人は叫ぶ、額に青筋を浮かべ、目を血走らせ。
「ぶっ殺してやる!!」